(6)
「努力は必ず報われる。えー、そんなのは嘘です」
は? 僕は先生の言葉につい唖然とした。そしておそらくは僕だけではなく、この教室にいるほとんどの生徒が同じように口を開け、軽く眉間にしわを寄せていた。一瞬にしてこの場の空気が圧縮されたように音を失くし、時が止まったようにも思えた。
やがて先生は短く息を吐いた。そしてどこか申し訳なさそうに顔を歪ませる。「ごめんな。未来あるきみたちの前で、こんな希望を削ぐようなことを言ってしまって。でも、現実というものを早めに知っておいて損はないと思うんだ。先生の場合、それによってずいぶんと悩んだことがあるからね」
「じゃあ先生っ」と僕は反射的に手を挙げていた。「結局は、いくら努力しても意味がないってことですか?」
先生は首を振った。そして言葉を慎重に選びながら喋った。「そういうことを言ってるわけじゃないんだ。ただ、ときに努力というものは割に合わなかったりする。それは生きていれば往々にして起こり得ることだ。きみたちにもそれをきちんと理解しておいてほしい。この世の中の理不尽さは、お賽銭なんかと同じで、いくら高いお金を納めたからといって、神様がその人の願いを叶えてくれるわけじゃないってことだ。たとえ一円玉を放っても、思い切って一万円札を入れてみても、招く結果は何も変わらない。そういう意味でいうと、たくさん努力したやつが勝負に勝つとは限らないし、ときとして、全く努力していないやつに負けることだってしょっちゅうある。ある種、頑張っても報われないことがこの世の真理でもあるし、真面目な人が馬鹿をみるのが社会なんだ。でもそれは社会としてはごく正常なことで、きみたちはそれを受け入れなければならない。とはいえ、何かを手に入れるためには頑張らなきゃいけないのもこの社会の通例であり、それらは矛盾しているようで共存している。きみたちは何かを達成するために頑張らなきゃいけないが、その頑張りが報われないかもしれないという事実を受け入れ、覚悟しておかなきゃいけない。消費した労力や時間が丸々無駄になってしまうことは、ザラにあるということだ。べつに無理して頑張る必要はない。頑張らなくたって生きていけるし、それなりに幸せになれるかもしれない。ただ、これからきみたちが、心の底から手に入れたいと思うものを見つけたとき。それは勉強でも、スポーツでも、趣味でも、恋人でも、なんだっていい。とにかく夢中になれるものを、全力で追いかけて欲しい。たとえそれが失敗に終わったとしても、いつかきっとその努力が役に立つ。それこそ割に合わないと思うかもしれない。でも、少なくとも先生は目の前のことを、真面目に頑張っておいてよかったと思ってる。勉強も、仕事も、人間関係も、どちらかといえば報われないことの方が多かったけど、結果的にはこうして、本当に欲しかったものを手に入れられたわけだ」、先生はそう言って得意げに笑った。そしてこちらに見せびらかすように、左手を顔の横に並べる。銀色の指輪は照明を反射してきらりと光った。その輝きは何にも代え難いほど美しかった。
僕は先生の顔から目が離せなかった。こんなにも屈託のない笑顔を見たのは、生まれて初めてだった。僕もいつかああいう風に笑えるのなら、たとえそれが報われようと報われまいと、頑張ることは決して損なことではないのかもしれない。案外、他人の色恋も悪くないと僕は思った。
「福田先生、奥さんの名前なんていうの?」とひとりの女子が尋ねた。
「教えねーよ」と先生は言った。
エフォート(No.15) ユザ @yuza____desu
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