悪意の所在

第11話 解雇

 ゴールデンウィーク明け、一年生たちの作業学習班が正式に決定した。

 いくつかのグループに分かれての体験学習を経て、架月が正式に加入したのは清掃班だった。自分の第一希望があっさり通ったことに驚いていたら、副担任であり清掃班担当の木瀬に「うちは厳しいからな、架月」と釘を刺されてしまい、気を引き締めて頷いたのが先週の月曜日こと。

 しかし、それからちょうど一週間が経った月曜日の一時間目、架月は誰もいない教室で立ち尽くして一人で滂沱として涙を流していた。


 その日は一時間目から四時間目が作業学習で、朝のホームルームが終わってすぐにクラスメイトたちが散り散りに各自の教室へと向かっていた。制服のまま向かう生徒もいれば、ジャージや作業着に着替えてから移動する生徒もいたり様々である。

 一時間目が始まって十分ほどが経過したとき、誰もいなくて然るべきであるはずの教室に入ってくる人物があった。

「うわっ、びっくりした!」

 幽霊にでも会ったような悲鳴を上げたのは、作業着姿の深谷だった。農園芸班に正式に加入した彼は、嗚咽を上げながら泣いている人影の正体が架月であると気付くやいなや慌てて駆け寄ってくる。

「何やってんだよ、架月。もう授業始まってるけど」

「み、深谷も、何やってるの?」

「俺? 俺は教室に水筒忘れたから取りに来ただけだけど……っていうか、何だその格好は」

 架月はズボンだけを制服のスラックスから作業着に着替え、上はブレザージャケットを脱いでワイシャツのボタンを全部外した中途半端な格好をしていた。

「それは制服に着替えたいの? 作業着に着替えたいの? どっち?」

 深谷はそう言いつつ、架月の机の上にぐしゃぐしゃに丸められていた作業着の上着を差し出してくる。見学のときに清掃班が作業着で活動していたことをちゃんと覚えているらしい。

「早く着替えて移動しろよ、もう清掃班の活動とっくに始まってるだろ」

「……清掃班はクビになった」

「は? んなわけある? 先週決まって今週クビになるわけ?」

 ひっきりなしに溢れる嗚咽を呑み込みながら、架月はなんとか事情を説明しようと口を必死で開閉させた。

「先週、木瀬先生に『次、また遅刻したらクビにする』って言われた。それなのに今日も遅刻したから、クビになった」

「それは先生がよく言うパターンのやつだよ! いいから早く着替えろ!」

 自分も授業中のはずなのに、深谷はほとんど無理やり架月を作業着に着替えさせて「ほら、行くぞ!」と代わりに清掃班の作業学習ファイルを持って一緒に廊下に出てくれた。

「行かない、遅刻したから」

「だからっつってぐだぐだしてたら、もっと遅刻するだろ! 今すぐ動けば、遅刻の中でも一番マシな遅刻になるの!」

「分かんないこと言わないで!」

 ほとんど癇癪のような声を上げてしまい、自分の声に自分でびっくりした。

「ご、ごめんなさい」

「謝るくらいなら怒るなよ……。てか、俺はお前の言ってることの方がよっぽど分からんけどな」

「……うぐぅ……」

 友達に怒鳴ってしまったことの罪悪感で一瞬で塩をかけられた青菜になり、架月はそれ以上の抵抗はできずにほとんど深谷に引きずられるようにして清掃班の活動場所まで連れて行かれる。

 清掃班の正式なメンバーとして活動を始めてから、架月はほぼ毎回のように作業学習に遅刻していた。理由は明白である。制服から作業着に着替えているうちに休み時間が終わってしまって、チャイムが鳴ってから教室を移動するからだ。

 遅刻するたびにペアの先輩である由芽に「遅れない!」と怒られて「ごめんなさい」と謝ることを繰り返していたが、先週の金曜日の作業学習でにとうとう木瀬から「来週また遅刻したら、清掃班はクビな」と宣告されてしまった。

 深谷に引きずられながら用具室に入りかけた架月だったが、入り口に入る寸前でいよいよ心が折れてその場に両膝を突いてしまった。そのまま廊下に座り込むと、深谷ですら腕力だけでは引っ張れなくなって「なにやってんだよぉ」と呆れた調子で肩を叩かれる。そのまま見捨てられるかと思ったら、深谷はそのまま架月の隣で膝を折って廊下に座った。

 程なくして、異変に気が付いた木瀬が用具室から出てくる。

「え、深谷? どうした、何やってるの」

「架月が『清掃班はクビになったから行かない』って教室で泣いてましたよ」

 深谷があまりにものんびりとした口調で言うものだから、うっかりこれは自分が感じている以上に大事じゃないのか?と思ってしまう。架月は今、顔を上げたらこのまま世界が終わるんじゃないかというくらいギリギリの崖っぷちに立っている気分だけど、深谷も木瀬もなんだか普通だ。自分だけがおかしいんじゃないかと思うくらい。

「まさかそれをここまで連れてきたのか? うわー悪かった、深谷も遅刻したと思われるだろ。佐伯先生に事情説明しておくよ」

「自分で説明できるから大丈夫ですー」

 ころころと笑いながら、簡単そうに言い放つ深谷は本当にすごい。自分で先生に説明するってどういうことだ、台本があるわけでもあるまいに急にそんなことが出来るのか。

「じゃあな、架月。クビになったら農園芸班に来ればいいよ」

「……うん、そうする」

「そうするな! 深谷ありがとう、助かったよ」

 木瀬にお礼を言われて、深谷は「いーえー」と軽やかに言って立ち上がった。そのままサクサクとした足取りで農園の方向に向かう深谷を眺めながら、思わず本音が零れてしまう。

「……ああいう高校生になりたい……」

 他の人の長所が目に入るたびに、自分の短所を思い知ってしまって死にたくなる。

 だから架月は、いつも指を咥えて誰かを眺めながら「ああなりたい」と呻くことしかできなくなるのだ。

「まずは遅刻しない高校生になろうな。はい、立った立った」

 背中をぽんっと叩かれて、架月は鼻をすすりながら何とか立ち上がった。


***


 作業学習が終わった直後の休み時間、木瀬は職員室に戻ってきた佐伯を捕まえて開口一番に尋ねてみた。

「深谷、自分が遅刻したことについて何か言ってました?」

「遅刻? ああ、水筒取りに行ってちょっと遅れたけど、どうしてそれを木瀬先生がご存知で?」

「うわー架月のせいで遅れたって言わなかったんだ! めっちゃ良い奴だな、あいつ!」

 興奮気味に一時間目の件について事情を説明すると、佐伯はやや木瀬とは温度差がある冷めた反応をしていた。

「俺の感想としては、『おいこら深谷、そこまでやる必要はあったのか?』って感じだけどな」

「そうですか? 深谷の優しさじゃないですか」

「確かに優しさもあったんだろうけど、そのせいで自分の作業に遅れたら元も子もないだろ。おまけに木瀬先生には自分で説明するって言っておきながら、結局は俺には自分の口から報告できてないんだから尚更ダメだよ」

「えー、ちょっと厳しくないですかね。確かにエース揃いの農園芸班ならそこまで求めてもいいかもしれないけど」

「うちが厳しいとか厳しくないとかじゃなくて、ちょっと最近の深谷がハイになってる感じがあって心配だという話だよ。自分がクラスでリーダーシップを取れることが楽しくて、その立場を守るために身の丈に合わないことまでやり始めているように見える。そのうち爆発しないといいけど」

「……それは深読みしすぎじゃないですか?」

「まあ、ただの俺の感想だから気にしないでくれ。それより木瀬先生こそ、随分と架月に厳しくしているようで」

 木瀬はとたんに口元に笑みを浮かべて、悪戯っぽく「そうですか?」と小首を傾げる。佐伯はそんな若手教師に呆れた視線を向けた。

「『次に遅刻したらクビ』だなんて脅し、架月には通用しないだろ。失敗したときのパニックの材料になるだけで、言葉で脅しただけで遅刻が治るわけでもない」

「確かに注意だけでは治りませんけど、今回の件で架月は遅刻しない対策を練る大切さを身に染みて理解したと思いますよ。自分が言葉で脅されただけでは行動を改善できなかったと気付いて、じゃあどうしたらいいだろうかって考え始める頃合いです」

 っていうか考え始めてほしいんだけど、と木瀬は口を尖らせながら呟く。

「由芽に怒られて『ごめんなさい』って謝って終わりっていうパターンになってましたからね、あいつ。ここら辺で遅刻したらまずいって再認識させないと、あのまま遅刻がルーティンに組み込まれそうだったので慌てて荒療治をさせていただきました」

「なるほどねぇ、そういう事情があったのか」

 佐伯は苦笑する。農園芸班は厳しいだの何だの言っていたが木瀬だって相当なものだ。


 翌日、架月に早くも変化があった。

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