第9話 プレゼント

 佐伯と別れて部活に戻りながら、架月は困惑しきっていた。

 ――これ以上、どうやって犯人を絞ればいいんだ?

 職員室と第一作業室にあるシュレッダーは、どちらも一般生徒は簡単には立ち入ることができない場所にある。となると犯人候補は、どちらのシュレッダーも自由に使える先生ということになるが、まさか先生たちが利久に嫌がらせをしているとも思えない。

 ぐるぐると悩みながら美術室に入ったら、入り口付近の席で自由帳を広げていた莉音に呼び止められた。

「どうしたの、架月。今日は誰に泣かされた?」

「……泣いてないよ」

「そう? でもしょんぼりしてるよ」

 元はといえば、莉音の容疑を晴らすための依頼だった。

 しかし莉音が容疑者候補から外れた以上、莉音にも聞き込み調査をしてもいいのではないか?

 そう思って、架月はそんな莉音の正面の椅子に腰を下ろす。

「ねえ莉音さん、学校で生徒がシュレッダーを使う方法はないよね?」

「シュレッダー? なに捨てたいの? 絵だったら捨てないで莉音にちょうだいよ」

「そうじゃなくて……えっと、色紙……たとえば画用紙サイズの紙をびりびりにして捨てたいときに、どうしたらいいかなって」

「美術室のシュレッダー貸してもらえば?」

「……え?」

 ――美術室のシュレッダー?

 第三のシュレッダーの登場に目を白黒させると、莉音は「おいで」とそんな架月のジャケットを引っ張って椅子から立たせた。深谷といい莉音といい、関係者たちの方が探偵役よりもよっぽど事情を知っているらしいのが不思議である。

 莉音が架月を連れてきたのは、美術室の前方にある金属ラックの前だった。壁に這うようにして並んでいる木製の棚には生徒が使うための備品や制作途中の作品が置いてあるが、この金属ラックは美術担当の小寺教諭の私物が片付けられている。

「ほら、これ」

 莉音が金属ラックから取り上げたのは、彼女の両手にすっぽりと収まるくらいの小さなプラスチックの箱だった。片側に鉛筆削り機のようなハンドルがついていて、箱の上部には溝がある。

「こ、これシュレッダーなの?」

「そうだよ。手動だけどね」

 手動の小型シュレッダー。そんなものが美術室にあったのか。

「で、でも、勝手に使ったら小寺先生に怒られるんじゃ――」

「そんなことないよ、総合文化部の先輩たちもたまに使ってるし。最後にこうやって蓋を開けて、中のゴミをちゃんと捨てれば使ったこともバレないよ」

 莉音はそう言って、片手で簡単に箱の上部を開けてしまう。大型の自動シュレッダーと比べて、ずっと簡単にゴミを回収できそうだった。「ほら、こうやるんだよー」と得意げに莉音が捨て紙を一枚だけ試しに粉砕してくれたけれど、手動だから紙を砕くときの音もしない。

「……美術室は普段、鍵なんてかかってないよね」

「ん? そうだね、うちの部のメンバーが画材とかノートとか置いてるし」

「ここにシュレッダーがあることを知っている人って、どのくらいいるかな?」

「えー、どうだろ。一年生から三年生まで授業で美術室には入ってるから、そのときにこの金属ラックを見れば大体の人が気付くんじゃない? 架月みたいにぼーっとしてたら気付かないかもしれないけど」

 架月は呆然とその場に立ち竦んだ。

 ――容疑者が、またしても絞れなくなった。

 職員室や第一作業室にあるシュレッダーと違って、鍵もかかっていない美術室にある手動シュレッダーはいつでも誰でもこっそり使うことができる。

 もちろん架月のように、ここに手動シュレッダーがあることに気付かなければ別だけれど、それだっていくらでも「知らなかった」と嘘をつくことはできるだろう。

「架月、どうしたの? やっぱり泣きそうだね、誰か意地悪な人に何か言われた?」

「……っ」

 そうじゃない、意地悪なのは自分だ。

 莉音のことをもう一度疑いそうになっている自分に気付いて、そのことが悔しくて仕方が無いのだ。

 手動シュレッダーの場所を親切に教えてくれた莉音が、落ち込んだ顔をしている架月に対して気遣いの言葉をくれた莉音が、まさか利久に対して嫌がらせをしている犯人だとは思いたくないのに、それでも少しでもその可能性があると判断するなり自分の脳はその考えに縛られてしまう。

 もう『四色紙吹雪事件』の犯人などどうでもいいから、意地悪な自分だけが先生から怒られれば解決なんじゃないかとすら思ってしまう。

「……あ、そうだ! 架月に見てほしいものがあるの」

 黙り込んでしまった架月に対して、莉音は取りなすような明るい声をかける。

 いつもは自分の好きなように立ち振る舞っている莉音にすら気を遣わせてしまった。申し訳ない気持ちになりながら手招きされるがままに机に戻ると、さっきまで熱心に何かを書き込んでいた自由帳を見せられる。

「ねえ、どう? 莉音が描いたんだけど、上手だと思う?」

 自由帳に描き込まれていたのは見覚えのある四つのエンブレムだった。確実にどこかで見た気はするのに、元ネタが全く思い出せない。

 シャーペンの下書きをボールペンでなぞったもので、かなり丁寧に描き込まれている。正直に「上手だと思うよ」と答えたら、莉音はパッと眩しく破顔した。

「でしょー? これ、色塗りまで終わったら利久先輩にあげようと思ってるの。仲直りの証にしてあげよっかなーと思ってさ」

「それ、何の絵なの?」

「えー分かんないの? 利久先輩といえば!」

「ハリーポッター? ……あ、ホグワーツの寮のエンブレムか」

「その通り!」

 にかっと白い歯を見せて笑い、莉音はおもむろに机の横にかかっていた鞄の中から色鉛筆のセットを取り出した。

「架月、お絵かき得意でしょ? 莉音あんまり塗り絵が得意じゃないから、仕上げの色塗り手伝ってよ」

「莉音さんからのプレゼントなのに、僕が手伝ってもいいの?」

「いいじゃーん、利久先輩だって上手な絵の方がもらって嬉しいに決まってるし」

 にこやかに色鉛筆を広げる莉音を見ているうちに、どんどん架月は呼吸が苦しくなっていった。莉音のこの優しさが嘘だとは思えない。思いたくない。たとえこの学校にいる生徒たちがみんな障害があるとしても、障害を理由にして莉音の優しさが全てひっくり返るとはやっぱり思えない。

「莉音さんは、どうして特別支援学校に来たの?」

 縋るように尋ねてしまったが、莉音はそんな唐突な質問にも親切に答えてくれた。

「中三のときに明星の学校見学に来たとき優花先輩と会って、絶対にここに入りたいって思ったからだよ」

「そうじゃなくて、どうして普通の高校じゃなくて特別支援学校だったの?」

「えー、そんなこと聞かれるの初めてだな。小三のときから支援学級にいたから、みんな莉音が支援学校に行くことに『どうして』なんて思わなかったからさぁ」

 戸惑いながらも、莉音はしっかりと悩んで返事を出してくれた。

「支援学級に入った理由は、勉強についていけなくなったからなんだけど……でも莉音、普通の学級に行きたいなんて思ったこと一度もないよ? むしろ、普通クラスの男子たちとしょっちゅう喧嘩してたし」

「小学生だったら友達と喧嘩くらい普通じゃない? 僕の小学校でも、男子と喧嘩する女子ってたくさんいたよ」

「でも中学生にもなって、男子と殴り合いの喧嘩して相手の子を階段で転ばせるような女子はいなかったでしょ?」

 突然言い放たれたあまりの例え話に、思わず絶句してしまう。

「……な、何したの?」

「たまたま階段の途中で喧嘩になっちゃっただけだよ、踊り場まで三段くらい落っこちただけで相手だって怪我しなかったし――」

「そうじゃなくて、相手の男子は莉音さんに何をしたの? 自分に何もしてこない人にそんな酷いことしないでしょ、莉音さんは。そんなことするくらい相手から酷いことされたんじゃないの?」

 心配になって思わず追及してしまったら、莉音はパチパチと目を瞬かせた。

 彼女は「ありがとね」と苦笑してから、架月の疑問に答えてくれる。

「別に莉音はたいしたことはされてないよ。中学時代の支援学級にお喋りができない一個上の先輩がいて、その先輩が分からないと思って男子たちが莉音たちの教室前の廊下で揶揄ってきたの。だから莉音が階段までそいつら追いかけて、胸倉掴んだら手が滑って突き落としちゃった」

 あっけらかんとすごいことを言われてしまった。

「中学時代になってもそういうことばっかりやってたから、『きっと莉音は通常学級にはいられないんだろうなー』って思ってたよ。交流学級で一時間くらい一緒にいるのはいいし、普通クラスで仲が良い女友達もいたけど、それでもずっとあのクラスの中にいて男子と喧嘩ばっかする毎日を送るのは嫌すぎるでしょ。だから普通に支援学校に来たんだけど、これで答えになってる?」

「莉音さんは賢いね」

「賢いって人生で初めて言われた! 架月って変な子だね」

 莉音にのけぞて驚かれたが、別に自分の感想は変ではないはずだ。

「ってか、そんなことはいいから色塗りやろうよ。莉音がエンブレムの背景を塗っていくから、架月は細かいところをお願いね」

「分かった」

 莉音が利久のために丁寧に描いた絵だから、絶対に失敗できない。

 そんなふうに身構えていた架月は、莉音が「この色だよね、たしか」と机の上にぽいぽいと放った色鉛筆を見て目を見開いた。

「……あ」


 その瞬間、架月の中で『四色紙吹雪事件』の真相が閃いた。

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