戦いの終わり、その後

 戦闘は長期化したが、ナシュ商船が攫った町民はみな無事に町に帰り、罰金として金銭の支払いと奴隷の解放を命じられた。ナシュはそのお陰で、身柄を船に渡すことが許された。

「そんなのおかしいじゃないか。こいつは牢獄行きだ」

 町民からは少なからず抗議が出たが、払った罰金に色がついたのだろう。ナシュは捕まった時も船に戻るときも、相変わらずふてぶてしい態度だった。

「金の恵みに感謝だな。ジュンによろしく言っといてくれ、また来るってな」

 オクトは船が水平線の先に消えるまで、ずっと睨みつけていた。教会には戦闘が数日たった今でもけが人が多くひしめき合い、中には盗賊崩れのカトレア一派もいた。盗賊の襲撃も、この度の共闘によって、しばしの免状が与えられた。

「君も疲れたろう。休みなさい」

 フロックスと一行はしばらくノシメ港町にいた。そして街の復興やけが人の手当てに奔走するオクトたちに、スープを作ってくれる。オクトは隣でへたり込むスピカに皿を渡した。

「俺はいらない」

 つっけんどうなスピカに、フロックスは飲めと促す。

「君もこの町に残って働いてくれているんだろう。飲みなさい」

「いやでも俺、非人ですよ」

 自らを卑下する発言に、フロックスは首を振る。

「動いたら誰でも腹が減るもんだ」

 フロックスはムカつくやつだと思っていたが、オクトはそうでもないなと考えを改めた。優しくされると絆され易い、オクトの利点であり難点だ。

「これからどうするんだよ」

 フロックスが他の人間にスープを配り始める。オクトはスープを啜りながら尋ねた。スピカは黙って手のひらを差し出す。

「とりあえず、髭の代金」

 オクトはため息をついて、銅貨を渡した。ともに貴重な体験を潜り抜けて、金をせびられるなんて。

「お前はほんと、ちゃっかりしてるよなあ」

「坊ちゃんにはわからんだろうさ。俺たちは皆生きるのに必死。銅貨一枚だって損できないね」

「そう言うんなら、髪でも切って貰おうかな。今度ナシュの奴らに会った時、カッコよく戦って勝ちたいね」

「馬鹿、返り討ちにされるぞ。あいつらの本気には勝てん」

 スピカが笑うと、ふとイオタの残像がちらつく。何気ないことで言い合って喧嘩して、その日常の中でも彼は悩み苦しみ、結局町を離れた。今頃どうしているのだろう。

「はは、だな」

 彼の心の機敏に、スピカは気づいた。話題をなにか出そうと思案する。

「そういや、あのイオタってやつはどうなった。あいつ見かけねえけど」

「ナシュの奴隷船に乗っていった」

 空気が固まったが、スピカはめげずに話かけた。

「どうして」

「あいつも、体の一部が獣で、隠しきれないから船に乗ったと言ってた。自分から」

 皿を持つ手が震えている。余程ショックなのだろう。友人が奴隷船に自ら身を売ったのだ。その傍にいた誰にも、最後まで打ち明けず。

「従順にしていたら、まずひどい扱いは受けない。気に病むな」

 彼は黙りこくる。スピカは気の利いた言葉も言えなかったと、頬をかいた。

「親方たちには言わないでくれ。そんなこと聞いたら、ぶっ倒れる」

「わかったよ。なあ、髪を切ってやる。タダで良い。船で言ってた話でもしながら、楽にしてな」

友人の気づかいにオクトは沈んだ顔をあげる。なかなか見れない、オクトの心情を慮る彼が微笑ましかった。オクトが立ち上がると、ハルシャが息を切らしてやってきた。

「ジュンを見なかったかしら」

 二人は顔を見合わせる。ジュンは戦闘の後、しばらく昏倒して目覚めなかった。ハルシャやフロックス、時折夜中にカトレアやウォルフが顔を覗いても、ここ三日間目覚める気配がなかった。

「教会のベッドで寝てるでしょう」

「違うのよ。いなくなってるの」

 遠くで配膳をしていたフロックスも思わず振り返る。二人は急いで立ち上がって町中を探し始めた。フロックスはこっそり心配しながら、配膳用のスープを取りに給仕場まで戻った。

 ノシメ港町にただ寄って帰るだけが、とんだ長居になりそうだ。反乱を起こしたデルフィとシランは早急に拘束して中央に送り、見事な情報提供と告発でカリア司祭の中央への大抜擢。しかしオクトに話しかければ、なぜか彼女から不穏な空気が流れるのだ。オクトに聞いても何も言わず、なんだか二人の若人に振り回されている気がする。加えて、黒判は相変わらず頼りにならない。

 洗い物が積み重なった誰もいない給仕場にため息混じりに戻ると、汚れた食器は何一つなくなっており、作り置きのスープを煮込む匂いがした。代わりに一人の女性がいる。

「やあ、大司祭がスープ作りとはこれいかに。他の兵士に代わって貰いなよ」

 灰色の双眸に、男性服ながらも凹凸のある体。突然の来訪者の、スープの味見をする唇に目を奪われた。

「ハルシャさんが、君を探してたぞ」

 ジュンの口元が笑う。

「そりゃあ黙って出たからさ。子供たちが私の尻尾を面白おかしく玩具にするから、その場からそそくさ逃げたんだよ」

 なんだそりゃ、と笑うと小鉢にスープが注がれて渡される。一口飲むと、元々の味に多少スパイスが加わったのか、味に締まりが出て深みが増していた。

「おお、これだ。昔君が作ってくれたスープ」

 従軍中の思い出は、戦と飯だった。あの黒判騎士が鎧姿で、腹をすかした兵士に飯を与えるのはいま思い出しても愉快な絵面だ。黙って荒くれ共が配膳に従うのは、ひとえにあの味が美味だったからに他ならない。

 フロックスがつい、君と口走ったのをジュンは見逃さず、彼の両手に自分の両手を重ねた。抱き合うような形で押し倒され、彼の背中には木の机の硬さと小鉢が躍る感触が伝わった。

「私をジュンと認めたな」

 彼女の顔が迫る。直視できずに顔を背けると、首筋に息を吹きかけられ、思わず目をつぶった。

「やめろ。誰か見てるかもしれないだろ」

「それは大変だ。君は大司祭で、所帯持ちだもんな」

 ジュンの手が彼の左手に嵌められた指輪を、抜け目なく標的に絞って盗み見た。赤面しているフロックスは慌てっぱなしだ。

「式は挙げたが、すぐ、別れた。情けない話だ。君たちは、永遠の愛を誓いあって本当に幸せそうだったのに」

 あれはフロックスと相手の女性、そして黒判騎士とサビク王女の二組の結婚式だった。その翌月、ジュンは魔女として捕らえられ、黒判騎士は別人が成り代わっていた。

「永遠の愛なんてものは、ないさ」

 ジュンはフロックスから身を離し、左手の薬指に恭しくキスをした。指の付け根から、しびれるような熱が全身に回る。

「嘘をつくな。指輪、取り返しにきたんだろう」

「それは確かに私が彼女から受け取った指輪だが、私が欲しいのとは違う。君が欲しいならやるよ。からかって悪かったな」

 意外な反応だとフロックスは思ったが、口にはしない。いまだに熱の残る体に反して、ジュンの態度は素っ気なかった。フロックスは彼女の手を反射的に掴む。

「お前は、本当にジュンなのか」

 ジュンは悲しそうに笑った。

「自分でも、時々わからなくなる」

 彼女の手のひらがフロックスの左頬に触れ、真剣なまなざしに体が固まる。多くの敗れた男たちが、ジュンの目に覗き込まれて死んでいった。俺も、出来る事なら、今こうして彼女に見送られて逝きたい。

「俺を、殺してくれ」

「おや。君が裏切り者だのかい」

「色々、事情があるんだ。一言では言い表せない」

 フロックスが目を逸らすと、顎を掴まれて動けなくされる。唇が触れ合うまで少し、その距離はきっと彼女からは埋めてこない事をフロックスは知っていた。追っては逃げ、追われるのを待っていたら遊ばれる。

 ジュンはしばらく指で彼の顔の上を戯れていると、彼女は笑う。

「茂みに猫が二匹いる。臆病で好奇心旺盛な猫だ。彼らにも君のスープを恵んでやってくれないか」

期待しているのが自分だけなのは、いつものことだ。ジュンは気まぐれな猫のように去り、フロックスは自分の両頬を手にひらに当てる。熱い、とても。

「さあ。飯の時間だ。猫ちゃんおいでおいで」

 フロックスが気分を切り替え、皿を持って庭に出る。しばらくして茂みからその姿が現れた。フロックスは硬直し、二匹の男は申し訳なさそうな顔で皿を受け取った。

「その、悪いな」

 猫は猫でも、カトレアとウォルフだった。ウォルフですら気まずそうな顔で皿を受け取り、静かにスープを啜っている。

「見てたのか、お前ら」

「はあ、まあ」

フロックスは恥ずかしさで火が出そうなのを抑えた。

「それ飲んだら早く行けよ」

「俺たちは、今日の夜ここを出立する」

カトレアの言葉に、フロックスが顔を上げた。

「何故それを俺に言う。黙って去ればいいのに。お前ら、国に逆らった謀反者だろう」

「前までは、仲間だったろ。飯や宿の世話になった。せめてもの義理は果たしたくて」

「まったく。飯も宿もこの町の人達のお陰だ。私は何もしていない」

カトレアが寂しそうに笑った。

「そういうとこ、変わってないな」

フロックスがつられて笑う。

「さっさとスープ飲め。冷める」

「お前は、あの女がジュンだと確信したか」

珍しくウォルフから話しかけられ、フロックスは目を剥いた。しかし、それは彼も気になっていたことだった。五年の空白を経て、突然現れたあの女性。見た目も中身も同じだが、どうしても疑惑に満ちた穿った視点で見てしまう。

本当に信じていいのか。この五年間、彼女は死んだものとして生活してきた。今更、急に現われられても困る。

「わからない」

ふとカトレアの方を見ると、彼の顔を見て二人はぎょっとした。カッカしやすい一番槍の槍兵の頬に流れるのは、涙の線だ。スープを一口飲んだだけで、フロックスに皿を返す。

「行くぞ」

カトレアが踵を返したので、フロックスは思わず引き止めた。

「待て。やはり、もう少し話し合った方が」

「俺は何も許していない。お前の事も、エイプルも、国の薄情者どもも、何もかも」

言い放ち、カトレアとウォルフは去っていった。カトレアは口に残る懐かしい味を忘れようと口を拭った。とうに忘れたと思っていた、初めて温もりを感じた味を、今更思い出したって仕方がない。

時が経って癒えるものもあれば、深くなる傷もある。ノシメ港町の元傭兵の親方が、毎週弟分の墓に花を供えるように、積み重なって忘れなれない傷もある。その墓に、いつもとは違う手向けの花が置かれているのは、良くも悪くも時が動き出したせいだった。

ジュンはそのまま教会の厨房を抜け、思い出の屋敷に戻った。庭の草木が生い茂るが、目を閉じれば亡きランタナ師とクラズの声が聞こえてきそうだった。

「おかえりなさい」

故郷を夫である前国王に焼かれて騎士と落ち延びた姫。そうは思えない鈴の鳴るような優しい声の彼女。戦場から戻ったら何時だってそう迎えてくれる。

ジュンは誰も居ない屋敷の中を進み、汚れた廊下を進んでランタナの部屋に辿り着いた。埃をかぶった部屋は誰も使っていないことが分かる。とても狭い部屋だった。

「なんと。男に成りすまして革命軍を作るとな」

今でも克明に思い出せる。蝋燭一本が揺らめく暗い部屋で、ジュンはある計画を師である彼に話したのだ。

「ええ。その為には特別な鎧を用立てて頂きたいのです。決して素性が外に漏れないような特別な鎧が」

ランタナは口をぽっかりと開けて唖然としていたが、やがて思案顔になった。弟子であるジュンの言葉を頭の中で整理していたのだ。

国王から逃げ延び権力の届かぬ争いのない土地を求め逃げたランタナたちだったが、故郷は王に悪戯に燃やされ、帰ることもままならずこの海に面した殺風景な土地に移った。だが、運命はランタナを更に苛むのだ。今度は弟子が仇討ちに出たいと申し出た。その計画の一端を担わせようとも。

「それは無茶だ。仮に傭兵団を立てたとして、王国はそんじょそこらで倒せるような相手ではない。本当は、君ら姉弟の傭兵稼業すら私は酷なのだ。戦うな、生きろ」

「生きる為に戦うのです」

弟子は頑として譲らない。ランタナは頭を抱えた。

「ダメだ。そんな道に行かせる訳には行かない。平和な道がある筈だ」

「戦況は逐次報告致します。隼をお貸しください。ランタナ先生と連絡を取れるだけで、百万力の心持ちです」

「私に策略家になれと言うのか。頭を冷やせ。例えそれで戦えたとしてもだ、お前は自らを偽って生きることになるぞ。それがどれだけ辛いことかわかるのか」

「我が子のいない世界で生きていくことの方が、私には耐えられない」

ランタナの瞳にすくっと背を伸ばして座るジュンが映る。語って聞かせてくれた、傭兵団のリーダーに乱暴され授かった命とその結末。その時彼女はまだ十五だったと聞く。

「ずっと、そんなことを考えていたのか」

クラズの息子の元々の名はトリトマだったが、出生を秘匿する為に名前をオクトとした。名付け親はジュンだ。悲しい素振りを露ほども見せない、未熟な我が弟子の肩をランタナは掴んだ。

「お願いします。私は必ず民衆を味方につけ、平穏に満ちた国にしてみせます。秘策があるんです」

「そんなことはどうでもいいのだ。お前が不憫で、ならぬ」

 ランタナは嗚咽を呑んだが、涙までは止めることはできなかった。最初の出会いから、彼女には何か裏があると警戒してきたが、月日がランタナの心を変えた。ジュンには未だ秘めた思いがあるが、今のランタナはジュンとニゲラの姉弟の未来を案じてならない。

 ふと戸を叩かれ、ランタナは涙を拭いて入れと告げた。そこには気弱そうなニゲラと幼いオクトがいる。

「失礼します。お二人とも、食事の準備が出来ましたよ。クラズ様が手伝って下さって、郷土料理を作って下さったそうです」

「ニゲラ、こっちに来なさい」

 ランタナとジュンの異様な空気を不思議に思いつつも、ニゲラはおずおずと近寄った。すると、太い両腕に姉弟は肩を優しく叩かれる。

「ランタナ先生」

 大きな体には似合わぬ円らな瞳を見れば、今にも涙が溢れてしまいそうだった。

「苦しい時は痛みをわけあい、喜びの時は幸福を分け合えよ。二人きりの姉弟だ」

 ニゲラは強く頷いた。

「勿論です。俺は何があっても姉さんの味方だ」

「それはこっちの台詞だよ」

 ジュンとニゲラは互いに微笑み合う。仲の睦まじい様子に、ランタナは暫しの安堵を得た。すると、オクトの小さな手がジュンの服の裾を掴む。

「どうかしたかい、オクト」

「オクトはお腹ペコペコだもんな」

 幼いオクトは二人の顔を見やる。顔や瞳が全く似ていないのはその通り、彼らには血の繋がりがなかった。しかし、苦難を超えて築いてきた絆はあった。微笑む顔立ちや面影が、どこか似通っている。

 幼いオクトの小さな口が開く。

「ここにいたんですか」

 懐かしい記憶から呼び戻され、ジュンは振り返るとそこには息を切らした青年のオクトがいる。ジュンは思い出めぐりで屋敷を一周し、ランタナとクラズが埋まっているであろう墓標の前にいた。

「この庭は随分荒れているな。出立の前にせめてきれいに掃除しないと」

「おかえりなさい」

 オクトの言葉にジュンは言葉を詰まらせる。未だに自分に向けられていい言葉とは思えなかった。しかし、成長しても変わらない澄んだ瞳を前にしたら、余計なことは言えなくなる。

「ただいま」

 伸ばされた腕で互いの体を抱きしめる。手で優しく叩けば、苦しみも悲しみも埃の様に軽く宙に舞っていった。別れから十二年、その年月を隔てるものは二人の間にはないように思えた。オクトは思わず顔を俯かせ、喉から嗚咽が漏れる。

「泣くなよ」

「いつもジュンは冷静だよね」

 ジュンは乾いた笑みをこぼし、オクトの背中をさすった。

「そうでもないさ」

 嗚咽が静まり、オクトは顔から流れる涙と鼻水を拭く。二人は何も言わず、墓標の前で静かに祈った。二人とも宗派は違うものの、何も言わず思い人のために祈った。

「旅に出るの、ついて行ってもいいかな」

「馬鹿。せっかく家が戻ったのに。それじゃ意味ないだろ」

「俺、夢だったんだ。ジュンと旅するの」

 初めて聞く言葉だった。オクトとは手紙での連絡はあったが、送る側である自分は戦況の報告ばかりで、オクトへの様子伺いの一つもしなかったからだ。銀のペンダントを子供から盗んだ負い目か、戦場に出てからは考えないようにまでしていた。

「なんでだよ」

「恥ずかしいけどさ、あの話は俺とジュンを元にした、その、旅の話なんだよ」

 学のある一番槍のカトレアに読ませた手紙の束。あれは、子供の手紙を建前にしたランタナからの指示書でもあった。誰にもバレないよう、オクトの手紙に細工をして、二人だけでわかるようにした。時に言葉で、文字で意思疎通したランタナからの指示。オクトの手紙の内容など重要ではなく、単なるカモフラージュの道具として使っていた。

 子供が大好きな相手に送った大切な手紙を、戦争の暗号文に使ったのだ。

「すまない」

 思わず己の愚かさに頭がひどく痛んだ。オクトは体調が悪くなったのかと背中をさするが、余計にジュンの中に後悔の影が色濃く残る。やはりここに立ち寄るべきじゃなかった。オクトの眼差しは胸がひどく痛む。

 亡くした我が子につける筈だった名を、この子につけるべきではなかったのだ。

「庭掃除手伝うよ。もともとは俺の住んでた家だし、屋敷も綺麗にしたら町の皆の会合所にすればいい。その方が二人も喜ぶ」

 そうだな、とジュンは相槌を打つがオクトの方は見れなかった。彼はこの町に置いていくことにしよう。この町には家も、仕事も、頼れる職場も、なにより思い出があるのだ。自ら辛い旅に出る必要もあるまい。

 ジュンが去ると、オクトは再びランタナとクラズの墓に礼をする。澄んだ青空に夏の風が吹き、伸び切った草花がそよいだ。

 オクトは自らの出生を二人に聞かされなかったが、本当は自分が誰の子供か知っていた。母が誰で、父が何者で、ランタナはなぜ自分たちを守ってくれるのか。それを知っていたから、オクトは王国から脱出する時にあの銀のペンダントを盗んだのだ。自らの出生の証明に役立つと、齢五歳の時。

「何してんだよ。見つかったのか、ジュンは」

 スピカが何も知らずオクトの元にやってくる。

「さっき見つけたよ。ぴんぴんしてた」

「人騒がせなんだから、あの人は」

 人騒がせではあるが、愛すべき俺の騎士だ。盗んだ銀のペンダントを通して、巡り巡って彼女は再びオクトの元に馳せ参じた。長い時間を要したが、オクトの求めたものは着々と達成している。残念ながら、憎き父王の討伐はジュンに取られたが。

「さあ。俺たちも行くか。俺の髪でも整えながら色々話してくれよ」

「調子いい奴だな」

 元気がないよりましだがな、とスピカは苦笑する。同い年の異国の友人の強かさなど全く気付かずに、能天気な奴だと。そんな二人の仲睦まじい影を、太陽は燦燦と照らして溶かしていった。

時が少しばかり経ち、その日はカリアが国の中央に出立する日。町の仲間たちに見送られるも、その中にオクトの姿はなかった。カリアは会釈し、馬に乗って町を去った。少し離れた所で立ち止まり、人がいない森の中で気配を感じ振り返る。

「ジュンさん」

カリアはその人影の名を呼び、馬を降りて彼女の元に走りよって、胸に飛び込んだ。

「おっと。元気だね」

「お見送りにいなかったんだもん。私、ずっと探してたのに」

カリアの弾む声にジュンが微笑むと、彼女の頬が赤くなる。

「カリアちゃん。中央行きおめでとう」

「そんな、ジュンさんのおかげです」

ジュンとハルシャがやってきた日のことは、ありありとカリアの記憶に残っている。自分の人生が変わった日だと言っても過言ではない。彼女たちは、身よりもない自分に良くしてくれた。特に、ジュンには全てを話せる気がした。

教会の技術の秘密から、好きな男の子の話まで。そんな時、ジュンが巡礼中のフロックスに媚びを売って、出世しようという話を持ちかけられたのだ。シランやデルフィたちを騙すのは気が引けたが、実際カリアは念願叶って中央で働ける身になった。

この事件で真に得をしたのはカリア。そして、恩人の家を奪い返したジュンが次点だろう。他にカトレアや様々なの要因が絡んだが、真の立役者はジュンだった。平々凡々なエイプルを、王家の血筋として見立てたように。

「カリア、見送りの品として君にプレゼントがあるんだ」

ジュンは手にした布で覆った籠を渡す。その中には、一羽の隼がいた。

「わあ。でもこれ、フロックス大司祭様のじゃないですか」

「ちょいと返して貰ったのさ。本人に許可とってないけど。言わなきゃわからんさ」

カリアはおずおずとその鳥籠を貰うが、隼は大層大人しかった。

「でも、こんないいもの貰っても、私」

「中央の仕事は心細いだろうから。寂しくなったら手紙でも書いておくれよ」

そして教会の秘密を教えてくれ、とまでは言わなかった。カリアは感激したのか、目から涙を零す。

「嬉しい。私、頑張ります」

 幼い彼女はこのまま中央に行き、夢のために邁進するのだろう。教会が記している人類の正史、また秘匿される技術に触れる機会も多いだろう。同僚や上司は一癖も二癖もある、腹の内の読めない奴らばかりなのはジュンが良く知っていた。

 思わず眉根を寄せて、カリアの頬に触れる。

「本当に、辛くなったらノシメ港町に戻ってくるんだよ。今からでも中央行きを辞めたって良い。君には居場所だって、君を思ってくれている人だっているんだから。オクトも、きっと君のことが…」

 言いかけた言葉をカリアは首を振って制する。

「私、挑戦するって決めたんです。自分の人生をかけて」

 決意の揺らがない瞳が、少しだけ寂しく感じる。快く送り出すつもりが、どうしても不安が尾を引く。彼女の良心を逆手にとって情報収集に使うと割り切った筈だったが。

ジュンは息を吐いて微笑んだ。

「君ならできるよ」

ふと、ジュンの指に、見慣れない指輪が嵌められているのに気づいた。彼女も見られていることに気づき、指輪を外して体の上で転がしてみせる。優雅な技だった。

「素敵な指輪ですね」

「昔、私が一方的に愛を結んだ人との契約した証だ。鳥も指輪も無くなって、今頃あたふたしてるだろうなあいつ」

ジュンが盗らないと油断したから、フロックスは指輪を盗られたのだ。しばらくしたら、嵌めている指輪がダミーだと気づくだろう。真っ赤になって地団駄を踏む姿が目に浮かぶ。

「あら。もしかして、ジュンって悪い人なの」

可憐な女性に、ジュンはウインクした。

「ほどほどに、ね」

二人で笑いあっていると、遠くから荷物を引っさげて馬を走らせる人影が近づいてきた。

「何そこで油売ってるんだ、カリア司祭。ああっ」

その人影は、マトリ司祭だった。ジュンは呑気に手を振っている。

「お互い生きていてなによりだ」

「貴様、よくもまあそんなことが言えたもんだ」

「カリア。こいつは面白いやつだろ。中央に連れていくには最適の友人だ」

マトリが馬から降りて、ジュンに迫って小声で畳み掛けた。

「君、尋問官がカリア司祭だと知っていたのか。私を中央に連れていくよう糸を引いたのは、何故だ」

ジュンが不敵に微笑む。

「貴方は長生きして、研究を完成させないと。首を長くして待っていますよ」

研究の低迷していた自分を、中央に行かせて発展させようとしたのか。どちらにしても、教会から禁忌とされている研究に協力的な彼女は、悪魔的だろう。

「隼が私たちを結びつけるでしょう。では、お二人共、気をつけて」

まだ話し足りないマトリを連れて、カリアは馬に乗って出立した。そしてジュンは林を抜け、道の木陰で待っているハルシャの肩を叩く。

「すまないね。どうしてもカリア司祭と別れの挨拶がしたくて」

「いいわよ。でも、本当に二人に何も言わずに町を出て良かったの」

オクトには家と仲間が、スピカにはようやく得た自由がある。二人は早々に旅に出なければならないので、迷う若い二人を急かすことは出来なかった。

「彼らには彼らの道がある。またいつか何処かで重なる時が来るさ」

ハルシャはジュンの背後の道から、つけてくる二つの人影を確認し、ほくそ笑んだ。

「貴方が言う通り、その時がきたわよ」

ジュンは振り返り、呆れとも喜びともつかぬ表情をした。

道は遠くまで続いている。道無き道も、誰にも知られない道もあったろう。その先を進む四人を、木漏れ日が粛々と照らしていた。

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