第5話 眠り猫(前編)

 一匹の白銀色した猫が、神嶋市へと続く国道を走る車の屋根に座っていた。

 壊れた鈴を首に巻いている。捨て猫だろうか。いや毛玉の無いよくブラッシングされた艶々な銀色の毛並みや甘い香りは、大切に育てられた飼い猫特有の清潔感がある。

 そんな猫が何故、車の屋根にいるのか。遊びに夢中になってる間に動きだして、降りられなくなったのか。それにしては高速で走る車を全く怖がらず、優雅に前足で毛づくろいしていた。

 おやおやと猫は思った。どうやらこの車は吾輩が行きたい場所へ連れて行ってくれないのかにゃ。

 速度が緩やかになっていく。ハンドルを切る車の行き先が、神嶋へ行く道と真逆に進む。

「にゃん」

 反対車線を走る車に猫は躊躇無く飛び移る。間違いない。自分の意思で神嶋へ向かっていたのだ。

 ――そろそろなりか。

 猫の瞳は黄金に輝き、霊力の無い人では認識出来ない二つに分かれた尾をゆらりと動かす。

 彼女は怪異猫。名はシロという。


 遠路はるばる車の屋根から屋根へ飛び移り辿り着いたのは、ある交差点であった。横断歩道に座りシロが見つめる先で、ある怪異の残滓を感じた。

「噂通りにゃ。この街に奴がいる」


 ――てめぇらは弱いから俺に喰われんだ!

 ――シロ逃げろ! ぎにゃぁぁぁ。


 シロが思い出すは姉クロの断末魔と、高笑いする鷹型怪異。

「わが輩は羅我を許さないなり!」

 怒りに燃えるシロの毛が千本針となり逆立ち、前足後足からは鉤爪が伸びてアスファルトを傷つける。


「待ってよぉぉ旭ちゃん。わざわざこの道、行かなくても」

「えっだって、アルトセンパイが祓ってくれたんでしょ。ここ通った方が近いじゃん学校」

「そうだけど。通学路通らないと」

「小学生かぁ! もうホント夢月はマジメなんだから。でもそこが好きなんだけど」

「にゃ」

 煩い人間の少女達がやって来た。学校行く時間帯か。少し落ち着こう。あとは残滓を追えばいいのだから。

「あっ! 見て見て夢月! 猫だ猫いるじゃん! 可愛いぃぃ」

 困った。どの時代にもいるこの手のタイプ。苦手ではないが好きでもない。少しぐらいなら、もふもふさせてもいいが今はこの子達と遊ぶ余裕は無い。

「にゃぁぁんなり」

 シロは近くの電信柱へ一気に駆け上がる。

「ありゃ逃げちゃった」

「旭ちゃんが大声出すからだよー。ゴメンね猫ちゃん煩くて」

 仕方ない。サービスだ。シロは、んにゃんと可愛く鳴き自慢の尾を左右にふりふりする。

「きゃゃんかわいいかわいい。ね、夢月」

「う、うん。この子尻尾が……」

 どうやら夢月と呼ばれた三つ編みの人間は霊力がある様だ。不可視の二又尾を認識している。それに微かであるが、この周辺で漂う同じ臭いを漂わせていた。

「手がかり見つかったなり」

「し、喋ったぁ」

「行こう旭ちゃん」

 しまった。思わず口に出してしまった。折角見つかった手がかりだ。逃げ出す夢月達をシロは慌てて追いかけた。


 *

 見られている。アルトは、そう感じた。学校に来てから視線を感じる。

 毎回通学中も授業中も放課後も異性からの熱い視線を感じるが、特に気にしない。というか慣れてしまったのだ。見られている事に。

 中性的な綺麗な顔立ちで小顔。身長は同世代の平均よりも低いが、足は長くスタイルもいい。少女達にモテないわけがない。連日情熱的で、時おり過激なアプローチを受けている。

 今回もその類いだろうと、相手にしないでいた。

「アルト、わたくし放課後委員会の仕事あるのよ。夕飯の買い出しお願いね。あと、今夜おばさん遅くなるって」

 隣で歩くイオナと言葉をかわし廊下で別れた直後、視線の質が攻撃的に変化する。

 鋭く尖った針が体に突き刺さっていく感覚を受けた。

 ――まさか怪異の攻撃か。

 プツプツと肌に開けられた針穴から、小量の砂粒が吹き出していく。

「いたぁ! センパーイ!」

「廊下走ったら危ないよー旭ちゃん」

 血相変えて旭と夢月が全力で走ってくる。そろそろ一限目が始まるというのに、わざわざ高等部の校舎へ来るぐらいだ。冷やかしでは無く、不可思議な事でもあったのだろう。

 二人が声をかけた瞬間、針穴から吹き出す砂は止まっていた。

(……悪異ではないのか)

 今のが本気の攻撃なら、完全に負けていた。少なくとも夢月達を巻き込む気は無いという事だ。

「どうしたのかな二人共」

 愛想のいい仮面を被りつつ、静かに蛇を這わせ視線の正体を探しはじめる。


「にゃっはっはっは。来たなりな」

 蛇に導かれ辿り着いた先は、学校の屋上であった。

 夢月達に聞かされた白銀色の子猫が、人語を喋り笑っている。二つの尾からして猫又と言われる妖怪の一種だ。猫は長生きすると怪異に転生するらしい。子猫の姿をしているが、見かけは当てにならないという事か。

「忘れもしないこの感覚! まさか人間に化けていたとは。殺してやるにゃ羅我!」

 何故その名が出てくる。この怪異は奴の仲間か。いや殺気を含む金色の瞳は、憎しみの色で染まっていた。

 知っている。アルトはその色を。それを鏡の前で毎日見ている。

 プツプツプツプツ。肌に針が突き刺さる痛みを感じた。

「うぐぅぅぅ」

 先程と段違いの痛みで顔が歪む。制服の袖口から大量の砂がこぼれていく。止まらない。痛みを受けた肌から砂が無限に溢れ出す。

「ま、まずい」

 このままだと吹き出す量に比例して、肉体が重くなり身動きとれなくなる。

「断罪の刃ッッ!」

 具現化する呪いはアルトに操られ、屋上の柵へからみつく。

「僕を吹き飛ばせ」

 ギチギチギチギチ。重なり合う鱗が軋み、火花を散らす。カタパルトとなった蛇腹はアルトという名の砲弾を大空へ発射する。

「よしっ。狙い通り」

 いい方向だ。このまま行けば校舎裏にある森へ突入出来る。そこなら邪魔は入らない。

「逃がさないにゃ。わが輩の怪異力、スリーピングキャットからは逃げられない」

 体から吹き出す砂の量が増える。重量は増え高度と速度が落ちていく。このままだと校舎へ激突する。

「!」

 大木に巻きつけ枝へ着地すると、景色の色が反転した。

「……裏世界か」

 砂が消え体が軽い。怪異猫は何処だ。

「人間達を喰って力を得ようとしたにゃ。そうはさせんなり!」

 足下から砂を発生させ簡易的な足場にすると、怪異猫は屋上から大木目掛けて走ってくる。

 間違いない。この子は人間の味方だ。生徒達を守る為、裏世界へ連れて来たのだ。

「くすっ」

「なに笑ってるにゃ!」

「いや。もう追いかけっこやめないか」

「ふざけるにゃ!」 

「やれやれ。困った子猫ちゃんだ」

 あの怪異力。スリーピングキャットは、対象物から砂を吐き出す能力。あれ自体に攻撃力は無い。

 羅我について色々聞きたい事がある。その前に封じさせてもらおうか。

 枝の上からアルトは真後ろへ倒れ込む。大木の下にはプールがあったのだ。

「夏でよかったよ」

 水柱が上がった。水中では体から吹き出す砂も流れる。これでスリーピングキャットは防げる。

「まだまだにゃッッ!」

 足裏から吐き出した砂が道を作り、水面から顔を出したアルトへ飛びかかる。

 鉤爪での直接攻撃に切り替えたのだ。猫の爪には毒がある。砂よりも毒の方が恐ろしい。計算外だ。猫は水が苦手。その為、水中にいれば爪での攻撃は無いと判断したのに。

 それだけ奴が羅我が憎いのだ。自分の命をかけてまでも殺したいのだ。

「同じだ。この子は僕と」

 刃で斬り飛ばさなければ、アルトは致命的なダメージを受ける。

「それでも僕は僕を攻撃出来ない」


 ――斬。


 真一文字に水面が斬れて怪異猫は水中へ沈んだ。

「えっっ」

「死ぬきか小僧。何故攻撃しない」

 刀を鞘に収めた鴉が飛び込み台の上に立っていた。

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