虎の威は不要

三鹿ショート

虎の威は不要

 過去の栄光を語る父親が、私には情けない人間に見える。

 その語る内容と比べると、現在の父親の姿が、正反対だったからだ。

 かつては他者から尊敬されるような人間だったらしいが、今では昼間から酒を飲んでいる穀潰しである。

 ゆえに、私は父親のように過去の栄光に酔うことが無いようにするためにも、現状に甘んずることなく努力を続けることにした。

 勉学に励み、強靱な肉体を得るために鍛錬を続けたのである。

 気が休まることが無い日々だが、無為に過ごすよりは良かった。


***


 入学して早々に、私は上級生から因縁をつけられてしまった。

 おそらく、鍛えた私の肉体に目を付けたのだろう。

 相手は複数人だったために、私も無傷では済まなかったのだが、全員の気を失わせるという結果に終わった。

 後で判明したことなのだが、どうやらその上級生は学校を暴力で支配していたらしい。

 だが、私に敗北したことにより、その地位を失うことになった。

 性質の悪い人間たちいわく、私がその地位を受け継ぐべきだということだった。

 しかし、そのようなことをしてしまえば、面倒な事態に巻き込まれることは容易に想像することができる。

 ゆえに、私は上級生に地位を維持するように告げた。

 表面上は私の望む通りと化したが、上級生や事情を知る人間たちと学校の内部ですれ違うと、頭を下げられるようになった。

 良い気分などではない。

 恥ずかしいために、止めてほしいと告げたのだが、その願いは叶わなかった。


***


 ある日、濡れ鼠の状態で手洗いから出てくる少女を目にした。

 彼女は水を滴らせたまま廊下を歩き、彼女の後で手洗いから出てきた少女たちは笑みを浮かべていた。

 別の日には、彼女が熱心に口の中を濯いでいる姿を目撃した。

 乱れた衣服と合わせて考えると、どうやら慰み者と化しているらしい。

 私は、彼女を哀れに思った。

 本来ならば自分の力で解決するべきことなのだろうが、現実的には己の力のみでは解決することができないことも存在する。

 力を持っている人間こそ、彼女のような人間に手を差し伸べるべきなのだ。

 ゆえに、私は自身の地位を利用することにした。


***


 彼女を空き教室に呼び出すと、私は面倒な事態に陥っているのではないかと問うた。

 彼女は否定することもなく、苦笑しながら首肯を返した。

 私は己の胸を軽く叩くと、

「では、私を利用すると良い。実際に交際するわけではないが、きみが私の恋人であるということにしておけば、誰も手を出すことはなくなるだろう」

 この学校を支配している人間を敗北させた人間の恋人に手を出すことで、己にどのような未来が待ち受けているのか、想像力に乏しい人間でも分かることだろう。

 だが、彼女は首を横に振った。

「気持ちは嬉しいのですが、これは私の問題ですから、私の手で解決します」

「その選択は、正しいのだろうか。今は平気だとしても、今後のことは分からないだろう」

「確かに、その通りです。ですが、私にも考えというものがありますから」

 彼女はその考えを私に教えることはなかったが、空き教室から去る際に、私に告げた。

「親しいわけでも無い私を気遣ってくれて、嬉しかったです。あなたは良い人間なのでしょうね。今後もそのような気持ちを持ち続けてほしいものです。そうすれば、私のように苦しめられている人間の助けになりますから」

 その日以来、彼女と会話をすることはなかった。

 虐げられている彼女を何度も目にしていたのだが、彼女の望みだと自身に言い聞かせ、私は何度も目をそらした。

 当然ながら、良い気分では無かった。


***


 学生という身分を失ってから数年後、私は偶然にも彼女と再会した。

 虐げられたことによる苦しみから逃れるために自らの生命を放棄していなかったことに、私は安堵した。

 聞くところによると、今では誰にも虐げられることなく、平穏に生活しているらしい。

 それからたわいない会話をしていると、一人の男性が姿を現した。

 どうやら彼女を迎えに来た人間らしいが、彼女は腕時計に目を落とすと、大きく息を吐いた。

 数分ほどの遅刻だと告げると、飲んでいた珈琲を相手の頭部に注いだ。

 突然の行動に驚く私に向かって、彼女は笑みを向けた。

「何をされたところで、私に反抗することはできないのです」

 その言葉通り、男性は渋面を作っているが、何の言葉も発することはなかった。

 彼女は笑顔を崩さないまま、

「かつて私は、多くの人間に虐げられていましたが、私はそれらの行為を全て記録していたのです。若さゆえの過ちとはいえ、それが明らかとなれば、徒では済まないことでしょう。学生のときにこの記録を公のものとすると告げたところで効果は薄いでしょうが、立場のある年齢となると、話は異なるのです。これも自業自得といえるでしょう。私はこの未来のために、屈辱に耐える日々を送っていたのです」

 彼女が私の協力を必要としなかった理由が、ようやく分かった。

 しかし、恐ろしさを感ずることはない。

 彼女は未来を思考することができる人間だったというだけの話である。

 過去に犯した罪を思えば、従属している彼らに対する同情など、私には微塵も無かった。

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虎の威は不要 三鹿ショート @mijikashort

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