第11話 汗だく、ぶ少年


 7月下旬。気温は上昇の一途をたどり、もはや瀬戸内の海すら干上がるんじゃなかろうかと思うくらいの熱気の中…。

 冴えない中学生四人は、イシバシストアの二階にある倉庫に、楽器を運び入れている最中だ。

 汗で変色したTシャツでフウフウ言いながら働く姿には、十代の「青春」「さわやかさ」なんぞ、微塵も感じられない。さえない男子どもの、夏休み初日である。


 というのも、昨日の終業式が終わるや否や、なんとタッパとカカシの二人が、「自分の楽器」を購入したことで、ついに皆の楽器が揃っていたのだ。

 電車に揺られ1時間強、県庁所在地・広島市内の中古楽器店に赴き、電話でニーチャンにアドバイスを受けつつ、手持ちの資金とを照らし合わせて選んだ楽器である。


 まずタッパは、YAMAHA社の赤いベースを入手した。


「僕は将来のバイク乗りですけん。この会社に惹かれちゃうんすねぇ」


 とのことだ。この皮肉屋少年の将来の趣味のことなど、メンバーの知ったことではなかったが、本人が気に入っているのであればそれにこしたことはない。


 対してカカシは、「電子ドラムパッド」なるものを購入していた。

 通常のドラムセットとはちょっと違う。打面がゴム製になっており、そのまま叩けばかなりの小音ではあるものの、ヘッドフォン、あるいはスピーカーに繋ぐことで、「本物のドラムさながらの音が出る」という代物だ。


「電子パッドなら、自宅の部屋でも練習できるからな。

 バンド四人で演奏を合わせるときは、オレのドラムセットを貸してやるよ」


 と、ニーチャンの助言と厚意もあってのことだった。


 そんなわけで、今はニーチャン所有物であるドラムセットなどの機材を、みなで手分けして運びこんでいるのだ。


 本物のドラムセットは、スネア(小太鼓)・フロア(中太鼓)・バス(大太鼓)だけでなく、「金物かなもの」と呼ばれるシンバルの一式も含まれているから、相当な重量だった。だからこそ、音量もそれなりに大きいことは予想できる。

 つまり、歌やギターも、生ドラムの音量を基準にして考えなければならない。

 ギターアンプ、ベースアンプ、さらにマイクとキーボードの音を集約させる「ミキサー」と呼ばれる装置、それから音を出力させるためのスピーカーも二台。バンド演奏する場合、最低限、このくらいの機材が必要になるらしい。


 これらはすべてニーチャンからの借り物ではある。


「勉強をおろそかにするなよ」


 という条件付きであることは言うまでもない。この点においてニーチャンは、「巳年生まれなんじゃなかろうか」…と、時代ハズレの都市伝説をも思い浮かべてしまうくらい、しつこかった。

 まぁ、そうでも言っておかないと、四人の両親に顔向けできない、大人の事情があるということは、中学生どもも頭では理解できていたわけである。


 ともあれ、汗だく中学男子らの足取りは、心なしか軽やかでもあった。

 楽器を買った!あるいは、バンドを組んだ!という紛れもない事実。

 ここに興奮を覚えているらしい。


「オレもギター買ったとき、興奮して寝付けんかったのぉ…。懐かしいのぉ」


 などと、ベンはウザい大先輩面で新人たちを眺めながら、あらためて自分のFERNANDES社製の中古ギター「ムスタング」を慈しむのであった。


 ちなみにボンゴは、自宅から母親の運転する車でキーボード本体と、立ったまま演奏ができるスタンドを持ってきた。

 と、その様子を見たタッパが、ベンに耳打ちした。


「あれ、MAZDAの一番高いやつですよ。アテンザ。

 ボンゴさんの親父さんはベンツらしいし。何台持っとるんじゃろ? 

 やっぱ、坊っちゃんは違いますねぇ…」


 車の方が気になったらしい。

 聞けば、ボンゴの自宅にはグランドピアノも完備しているとのこと。御曹司の資本力は、他三人を軽く凌駕するのであった。


 さて、約十畳の倉庫内には、イシバシストアが石橋商店だった時代の、雑貨の売れ残りが、七・八個の大きめのダンボールで置かれているのみだった。要するに、使われていない部屋である。ダンボールを隅に寄せると、充分にドラムセット、アンプ、キーボードなどの大物を組めるスペースも確保できた。


 しかし一つ、難点があった。室温だ。


 倉庫にエアコンはついていない。窓は、海に向いているとはいえ、運び込んだドラムやアンプからは、かなりの音量が出るはずだ。開け放しておくわけにはいかない。


「やっぱり、これしか解決法がないじゃろ」


 あらかじめ、それぞれの家から、使っていない古い扇風機をかき集めておいた。

 だいたい各家庭に、一台くらいは使っていないものはある。合計四台の自分専用扇風機がなんとなかった。


「それでもまだ暑いじゃろうと思ったけん、これっ」


 自身の暑がりも考慮したであろう。ボンゴが首に巻くタイプのメントール配合のネッククーラーを、みなに手渡した。


「おぉ、サンキュー。首バンドじゃの」

「クールっすねぇ」


 ベンとタッパが口々に叫ぶ。

 だが地味少年どもがそろって首に巻くと、むち打ち治療中さながらの異様な格好ととなる。スタイルまでクールとはいかないらしい。

 とはいえ、この短期間でメンバー、楽器、場所の確保には成功したことには間違いない。環境だけは、こ奴らにしてみればクールすぎるとも言えるのであった。



 簡易スタジオ作りも終わりかけた頃。


「みんな。各パート、歌えるようになってきたか?」


 倉庫の入り口にやってきたニーチャンが、クール・バンドらに問うた。

 小僧どもはみな、待ってましたと言わんばかりに、


「うん、そこはバッチリじゃと思うわ。他のみなは知らんけど」

「へっへっへ。もちろんっすよ。ベンさんの方が心配っすけどね」

「はいっ。わし、ドラム・パートも歌えますっ。ツッタタ、ツッタっ」

「……ツッタタ、ツッタ」


 温度だけでなく、テンションも上がり切っている様子で、どうにも暑苦しい、騒がしい。

 すると唐突に、ニーチャンが宣言した。


「よし。じゃあ、ベンとボンゴは、今日は解散な」

「えっ」

「曲を覚えたら、次は楽器で自分のパートを弾けるようにしよう。

 耳で覚えたのを、そのまま弾けるように個人練習な」

「えっと…」


 ベンはバンドを代表して、おそるおそる尋ねた。


「今日、全員で音出すんじゃないん?」

「あのな、タッパとカカシは初めてなんだよ。

 個人のパートを弾けるようになってからだな」

「そんな…」

 

 早速、みなで音を合わせられると思っていたのに…。ベンはふくれ面である。


「あっ、そうだ、一つだけ約束しよう。個人練習のときに、楽譜は見ないこと。

 聞いて覚えた音を、次の練習までに自分の楽器で再現できるようにしておくこと」

「え? 課題曲の楽譜とかないん?」

「ベンにギター教えたときも、楽譜なんてみせたことなんてないだろ」


 確かにそうである。

 はじめにギターの持ち方を教わって、あとはニーチャンが目の前で弾いてくれるタイトルも知らないような曲を、その場で見聞きして、真似をしていただけなのだ。


「じゃけど…今回は、本格的に全員で曲をやるんじゃし…」

「大丈夫、大丈夫。ボンゴも楽器経験者なんだから、きっとできるよ。

 今日、基本的な弾き方を教えるのはタッパとカカシだけ」

「えぇー」


 やはり、指示の意味がわからない。


 とはいえ、少なくともベンは勝手にリーダーを名乗り出たのであり、タッパやカカシよりかは経験者を自負している。

 ボンゴにおいても、ロックを聞くのは初めてだろうし、ピアノのレッスンで「楽譜を見ない」ことなどもなかったろう。

 つまりたった数ヶ月分とはいえ、ベンは他のメンツよりかは抜きん出ていなければならないのである。


 ―なんせ、リーダーじゃけんのぉ。


 この優越感を、なき者にしてはならない。

 疑問と期待ともどかしさを抱えたまま、自室に戻ったベンは、渋々ながら、課題曲の個人練習に勤しみ始めるしかないのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

コミュニケーション・ぶレイクダウン 古野典太郎 @fullten

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ