第8話
「それで、良かったのですか?」
「あちらについていたお方の面子もござりましょう。殺戮が目的ではありませんからね。回復もしていただきましたし」
千比良とちあやは白乙の背に乗って。礼大は大烏に姿を変えたクガイの背に乗って、奥州への帰路についていた。
あの後、気が付くとちあやは件の島の砂浜に立っていた。それを最初に見つけたのは千比良だった。皆で無事を喜び合い、状況を報告した。
かの仙人は千比良たちのところにも一瞬だけ現れ、傷の癒しと体力の回復をして消えてしまったのだという。謝罪と礼を残して。
「ちあや、これ」
千比良はちあやにぼろぼろになったお守りを手渡した。半分に割れたところを、無理やり直した跡があった。
「これ……父さんの……どうして?」
「弥一がちあやに渡してほしいと」
「弥一が?」
千比良の話によると、弥一はあの村に婿として迎えられていた。そして今回の戦乱に遭遇してしまったのだ。ちあやを傷つけてしまったことをずっと悔いていたという。そして、ちあやがかつて父親に預け、その父親が亡くなった時に紛失したお守りを見つけ、いつか返そうとずっと持っていたのだという。
「弥一……」
「謝っていたよ。何度もね。合わせる顔が無いとも。でも、本当のところは会いたいのだろうね。いつか、会いに行ってあげるといい。貴女から会いに行くなら拒みはしないだろうから」
「そう、ですね」
ちあやはそれでも少し気が引けた。怖い気持ちはある。まだ許せない気持ちもある。けれども、弥一の哀しさも、分かる。思ってくれたこと、悔いてくれたこと、それだけでも、もう一度会おうと、思う気持ちにはなれた。
「……ちあや、私からも聞いてもらいたいことがあります」
白乙の言葉に千比良が驚いた顔をした。
「よいのですか?」
「気になっているようですから」
そういって、白乙は息を一つ吐いた。
「あなたは、クロウの子孫ですよ」
その言葉に、ちあやは目を見開いた。千比良は、静かに空を見つめていた。
心に響く龍の声は、鈴の音のようだ。ちあやは黙ってその音色に耳を澄ませている。真実を語る、その音色に。
「クロウは昔人の子でありました。けれども今の鎌倉殿の先祖と仲違いとなり、攻められ、我らが拾いました」
「その後、同じように攻められた我らが生きるために、都を隠した」
千比良が言った。その言葉に、龍は小さく、そう、と、肯定の息を吐いた。
「そこに、鎌倉殿の意思はありましたよ」
「え?」
そう、驚きの声を上げたのはちあやだけではなかった。
「表の歴史に我らのことを残すわけにもいきますまい。我らはあの時、都を秘し、攻めてきた者どもには幻覚を見せました。彼らは戦ったつもりでありましょうが、その事実はありませぬ。そして、ゆきのか殿は、無理を押して初代の鎌倉殿に会われました。そして、ことの次第を告げたのです。哀れなほどに憔悴されていたと聞きました。クロウ様のことにせよ、千比良様の先祖様にせよ、ご本意ではなかったのでしょう。ゆきのか殿は、表の歴史では、滅ぼしたことにしておくよう、告げられ、初代殿はそれを受けたと聞きます」
「その時、探され、こじ開けられたとすれば、今の都はないやもしれませぬな」
後ろを飛んでいた礼大が口を挟んだ。
「それがなされなかったことこそが、初代殿の情、そして願いにござりましょう」
「それで、その」
ちあやが口をはさんだ。
「私がクロウの子孫というのは……」
「クロウ殿もまた、表の歴史では死んだことになっております。否、彼に関して言えば、実際に一度その命は絶たれました。しかし、それを哀れんだ奥の大天狗様がクロウ殿の消えかけた命の糸を手繰り、どうにか、烏天狗としての生を受けさせたのです。ただし、それ以前の記憶を引き換えにして。深い悲しみを背負ったままで命を絶ってしまえば、怨霊ともなりかねませぬ故」
ちあやはあの、櫛に残った女の怨念を思い出した。
「それで、」
「クロウ殿には生前、好いた女子がおりました。その腹には赤子が。しかし、女子は初代殿の手に落ち、初代殿はそれを殺すように命じられたとか」
「ひどい……」
「それもまた、初代殿の心に深く影を落とした一つにございましょうな。しかし、その女子、賢い女子であったようで、生まれた子が女子であったことを逆手に取り、男児であったため殺したと初代殿に報告させたようです。そして、女児であれば生き延びられると、他所へ養子に出したようです。その子孫があなたです」
ちあやは震える指で自分を指さした。千比良が頷いた。
「千比良様は、どうしてそのことを?」
「そなたが来た時にゆきのかから聞いた。だが、ちあや。この話はクロウに聞かせてはならぬ。引き換えにしたものだからな」
「クロウ殿はそもそも腹の赤子のことは知らぬようです故、下手に知らせれば面倒なことにもなりかねませぬ」
「命がけで復讐に走らぬとも限らぬ」
「然り」
「……それで、これからどうします?」
ちあやが聞いた。
見れば、眼下には結界に守られた、もはや懐かしいあの場所が見えていた。
「帰ろう」
千比良はそう言って、少女のように笑った。
「帰ろう」
白乙が言った。
「帰りましょう」
ちあやが言う。そうして、皆で顔を見合わせて笑った。その笑い声に合わせるように、クガイが鳴いた。その声に、応える声が重なって聞こえる。一つではなく、いくつも。
重なる声は高く高く、どこまでも響き合う。
その妙なる声の主を、知っている。
「どうしても、行くのか?」
それから数日後の夜、ちあやは千比良の中庭で二人、月を見上げていた。
「はい。私の仕事は届け物ですから」
「ここで何かの仕事をすればいいのに」
「あちこち走り回っている方が性にあってるんです。でも……」
そういってちあやは自分の足をさすった。ちあやの商売道具。その足でどこまでも走り、跳んだ。これからもずっとそうであると信じたいが、その保証はどこにもない。
「いつか、こいつが役に立たなくなったら、終の住処はここにしても良いですか?」
「それが、遠い日のことであることを願うよ。それよりも、北への配達があるときはここを拠点してくれると嬉しいのだがね。私も各地の話を聞きたい」
千比良の目が月光を映して輝く。それは、月明かりの所為ばかりではない。そしてちあやの目も同じ輝きを湛えていた。
「喜んで」
二人は姉妹のように笑いあい、その後、沈黙が流れた。
「寂しくなるな」
「また、来ます」
「うん」
「必ず」
「息災でな。私は……初めて寂しいという心を持ったよ」
そういって千比良は目に涙をにじませた。
「私も、」
そうだ、と、ちあやは思った。その地を離れるのがさみしい。生まれ育った村を離れた時も思わなかったことだ。
それでも今、それを感じる。
「また、会おう」
「はい」
二人は手を合わせ、そう誓い合った。
「で、あなたたちはどうして同じ方向に行くわけ?もう用事は済んだはずよね」
「千比良様からよしなに、って言われてるからね」
「クロウ様からも、身辺警護を頼むと。本当は自分が行きたかったのだろう」
そういってクガイはうんうんと頷いた。同じ烏天狗同士気が合ったのか、この二人はよくあって話していたらしい。
あの後、クロウはちあやの無事な姿を見て、心底ほっとしたようだった。それからの時間はとても穏やかに過ごすことが出来た。千比良とも、クロウとも、たくさん話して、たくさん笑った。それでも、旅立つ時はどうしても寂しい。
一人でなら、もっと寂しかっただろう。だが、今は、同じ人の話が出来る相手がいる。
「来るなら仕事、手伝ってよね」
「もちろん」
「わかった」
「よし、じゃあ今度から重いものも運べるわね」
ちあやは腰にこぶしを当てて気合を入れた。
「ちょ、あまり重いものは勘弁してくださいね」
「それは俺に飛べということか?」
「あ、その手もあったわね」
クガイや礼大が不安そうな顔を見せると、ちあやは舌を出して笑った。
ちあやは立ち止まり、振り向いた。幻の都は、もうその姿を隠してしまっている。歴史の表舞台から追われた者達が生きる国。自分の縁がそこにある。
そこに生きる者達の顔が次々と脳裏に浮かんだ。
「また、ね」
そう言って手を振る。
見えなくても、そこにある。
その、誰かの気配が、ほんのりと、色づいたような気がした。
千の彩りと時の風 零 @reimitsuki
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