第24話 会議は踊る

 休み時間になると廊下はとたんに騒がしくなり、喧噪に紛れて架月たちは三年生の教室へと一目散に向かっていく。

 利久が所属している三年二組の教室に入ると、即座に甲高い声が三人を貫いた。

「他の学年の教室に入って来ちゃダメ!」

 声の主は由芽だった。架月にとって由芽から注意されることは日常茶飯事なのだが、優花が「うげぇ」と露骨に嫌そうな顔をしたのが意外だった。

「そっかぁ、このクラスって由芽ちゃん先輩もいるじゃん。絶対に先生にチクられるわ」

「しないでしょ!」

「しないの? 本当かよ」

 優花は由芽に少しだけ冷たい……というか、煙たそうにしている。由芽はそれでも果敢に優花に向かってこようとするが、優花の後ろに架月の姿があることに気が付いてパッと立ち止まった。

「……浮気しないでっ!」

「へ? な、なんですか?」

「気にしないで、架月くん。私と一緒にいる男の子がよく言われる台詞ナンバーワンだから、それ」

 さらりと言い捨てて、優花は躊躇なく三年生の教室を闊歩して横切る。優花の無作法を咎める者は由芽以外にはいなくて、架月たちもそんな優花の虎の威を借りて容易に窓際にある利久の席にまで辿り着けてしまう。

 利久はとっくに解き終わった数学のプリントの裏にいつもの小説を書いていて、教室にいる誰もがチラチラと架月たちを盗み見ている中、ただ一人だけ机に目を伏せたまま動じていない人となっていた。

「お邪魔してます、利久先輩」

 優花に声を掛けられて、ようやく利久はその怜悧な瞳を持ち上げる。

「ファミレスの名前は何?」

「今そんな話してる場合じゃないんですってばー」

「サイゼリヤ、ガスト、ココス、デニーズ、ロイヤルホスト、ジョイフル、バーイヤン、さわやか、やよい軒? 静岡県にあるのはさわやかです」

「あっ、質問省いてくれた! さっすが利久先輩、話が分かるんだから」

 優花の喜ぶ声を聞いて、架月も少し遅れて利久がこちらに気を遣ってくれたことに気が付いた。「ありがとうございます」と頭を下げると「ありがとう利久くん」といつもの微妙に噛み合わない返事が返ってきたけれど、返事をしてくれるということは架月の言葉をちゃんと聞いてくれているということである。

「あの、利久先輩。僕たち、ちょっと協力してほしいことがあるんです。今、お時間よろしいですか?」

「よろしいです」

 利久が頷くやいなや、莉音が「やったぁ!」と喜んで利久の腕を取った。

「あっちの空き教室でお話ししよ、利久先輩! 内緒のお話なの!」

「腕をぎゅーってしないよ、よくないよ利久くん、やめて」

「今、ぎゅーってしてるのは莉音だよ? どうして自分を怒ってるの?」

 莉音の問いかけに答えたのは、利久ではなく優花だった。

「小学校のとき、自分が先生にそうやって怒られてたからそう言うんじゃないかな。利久先輩、めっちゃ昔のことずっと覚えてるから」

「えー、嫌なことは忘れちゃおうよぉ。ほら利久先輩、立って立って」

 利久は不満そうな呻り声を上げてから、渋々といった具合で莉音に引きずられながら席を立った。教室を出るのが嫌だという本音を表明するように「よくないよ、利久くん」と再び呟いたものの、言葉通りの意味に受け取った莉音に「利久先輩は悪くないよっ」と封じられて押し黙ってしまう。

 一連の様子を蚊帳の外で見ていた由芽が、「待って! 由芽も!」と慌てて架月たち御一行を追いかけてくる。空き教室まで追いかけて入ってこられて、優花が露骨に嫌そうな顔をした。

「由芽ちゃん先輩がいたら先生に全部バレちゃうじゃん」

「で、でも、協力者は一人でも多い方がいいので……」

「ふぅん? まあ、架月くんがいいならいいけどさ」

 本当は協力者の数は理由ではなく、ただ単に由芽が弾かれるのは可哀想だと思っただけなのだが。

「ありがとっ、架月!」

 由芽はとたんにご機嫌になって、ちょこんっと架月の隣に身を寄せた。

 不満そうな利久はといえば、空き教室に入ってからふらふらと窓際に寄ってガラスに映る自分とお喋りを始めてしまっていた。内容はいつものハリーポッターである。何だか誰かが何か毒のようなものを無理やり飲まされて苦しんでいる場面を暗唱している。ちょっと怖い。

「えっと……利久先輩、実はうちのクラスの深谷がいなくなっちゃったんです。いつも乗っているはずの電車にいなくて、今先生たちが探しています」

「でも莉音たち、先生たちよりも早く深谷の居場所に気付いてあげたいの。だから利久先輩もお手伝いしてよぉ」

 利久は何も反応しない。窓ガラスを凝視しながら暗唱を続けている。

 ――無理やり連れてきたから、怒らせただろうか。

「お返事しないとダメだよ、利久」

「はい」

 由芽の注意によって生返事だけが返ってきたのを見て、優花が「仕方ないにゃあ」と苦笑を零した。

「ちょっと待っててね。利久先輩が最強になれるアイテムを持ってくるよ」

「へ?」

 教室を駆け足で出て行った優花は、しばらくして手中に何かを隠すように握りしめながら戻ってきた。

 彼女が「はいっ」と得意げに五指を開くと、掌の上に乗っていたスマートフォンが目に入る。透明のケースにアイドルのトレカが入っているスマホで、明らかに優花の私物だった。

 生徒は学校にいる間は、スマホの電源を切って担任に預けておかなければならない。今、優花がスマホを持っているというのは明らかに校則違反だ。

「スマホ、ダメでしょ!」

 すかさず由芽が声を上げたが、優花は飄々とした調子で「ダメじゃないし」と言い返す。

「だって深谷くんから何か連絡が来るかもしれないじゃん。だから先生に『今日、スマホ忘れちゃった』って言って預けなかったの。まぁ深谷くんから連絡はまだ来てないんだけど、こういう展開になるなら持っててよかったでしょ? ダメじゃなくてファインプレイだもん」

「ファンプレ、違う!」

「ファインプレイ、ね。はい、利久先輩。これで調べてほしいことがあるの」

 ロックが解除されたスマホを渡されると、利久のお喋りはピタリと止まった。

 優花に促すように肩を押され、架月は慌てて質問をする。

「えっと……深谷は今、東仙台駅から八乙女駅までの定期券と、現金の千円を持っているんです。その所持金で行けそうな場所、どこかありますか?」

 利久の指が迷いなく動き、ネットの海から情報を探す。彼は次々と候補を挙げてくれた。

「石巻市。東仙台駅から電車で仙台駅に向かって宮城交通のバスに乗り換える、石巻市内のバス停で降りる。……村田町。仙台駅からバスに乗り換える、町役場前のバス停で降りる。……仙台空港。仙台駅から仙台エアポートリムジンに乗る。……山形県――」

「ちょ、ちょっと待ってください。えっと、仙台駅からスタートしてます? 東仙台からスタートしてもらってもいいですか?」

「スタートしてもらってもいいです」

「えっと……東仙台から電車に乗ると、どこに行けますか?」

 今度は利久は検索すらせず、斜め上の何もない空間を見つめながらすらすらと答えた。

「下り路線、東仙台の次は終点の仙台駅に止まります。上り路線、東仙台から八乙女駅です」

「利久先輩、八乙女駅は終点じゃないですよ。そこからまだ先があります」

 すかさず優花が突っ込むが、利久は迷わずに言い返す。

「定期券は八乙女駅で終わり」

「でも、深谷くんは現金も持ってたんですよ? あれ? 定期券より先にって行けるんですか?」

「はい」

「どうやって?」

「差額を払いましょう、無銭乗車しません」

「……さがく?」

 優花がいまいちピンときていない様子で首を傾げる。

 その反応を見て、莉音が溜息を吐いた。

「ねえ、この話やめようよ。もう二年も定期券を使ってる優花先輩が知らないこと、今年から定期券で電車通学になった純が知ってるわけないじゃん。莉音だったらいくら逃げてるときでも、捕まったらヤバいから無銭乗車になりそうなことはしないもん」

「……僕、四月にうっかりやったことあるけど……降りるバス停を間違えて、定期で降りられなくなっちゃって……」

「架月がやるようなミスを純がやるわけないじゃん!」

 ごもっともである。

 架月は首を竦めて、それからふと気が付いた。

「利久先輩、どうやって今の行き先を調べたんですか?」

「どうやって調べたんですか」

「えーっとぉ……あっ、そうだ。スマホ貸してください、履歴見てもいいですか」

「ダメぇ!」

 慌てて声を上げたのは、利久ではなく優花だった。

「絶対にダメ! 利久先輩、私に返してください!」

「ちゃんと返そうね、独り占めしないよ利久くん」

 利久からスマホを返してもらって、優花が大きく息を吐き出す。

「やめてよぉ、架月くん……君がびっくりするようなもん出てきたらどうするんだよ……。えっと、利久先輩が開いたサイトを見ればいいわけね? ってことは、昨日までの履歴を消しちゃえばいいのか。待っててくれ……はい、オッケー。どうぞ」

「見ちゃダメなんじゃなかったんですか?」

「わざと言ってるの? 私のこと煽ってる?」

 慌てて架月が首を横に振る。それと同時に、莉音が「違いますよぉ」と援護射撃をしてくれた。

「架月はわざと煽れるほど空気が読めないもんねー」

「そ、そうです。違います」

「架月くん、今君が煽られてるんだよ」

「ちーがーいーまーす、莉音は架月のこと庇ってあげてんの」

 架月もその通りだと思ったので、コクコクと首を縦に動かす。優花は不思議そうに首を傾げて、昨日までの履歴を消したというスマホを差し出してくれる。

 今日の分の履歴に映されていたのは、公共交通機関の時刻表と運賃表がまとめて掲載されているサイトだった。

 ――ここから、いちいち計算してたのか。

「すごいねえ、利久先輩。こないだの校外学習でも、調べるの全部やってくれたもんね」

「……全部?」

「そうだよ。水族館コースの運賃も利久先輩が調べてくれたんだけど、スポッチャのコースも純が運賃調べるの難しくて困ってたから利久先輩が手伝ったんだよ。架月は調べ学習のとき、ずっと由芽先輩とぼーっとしてたから気付かなかったかもだけどさ」

「えっ、待ってよ」

 その情報は初耳だ。もちろんぼーっとしていて情報を拾い損ねていた自分が悪いのだが、莉音がさらりと投げてくれた情報はとうてい看過できない。

「校外学習のルート調べもできない深谷が、自力で運賃を計算して千円以内で行ける場所を探すなんて無理じゃないの?」

「無理って言っちゃダメ!」

 ついさっきまで皆の話をぽかーんとして聞き流していた由芽が、今までで一番鋭い声音の「ダメ」を飛ばした。

 怒られた瞬間、自分の失言に気が付いて背筋が粟立つ。

 凍り付いてしまった架月の横から、莉音が困惑した表情で由芽に話しかける。

「架月のこと怒らないであげてよ、由芽先輩。架月は悪いと思って言ってないんだよ?」

「いや……悪いとは思ってないけど、それでも怒ってはほしい」

「えー、強くなったねぇ。四月は莉音に怒られてメソメソしてたのに」

 その経験だって、今や架月の中では由芽と出会うきっかけとなった良い思い出となっている。

 架月は自分で凍らせてしまった場を取りなすために、由芽にお礼を言ったあとにその場にいたみんなに「失礼しました」と謝った。「いいよ」がほしいだけの謝罪ではなく、心の底から申し訳ないと思ったから口に出てきた一言だった。

 うっかり悪意まがいの言い方で表出してしまった気付きを、どうにか深谷への信頼で上書きしようと翻訳し直す。

「あの、つまり……利久先輩みたいにすらすらと運賃を計算して、自分が行ける場所を探すのって難しいです。目的地が決まっていて、そこまでの運賃を調べるよりもよっぽど大変だと思います。僕もどうやって調べればいいか分からなかったし、それに……深谷はあんまり、そういうのが得意な方じゃないと思いま――いや、違うな」

 深谷は朝学習のプリントやアナログ時計の読み方にも苦戦している。明星高等支援学校の朝学習で使っているプリントは小学生で習う内容のものだが、それでも深谷は時間をかけて解いているのに全然進まない。

 しかし実際のところ、そんなことは何の欠点でもない。アナログ時計が読めなくても深谷は絶対に授業に遅刻しないし、算数の計算ができなくても先生やクラスメイトたちから信頼されている人気者だ。

 深谷が苦手なのは数字ではない。

「深谷は自分ができないことが誰かにバレるのが苦手だから、わざわざ自分が苦手なことを進んでやらないと思うんです」

 アナログ時計が読めないことくらい誰も気にしないのに、深谷はそれをずっと隠していた。計算ができなくても誰からの異論もなくスポッチャ班のリーダーに選出されたのに、チケットが買えなくて地団駄を踏んでも先輩たちに受け入れられていたのに、深谷は絶対に前もって誰かに助けを求めるようなことはしない。

 計算が苦手ですと言えば、利久ではなく周りの先輩たちが助けてくれたはずなのだ。

 チケットを買うときだって、自分の太腿を殴りつけておきながら結局何が嫌でパニックになっているのか架月には一言も言わなかった。

「深谷は、自分には出来ないんじゃないかと思ったことは絶対にやらないと思うんです。怖いものがある学校の外では尚更です」

「怖いもの?」

 首を傾げた莉音に、架月は「そう」と返事を返す。

「深谷には怖いものがあるんだって。校外学習で、バスを降りるときとチケットを買うときに深谷は何かに怖がってたの。でも、その正体は教えてもらえなかった。学校にいる間は大丈夫だからって」

「その怖いものってなんなんだろ、ヒントになりそうだけど」

 莉音は顎に手を当てて、難しい顔で思案に沈む。

「莉音は犬が怖いから、うちの近所で犬を飼ってる家の前は絶対に通らないんだけど、そういうのが深谷にもあるってことでしょ? それだけでルート絞れそうだけどね」

 自分ができないことが周囲にバレるのが苦手な純が、それでもみんなの前でゴネざるを得ないくらいに嫌だったことは何だろう。

「じゃあ架月くんは、深谷くんは校外学習のルートを通っていないと思ってるわけね?」

「そうですね。だって、そこには怖いものがあったわけだし――」

「私、真逆だと思ってる」

「は、はい?」

「校外学習の日って、本当に深谷くんにとって嫌なことをさせられただけの日だったのかな?」

「で、でも、バスに乗るときもチケットを買うときも深谷はしんどそうにしてましたよ」

「そうだね。だから深谷くんにとって、あの日は『苦手なことを友達と一緒に乗り越えられた日』なんじゃないの?」

 優花がほっそりとした人差し指を立てて、滔々と仮説を語り始めた。

「嫌なことがあったときって、安心できる場所に行きたくならない? 校外学習の日、深谷くんはリーダーとしてちゃんとグループをまとめてくれてたんでしょ? うちのクラスの男子たちも深谷くんがリーダーでよかったって言ってるよ。だから私、深谷くんにとって校外学習で行った場所って良い思い出がある場所なんじゃないかなぁって思う」

「でも僕、その日に深谷に酷いこと言ったんです」

「架月くんの失言一つで学校に行けなくなるような人だったら、そもそも架月くんと友達になろうとしないよ」

「なんで僕と深谷が友達になろうとしたことを知ってるんですか?」

「見てたら分かるから」

 さらりと言われた一言が脳を揺らす。深谷を傷つけたことを反省しないといけないはずなのに、優花からそう見られていたということの嬉しさが全ての感情を上回ってしまいそうになる。

「……じゃあ、なんで深谷は逃げたんだろ」

「人の気持ちなんて考えても分かんないよ」

「それは知ってるんですけど、それでも考えたいときってどうしたらいいですか」

 優花が何かを言う前に、莉音が強引に割り込んできた。

「分かるまで考えればいいじゃん、普通に」

「……っ」

 この学校に入ってからずっと忌避していた「普通」の一言が、今は頼もしい温かさすら纏って架月の心臓を包んだ。

 ――自分がやりたかったことを普通のことだと言ってもらえると、ものすごく安心するかもしれない。

 気付けば架月は、深谷の気持ちを推し量った言葉ではなく自分の希望を吐いていた。

「校外学習で行った場所が、深谷にとって安心できる場所だと嬉しいなって僕も思います。でも、こんなの推理じゃないですよ」

「いいじゃん、別に。だって裏番組で今、先生たちが探してるんだよ? ガチの捜索は大人がやってるんだから、私たちは架月くんが信じたいことを一番大事にして捜索しちゃえばいいんだよ。それが当たってたら、大親友じゃん?」

 優花はぱちくりと悪戯っぽく片目を閉じる。たぶん彼女は今、それなりに不謹慎なことを言っている。それでもこの場には、彼女に一般常識を解くような人間はいない。優花の独特の優しさを、ちゃんと優しさとして読み取れる人しかいない。

 架月は覚悟を決めるように背筋を伸ばし、まっすぐに言い切った。

「深谷は初めての場所よりも、行き慣れた場所の方を好むと思います。苦手なことはあったけど、あの日だって深谷は結局我慢したんです」

「そうだねぇ、純は我慢できる人だもん」

 莉音も真面目な顔で同意をしてくれる。

「ってことは、純はスポッチャに行ったのかなぁ? 一度行った場所っていうことなら、スポッチャで決まりだもんね」

「でも莉音さん、僕たちも途中までは水族館コースと一緒だったよ。水族館への行き先は僕たちが持ってたしおりにも載ってるから、行こうと思えば行けちゃうよ。水族館ってあのバス停を降りてから徒歩で行けるでしょ? しおりに水族館までの地図も付いてるし、公共交通機関を使わなくていいから運賃を払わなくていいから、道を迷うっていう失敗をしても無銭乗車になったり誰かから咎められたりしない」

「じゃあ今のところ、候補はその二つって感じ?」

 優花が自分のスマホを回収しながら、そんなふうに結論をまとめた。

「その二つのコースなら、校外学習のしおりを見れば運賃が書いてあるよね。私、まだ机の中にしおり入ってるわ。ちょっと取ってくる」

「優花先輩、なんでも持ってる! 魔法少女みたーい」

 莉音がキャッキャと褒めたが、変な喩え方をしたせいで優花には「何それ」と一笑されてしまっていた。

 優花が教室に戻っていくのを見届けてから、莉音はほぅっと息をついて空いていた机に腰を下ろす。

「にしても純ってば、逃走ルートに面白みがないなぁ。こういうのって普通、行ったことがない場所に行くもんじゃないの? 海とか?」

「逃走ルートの『普通』がよく分かんないよ。莉音さんだったら海に行くの?」

「まっさかぁ。つまんないじゃん、海なんか見ても。千円があってどこにでも行けるなら、莉音だったら映画を観るかなぁ。莉音の家から歩いて行ける距離に映画館があるから、お姉ちゃんとよく一緒に行ってるんだよね」

「莉音さんも行ったことある場所に行ってるじゃん」

「あ、ほんとだ。でも映画館は別枠じゃない? 映画は知らない世界に行けるんだよ」

 あら、良いことをおっしゃる。

 というか、莉音に姉がいたことはさりげなく初耳だ。

「お姉さんいたんだ。映画に一緒に行くって、仲が良いんだね」

「違う違う! 莉音と一緒に行きたいわけじゃなくって、莉音と一緒に映画に行くとお得だからだよぉ。あっ、でもポップコーンとジュースも奢ってくれるんだよね。お金のためじゃなくて本当は莉音と一緒に行きたいのかも。そうだといいなぁ」

「……え」

 架月は息を呑む。

「り、莉音さん、今の――」

「あ、優花先輩! おかえりなさぁい」

 教室に戻ってきた優花は、その手に校外学習のしおりを握りしめていた。

「お待たせ。もうすぐチャイム鳴っちゃうけど、どうせ先生たち次の授業も来ないからこのままここにいようよ。利久先輩もそれでいいでしょ?」

「授業はサボっちゃダメでしょ」

 利久はさらりと言い捨てて、一人でさっさと教室を出て行ってしまった。その背中を名残惜しそうに見つめながら、優花が口を尖らせる。

「あーあ、由芽ちゃん先輩の口調が移っちゃったじゃん。やめてよ、利久先輩すぐ他の人の真似っこするんだからさ」

「真似っこしちゃダメでしょ!」

「ほら、それ!」

 優花にすかさず指摘されて、由芽は半泣きになって架月の腕にしがみ付いてきた。あまり口が達者ではない由芽に対して、優花は遠慮なく舌戦で畳みかけてくる。大人げないように見えてしまうが、優花は彼女なりに平等に接しているだけなのだろう。というか、由芽の方が先輩なのだから大人げないも何もない。

「さ、サボっちゃダメ!」

「もぉー、じゃあ利久先輩と一緒に教室に戻ればいいじゃん! いいの? その間に、私と架月くんが仲良くなっちゃうよ?」

「うぐぅぅ……」

 由芽は苦しそうな呻き声を上げて、迷った末にぴったりと架月のそばにくっついて席に座った。いつも架月に注意をする側である由芽が、一緒になって悪いことをしてくれるのは珍しい。

 悔しそうに唸る由芽とは対照的に、優花は勝ち誇るように椅子の上ですらりと足を組んでニコニコしている。

「さて、と。校外学習のルートに絞って考えるってことでいいんだよね? 深谷くんの所持金は千円だから、千円で行けるコースを――」

「待ってください!」

 慌てて口を挟むと、架月を囲むようにしていた女子三人が一斉にぱちくりと目を瞬かせた。てんでバラバラの三人組がぴったりと動きを揃えるのはレアだ。

 三人まとめて驚かせてしまったことを申し訳なく思いながら、架月は遠慮がちに口を開く。

「あの、ごめんなさい。やっぱり、さっきの意見は撤回させてください。深谷は校外学習のコースには行ってないと思う」

「もうやめるの? さっきまでの話、何だったわけ?」

 優花が不服そうに頬を膨らませる。

 怒らせたのかと思って、慌てて架月は「違いますっ」と首を左右に振った。

「そうじゃなくて、あの……深谷が苦手なことが分かったんです」

「へ?」

 バスから降りるときと、チケットを購入するとき。

 それら二つのことに共通しているものを見つけ出してしまった。架月がそのことを優花と莉音、そして由芽に伝えると、三人は一様に不思議そうに首を傾げた。またしても三人のリアクションが揃っている。もしかして実は相性が良い三人組なのかもしれない。

「純はそれの何が嫌なの? むしろ良いことじゃん」

「別に嫌ではないけど、良いことかなぁ? 私はむしろ、純くんの気持ちは分からなくはないけど……ん? でも、それだと逆に校外学習ルートは純くんにとって全然アリじゃない?」

 優花がポンッと柏手を打つ。

「純くんの苦手なことって、一人で行動した場合って自由に避けられるじゃん。学校行事で行くときは必ずぶつかっちゃうけどさ」

「そうなんです。でも、純がそれを避けようとした場合のルートを考えると――」

 架月は優花が持っているしおりを指さして、端的に言った。

「所持金が足りなくなるんです」

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