3 風の祝い

 風祝の祭りの当日。その日は『あげ帆風』が強く吹き上げて、空の天井を火の粉が焦がしてしまうほど。強風は祭りのために集められた飾り付けや櫓、家屋へと火の手を広げていく。暖気は渦を巻き、猛り狂う火炎は回転数を増して空に挑みかかる。それは幾度となく空を目指しては壁に阻まれてきた、ぼくら『トビ』の熱望であり、檻に閉じ込められ希望の礎にされた風呼の怨嗟であった。

 炎の旋風は村を焼く。人も物も焼き払い、谷底の一切を灰に変えて上空へと巻き上げる。火は谷底の空気を使い果たして、上へ上へと昇って行く。

 ぼくはその手に握っていた松明を放り捨てる。

 竜峰の風車塔がかつてないほど激しく回っている。潮時だ。いつもの装備で高台へと登る。

 高台では飛び立ちを待っていたお姉さんが、傷だらけの風呼が風を待っていた。脚を失った彼女は台の縁に腰掛け、あとはもう宙へ身を躍らせるばかり。犬鷲の翼は熱された風を受けて、羽を騒めかせている。

「お姉さん」

 ぼくは、ぼくに吹いた風に呼びかけた。

「はじめて会ったとき。笑ってしまったのは、ほんの照れ隠しだった。あんな皮肉っぽいことを言うつもりじゃなかった。私はずっと憧れていたから。檻の隙間から、毎日眺めていた。風に乗って誰よりも高く舞い上がる少年のことを。私はこの翼が如何に飛べないものであるのかを知っていたから、羽ばたきもなく空へ昇る少年が羨ましくて仕方なかった」

 ぼくが隣に腰掛けると、翼で優しく肩を寄せてくれた。

「人間の身体の部位は頭が一番重いんだってさ。骨は分厚くて、なかにはたっぷりと具が詰まっているから。頭だけで犬鷲の重さと同じぐらい。はじめから到底無理なんだよ」

 わかっていたことだ。人間の重さを飛ばすには、小さくて頼りない翼だということは。改良されてきた浮揚膜とは違って、風を受けきる強度も足りない。

「重いよね。この空を飛ぶにはなにもかも」

 お姉さんはからりと笑った。

 火の手が近づき、彼女の羽を焦がした。

「羽が……」

「いいんだ、もう。飛んでいく方法は最初から知っていたから。ぜんぶ捨てて軽くなることさ。空気よりも軽く、空に吸い込まれるように落ちていく。誰だってできることだよ」

 翼がぼくを抱き込んで、お姉さんの唇とぼくの唇が触れ合った。口からお姉さんが溜めこんでいた風が、ぼくの身体に吹き込まれていくのを感じた。

「ばいばい、少年」

 炎が高台に燃え移った。時間だ。

 瞬間、突き上げた風が膜を広げさせ、身体を上空へと連れ去った。眼下で錐揉み状にもつれ、火に呑まれるお姉さんの姿が小さくなってすぐに見えなくなった。ぼくは手足を精一杯押し開いて、水平に風を受ける。

 竜峰の風車塔よりもはるか高みへと、ぼくの身体を風が運ぶ。

 ぼくは竜の背を飛び越えた。

 開けた世界はどこまでも遠く広がり続けて、風は止まることを知らずに駆け渡る。

 遠く、高く、どこまでも。

 ぼくはもう虫を取らないだろう。風を探す必要はなくなったから。

 耳をすませばいつだって聞こえる。ぼくのなかで淀みなく吹き抜ける、心地よくて荒々しいぼくの風。これが吹いているうちは、どこまでだっていけることを思いだせるんだ。


(了)

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風供養 志村麦穂 @baku-shimura

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