第7話 事件発生

 翌週の月曜日、登校した架月は校門付近の花壇に由芽が水をやっていることに気が付いた。

「あっ、架月だ。おはようー!」

「おはようございます」

 丁寧に頭を下げると、由芽がホースを置いて駆け寄ってくる。ぽんぽんと肩を叩かれたと思ったら「サボらなくて偉いね」と褒められてしまった。どうやら自分は、彼女の中ですっかり「校舎から逃げようとしたり、授業に遅刻したりする人」になってしまったらしい。

「先週まで、花壇は利久先輩の担当じゃなかったです?」

「当番でしょ!」

 いまいち由芽の返事の意味が分からなくて戸惑っていたら、横にいた先生が助太刀するように「奉仕活動の分担は、二週間ごとに変わるんだよ」と口添えしてくれた。

「今週からは由芽が花壇の水やりで、利久は階段掃除なんだ」

「架月も奉仕活動しようよ」

「えっと……僕、バス通学なので間に合わないです……」

「遅れちゃダメだよ」

「じゃなくて、バスの時間が……」

 奉仕活動はあくまでも生徒たちの自主的な活動ということになっていて、朝の七時五十分までに登校できる生徒たちで分担している。利久のように寄宿舎から通っている寮生や、由芽のように親の送迎で朝早くに登校している生徒たちが中心となっている。バス時間の都合でどうやっても八時以降にしか登校できないバス通学組や電車通学組は、そもそも分担の勘定にすら入れられていない。

 しかし由芽は、あっけらかんと言い放った。

「大丈夫、架月はうちに泊めてあげる」

「へ?」

 困惑の声を漏らしたのは、隣にいた先生だ。訝しむ大人の視線にも気付かず、由芽はまるで大発明をしたことを報告するように胸を張って続ける。

「由芽の家から通えば、架月も間に合うでしょ?」

「……お、お母さんに聞いてみます」

「聞かなくていい! 由芽のジョークだから!」

 慌てて先生に止められて、架月は驚いてその場から早足に逃げ出してしまう。由芽は背後から、到底冗談を言っているとは思えないような明るい声で「聞いてみてねー!」と軽やかに追い打ちをかけた。

 校舎に入って二階にある教室まで逃げ込もうとした架月は、昇降口の正面にある階段を駆け上がろうとしてピタリと脚を止めた。

「……え?」

 階段が、色とりどりの紙吹雪で彩られていたのだ。

 赤、青、緑、黄色の四色の紙吹雪がステップや踊り場に散らばっている。拾い上げてみると、それはシュレッダーにかけたような細長い紙ゴミだった。

 呆気にとられていると、三階から二階にかけての階段を一段ずつ降りてくる人影があった。ハリーポッターの小説の一節を音読する声で、その人物の正体にすぐ気付いてしまう。

「利久先輩?」

 ぺらぺらと組み分け帽子の説明を喋っていた利久は、一段ずつ箒で階段を掃いていた。紙ゴミは三階の階段にも散っていて、利久はそれを一枚残さず丁寧に掃いている。

「朝ご飯、何食べた?」

「目玉焼きとトーストです。あの、利久先輩、このゴミどうしたんですか?」

「美味しかった?」

「えっと……はい」

 会話はそこで終了してしまった。

 散らかされたゴミを文句も言わずに掃除している利久を見て、背筋に冷たいものが走る。そのまま架月は教室まで駆けていき、莉音の姿を探す。普段から自分よりもずっと早くに登校している莉音なら、階段が汚れている理由も知っているのではないかと思ったのだ。

 しかし莉音の姿は、今日に限ってどこにもなかった。クラスメイトたちと集まっていた深谷に朝の挨拶をされたけれど、返事をする余裕もなく立ち竦んでしまう。

 莉音が戻ってきたのは、朝学習が始まる直前だった。

「二年生の教室に遊びに行ったら、優花先輩がお話ししてくれた!」

 ご機嫌な莉音に階段の話題を振るのを、なぜか架月は躊躇ってしまった。

 夢見心地でニコニコしている彼女からくるりと背を向けて、朝学習のプリントを険しい顔で凝視していた深谷に「あの」と声を掛ける。

 呼びかけた瞬間、深谷は大仰なくらいビクッと身を跳ねさせた。

「な、なに。解くの手伝わねぇよ、俺」

「いや、プリントは自分で解くからいいんだけど……先週の朝って、階段にあんなゴミ落ちてた?」

 深谷は電車通学組なので、バス通学組の架月たちよりも早い時間帯に登校している。

 彼はぽかんとして、それから「いやぁ?」と眉根を寄せて首を横に振った。

「俺が見たのは今日が初めてだよ」

 これで「先週は階段掃除の担当になった生徒が掃除が早かったから、シュレッダーのゴミがすぐに片付けられて架月が気付かなかっただけ」という線は薄くなった。架月の背中に冷たいものが走る。


***


「先生、お話しがあります。今、お時間よろしいですか?」

 昼休み、架月は教室でギターの練習をしていた木瀬に声を掛けた。

 入学して以来、架月は誰かが先生と話しているところに勝手に割り込んで怒られるということを何度か経験していたので、先週から佐伯と「先生に話しかけるときはまず『お話しがあります。今、お時間よろしいですか?』と声を掛ける」という練習をしていた。そこで「今は他の子と話してるから、後でね」と言われても、落ち込まずにちゃんと待ちましょうという先生との約束だ。

 しかし木瀬は後でねとは言わず、ギターを置いて顔を上げてくれた。

「どうした、架月」

「いじめをしている人には、高校でも先生が注意してくれるのでしょうか?」

 ギョッとした木瀬が周りを見回す。賑やかな教室にはたくさんのクラスメイトがいたけれど、架月たちに注目している生徒はいない。どうして木瀬がそんなに慌てるのだろうと小首を傾げていると、「……相談室に行こうか、架月」と廊下に誘われた。

 木瀬に連れてこられたのは、一階の保健室の隣にある相談室だった。生徒指導やカウンセリングに使っている人目につかない個室である。

「佐伯先生も連れてきていい?」

「はい、いいです。むしろ、心強いです」

「あ?」

 木瀬はわずかに表情を強ばらせてから、「……正直な奴め」と呟いて廊下に出て行った。この流れで褒められた理由がよく分からない。

 数分後、相談室にやってきた佐伯に木瀬にかけたのと同じ質問をすると、佐伯は詳細を聞き出そうとする前にまず丁寧に質問に答えてくれた。

「いじめ行為が発覚すれば特別指導になる。特別指導とは、こないだ莉音が利久を突き飛ばしたときに受けたような別室での指導のことだな。しかし片方の言い分だけを聞いただけではいじめかどうかは判断できないので、まずは双方の事情を先生が聞き取るところから始まる」

「聞き取って、いじめかどうかは先生が判断しますか?」

「白黒つけるように判断するわけじゃなく、お互いの勘違いがなかったかどうかを探すという感じだな。架月は誰の話をしたくて、木瀬先生に声を掛けたんだ?」

 佐伯の真っ直ぐな眼差しが急に居心地が悪くなって、架月は思わず視線を逸らしてしまう。

「……莉音さんです」

 言ってしまってから、自分がとんでもない裏切り者になった気分になった。

 先生に打ち明ければ楽になると思ったのに、重石を無理やり呑み込まされたように喉の奥が苦しくなる。

「莉音が誰かをいじめていると思ったのか? それとも、いじめられていると思ったのか?」

「莉音さんが利久先輩をいじめています」

「美術室で莉音が利久を突き飛ばしたことか?」

「違います」

 覚悟を決めて、架月は語り出した。

「今週の月曜日から、毎朝のように階段に紙ゴミが散らかされているんです。深谷に聞いたら、先週まではなかったそうです。朝の奉仕活動で、今週から階段掃除に分担されたのは利久先輩です。利久先輩が階段掃除になってから紙ゴミを散らかすなんて、利久先輩に対するいじめだと思います」

「どうしてそれが莉音の仕業だと思ったんだ?」

「莉音さんが利久先輩を突き飛ばしたとき、『利久先輩が莉音に意地悪するなら、莉音も意地悪してやる』って言ったんです。だから莉音さんが、本当に利久先輩に意地悪したんじゃないかと思ったんです」

 ずっと自分の胸の内に留めていたことを吐き出すと、一瞬だけ気持ちが楽になったような気がしてしまう。しかし、自分の放った言葉を聞くたびに心臓がどくどくと暴れて、シャツの下にじわじわと変な汗が滲んでいくのも感じていた。

 喋るごとに自分が不安感に呑まれそうになっていくのは分かっているのに、一度開いた口はどうしても止められない。この瞬間、架月は自分の体の制御を失っている。

「だから莉音さんが、利久先輩の掃除分担区にゴミをわざと散らかしたんじゃないかと思ったんです」

「それを俺や佐伯先生に言って、架月はどうしたいんだ?」

 佐伯がやんわりと尋ねる。

「俺たちから莉音に注意してほしいのか?」

「……い、いいえ」

 逡巡の末、架月はきっぱりと首を横に振った。

「先生たちに、莉音さんが犯人じゃないと説明してほしいんです」

「……ん?」

 佐伯が首を傾げ、その後ろにいた木瀬も怪訝そうに眉間に皺を寄せている。

 莉音を告発するときは不安で視線を泳がせていた架月は、今度は真正面から二人の眼差しを受け止めることができた。

「僕は莉音さんが犯人なんじゃないかと思っているけれど、もし莉音さんが犯人じゃなかったらそっちの方が嬉しいんです。莉音さんは先週、利久先輩に謝ってもらって『いいよ』って言ったんです。僕は莉音さんが、許してないのに許したフリをして意地悪をする人ではないと思うんですけど」

「だったら、信じてやればいい。莉音が意地悪をするような人じゃないと思ったら、わざわざ俺と木瀬先生に太鼓判を押されなくてもそれが架月の中での真実でいいじゃないか」

「でも、この学校に通っている子はみんな障害があるじゃないですか」

 架月がきっぱり言うと、佐伯が目を見開いた。

「莉音さんが大体いつも良い子でも、障害のせいで悪いことをしちゃうときもあるんじゃないかって思ったんです。だから障害のことに詳しい先生たちに意見を伺いたかったんです。先生たちは、莉音さんがいじめをしているという僕の話が正しいと思いますか?」

 佐伯も木瀬も、しばらく沈黙に沈んでいた。二人が視線を交わしたけれど、架月はそこに込められた表情を察することはできない。

 だから言葉にしてくれるのを待っていたら、佐伯が口を開いた。

「先生たちは架月よりも障害のことに詳しいかもしれないけど、莉音に詳しいのは先生たちよりも架月だぞ」

 穏やかな口調でゆっくりと言い含められて、架月は途方に暮れてしまった。イエスでもノーでもない返事は苦手だ。最終的な結論が分からない会話も好きじゃない。何を考えればいいか、どうやって答えたらいいか分からなくて頭が真っ白になってしまうから。

 困惑して押し黙っていたら、佐伯が不意に笑顔を浮かべる。どうして生徒が困っているのに先生が笑ってるんだろうと思ってしまって、その疑問を口にしようとした寸前に佐伯が先を越す。

「莉音がいじめをしていたかどうか架月に教えるには、先生たちもしっかり調査をして事実を明らかにしなくちゃならない」

「はい、それは分かります」

「でも先生たちは他の仕事もいっぱいあって忙しいんだよな」

「そ、それも分かります」

 もしかして断られて、このまま答えをもらえないのだろうか。

 一度でも不安になってしまうと、どんどんその不安が大きくなってしまう。先生に相談すれば大丈夫だと思っていたけど、もしかしてこの選択は間違いだったかもしれない。

 不安に呑まれて、視界がじわりと滲む。想定外の展開に混乱した架月が涙目になって身を固くしていると、佐伯が楽しげに嘯いた。

「だから、架月に調査を依頼しようと思う」

「……へ?」

 思いもしなかった一言に、弾かれるように顔を上げる。

 驚いていたのは架月だけではなく、佐伯の隣で木瀬も呆気にとられた表情をしている。

「調査依頼ですか?」

「そうだよ、架月。先生は答えを出してやりたいけど忙しくて調査ができない。だからこそ、莉音のことをよく分かっている架月に事前調査を頼みたい。やってくれるか?」

 架月は戸惑いながら、ほとんど反射で「はい」と頷いた。調査をやると決めて頷いたわけではなく、頭がパニックからいまいち抜けていなくて鸚鵡返しに首肯してしまっただけだったのだが、佐伯は「決まりだな」とサクサクと話を先に進めた。

「そうだな、期間は一週間としようか。架月はこれから一週間かけて、今回の……そうだなぁ、『四色紙吹雪事件』の真相を解明するためにこの事件の調査をするんだ。ただし、二つ約束ある。一つ目は当事者である莉音と利久には、架月がこの事件の調査をしているとはバラさないこと。二つ目は当事者の二人に直接真相を聞かないこと。探偵が調査段階で犯人候補に『あなたが犯人ですか?』と聞くのはおかしいだろう?」

「ダンガンロンパの捜査シーンみたいな感じです?」

「それは先生がよく知らないんだが……古畑任三郎が全ての証拠が集まるまで犯人に『あなたが犯人です』と言わない感じかな」

「知りません」

「そうか……。じゃあダンガンロンパでいいよ」

 大好きなゲームと繋がって、ようやく自分がやれと言われていることの内容が理解できた。今度こそ架月は、自分の意志で「分かりました」と首を縦に動かす。

 疑ったのも自分で、その疑いを晴らすのも自分。

 もしかして自分は端から見たら変なことをしているのかもしれないし、普通ではない解決法を取っているのかもしれない。それでも架月の心は、不安で押し潰されそうだったさっきとは比べものにならないくらい期待で膨らんでいた。

「僕が先生たちの代わりに、莉音さんの嫌疑を晴らせる証拠を集めます」

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