第6話 眠り猫(後編)

 *

 ――ごぼごぼごぼごぼ。

 鴉に斬られたシロはプールの底へ沈んでいく。意識は有り怪我も無い。切断されたのは鉤爪だけだ。あれが鴉か。十年前羅我と反目したと聞いたがやはり弟を守るのか。

 悔しい。やっとクロの仇に会えたのに。瞳から溢れる涙が泡となって消えていく。

 手足をバタつかせ浮上を試みるが、鉛の様に重くなった体は水底へ導かれる。

(……泳ぎは苦手にゃ)

 こめかみがキリキリと痛む。気圧差で頭が押し潰されそうだ。

「ごぼぼっ」

 気管を押し広げ、水が勢いよく肺を襲う。薄れていく意識の中で、こちらに向かって泳いでくる蛇を見た。

(溺れ死ぬよりも先に、奴に喰われるなんて……屈辱にゃ……)

 朦朧とする状態で抵抗する事も出来ないシロの体に蛇は絡みつき、水面上へ向かって再び泳ぎだした。


「…………」

 どれくらい意識を失っていたのか。体感では一秒に満たない。

 ――生きているのか。わが輩は。

「鴉ッ! 今日こそお前を狩ってやる」

「カカカカカッ。無駄じゃ。人の身では、儂には勝てぬ」

 シロが横たわるプールサイドの反対側で、羅我は両腕に蛇腹を絡めて、鴉と対峙していた。

 どっちが喰うかでもめてるのかと、シロは最初思ったが真新しい頬の傷を見て、やっと自分が勘違いしてる事に気づいた。

(あの少年は人間だ)

 傷口から真紅の血が滲んでいた。では学校で彼の隣にいた少女も……。


 *

 人の身でと鴉に挑発されたが、確かにそうだ。呪い使いとなり羅我と同じ異能【断罪の刃】を手に入れた。だがそれだけだ。肉体はイオナと違い人のまま。怪異の強靱さと自己再生能力は持ち合わせていない。

 最強の怪異鴉と近距離で戦うなんて、狂気の沙汰だ。しかし逃げる選択など最初から無い。だからこうする。

 両腕へ絡む蛇腹を更に伸ばし体全身覆い隠す。重なり合う爬虫類型の鱗が装甲となり、アルトを守る鎧へと変化する。

 額から一対の角を生やし赤い複眼。両腕は刃。尾てい骨からは尻尾が伸びていた。その姿は龍を連想させる。

 さてここまではいいが、問題はアルトの体力が何処まで持つか。

 装甲を纏った事により、人外の力を手に入れた。攻撃、防御は怪異と同じ。だが体力だけはどうしようもない。

 今の状態を水量に例えると排出する水の勢いは強くなったが、量そのものは変わらず逆に勢いがある分無くなるのも早い。

 ――短期戦で決めてやる。

「考えたな。断罪の刃をその様に使うとはのう。惰弱な人間ならではじゃ」

「下手な挑発をどうも。だからこそ僕達人間は知恵で戦うのさ」

「カッ。その強がり、何処まで通じるかのう」

 妖刀クサナギを鞘から引き抜き、正面で構える。

「うっ!?」

 目の錯覚か。黒刃が濡れている。まるで今まで狩りをしていたのか。返り血で染まっていた。ぼぅっと血から蒼い炎が吹き上がる。

「これは残滓じゃ。今まで挑んできた戦士達のな。アルトよ、お主にその価値はあるのか試してやる」

「ウラァァッッ!」

 膨れ上がる鴉の闘気に呑まれてなるものかと叫び、中段で構える鴉の懐へ飛び込む。

「シュッ!」

 鋭い呼気と同時に振り下ろされるクサナギの刃。このまま正面から行けば輪切りになってしまう。尾が動く。床を叩き軌道が変わりアルトは真横へ飛ぶ。

 ――あれを使う。

 プールサイドの金網へ近づき、一気に駆け上がる。

 取った頭上を。

「ウラァァッッ!」

 ブレードに変化している右腕を振り下ろす。

 ――キィィンッッ!

 残像の刃で攻撃は弾かれた。先日見せた三連撃か。

 中段からの一撃目は布石。二撃目でブレードを弾き、次の三撃目が本命。

「ガホッッッッ!」

 腹部に刃が激突する。来るのわかっていたのに、対応できない。

 アルトは吹き飛び、再び水柱をあげた。プール最深部まで落ちて行く中、刃の形状にヘコむ腹部を見る。蛇腹装甲で無ければ、切断され死んでいた。

 命の鼓動は止まらず、死神の鎌が首元から離れていく。

 落ち着け。現状を把握するんだ。

 装甲の影響か。水中でも呼吸が出来る。怪我も無い。それは鴉が知らない事だ。

 考えろ。このカードを使いどうやって戦うか。鴉は水面から顔を出すのを待ち構えているだろう。

「カードの使い道はここだ」

 わざわざ相手の土俵にのる必要も無し。水中で体を浮かばせたまま尾を八つに展開する。

 これはレーダーだ。ユラユラと水の流れに身を任す八又の尾は、どんな振動も逃さない。

「さぁ撃ってこい。ヤタガラスを」


 ろぉぉぉんろぉぉぉん。

 それは深い井戸の底に閉じ込められていた怨霊達の恨みの声か。アルト前方でレーダーが捉えたのは螺旋状に回転する大きな渦。その振動が鳴らす音であった。

「あそこか」

 一撃で決める。あの螺旋は地上と水中を接続しようとする次元の穴。あと数秒で空間は繋がる。渦から刃が飛び出すと同時にブレードをぶち込んでみせる。

「!」

 高速回転する水流が一気に渦目掛け流れ出す。地上と接続された螺旋から、外光と共に突き出すはクサナギの刃。

「今だッッ!」

 鎌首持ち上げている双頭の蛇が牙を剥く。

 青白い火花を散らし交差するブレードと刃が狩りとるは、命。

「ぐふっっ」

 仮面の中でアルトは血を吐き出した。ヤタガラスの刃先がアルトを貫きプール側面へ縫いつけたのだ。心臓を狙ってきた刃を左蛇腹で弾き致命傷は免れたが、左胸部に刃が突き刺さっている。

 結果は相打ちだ。この右腕に伝わるは、鴉の鼓動。

 ついにやった。神嶋最強怪異である鴉に一矢報いた。只の人に過ぎないアルトが、致命傷を負わせたのだ。

 脳から大量のアレドナリンが分泌する。勝利の美酒に酔うとはこんな感じなのか。血が止まらず朦朧としていく意識の中で、蛇を発動する力は失われ装甲は外れた。

 体を貫いていた刀も消え、アルトは生身で投げ出される。水中を紅に染めながら浮かび上がろうと足掻くが、その体力さえ残っていない。

(……せめて酸素さえあれば)

「!?」

 チクチクと肌に針で突き刺さる痛みを突如感じた。大量の砂が湧き上がり、泡と共に水へ溶けていく。

 これは怪異猫の異能、【スリーピングキャット】だ。アルトはその意図を察し、砂から溢れ出す酸素を受け取った。


「人間、手を伸ばすなり」

 そう言って、水面に浮き上がったアルトへ手を伸ばす白銀髪から猫耳を生やす美少女。なる程、人間に化ける事も出来るのか。

「これで借りは返したにゃん」

「ありがとう。子猫ちゃん助かったよ」

 注意深くプールサイドに視線を送るが、鴉の姿は見えない。

「わが輩は、シロにゃん」

「僕はアルトだよ。誤解とけたみたいだね」

 地上へ戻ると激しい疲労を感じ体は重い。全身が鉛になったようだ。

 足元が安定せずふらつく。

「座るなりご主人」

「ご主人か。照れるな」

 床に腰を下ろすと、肩までかかる髪を揺らし白い半袖シャツに短パン姿から生足を晒すシロが、後ろから抱きついてくる。

「えっと、魂を吸うてきな?」

「何言ってるにゃ。わが輩の舌と唾液は傷を癒す。もう少しの辛抱なりよ」

 ザラりとした舌が左肩と胸部を舐めていく。

「今日も生き残ったよイオナ姉さん」

 シロの治療に身を委ねアルトは瞼を閉じた。


 *

「かかっ、小僧め」

 そう言って一足先に表世界へ戻ってきた鴉は、校舎屋上へ腰掛け校庭を眺めていた。生徒達もまさかこんな身近に人喰いの化け物がいるとは、夢にも思わないだろう。

 鴉は左胸を抑えていた。緑色の血で汚れている。そこは人間であれば、心臓にあたる位置だ。アルトの刃によってつけられた傷であった。怪異はコアを完全に破壊されない限り、死ぬことはない。

「お主の弟アルトは、また一つ強くなったぞ伊央那」


 ――お願いです。アルトくんを助けて。


 十年前羅我の暴走を止めに来た鴉に、弟を助けてと泣く幼い伊央那に言われた言葉を、今も鴉は忘れない。

 傷は癒えた。翼を羽ばたかせ肉体を覆うと人の姿に変身する。神嶋高等部の制服を着た少女がそこにいた。

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