第10話 解決編
「謎は全て解決しました」
翌日の放課後、架月は再び農園にいた佐伯を捕まえてそんな一言を放った。
佐伯はスプリンクラーでの水やりを止めて、ビニールハウスの中にあるベンチに誘われた。並んで腰を下ろすと、ビニールハウスの中に差し込んだ西日に全身を包まれる。
温かい陽光を浴びていると、根拠もなく背中を押されているような気分になった。
自分の推測に不安がないわけではない。莉音がいじめをしているのではないかと先生たちに話したときよりもずっと慎重に調査をしていたはずなのだが、それ故にと言うべきなのかそれなのにと言うべきなのか、導き出した答えを出すのをずっと躊躇ってしまう。
「な、何から、お話しすればいいでしょう?」
「架月が話したいところからどうぞ」
その指示は一番困る。
しかし佐伯が押し通すということは、自分で順序を考えて話すということも架月に課せられたミッションの一つなのだろう。
架月はしっかり考え込んで、迷いを消してから口を開いた。
「まず、この事件は犯人が誰かという点はあまり重要ではなかったんです。僕がずっと気にしていたのは、利久先輩に意地悪をしている人がいるのではないかということでした。でも、あの紙吹雪を撒いた人は意地悪をしていたわけじゃなかったんです。そのことが分かった時点で、もう僕としては犯人はどうでもいいと思いました」
「どうして紙吹雪が、意地悪ではないと分かったんだ?」
「紙吹雪の色です」
架月はポケットの中から、四色の紙吹雪が入ったジップロックの小袋を取り出す。
「ただシュレッダーのゴミを撒くだけなら、白い紙ゴミの方が集めやすいんです。シュレッダーの受け箱に入っているゴミは、白い紙のゴミばかりでした。わざわざ四色の無地の色紙を裂かなくても、白い紙ゴミならたくさんあるんです。たとえば美術室のシュレッダーで自分でプリントを裂いたとしても、色紙よりは白い紙の方が手に取りやすいはずです。だって美術室には、利久先輩がいつも裏面に小説を書いているような紙――生徒が自由に使ってもいいプリントの裏紙が、たくさん置いてあるんですから」
架月が注目するべきはいつ犯人がシュレッダーを使ったのかという点ではなくて、どうして犯人はわざわざ四色の色紙を準備したのかという点だった。
「階段に散らばっていた紙は、赤と青、緑、黄色の四色です。その四色には共通点があります。そのヒントは、莉音さんが教えてくれました」
架月は小袋に入っていた四色の紙吹雪を掌の上に出して、佐伯に差し出す。
「これはそれぞれ、ホグワーツの四つの寮のイメージカラーなんです。グリフィンドールに赤、レイブンクローに青、スリザリンに緑、ハッフルパフに黄色が当てはまります。つまりこの四色の紙吹雪は、ハリーポッターが好きな利久先輩のためにわざわざ作られたものだったんです」
犯人は利久に嫌がらせをするために紙吹雪を撒いたのではなく、利久のためを思って紙吹雪を撒いたのだ。
「なるほど。それでは、どうして犯人は利久のために階段に紙吹雪を撒いたんだろう?」
「僕、清掃班の見学で窓掃除が一番遅かったんです」
「ん?」
いきなり明後日の方向に飛んだ話に、穏やかに相槌を打っていた佐伯が一瞬だけ当惑する。架月は紙吹雪を袋の中に戻しながら、滔々と言葉を続けた。
「僕は掃除がすごく楽しくて、自分でもこの作業は自分に向いてるんじゃないかと思ったくらいだったんですけど、深谷は僕が清掃班に行きたいって言ってるのを聞いてすごくびっくりしていました。深谷から見たらびっくりするくらい遅かったんだと思います」
事実の説明にだんだんと自分の感想が混ざってきて、自分でもよく分からなくなってきた。それでも佐伯が口を挟まずに聞いてくれるので、架月はめげずにゆっくりと脳内で言葉を並べてから口に出す。
「前回の奉仕活動で、利久先輩は校門前の花壇の水やりをしていました。そのときの利久先輩は、先生が『そろそろ次』って言わないとずっと同じ花壇に水をやっていて、土をびちゃびちゃにさせていたんです。先生に注意されるたびに『大丈夫です』って怒ってたし、てっきり僕は利久先輩って奉仕活動が嫌いなんだなって思ってたんですけど……でも僕だって掃除は嫌いじゃないけど、掃除が苦手だから……だから利久先輩も、もしかして嫌いなんじゃなくて苦手なだけだったのかなって気がしたんです。『綺麗になるまで掃除しろ』って難しいです、綺麗の感覚って人によって違うから。水やりだって、僕もやれって言われたら充分な量は何デシリットルですか?って聞きたくなっちゃいます」
だから、と言葉を切って、架月は佐伯を真っ直ぐに見上げた。
「この紙吹雪は、利久先輩が掃除するための目印なんじゃないでしょうか?」
佐伯が瞳を輝かせた。
その変化には気付かず、架月は淡々と言葉を続ける。
「最新掃除機のコマーシャルで、黒い床に散らばった白い粉を吸い込んで『このくらい綺麗になります!』ってやるやつあるじゃないですか。普通のゴミは肉眼では見えづらいから掃除しても本当に綺麗になってるのかどうか分からないけど、コマーシャルの粉みたいに目立つゴミだと掃除をするとどのくらい綺麗になってるか分かりやすいんです。だからこの紙吹雪も、それと同じなんじゃないでしょうか?」
この紙吹雪は嫌がらせの道具ではなく、利久のために編み出された魔法のアイテムだったのだ。
「この紙吹雪が階段に落ちていることで、『紙吹雪が全部集まるまで掃き掃除をする』という目印ができます。どのくらい床を掃いたらいいか、先生にずっと隣から『そろそろ次の段だよ』と言われなくても自分で判断できます。この紙吹雪は利久先輩の掃除を邪魔するためじゃなくて、利久先輩がもっと簡単に掃除ができるように撒かれたものなんじゃないですか?」
「それを撒いたのは、藤原先生だよ」
あっさりと、佐伯は今まで出し渋っていた正答を出した。
斜陽に照らされた佐伯の表情は、暖かな西日よりも穏やかなものだった。彼はベンチから立ち上がって、湿った土の匂いが立ちこめるビニールハウスの中でゆったりと歩を進める。
「藤原先生は利久が一年生のときから担任だからな。自分からは要求を出してこない利久が、本当はどんなことをしてほしいかを把握してる」
ビニールハウスの中央で、不意に佐伯は足を止めた。
外界とは隔絶された半透明の膜を纏った空間で、佐伯が静かに尋ねる。
「莉音や利久が、どういう障害を持っているか知りたいか?」
虚を突かれて、架月は目を丸くする。
「障害のことについて詳しい先生たちに聞きたかったんじゃないのか? 今、俺が全部教えてもいいと言ったらどうする?」
投げられた質問を熟考するために視線を落とすと、爪先の近くをとぼとぼと小さなアリが歩いていた。目的地を見失ったように心許なく彷徨うアリを凝視しながら、架月は黙り込んで頭の中で言葉を組み立てる。
しばしの逡巡を経て、架月は再び顔を上げた。
いつも迷いのない先輩の口調を思い出して、勇気をもらうようにそれをちょっとだけ真似してきっぱりと答える。
「大丈夫です」
断られたというのに、佐伯は少しだけ嬉しそうだった。
「そうか? 後でやっぱり教えてって言ってもダメだぞ」
「言いません。僕は先生よりも障害のことについては詳しくないけど、莉音さんや利久先輩や他の皆さんがどんな人なのかは少しずつ詳しくなってきているつもりです。分からないことがあったら、本人に直接聞きます。だから、大丈夫です」
分かった、と佐伯は頷いた。
斜めに差し込む蜜柑色の陽光が、ビニールに反射してきらきらと光る。その光の粒子を手で払いながら、架月は晴れやかな気持ちで乳白色の夕焼け空を見上げていた。
***
生徒名:須田莉音(診断名:軽度知的障害、ADHD)
受験番号:14
入試結果:学力試験 三科目合計90点、二十六位/五十六位
面接 B判定(備考:面接官に対して敬語が抜けること多々)
実技試験 十二位/五六位(備考:「体育」「生活力」「作業学習」のいずれも高水準だが、作業中に他の受験生に話しかけようとする姿が見られた。試験中に泣き出した受験生に対して声を掛け、一緒に離席しようとして試験管に止められた)
【中学校からの入学願書より】
A判定項目:【明朗性】【体力・根気】
B判定項目:【協調性】
C判定項目:【礼儀】【集団行動】【道徳心】【整理整頓】【情緒の安定】
・男子とのトラブルが多い。支援学級の同級生や後輩、交流学級の女子への嫌がらせの現場を目撃したときに手を出してしまい、親が学校まで来て謝罪するということが何度かあった。
・支援学級では出来る方なので、リーダーとしてみんなを励ましている。面倒見がいい性格のため、支援学級の生徒たちからは慕われている。交流学級の女子生徒たちの中にも、莉音のことを頼りにしている生徒がいる。
・在籍は支援学級だが、本人の強い希望で中一のときから交流学級の生徒たちに混じって女子バレー部に所属した。何事にも一生懸命で負けず嫌いな性格のため、バレー部の活動も三年生までほとんど休まずに参加した。
・物事に白黒をつけたがる。肯定するときも否定するときもきっぱりとした物言いをするため、相手に悪く捉えられてトラブルになることが多い。
・大人に敬語が使えない。憧れている女子の先輩には敬語で話すが、教師には友達のような距離感で話す。
【担任からの一言】
自分の価値観を押し通しがちなため、しばしば交流学級の男子とトラブル(暴力を振るう、とっくみ合いの喧嘩をするなど)を起こすことがありました。しかし何事にも負けず嫌いで前向きな性格のため、本校で対等な友人関係を築くことで持ち前の優しさや面倒見の良さを伸ばしていけると思います。
ぜひとも、本校への入学を認めていただきますようお願いします。
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