Ⅳ 海馬の浸水式

 それから一週間の後、アルゴナスの造船所の前は大勢の着飾った人々で賑わっていた……。


 その多くは例の紋章──〝神の眼差しを挟む羊の巻角〟が染め抜かれた純白の陣羽織サーコートを羽織り、頭にはモリオン(※帽子型の当世風兜)といった装いの白金の羊角騎士団員達であるが、中にはシルクの肩スリット入りプールポワン(※上着)にキュロット(カボチャパンツ)とスパッツという、より身分の高い王侯貴族の装いをした者や、反対に木綿の編み上げシュユーズにオー・ド・ショースだけといった平民階級の者いる……。


 平民の方は、普段よりも小綺麗にはしているものの、この造船所の船大工達である。


 一方の豪勢な恰好をした貴人達の中で、一際目を惹くのは山吹色のプールポワンに白いキュロットを履き、黒いのベレ(※ベレー帽)を被った一人の青年であるが……誰あろう、彼こそがハーソンら羊角騎士達の主君、エルドラニア国王兼神聖イスカンドリア皇帝カルロマグノ一世なのだ。


「──陛下まで御列席くださるとはなんたる僥倖……しかし、まことに光栄なことではございますが、わざわざ陛下御自らお来しくださらなくてもよろしかったものを……」


 大勢の列席者達の喧騒に包まれる中、主君を出迎えた団長ドン・ハーソンは、いたくその誉れを感じる反面、ありがた迷惑な表情を浮かべてカルロマグノに述べる。


「なに。この船を造る金は余の懐から出ているからね。つまりは余の船でもあるということだ。自分の船の浸水式ともなれば、それは来ずにはおれまい?」


 しかし、護衛の近衛兵やお付きの貴族達を従えた若き王は、その鳶色をした瞳をやや細めると、澄ました笑みを湛えたままそう答えた。


 そう……今日はアルゴナスの造船所が建造した白金の羊角騎士団が乗るフリゲート艦──〝アルゴナウタイ号〟の記念すべき浸水式なのである。


 とはいえ、イスカンドリア皇帝をも兼ねるエルドラニア国王は、当然のことながらたいへん忙しい身の上である……それなのに、なぜわざわざ王都マジョリアーナから遠く離れたこのティヴァーリャくんだりまでカルロマグノが来ているかといえば、それは一種の遊興である。


 多忙な日々の疲れから逃れ、風光明媚な海辺の土地で息抜きをするべく、この浸水式への参列をわざわざ買って出たというわけだ。


「それに今のエルドラニアにとって、ティヴァーリャの造船業は生命線といっても過言ではない。たまには王の顔でも大事な船大工達に見せてやらねば。王というのも人気商売だからね」


 しかし、そんな息抜きの合間であってもちゃんと自国の情勢と国王としての務めを忘れてはいない。歳は若いがカルロマグノ、こう見えて意外と賢帝なのだ。


「もちろん、君達羊角騎士団も我が国の新天地経営を護るための要だ。ゆえにその〝馬〟となる軍船の門出を直に見ておきたかったというのもある」


 続いてそんな大海洋国家の主君たる台詞を口にしたカルロマグノは、居並ぶ羊角騎士達の方へその眼差しを向ける。


 そこには、一般的な白い装束の騎士達に混じって、個性豊かな団員達の姿もチラホラと覗うことができる……。


 まず最初に目を惹くのは、他の者達のゆうに二、三倍はあろうかという巨体を誇る、ライオンの頭部をかたどったモリオンを被る大男だ。


「──船戦か……俺は広いおかの上での闘いの方が好みだがな」


 新造船を前に、そう嘯く厳めしいガルマーナ系の顔立ちをしたその団員はドン・エラクルス・マイケネス。嘘か真か巨人の血を引くという傭兵あがりで、騎士団一、二を争うその戦闘能力から、団の陸戦隊を率いる隊長を任されている人物だ。


「話にゃ聞いてたが、ほんとに船体が銀に輝いてやがる……おまけに砲門も二列並んでるときた。こいつぁ、早く舵を取りてえってもんだぜ」


「ああ。武装だけじゃねえ。重量はあるようだが背は低くて細身だ。速度もかなり出そうだな」


 エラクレスに比べればさすがに小ぶりではあるが、一般的には大柄な部類に入る二人の髭面も、ちょっと変わった兜を被って銀色の船体を見上げている。


 その内の一人、牛の角付きの兜を被った方がティヴィアス・ヴィオディーン。古代の海賊〝ヴィッキンガー〟の末裔である、北の海の国デーンラントの船乗りだ。


 もう一方の縮れた黒髪に猪の頭を模したモリオンを乗せるのは、同じく船の扱いにも慣れた島育ちの猟師、アンケイロス・サーモスである。


 この二人、その腕を見込まれてハーソンにスカウトされた正・副の操舵手であり、つまりは今後、この新造船〝アルゴナウタイ号〟の操舵輪と、そして、大海原に浮かんだ騎士団の命運を握る張本人なのである。


 その他にも毛皮のジャーキン(※ベスト)を羽織った狩人の双子パレーテイダ兄弟や、革製の丸い兜に高価なガラスの嵌まったゴーグルを着けた発明家ポレアージョ兄弟など、独創的な恰好をした者はまだまだたくさん混ざっているが、特に変わったところでは羽付きの黒い鍔広帽を被り、手に竪琴リュラーを持って弄ぶ優男やさおとこだ。


「晴れた空、そよぐ風……浸水式にはまさにぴったりな空模様ですね。なんだか新曲のメロディが浮かんできました。曲名はそう……〝憧れの新天地航路〟とでもしときましょうか……」


 そう独りごちながらポロン、ポロン…と弦を弾く彼はオルペ・デ・トラシア。小国の王子でありながら家を捨てて吟遊詩人バルドーをしていた人物で、弓の腕もさることながらその歌と演奏を高く買われ、長い船旅での慰みにと騎士団に招かれた団員だったりする。


「あの役立たずだった羊角騎士団を、よくもここまで見事に刷新してくれたものだ……君らには大いに期待しているよ、ドン・ハーソン」


 そんな、もとからエルドラニアの騎士だった者ばかりでなく、様々な国籍・階級より集められた個性豊かな団員達をぐるっと見渡し、カルロマグノは団長ハーソンに心からの期待の言葉をかける。


「ハッ。私自身も陛下のご厚意によりこの地位にまで引き立てられた身。我ら新生白金の騎士団、その恩義に応えるべく、不埒な海賊どもの討伐に邁進する覚悟に存じあげます」


 対するハーソンは畏まって威儀を正すと、自分達に全幅の信頼を寄せてくれているこの若き主君へと、強い感謝の念と忠誠心を以って敬意を顕にした──。




「──フラガラッハ!」


 それより四半時ほど後、一変して静寂に包まれ、整然と列席者達の居並ぶ造船所前に、よく通るハーソンの大声が高々と木霊する……。


 すると、彼の腰に帯びた剣が鞘よりひとりでに抜け出し、空中でくるっと一回転すると、その渦巻紋様のあしらわれたつかはハーソンの右手の中へスポリと収まった。


 いや、それは別に手品を披露したわけではない……その剣こそがハーソンを聖騎士パラディンの地位にまで押し上げた古代異教の魔法剣、自ら鞘走り敵を斬る〝フラガラッハ〟なのだ。


「それでは……いざ、参る!」


 その魔法剣を天に掲げたハーソンは、国王カルロマグノをはじめとして皆が静かに見守る中、一気呵成にその刃を地上へと振り下ろす……と同時に、船を牽引していた図太い綱が見事に断ち切られ、新造船は自らの重みで、レールの轢かれた覆屋前の斜面を海へ向けて走り出した。


 わずか後、ザバァァァーン…! と大きな飛沫をあげてその船底は着水し、ゆらゆらと巨体を左右に揺すりながら、徐々に水上でのバランスをとってゆく……。


 やがて、その揺れも収まり、しっかりと安定して海面に浮かぶと、乗っていた船大工の手で三枚の帆が下ろされ、風を孕んで膨らむ純白の帆布はんぷの上には、羊角騎士団の紋章〝神の眼差しを左右から挟む羊の巻角〟が威風堂々と翻った。


 その光景を目の当たりにした列席者達からは、ワァァァーッ…! という割れんばかりの歓声が瞬時にして湧き起こる。


「なんと神々しい! ここまで苦労して、癖の強い新団員達を集めた甲斐があったというものだわい!」


「これが……わたし達の船……」


 海上で帆を広げ、真に〝船〟としての姿を顕わにしたアルゴナウタイ号に、副団長アウグゥストも魔術武装を施したメデイアも、その感動に顔を輝かせてその雄姿を見つめている。


「いやあ、堪んねえな! 早くこの手で走らせてえぜ!」


「ああ。今日も船大工の代わりに乗せてもらっときゃよかったぜ!」


 操舵手のティヴィアスとアンケイロスも、ゆっくりと動き出した銀色の船に興奮を隠しきれない様子だ。


「フゥ……どうにか無事に浮いてくれたようで。自信がなかったわけじゃねえですが、今回はずいぶんと攻めた・・・設計だったんで、正直、実際に浮かべるまでは心配しておりやした」


「フッ…名匠アルゴナスでも左様な心配をすることがあるとはな……いや、むしろその真摯な姿勢こそが名船大工の所以ゆえんといったところか……ま、俺は貴殿の造った船に微塵も心配などしていなかったがな、マエーストロ・アルゴナス」


 他方、覆屋から船を送り出したアルゴナスは深く安堵の溜息を吐き、その傍らでハーソンは、そのたくみとしての心構えにいたく感服している。


「なかなかいい船じゃないか……これなら、安心して新天地から金銀財宝を運べそうだ……」


 また、特別貴賓席に座る国王カルロマグノもその豪奢な船影を眺め、いたく満足げな微笑みを浮かべてそう呟いた──。

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