エピローグ・不吉な予兆

 四人の旅人が最南端のノシメ港町から出発してしばらく。

 中央と呼ばれる前王の城では、エイプル騎士団の長が眠りについていた。時は夜半過ぎ、戦火も久しく書類作業に追われていた若い頭領は、しばしの休息を寝台で得ていた。

 それもつかの間、エイプルの個室を荒々しく叩く音が聞こえる。

「騎士団長、敵です」

 エイプルは素早く身を起こし、傍に置いてあった剣の柄に手を伸ばす。

「島の外からの侵略者か」

 従者の男の声はエイプルの冷静な声に反して上擦る。

「いいえ、いいえ。おかしなことを言う連中です。銀のペンダントを返しに貰いに来たと」

「なにっ」

 寝るときも肌身離さずつけていたペンダントを、思わず寝間着の上から掴む。エイプルは胴着を被ってすぐさま外に出ると、城下には異様な光景が広がっていた。暗闇の城内には松明が灯っているが、辺り一面静かだ。どこにも敵の姿はない。

 わけもわからず怒鳴りこんできた従者を見るが、今の彼には先ほどの慌てぶりは見受けられなかった。彼も人形のように黙りこくり、城内の闇からエイプルに視線を移す。闇を映すような深淵の瞳に、エイプルは身を引いた。

「彼らはこうも言っておられました。この大噓つきが!」

「なんだ、どうしたって言うんだ」

 エイプルはしりもちをつく。しかし従者の男は鬼のような表情で美しい青年に迫った。その身に背負う罪を問い詰めるように、歯を向き出しにして。

「お前は正当な後継者ではない。よくも我々を騙してくれたな。お前は薄汚い平民の子だ。騎士ですらない」

「違うっ。私は銀のペンダントを持っていただろう。それがこの国の王たる証拠だ」

「真の後継者から奪ったんだ。この盗人が。皆が知っているぞ。見ろっ」

 尋常ではない力で胸倉をつかまれ、城の石垣に体を乗せられる。エイプルの声が詰まったのは、闇の中から自身を見上げる無数の瞳のせいだった。じっと、疑心と怒りと軽蔑の混じった目でこちらをみている。

 エイプルは居た堪れなかった。まるでかつての自分のようだった。茂みの中からこっそりと、オクト少年からペンダントを騙し取ったジュンを見るような目。エイプル少年に「君は王の落胤だ」と鼓舞したのは、全くの嘘だと知ったあの怒り、屈辱が沸き上がる。

 私を傀儡にでもできると思っていたのだろうか、あの大噓つきのジュンは。

「盗人も噓つきも、全てはあの魔女のせいだ。皆も見ただろう、なあ。私をそんな目で見るんじゃあない」

「シラを切るつもりか。なら、尋問だ」

 引きずられ、ふと両脇を抱える男の姿に既視感を覚える。虚無感に襲われる体に、僅かながら力が宿った。その手は懐かしの同胞、ウォルフ・ライエとカトレアではないか。

「田舎から戻ってきたのか。なあ、こんなの悪い冗談だろ」

 乞うように話しかけても、二人は一言も口を利かない。やがて連れてこられたのは磔台の前だった。あのジュンを処刑した時と違うのは、磔台は三つあり、両脇には項垂れてピクリとも動かないフロックスとニゲラがいたことだ。

「火刑を執行する」

 執行官が声を上げる。背筋を這いあがる絶望にエイプルは悲鳴を上げて、力の限り抵抗した。

「嫌だ、二人とも起きろ。こんなところで死んでたまるか。フロックス、ニゲラ。頼む」

 いつの間にか集まった群衆がヤジを飛ばす。投げられた石が額に当たり、エイプルは血がでる頭を振り乱して抗った。ふと視線の先に、黒判騎士の甲冑を着込む影ともうひとつの影が見えた。

「さっさと殺してしまえ」

「ジュン、なのか」

 野次にエイプルの声はかき消されてしまう。しかしジュンは聞こえたのか、軽い調子でこちらに手を振ってきた。そして子気味良く鎧を鳴らしてエイプルの前にやってくる。さながら、暗黒の壁のような威圧感があった。ニゲラでは到底出せない貫禄だろう。

「安心しろ。火を通って君の魂は次の使命に輪廻する。君の役目は終わりだ、エイプル。その細い首に純銀はさぞ重いだろう。今外してやるからさ」

「隣にいるのは、誰だ」

 ジュンは振り返り、連れ立った影を見やる。

「ペンダントの本当の持ち主さ。そら、冥途の土産に顔を見せてやれ」

 その影がゆっくりと近づくたび、エイプルは死よりも恐ろしい予感に全身が震えた。殺されるよりも、辱めを受けるよりも、自分で負けを認めて屈服することが何よりも怖かった。

 自分は王家ではない、ただの凡夫だなんて。

 顔が月明かりに照らされるという時、エイプルは悪夢から目が覚めた。

「夢、か」

 あまりにも現実味を帯びた、決して叶っては欲しくない夢だった。ひとまずほっと息をつき、窓の外は暗い。もうすでに夜だった。

 エイプルは窓を開けて夜風に当たる。汗ばんだ頬を冷たい風が撫で、乾いた瞳で視界がぼやけてしまう。何度か瞬きをして夜空を見上げると、エイプルは喉から短い悲鳴が出た。

 薄桃色の満月が空にぽっかりと浮かんでいる。ジュンを魔女として処刑した時と同じだ。まるで、真の支配者が復活したことを祝福するような怪しげな光。

 月光に力を吸い取られるように、エイプルはしばらくその場から動くことができなかった。

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偽りの道をゆけ じゅげむ @juGAME

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