第17話 二つの針

 週明けの月曜日、架月が登校するとまたしても奉仕活動の担当場所が変わっていた。

「架月、おはよ!」

「あ……おはようございます、由芽先輩」

 昇降口の掃き掃除をしていた由芽に声を掛けられ、今週からは朝一で由芽と顔を合わせることになるのかと脱力する。

 ――なんか、いっぱい怒られそうだな。

 そう思っていたら、いきなり「遅れちゃダメでしょ」と注意をされた。由芽はどうやら奉仕活動の開始時間を登校時間だと思っているようで、バス通学組として遅れて到着する架月はいつも遅刻している奴だと勘違いしている節がある。

 遅刻してないですと言っても「ダメ」としか言われないので、架月はもはや由芽の注意は自分のことを気に掛けてくれている証拠だと解釈して、ただの雑談として全肯定することにしている。

「はい、遅れません」

「架月にあげる」

 おや? 珍しく注意ではないことを言われた。

「何ですか?」

「んふふー」

 由芽が箒を下駄箱にたてかけて、制服のポケットから小さく折りたたんだピンクの便箋を差し出した。猫のシールがいっぱい貼ってある。可愛い。

「またお手紙書いてあげるって言ったから、あげるの」

 覚えていてくれたのか。

 てっきり口約束で終わると思っていたので、ちゃんと有言実行してくれたのが意外だった。

「ありがとうございます」

「あと、これも」

「へ?」

 続けざまに出されたのは、見覚えのあるディズニープリンセスの封筒だった。

「これ、間違ってたよ」

「え……あ、あぁ。すみません、ありがとうございます」

 どうやら架月が由芽のロッカーに戻してしまった手紙を見て、由芽は「架月が間違えて自分のロッカーに入れた」と解釈してくれたらしい。

 素直に二通の手紙を受け取りながら、架月は唐突に気が付いた。

「……あ」

 思わず息を呑む。

 ――そうか、これが「証拠」だ。


***


 昼休み、架月はとある人物を探していた。

 自分が立てた仮説を証明してもらいたい人間はただ一人である。ちょうど彼は一人で日直の日誌を書いていたので、周りにクラスメイトたちもおらず架月にも話しかけやすかった。

「ねえ深谷、今ちょっといい?」

「……何でだよ」

 露骨に警戒されて、少し落ち込む。

 でも今日の話は、どうしても深谷に聞いてほしかった。日誌を書いているのを邪魔してはいけないという理性はあるのに、それを上回るほどの「話を聞いてほしい」という気持ちがあって架月は容易にそちらの衝動に負けてしまう。

「相談っていうか、聞いてほしいことがあるの。今から僕が言うことが正しいかどうか、深谷に判断してほしい」

「なんで俺に聞くんだよ」

「だって深谷は頭良いじゃん」

「良くないよ、お前の方が勉強できるだろ」

「でも深谷は僕よりずっと人の気持ちが分かるでしょ。だから、深谷に聞いてほしいの」

 ぎゅうっと深谷が両手をきつく握りしめた。

 今度こそ深谷を怒らせないように、架月は慎重に言葉を選びながら話した。

「僕が気付かずに良くないことを言ってしまったとき、深谷はちゃんと『そういうことを言うと友達を傷つけるんだ』って教えてくれるでしょ。いつも深谷は僕に友達との付き合い方を教えてくれる人だから、今回も深谷に教えてほしいの」

「…………」

「お願い、深谷」

 架月は切実に頭を下げた。

「これから僕は、とある人の気持ちを予想しなければいけない。そうすることで、その人が悪いことをしていないって証明したいから。でも僕は他人の気持ちがよく分からないから、僕が間違っていたら深谷に教えてほしい」

「人の気持ちが分からないから、今も俺に普通に話しかけてくれるわけ?」

「へ?」

 唐突な物言いに、架月は鼻白んでしまう。

「……それ、関係なくない?」

 そう言った瞬間、深谷がなぜか泣きそうな顔をした。

 また何か自分がやらかしたのかとヒヤリとしたが、すぐに弱々しい表情は消え失せてしまう。深谷は笑顔こそ浮かべなかったものの、平静を装った無表情でこくりと小さく頷いてくれる。

「分かった。俺でよければ、いいけど」

「深谷がいいの」

 架月は深谷を連れて、事態が起こった現場である西廊下のロッカー前に訪れた。

 眼前のロッカーを指さして、まずは自分が調査していた内容を説明することにした。

「僕は今、先週の水曜日にこのロッカーの荷物がごちゃごちゃにされていた件を調査しているの。疑われた由芽先輩が否定せず、自分の犯……失態を認めるように謝っちゃったから、僕が代わりに疑いを晴らそうと思って」

「しったい……って、何?」

「あ、えーっと、やっちゃった的なこと。だから今回は犯人探しをしていたわけじゃなくて、ただ由芽先輩じゃないっていうことを証明したくて調査していたんだ」

 深谷が目を伏せて、ぎゅっと胸の前で両手を握りしめている。初夏の西日が差し込む廊下で、その手は凍えたように震えていた。

 むしろ暑いくらいだけどな、今日。

 彼の反応を怪訝に思いながら、架月は言葉を続けた。

「水曜日の朝、ここの廊下の奉仕活動をしていた利久先輩がロッカーの荷物がごちゃごちゃになっていることに気が付いたの。でも、利久先輩が教えてくれたことに僕たちがうまく気付けなくて、事件が発覚したのは一時間目の作業学習が始まる直前になった。このロッカーの前にはたくさんの人が集まっていて、誰かが『由芽先輩じゃないか』って言ったせいで由芽先輩に疑いがかかったの」

 うん、と深谷が相槌を打つ。

 橙色の陽光によって彼の顔には影が落ちていて、薄暗がりの中で表情を読み取ることが難しくなる。架月は自分が深谷を怒らせるような余計なことを言いませんようにと必死で念じながら、慎重に言葉を紡いだ。

「でも僕は、由芽先輩がやったわけじゃないって思いたかった。確かに由芽先輩は僕のロッカーに荷物を混ぜてたけど、みんなのロッカーを手当たり次第に触るような人じゃないからさ。……あ、待って。そういえば深谷のロッカーにも自分のものじゃないファイルが入ってたじゃん、でも由芽先輩は自分じゃないって言うんだよ。あれ、結局由芽先輩のやつだった?」

「……いや、俺の勘違いだった」

「そっか! ならよかった、だとしたらやっぱり由芽先輩は僕以外のロッカーには触らないんだよ!」

 そうだね、と深谷が呟く。

 晴れやかな架月とは対照的に、深谷は肯定してくれながらなぜか声を震わせている。

「だから、僕は犯人が由芽先輩じゃないって証拠を見つけたかったの。ヒントは僕のロッカーにあったんだ」

「架月のロッカーに? 何か変なもの混ざってた?」

「そうじゃなくて、何も変なものがなかったことがヒントなの」

 架月はそう言いながら、自分のロッカーを指さした。

「僕の作業学習用ロッカーには、学習用ファイルと清掃方法の小冊子、使い捨て手袋と軍手、水切りワイパー、雑巾、卒業制作のアナログ時計が置いてあるでしょ? あの日、みんなの荷物はどんなふうに動かされてたか覚えてる? 自分の隣のロッカーに、荷物がそのまま全部スライドさせられてたの」

「うん、覚えてるよ」

「僕の荷物もそのまま全部隣に移されてた。増えているものも減っているものもなかった。それが問題なんだ」

「ん?」

 深谷が戸惑ったように首を傾げた。架月はブレザージャケットのポケットから、今朝由芽にもらったばかりの二通の手紙を引き出す。

「これは由芽先輩からもらったお手紙なんだけど、こっちのディズニープリンセスの封筒に入ってる手紙はずっと前に僕のロッカーに入ってたやつなんだ。ほら、深谷のロッカーに誰のものか分からないファイルが置かれてた日だよ。僕はこの手紙を由芽先輩のロッカーに戻しちゃったんだけど、これは由芽先輩が僕にくれたお手紙だったから、ずっと僕が持っているべきものだったんだ」

「そりゃあ……封筒にも架月へって書いてあるから、そうなんじゃないの?」

「そう。だけど僕、今までも由芽先輩の荷物を自分のロッカーにいっぱい置かれてたから、この手紙もてっきりそのパターンだと思って……でも僕、そのあと作業学習の時間に由芽先輩から『手紙、見た?』って聞かれて、『見ました』って言っちゃったんだ」

「ロッカーに戻したのに?」

「うん、だって見たことには見たし」

「『手紙見た?』って、『受け取ってくれた?』って意味じゃん……それラブレターで同じことやったら振られたと思われるだろ……」

 これは実際のところラブレターなのだが、今その話をすると脱線していきそうなので言わないでおく。というか深谷、架月がしばらく気付かなかったことに即座に勘づくとはさすが鋭い。

「今朝この猫のシールが貼ってある手紙をくれたとき、由芽先輩は僕が一度ロッカーに戻したディズニープリンセスの手紙も渡してくれたの。由芽先輩にとって、この手紙はやっぱり僕が持っているべきものだったみたい」

「そりゃあ、自分が渡した手紙だし――」

「そう。だから由芽先輩がロッカーをぐちゃぐちゃにした人であるとしたら、おかしいんだよ」

 可愛らしい封筒を強く握りしめながら、架月は滔々と訴えた。

「由芽先輩がみんなのロッカーを動かしたなら、そのときに自分のロッカーに戻されていたこの手紙を僕の荷物の中にもう一回入れてくれるはずだと思うんだ」

 実際、由芽は今朝になってディズニープリンセスの封筒に入ったラブレターを架月にちゃんと返してくれた。由芽にとって、このラブレターは歴とした「架月の持ち物」なのだ。

「だから事件が起こった日、僕の荷物の中に手紙が戻されていなかったということは、由芽先輩はやってないと思うんだ。深谷はこの予想、合ってると思う?」

「……合ってると思うよ」

 さっきまで不安そうな顔をしていた深谷は、なぜかそこだけは即答した。

 深谷に保証をもらえたなら、きっとこれは事実だ。自分の推理が当たっているということに自信が持てたことが嬉しくて、架月はその場で跳ねて喜んだ。

「ありがとう! 今の話、佐伯先生にしてもいいかな? 由芽先輩が先生たちに自分がやりましたって謝ったなら、先生たちへの誤解は解いておきたくて」

「それはもう解けてるよ」

「そうなの? どうして深谷が知ってるのさ」

 深谷は柔らかい微笑を浮かべたまま答えない。

 その眼差しが何かを言いたがっているようで、何かを察してほしそうで、言語化されていないものを読み取ることを強いられているようで架月は緊張してしまう。さっきまで由芽が犯人ではないと知ることが出来た喜びで胸がいっぱいだったけれど、なぜか今は深谷から注がれる奇妙な視線の方が気になった。

「架月は、犯人は知りたくないの?」

「へ?」

 唐突に尋ねられて、架月は間の抜けた声を上げてしまった。

 深谷の質問の意図が分からない。だって今、架月は犯人の正体ではなく由芽の身の潔白を晴らすための話をしていたはずなのに。深谷にもそのことは説明して、理解した上で架月の話に付き合ってくれていたのではなかったのか。

「な、なんで? 僕に関係ないでしょ、それ」

「関係ないかな? 犯人はお前が大好きな由芽先輩に罪をなすりつけるような真似をした奴だよ。そいつが余計なことをしなければ、由芽先輩だって疑われて怒るようなこともなかったのに」

「……でも由芽先輩が、僕のロッカーを弄ってたのは本当だし……」

 由芽だって疑われるくらいのことはしていたのだ。

 架月が「由芽が犯人じゃないはず」と信じていたのだって、実際のところは「犯人じゃないと思いたい」くらいの期待を含んだ予想であって、架月ですら百パーセント信じることができないから必死で証拠を探していたのである。

「由芽先輩が疑われたことは、別に犯人だけが悪いというわけではないよ。身から出た錆という部分も大いにあった」

「身から……な、何?」

「身から出た錆。自分も悪いってこと」

「お前、由芽先輩のこと好きなんじゃなかったの?」

「好きだよ。でも、別に相手の悪いところが見えてるからって全部が嫌いにはならないでしょ」

「そうなの?」

 なぜか縋るような目をされた。

 どうして、そこが疑問になるのだろう。深谷の不思議な反応に気を取られていたら、うっかり手紙を握りしめていた指から意識が逸れてしまった。

「あっ」

 一瞬だけ指の力が抜けて、由芽からの大事な手紙を取り落としてしまう。

 慌てて深谷が手を伸ばしてくれたが、手紙は彼の手すらもすり抜けてロッカーの下の隙間に入り込んでしまった。

「うわ、まじか」

 深谷がまるで自分の手紙が落ちたかのような焦った反応をしてくれる。そんな些細は反応にすら、彼の人の良さが滲んでいる。

「どうしよう、二人でロッカーどかすか?」

「いや、ロッカーと下の隙間が結構広いからこのまま取れるかも」

 架月はその場に膝をつき、自分のロッカーに入っていた紙ファイルを下の隙間へと押し込んだ。中に落ちてしまった手紙をうまくファイルで押さえつけることができたが、暗いので手繰り寄せるのがちょっと難しい。

 ロッカーにギリギリまで近づいて隙間を覗き込もうとしたら、近づいた拍子に体がロッカーにぶつかってしまった。

「ちょ、架月――」

 背中に何か固いものが落ちてきて、「痛った!」と悲鳴を上げる。次の瞬間、背中に当たったそれがガシャンッと音をたてて床に落下した。

 ヒッと深谷が息を呑む。何か細いものが眼前を転がってきたので、慌ててそれが隙間に入り込む寸前にキャッチした。

 それは単三電池だった。

 視線を横にスライドさせると、床に落下してしまったのは架月の卒業制作のアナログ時計だった。「うわーやっちゃった」と慌てて拾い上げると、落下の衝撃で時計の長針と短針がずれてしまっていた。

「あー……これ、あんま耐久力ないんだよなぁ……」

 そういえば学校に持ってきたときも、鞄の中で針がずれてしまっていたっけか。

 ロッカーの手前に置くのは危ないからやめておこう。そう思いながら時計をひっくり返すと、電池を入れていた部分のカバーが外れて中が空っぽになってしまっていた。

 まずい、もう一本の電池も転がっていったか。

 架月はなくなった電池を探すため、「ごめん深谷、これ持ってて」と時計を深谷に渡した。深谷はなぜか自分が失態を犯したように真っ青になっていたが、架月に差し出された時計は震える手でちゃんと受け取ってくれる。

「えー、もう一本どこ行っちゃったんだろ……。深谷、時計の時間合わせてもらってもいい? 僕、電池探すから」

「え? あ、う、うん」

 深谷は妙に青ざめておどおどしながら、廊下に掛かっているアナログ時計を見上げながら架月の時計のネジを動かしてくれる。

 もう一本の電池は、廊下に据えられていた消火器のそばにまで転がっていた。架月が電池を拾い上げると、深谷が横から時計を差し出してくれる。

「はい、時間合わさったよ」

「ありがとう、深谷」

 深谷から時計を受け取った架月は、その文字盤を見て息を呑む。

 時計は十時三分を示していた。

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