第13話 問題児

「――はい、本当に御心配をおかけしてしまってすみません。引き続き注意して様子を見ていきたいと思いますので、よろしくお願いします」

 受話器を置いて、木瀬は大きな嘆息を漏らす。

 放課後になってすぐ、架月の母親に今日の一部始終を連絡した。由芽の家には三学年の担任である藤原教諭が連絡を入れてくれて、今回の一件はお互いへの説諭で済ませたと説明している。

「ご苦労さん。架月の母さん、どうだった?」

 佐伯に声を掛けられて、木瀬は肩をすくめながら苦笑を返す。

「反応に困ってました。怒られて泣いたことについては『いつものことです、気にせず厳しくしてください』って言ってくれたけど、女子の先輩とキスだのハグだのしようとしたことについては心配かけたかも」

「年上キラーだな、架月。面倒見のいいお姉さんたちのお世話したい欲が刺激されるのか?」

 そう言いながら、佐伯は鍵付きのキャビネットから封筒に入った入学資料を取り出した。一年生の生徒たちの引き継ぎ資料がまとまっているファイルを引き出し、五十音順の一ページ目を開く。

「やっぱり出てきたか、女性問題。中学の引き継ぎ資料に書かれていた注意事項と全く同じことをしおって」


 生徒名:青崎架月(診断名:自閉スペクトラム症)

 受験番号:1

 入試結果:学力試験 三科目合計三百点、一位/五十六位

      面接 B判定

      実技試験 四十位/五六位(備考:試験官からの指示を聞き逃し、周囲の生徒の様子を見て真似をしている素振りが見られた)

 備考:通常学級に在籍中。療育手帳の申請をしたが取得できず、三月に精神福祉手帳を取得予定。


【中学校からの入学願書より】


 A判定項目:【礼儀】

 B判定項目:【協調性】【整理整頓】

 C判定項目:【体力・根気】【集団行動】【道徳心】【情緒の安定】


・他人に流される。他人から「やれ」と言われたことをそのまま実行し、トラブルに巻き込まれることがある。

・善悪の判断がつかない。言っていいこととダメなこと、やっていいこととダメなことが理解できず、その都度大人から指導されて「怒られたから謝る」というパターンになる。

・他人との適切な距離感が掴めず、依存するか孤立する。他人に懐きやすいが、そのせいで能力が高い子たちに従わされて良いように使われてしまう傾向がある。

・女子への興味や警戒心がなく、子供同士のような接し方をする。

・中学一年生のとき、上級生の女子から「抱きついていいよ」「手を繋ごう」と言われて、そのまま従って抱きついたり手を繋いだりしていた。二年生になるまで周囲は誰も気付かなかったが、数年ぶりに会った親戚のお姉さんと手を繋ごうとしたのを母親が目撃して、本人に問いただして発覚。異性との接し方について指導をしたが、本人の理解が及ばず改善はされなかった。

・大声を出されること、叱られること、怒鳴られることが苦手。泣いてその場から逃げる。


「本当だ、今日と全く同じことしてる。『好き?』って聞かれたから、何も考えずに鸚鵡返しで『好き』って答えて女子をその気にさせてキスさせて、『おいで』って誘われたから抱きつきにいったのか。将来騙されるぞ、あいつ」

 木瀬が引き継ぎ資料を熟読しながら唸っていると、クスクスと笑う声がした。

「すごいこと言われてるなぁ、架月くん」

 笑い声の主は、いつの間にか正面の席に座っていた優木だった。

 呑気な反応だ。自分だって目の前で架月が優花に抱きつきにいったのを目撃して阻止したのに、今は熱は喉元を過ぎたと言わんばかりに柔和に目を細めている。

「鸚鵡返しに『好き』って答えてその気にさせたわけじゃなくて、架月くんはしっかり自分で考えて『好き』って言ったんでしょう? 善悪の判断はついていないかもしれないけど、好きと嫌いの判断がついてたと思うよ」

「好き嫌いの判断だけじゃダメなんですよ。将来同じことやったら性犯罪で捕まりますよ。警察に『相手にいいよって言われたからやりました』なんて言っても、理解してもらえるわけがないじゃないですか」

「そうだねぇ、だから木瀬先生がガツンと一喝してくれたのはよかったかもね。びっくりしすぎて号泣してたけど、やっちゃダメなことをしたっていうことは身に染みて分かったでしょ」

 でもさぁ、と優木は微笑をたたえながら言葉を切る。

「架月くんとも由芽ちゃんも今が一番楽しい十代なんだから、恋愛くらいする方が健全だと思うけどなぁー。優しい女子の先輩が好きになるのも、自分に懐いてくれる可愛い後輩の男子が好きになるのも高校生なら普通のことじゃない? そこは制御できないよ、私たち」

「……あの二人に限って、そんなことあります? 幼稚園児が『将来結婚しようね』って言い合っているようなもんでしょ、あれ」

「幼稚園児じゃなくて、十八歳と十六歳の男女だよ」

 きっぱりと優木が言い切る。暖かな瞳に鋭い眼光が垣間見えて、思わず木瀬は押し黙ってしまった。

「恋をするのが悪いんじゃなくて、パーソナルスペースも弁えない接触をしたり男女の関わり方を理解してないのが問題なんだよ。それこそ相手が由芽ちゃんだからほっぺにキスくらいで済んでるけど、これがもっと大人びた子だったら『ナマでエッチしよう』って誘われちゃってたかもしれないしね」

「な……」

「そういう最悪の一線を越えさせないために、二人が学校にいるうちは私たちがしっかり指導しなくちゃいけないんだけど……私は正直、由芽ちゃんと架月くんの関係は現時点では悪いものとは思えないから、できれば良いように伸ばしてあげたいところだな。架月くんのことだから、先生が『由芽先輩を好きって言うのはやめなさい』って言ったら『はい』って従いそうだけど、せっかく頼れる先輩ができたのにそれだとちょっと寂しいよね」

「難しいこと言いますね、優木先生」

「難しいよねー。だってあの優花ですら、未だに男子に対して普通にハグできちゃうんだもんね」

 優木の話に相槌を打ちながら、こんなこと間違っても架月の母親には言えないなと思った。電話口でキス云々の件を話したとき、架月の母親は顔を見なくてもはっきりと声音で分かるほどに意気消沈していた。消え入りそうなほど小さな声で『自分からキスしたわけじゃないんですね?』と縋るように確認して、すぐに自分の質問の意図を顧みて『すみません、今それは関係ないですよね』と慌てて謝っていた。

 高校生同士の恋愛を微笑ましいと応援する他人もいれば、障害のある我が子が性犯罪に巻き込まれたらどうしようと危惧する親もいる。

 良い関係を築けばいいと言うのは簡単だし、本当にその通りなのだが、架月や由芽のような子に「良い関係」を理解させるのは本当に難しい。

「まあ私が個人的に気になるのは、架月くんがあまりにも由芽ちゃんの言いなりになっちゃってることかな。由芽ちゃんのオモチャみたいに振り回されるだけじゃなくて、好きって言うくらいならここらで一発男らしいところが見たいんだけど」

 優木が呑気なことを嘯くのを聞きながら、木瀬は溜息を無理やり誤魔化すような苦笑を返した。

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