ラジオ体操という儀式
あたりめ
ラジオ体操という儀式
『伸び伸びと!背伸びの運動から~!…イッチ、ニッ、サン、シ!…』
朝方、まだ太陽も登り切っていない時間から公園に流れるラジオの音。
聴こえて来るハキハキとした男性の掛け声に合わせて、私はまだ目覚め切っていない身体をゆっくりと動かしていた。
ココに来たのはつい最近で、夏が始まると朝早くからこうやって公園で体操をするそうだ。
公園に集まっているのは見た限り、小学生から高校生くらいまでの歳の子だろう。
ほとんどが私より歳が下の子のようだ。
ラジオを持った中年のおじさんを基準に、十数人の子ども達がお互いに体操をしても支障のない距離に広がっている。
『ラジオ体操』というのココに来て初めて知った。
名前だけは聞いたことがあったが、私の居たところは都会だったせいか、朝早くから集まって体操をするという習慣が無かった。
そもそも、朝6時過ぎに起床してすぐに体操をするというのが信じられない。
それを毎日…。
なんでも朝一から身体を動かすことで、健康促進と生活リズムを正すことが出来るのだとか…。
ラジオ体操に誘ってくれた中学生くらいの男の子が得意げに語ってくれた。
ありがた迷惑とはこのことを言うんだろう。
しかし、周りを見渡すとどの子も朝から元気いっぱいに身体を動かしている。
自分より若いというのもあるのだろうが、朝の
そんなことを考えているうちに体操も終盤のようだ。
『大きく深呼吸!深く息を吸って~、…ごう、ろく、しち、はち…』
ラジオの号令に合わせて、大きく息を吸って吐いた。
確かに始めたころの気怠さは無くなり、不思議と頭と身体がすっきりした気分だ。
健康に良いというのも満更嘘ではないらしい。
体操が終わって余韻に浸っている私をよそに、他のみんなはラジオ係のおじさんに集まっていた。
おじさんの前に列をなしているようだ。
不思議そうに眺めていると、近くに居た子が一日ごとにスタンプが貰えて一定数溜まると商品が貰えるのだと教えてくれた。
そういえばみんな首からハガキくらいのカードをぶら下げていたな、と思い出した。
私も列に並んで貰ったカードにスタンプを押して貰った。
私が貰ったカードは白を基調に太陽と草原と川、馬と牛のような動物のイラストが散りばめられていた。その真ん中に日付と今日押して貰ったスタンプがひとつだけ。
隣で同じように自分のカードを眺めている子を見てみると、私よりも若干豪華な色と模様が入っていた。なんでも毎年参加していると柄が変わるらしい。
リピーター優遇制度なんだろうか。子どもたちは嬉しいみたいだ。
みんな顔見知りが多いのか、お互いに話したりスタンプカードを見せ合ったりしていたが一通り終えるとそれぞれ帰っていった。
次の日もその次の日もラジオ体操に行った。
朝はやっぱり辛いと思ったが、毎日のように迎えに来る男の子のおかげでなんとか皆勤賞を保てていた。
健康に良いのは分かったが、商品にもそこまで興味が湧かなかったので「今日はいいかな…」と思う日もあったのだが、自分より若い子が甲斐甲斐しく迎えに来てくれるのを思うと、参加しない訳にはいかないと思えてきた。
公園ではいつもの子たちが毎日集まっていた。
こういうものは一日休むとその次の日からズルズルと行かなくなったりするのだが、見た限り来ていない子は居なかった。
8月に入った頃には、スタンプカードも半分ほど埋まっていた。
相変わらずスタンプを押して貰った子ども達は嬉しそうだ。
「商品を貰ったらどうするか~」と言う声もチラホラ聞こえてきた。
そんなに良いものなら少し期待してもいいののかな?と思えて来た。
相変わらず朝は男の子が迎えに来てくれていた。
公園までの道を一緒に歩くのが日課になっていた。
男の子は『早起きは三文の徳!』ということわざの意味を語ってくれたが、私は三文っていくら??と思考停止しほとんど頭に入って来なかった。
そんな毎日を送っていると、あっという間に最終日が来た。
一日一日継続することは辛かったが、思い返してみるとあっという間に思える。
二十日余り通ったこともあり、最後の方は早起きも自然と身に付いていた。
これが習慣というものなのだろう。
ラジオ体操の最後の深呼吸が終わりきると、周りからは歓喜の声が上がりスタンプの列に走っていた。
今日はいつものラジオ係のおじさんとは別に商品の段ボールを持った付き添いのお兄さんも居た。
いったい何を貰えるんだと少しワクワクしながら私も列に並んだ。
列に並びながら前の商品を受け取っている人を覗いてみたが、なにかカードのような物を手渡されていた。
まさかクオカード?と一瞬疑ったが、貰った子の顔を見ると涙を浮かべていたのでそれは無いだろうと考え直した。
程なくして、ついに自分の番が来た。
ラジオ係のおじさんにスタンプカードを渡すと、
「よく頑張りましたね。」と、
優しい声を掛けられた。
思えばこのおじさんの声を聴いたのはこれが初めてだった。
おじさんは斜め後ろに控えているお兄さんに目配せをした後に、封筒から取り出したカードを受け取り、私に差し出した。
「どうか大事に使ってください。」
そう言って差し出されたのはカードでは無く、切符だった。
【
二枚綴りの切符、行きと帰り用。
有効期限には8月13日から8月16日までと書いてあった。
受け取った瞬間に自然と涙がこぼれてしまっていた。
私は今まで自分が死んでしまったことに気付いていなかった。
いや、気付いていたのかもしれないが、認めることができていなかったのだ。
切符を見たときに、ようやく自分の死という実感が湧き、突然来たどうしようもない感情に涙が止まらなくなってしまったのだ。
その場でしゃがみ込んで
いつもラジオ体操に誘ってくれていた男の子だった。
優しく慈愛をもった顔で、
「大丈夫です。」と、
私が落ち着くまで背中をさすってくれた。
ひとしきり泣いてしまった後に、男の子は優しい顔から凛とした表情へ変わり、
ラジオ係のおじさんに問いかけた。
「彼女は黄泉へ来て初めての帰還になります。
そういうと、後ろのお兄さんが段ボールから10センチ程の箱を取り出していた。
おじさんは箱を受け取ると、座り込んでいる私と同じ目線まで
「
長い時間ではありませんが、言い残したことや感謝や別れを伝えることができます。」
受け取った箱には白い
私がゆっくり立ち上がるのを見て、男の子が再び優しい顔で声を掛けてきた。
「ラジオ体操の最後を覚えてますか?ゆっくり深呼吸です。」
忘れるわけがない。毎日やってきたことだ。
自然と背筋を伸ばし、ゆっくりと大きく深呼吸することができた。
落ち着きを取り戻したところで私は男の子に、
「ありがとうございます」とだけ伝えた。
見た目が年下の男の子になぜ敬語になってしまったのかは分からなかった。
男の子は何も言わなかったが慈愛に満ちた顔だった。
次の日は朝6時には目が覚めていた。
初めの頃の
今日からラジオ体操は無い、しかしどこからかラジオの音が聴こえてきそうな気がした。
男の子は今日は迎えに来なかった。
駅の改札で切符を見せ、ホームの椅子に座り電車を待つ。
周りにはラジオ体操で見かけた顔ぶれもあったが、男の子はやはり居なかった。
やがて電車が到着し、ドアが開いた。
私は椅子から立つと、大きく深呼吸して電車に乗り込んだ。
終
ラジオ体操という儀式 あたりめ @atarime83
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