第8話 シュレッダーはどこ?

 架月が相談室から出て行くと、木瀬はさっきまで教え子が座っていたソファ席に座って正面から佐伯を捉えた。

「なんですか、『四色紙吹雪事件』って。架月がさっき言ってた嫌がらせ行為って、要するにあれでしょ? 奉仕活動の――」

「知ってるさ、もちろん。それを架月に説明して、直ぐに納得してもらうことはできる。でもここで俺たちから答えをやったら、架月はまた何かあるたびに教師に聞いてくるぞ。さっきの『○○さんは障害があるから、その障害のせいで悪いことをしたんじゃないか』っていう聞き方で」

「それは……」

 さっきの質問は、架月の副担任である木瀬でもギョッとした。莉音に初めて会ったとき「耳が聞こえない障害の子なんですか」と尋ねたこともあったけれど、架月はやたらと障害というワードにこだわっている。

「こないだ架月のお母さんと電話で話したとき、お母さんが『中学時代は同級生の顔を誰も覚えていなかったのに、特支の同級生や先輩のことはちゃんと覚えてて家で話すんです』って喜んでたんだよ。高校生になって成長したんだろう、って」

「……それは、通常学級の子たちに比べてうちの生徒たちが強烈だからでは? 通常学級で架月に毎朝同じ質問をしてきたり、架月の失言にいちいち激怒して泣かせるような子もいないでしょうし」

「だろうな。中学時代の担任からの引き継ぎでは、架月は休み時間もずっと一人で絵を描いていて、授業も板書が全然追いつかなくて自分の世界に浸って過ごしていたらしい。小学校時代からずっと一緒だった友達が声を掛けてくれて、何とかみんなと同じ場所にいたそうだ」

 それは想像がつく。架月は作業学習班の見学でも、目を離すとぼんやりと突っ立っていることが多かった。ちょっとでもイラッとすると手が出てしまう莉音や、独語や鸚鵡返しが激しい利久、健常児と近すぎるせいで配慮が必要であることを理解されづらい深谷と比べると、架月は「勉強ができなくて空気が読めない子」として周りの子に気遣ってもらいながら、通常学級でただ座っているだけなら問題ないだろう。

 でもきっと、架月はその場にいるだけで精一杯だったはずだ。海外の学校に一人だけ放り込まれたように、周囲の状況も授業の内容も何一つ分からないまま三年間を過ごしてしまったのではないか。

「通常学級では蚊帳の外でも過ごすことができたのに、この学校に来てから架月はいきなりクラスのうちの一人として学級の当事者になった。環境も立場も変わったことに混乱して、その混乱を自分の中で『特別支援学校にいるから』だと理由づけてる」

 佐伯は苦笑して、ぽつりと零した。

「やってることは、ただの人付き合いなんだけどな。それすらも架月は中学時代にはやったことがないから、ここで初体験なんだよな」

「そんな架月に、いじめ事件の調査をしろなんてハードルが高すぎませんか?」

「ハードルは高いさ。でも架月の原動力が『莉音を信じたい』であるならば、自分の力で信じるための証拠を見つけさせたい。だから我々は助手役をしようか、木瀬先生。万が一にでも架月が危なっかしいことをしようとしたら、さりげなく止めてやろう。それこそ忙しいときに変なことを任せてもう申し訳ないが」

「そのくらいなら請け負いますよ。架月には『俺がダンガンロンパの霧切さんになるよ』って言えば、一発で納得してもらえるでしょうし」

「それ分からないんだよなぁ。ゲーム? 漫画?」

「ゲームだけど、アニメもありますよ。キャラクターの話をすると架月が喜びます、ぜひぜひ」


***


 翌日、架月は登校するなり小走りで事件現場の階段に向かった。利久が掃除する前に証拠品である紙ゴミもとい紙吹雪を回収しようとしたのだが、すでに利久は掃除を開始していた。

 調査をしていることをバレてはいけない。

 そのルールを思い出して、架月はこそこそとゴミを回収した。証拠品は家から持ってきたジップロックの袋に入れる。

「朝ご飯、何食べた?」

 ――バレた。

「トーストと目玉焼きとスープです」

「美味しかった?」

「美味しかったです。……あの、利久先輩。質問があります」

「質問をするときは手を上げましょう」

「は、はい」

 架月は律儀に挙手をしたけれど、利久はそれ以上は何も言わなかった。手を上げろとは言うけれど、どうぞとは言ってもらえないらしい。

「利久先輩は誰かに怨まれる覚えがあります?」

「あります」

「えっ、誰ですか?」

「大丈夫です」

「大丈夫じゃないですよ、教えてください」

「大丈夫です」

 しばらくしつこく追及してみたけれど、そのうち利久が「やめてください」と嫌がるような台詞を繰り返し始めたので諦めた。

「ごめんなさい、お話ししてくれてありがとうございました」

 ジップロックの袋を抱えながら立ち去ろうとしたら、掃除に戻った利久がそんな架月の背中にぽつりと言葉を投げる。

「ゴミは教室のゴミ箱に捨ててね」

「……っ」

 紙吹雪を回収したことはしっかりバレていたらしい。架月は「はい、ごめんなさい」と肩をすくめながら小走りに教室へと逃げた。


 階段に捨てられていた紙吹雪は今日も四色だった。赤と緑、青、黄色の画用紙を切り刻んだような細かい紙片で、一つ一つ紙片を凝視してみたもののインクの汚れや文字の断片は見当たらない。

「何やってんの? 架月」

「事件調査だよ」

「あん?」

 深谷に対しての口止めされてなかったから事実を答えると、彼は「奉仕活動は俺たちには関係ないんだから、首を突っ込んでやるなよ」と呆れたような調子で忠告をしてきた。

「でも莉音さんがゴミを散らかした犯人じゃないって証明しなくちゃいけないの」

「なんでそこで須田ちゃん? 誰かに疑われてんの?」

「僕に疑われてるの」

「何だそりゃ」

 深谷は首を傾げつつも、架月が凝視していた紙吹雪をひとつまみして「須田ちゃんじゃないだろ」と独り言のように呟いた。

「だってこれ、シュレッダーのゴミだろ? シュレッダーは職員室とピッキング班が使ってる第一作業室にしかないんだぞ、どっちも須田ちゃんには勝手に出入りできない部屋だ」

「なんで深谷がシュレッダーの場所を知ってるの?」

「先週から俺たち一緒に職員室掃除の担当じゃん! 第一作業室にはピッキング班の見学のときに入ったし、逆にどうして架月は知らないわけ?」

 心底驚かれて居心地が悪くなる。別に掃除のときは「掃除をしろ」と言われただけだたし、見学のときだって「作業を見ろ」としか指示されなかった。どちらも「シュレッダーを探せ」とは言われてないわけだから、見逃していてもおかしくはないと思うけれど。

「……深谷の方がよっぽど探偵みたいだね」

「シュレッダー見つけただけで探偵になれるかよ。てか、本当に何してんだ架月は」

 もしかして深谷であれば、自分が気付いていない証拠を掴んでいるかもしれない。

 ゲームの捜査シーンでも、探偵が自分よりも状況に詳しい関係者に取り調べをすることはあるあるだ。

「職員室のシュレッダーはどこにあるの?」

「奥の方。説明が難しいな、一緒に職員室に行って確認しようか?」

 面倒見がいい関係者で助かる。

 深谷と一緒に職員室に行くと、彼は開けっぱなしだった職員室の扉から身を乗り出して「ほら、あそこ」と小声で架月に囁いた。

 窓際にあるコピー機の横に、大型のシュレッダーが置いてあった。別に説明は難しくないだろうと思いつつ、シュレッダーが職員室の奥まった場所にあって生徒はなかなか近づけないということを確認する。

「職員室のシュレッダーを使ったという線はないってこと?」

「俺に聞かれても知らねぇよ。でも、先生たちに誰にも気付かれずにシュレッダーを使うのは難しいだろうな」

 なんだか、だんだんと深谷の方が探偵然としているように見えてしまう。

「でも、ゴミだけなら回収できるかもな」

「……へ?」

「たとえば職員室掃除をするときなら、こっそりシュレッダーのドアを開けて中のゴミだけ回収することは出来るだろ」

「じゃあ職員室掃除のメンバーも容疑者だ」

「俺のことも疑うの?」

 まずい、嫌疑を関係者に直接言うような探偵役はいない。

 慌てて首を横に振るが、深谷は「あっそ」と気のない返事をして立ち去ってしまった。気付くのがもう少し早ければよかった。自分の勘の悪さに辟易する。

 ――深谷の気持ちも分からない自分に、利久に嫌がらせした犯人が分かるのだろうか?

 胸中に大きな不安を抱きながら、架月は一人寂しく廊下を彷徨い始めた。


 第一作業室は二箇所の出入り口にどちらも施錠されていた。先生のパソコンがある準備室は隣にある音楽室とも繋がっているが、音楽室から準備室に入ろうとしてもそこにもまた鍵がかかっている。

「利久先輩、第一作業室の鍵ってどこにあるんですか?」

「職員室のキーボックス。朝ご飯、何食べた?」

「トーストとオムレツとスープです」

 翌朝、階段掃除をしていた利久に質問してみたら、協力的な関係者はしっかり答えをくれた。職員室掃除のときにキーボックスを探してみたら、それは入り口付近の壁――生徒が入り口から手を伸ばせば届かないこともない場所にあった。

「なぁ架月、そっちのゴミ回収してくんない?」

「あ、ご、ごめん」

 気付けば掃除の手を止めて、キーボックス探しに集中しまっていた。

 慌てて自分が担当していた区分のゴミをちりとりに取っていると、近くの席でパソコン作業をしていた木瀬に小声で呼び止められる。

「お困りかい? 探偵さん」

「今困っているのは、深谷を怒らせてしまったことです」

「え、何したんだお前」

 木瀬はすぐさま架月の方に非があることを見抜いてしまった。情けない気持ちになりながらも端的に事情を説明すると、「今そこに深谷いるだろ、謝るの手伝おうか?」と提案される。こくこくと頷いて木瀬と一緒に深谷のもとに行き、謝罪をしたら「またぁ?」と嫌そうな顔をされてしまった。その反応に心臓がばくばくと鳴る。

 木瀬はきょとんとして「また?」と聞き返す。

「そうですよ、最近架月に毎日同じこと謝られてるからまたかよと思って。別に俺そんなに怒ってないんだけど」

「なるほど。じゃあ俺が余計なことした、ごめん深谷」

「いえいえー」

 深谷はへらっと笑って掃除に戻る。木瀬は体を強ばらせて震えている架月を見下ろして、「ごめんなさいは一回でいいんだよ」と諭した。

「……友達にはしつこくしません」

「分かってるじゃん。で、あれか。職員室掃除の担当メンバーの容疑も晴らしたいのか」

 架月はこくこくと頷く。深谷を怒らせてしまった最たる理由は、職員室掃除のメンバーであればシュレッダーからゴミを回収できたのではないかという嫌疑をかけたことだった。疑って怒らせた分、ちゃんとその可能性を潰さなければ。

 自分で疑って、自分で解決しようとして、なんだか自分の仕事を増やしてばかりだ。

 職員室掃除が終わってから、架月は木瀬に職員室のシュレッダーを見せてもらった。「普段は生徒には触らせないんだけど」と前置きをして、シュレッダーの扉を開ける。

「扉には鍵がかかっていないから、誰でも簡単に開けることができる。試しに架月、犯人になったつもりでゴミを回収してみな」

 架月は戸惑いながら、シュレッダーのゴミを受け止める箱を引きずり出す。掃除したばかりの床に紙ゴミを散らかしながら箱を出して、中を覗いて「あれ?」と手が止まった。

 箱の中に溜まっていたのは、白い紙ゴミばかりだったのだ。腕を突っ込んで漁ってみるとピンクや茶色などといった紙もちらほらとは見つかるが、階段に散らかされていた四色の紙はどこにもない。

「何か分かった?」

「……ここに入っているゴミは、先生たちが粉砕したプリントの破片です。でも階段に散らかされていたのは、無地の色紙をシュレッダーにかけたような紙吹雪ばかりでした」

 ゴミを受ける箱をシュレッダーの中に戻して扉を閉める。バタンと音をたてて閉じられた扉を見つめながら、架月はほぅっと小さく息を吐く。

「深谷が犯人じゃなくてよかったです」

「……それ深谷に聞かれたらまた怒られるぞ、お前」

 掃除していきなよと促されて、架月は廊下の掃除用具入れから箒とちりとりを持ってきて一人で職員室掃除を始める。入り口から箒で掃き始めたら、慌てて木瀬が声を上げた。

「あ、違う違う。架月、全部やれって意味じゃなくて今シュレッダーのゴミが落ちたところだけってこと」

「はい」

 最初からそう言ってほしいなぁと思いながら、シュレッダーのゴミだけを箒で掃く。

 深谷が犯人候補から抜けた理由は明白だ。シュレッダーの中にあったゴミは白いものばかりだったが、階段に落ちていた紙吹雪は四色の色紙を粉砕したものだった。つまり犯人は元々シュレッダーにあったゴミを回収したのではなく、わざわざ四色の色紙を準備してシュレッダーにかけて階段に撒いたということになる。

 しかし掃除の時間、職員室にはたくさんの先生たちがいる。電動のシュレッダーを作動させれば、誰かに音で気付かれるはずだ。

 つまり深谷をはじめとした職員室掃除のメンバーが、四色の紙吹雪を入手することは困難であるということだ。

「木瀬先生、キーボックスも見ていいですか?」

「俺が見ているそばだったらいいよ」

 快諾してくれた木瀬が、掃除が終わってからキーボックスを見せてくれる。小さなボックスの中にはたくさんの鍵があって、架月は目を皿にして第一作業室の鍵を探す。

 しばらくしてから、木瀬が助言をするように口を挟んできた。

「第一作業室の鍵なら、ここにはないぞ」

「でも利久先輩がここにあるって言いました」

 利久が嘘をつくような関係者ではないと思って反論すると、木瀬は「まあそうなんだけど」と妙な言い方をする。

「本来はここにあるんだけど、大抵は藤原先生の机に置いてあるんだよ。第一作業室なんてピッキング班しか使わないし、鍵を開けるのはいつも藤原先生だからな」

「藤原先生の机ってどこですか?」

「あっちだよ」

 木瀬が指さしたのは、入り口から一番遠い窓際の席だった。おまけにその席の隣はいつも職員室にいる教務主任の坂本教諭の席なので、生徒が人目を盗んで鍵を盗ることは難しそうだ。

 ――職員室のシュレッダーも第一作業室のシュレッダーも、どちらも莉音が勝手に使えるものではない。

 導き出された答えに満足して、架月は職員室を出た。


***


「――というわけで、莉音さんが犯人ではないという証拠は集まりました」

「足りないなぁ、架月」

「……へ?」

 放課後、農園芸班の畑の整備をしていた佐伯を捕まえて集めた証拠をぺらぺらと並べ立てたら、あっさりと突き放されてしまった。

 スプリンクラーで畑の苗に水をやりながら、佐伯は楽しげに相槌を打ちながら架月の話を聞いてくれていたはずだった。その反応が良かったから、てっきり自分の役割はこれで完了かと思ったのに。

 呆然と立ち竦んでいたら、スプリンクラーの水を止めた佐伯がくるりと架月に向き直る。彼は相変わらず穏やかに笑っていて、とても架月の報告に「足りない」と苦言を呈した人間と同一人物とは思えなくて頭が混乱する。

 人間が気持ちと表情が完全にリンクする生き物だったらいいのに、たまにそうじゃないこともあるから困る。笑顔のまま怒られたり、逆に怒った表情のまま冗談を飛ばされたり、そういうことが多々あるから難しいのだ。

「だって『犯人は莉音じゃない』だけだと、先生たちはこのまま真犯人が分からないままだぞ?」

「僕への依頼は『真犯人を探せ』ではなかったはずです」

「じゃあ架月は、利久が嫌がらせをされたままでも構わないのか?」

 当惑しながらも、架月はすぐさま首を横に振った。

 利久は毎朝のように後輩である自分に話しかけてくれたり、部活のときに隣の席に座ってもいいと言ってくれたりする親切な先輩だ。莉音に突き飛ばされたときも、莉音のことを怒ったり自分から彼女のことを悪く言ったりはしなかったくらい優しい人なのに、そんな人が誰かから意地悪をされていたら悲しい。

「分かりました。僕が真犯人を見つけたら、先生が嫌がらせをやめさせてくれますか?」

「……その考え方だと、真相からどんどん遠ざかる機がするけどな」

 よく分からないことを嘯いて、佐伯は畑作業に戻ってしまった。

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