第4話 溺れる魚(後編)
鴉。それが彼女の名前であった。丸みを帯びた全身はその名の通り漆黒に染まり、背中にはマント型の翼が生えている。そして一番の特徴はやはり、頭部を守るフェイスガードか。フルフェイスヘルメットのバイザーにあたる部分は、大きく前方に弧を描き正に烏のクチバシの様である。
彼女は擬人化した烏の怪異であり、アルト達の住む神嶋市を自らが支配する領域として外敵から護っている、最強のイーター種であった。そう生命体の血肉魂を喰らう捕食者であるのだ。それ故アルトは彼女を一方的に嫌っている。
「カッカッカッ、なる程のう。久しいなアルトの小僧」
鴉は鉄塔の上で状況を理解し高笑う。
「くそっ」
戦いの場では常に冷静でいなければ危険なのに、その笑い声でアルトの感情がざわつく。
両親を目の前で殺されても怯える事しか出来ない、弱者への哀れみか。それとも呪い使いとなり当てもなく仇を探す、愚者への嘲笑か。
――まがい物の異能を手に入れたぐらいで、人如きが怪異を狩るだと笑わせる。
かつて言われた鴉の言葉をアルトは決して忘れない。
「鴉、お前を殺してやるッ!」
「カカッ、後で相手してやる。まずは三下怪異からじゃ」
腰に帯刀する歪な黒い刀を引き抜き、鴉は上段に構えた。全身からゆっくりと湧き上がる漆黒の闇が刃先に吸いこまれていく。
あの技をアルトは知っている。刀での戦闘を好む鴉の数有る技の一つで、奥義クラスの必殺剣。その名は――。
「受けてみよ、我が奥義を。能力発動。――ヤタガラス」
――シュッ!
細かく振動していく刀身が何重にも重なった。高速で振動する刃先が消える。鋭い呼気と共に振り下ろす刀の狙いは、幽霊少女凛。
自らの意思で地縛霊となり、横断歩道から動かない凛の周囲が球体状に歪む。
「ぐぬぅぅ!」
空間を超えて現れた鴉の黒刀、クサナギの刃先が凛の胸を貫く。
斬。うめき声をあげた悪異は、凛の幽体から解き放たれ後方へ弾け飛ぶ。刃が斬ったのは、二人を縛る鎖であった。
バサァ。風になびく音が聞こえ、翼を広げた鴉の影がアルトを覆う。
ふわふわと黒い羽毛を足下へ落とし、鴉は横断歩道へ両腕を広げ優雅に降り立つ。まるで御機嫌ようとスカートを広げ微笑む。黒いドレスを纏うお姫様だ。
「僕たちは食べる価値も無いか、魔女め」
「礼は言わぬぞ。鴉」
凛から抜け出た悪異の姿は、体全身銀色の鱗を生やす半魚人であった。
ギョロリとした生気の無い大きい目。穴だけあいた鼻と唇の無い口が前方に突き出している。首は鍛えあげられた岩を彷彿させる硬い筋肉に埋もれ、支える四肢は大木の幹を連想させる程、太く逞しい。
「溺れる魚」
鱗の一部が剥がれピラニアの群れは空を泳ぐ。右手を掲げると群雄体は剣の形になり、掌に収まる。
「俺は本来バトルを好む」
「カッカッ、儂もじゃ」
二体の怪異は口角を吊り上げ笑う。ゾクリと離れた場所にいるアルトの背筋が震えた。
互いにぶつけ合う殺気を感じ、生命体の本能が危険と判断し信号を送ったのだ。
怖い。逃げたい。それでも仮面を被り耐える。姉と穏やかに過ごす夢を叶える為に。
「その奥義ヤタガラスと言ったか。あと何発放てる?」
「それを教えてお主は信じるか」
「さてどうだか。俺の見立てでは、あと一発、二発ってところか」
「カカッ。では試してみるがいい」
再び鴉は上段にクサナギを構える。沈黙する刀は振動せず刃先もそこに存在していた。
対して半魚人の構えは右半身を前にして剣先を突き出す。この体勢なら真横で構える鴉よりも半身分踏み込む距離が近い。
同時に大地を踏み込む。
先に届いたのはやはり突きの一撃。だが剣先は刀の頭の部分で弾かれる。
「そう来たか鴉よ」
その為、最初に奥義を放ち牽制させたのだ。
「ぬんッ!」
半魚人は下がらない。ここで後ろへ引けば隙が生まれ不利になると判断したのだ。左腕から弾丸に変化させた鱗を撃ち出し突き進む。
斬。アルトの目では残像の線以外見えないが、刃は鱗を切断する。
今の攻撃は引き分けか。
「はっ。やるな鴉。二撃しかかわせなかった」
半魚人の頬に真新しい刀傷がつき、緑色の血が流れていた。
「カッ。お主こそ。必殺の三連撃をかわすとはのう」
「あの一瞬で三回だと……くっ」
これが怪異同士の戦い。人の身では到底届かない異形なる者たちの頂。それでも登ってみせる。必ずや羅我を見つけこの手で殺す。
「どうだ鴉。その狩人、貴様にやる。その代わり俺と組まないか。最近ナルカミの方が騒がしくてな。力が欲しい」
「余所のテリトリーなど知らぬわ。それにのう、最初からこの小僧は儂の獲物じゃ。お主にはやらぬ!」
「残念だ。なら殺し餌場を奪うとするか」
「最初からお主に選択肢はないわ。決着をつけるぞ三下ッ!」
鴉の瞳が真紅に輝く。テリトリーを汚そうとする侵略者に慈悲など無い。
これが最後の一撃だと、クサナギを上段に構えた。
「ヤタガラスか。もう俺には効かぬ」
そう言って半魚人は刃で自らの左手首を傷つける。血が滲み出すのを見てアルトは真意を理解する。自暴自棄になったわけではない。あれは対ヤタガラス用の術なのだ。
命がけの危険な賭けだがあれなら、難攻不落の要塞を落とせるかも知れない。
「なる程のう。余興じゃ。敢えてそれにのってやる!」
足元から湧き上がる怪異力が黒刃に絡みつく。
「我が奥義、破れるものなら破ってみよ」
振り下ろされた刀は空間を切り裂いた。次元を越えて送り出す刃の終着駅は、黄泉の国。
「旅立つのは貴様だ鴉。この血は餞別代わりよ」
そう言って半魚人は剣で自らの手首を切り落とす。激しく噴き出す血が霧へと変わり、周囲を球体状に染めあげた。
半魚人の首近くに霧は流れていく。あの球体は鴉が張った獲物を逃がさない結界。隙間等ない。ならば考えられるは一つ。
そこから次元を斬り裂いて、刃が具現化するのだ。
「見切ったわ!」
飛び出す刃が首元を走り抜ける。
――キンッ!
刃先を打ち上げた半魚人は返す刀で叩き込む。
奥義を放った直後だ。オーバーヒートで鴉は動けない。
――斬。
鴉の頭部に触れる直前、剣は動きを止めた。頭部に一文字の切り口があり、そこから血が溢れていく。
「惜しかったのう。あと一歩、いや半歩踏み込めばお主の勝ちであった。名を知らぬ戦士よ」
剣で弾くよりも速く、ヤタガラスの獰猛な嘴が魂を屠っていたのだ。
「かはっ……かはっ」
呼吸が出来ず溺れた魚は酸素を求む。だがその顔は満足そうに口角を吊り上げていた。
灰化していく悪異の中から、鴉は真紅の球体を取り出す。あれが怪異の魂を司るコアだ。鴉はフェイスガードの嘴を上下に開き、真っ赤な果実にかじりつく。ジャリジャリ。実を咀嚼し、溢れ出す果汁を一滴残らず吸すり飲み込む。
「どうしたのじゃ小僧。隙だらけの儂に、何故攻撃してこない」
「殺さないのか僕を」
「たわけが」
呆れた声で素顔をこちらに見せる。つり上がった目と真紅の瞳。鼻筋は薄く、耳まで裂けている口から牙が覗く。
「儂は生きる為に狩り、それを喰う。永遠に満たされぬ欲の為、見境無しの人間とは違うわ」
「……僕は復讐の為に悪異を狩るんだ」
その為の呪い。その為の力。蛇腹が頭上から牙をむき、鴉を襲う。
「あやつの呪いか」
気のせいか。一瞬鴉の顔が泣いている様に見えた。
「集中するのじゃ」
呆れた顔で鞘がアルトのみぞおちを打ち、刀で蛇腹を斬り裂く。
「まだまだじゃな、アルト。そんな事では奴には勝てぬよ」
「羅我を知ってるのか! 教えろ奴は何処だッ!」
「かかっ。戦士の顔に戻ったな。儂から一本取ってみよ。その時、教えてやろう。我が弟の事を」
「弟だと!」
みぞおち攻撃でうずくまるアルトを一瞥し、鴉は去っていく。
「待てッ!」
手を伸ばすが追いつかない。翼を広げ夜空へ飛んでいく鴉にアルトは只、叫ぶ事しか出来なかった。
夢月を乗せた救急車がサイレン鳴らし走り出す。野次馬が消えたのを見計らいアルトはいつもの仮面を被り、歩道で佇む凛に微笑む。
「いくのかい凛ちゃん。あの世に」
こくりと頷く凛はもう涙を流さない。ゆっくり浮上していく。
「もし僕の両親に会ったら言ってくれるかな。僕と姉さんは元気だと」
「ありがとう。お兄ちゃん」
少しずつ薄くなる霊体。それでも怯えず、姿が見えなくなるまで凛は笑顔のまま手を振り続けた。
「アルト」
「姉さん。救急車ありがとう。これで一安心だね」
「バカ、わたくしの前で仮面を被らないで」
イオナに手を引かれ、人気の無い裏路地へ入っていく。
「僕、何も出来なかった。鴉に会えたのに」
「うん」
イオナはアルトを強く抱きしめる。
「やっとやっと会えたのに僕はッッ」
具現化した蛇腹がイオナの服を切り刻む。
「来なさいアルト。わたくしの全てはあなたのもの」
「うわぁぁぁぁッッ!」
癇癪を起こした子供は泣き出し、姉を押し倒す。
これは只の八つ当たりだ。最低最悪なのはわかっている。それでもこの世で只一人だけなのだ。怒り悲しみ憎しみ。負の感情を理解してくれるのは。
スカートをまくり黒い下着を剥ぎ取り、傷一つ無い白い太股に爪を突き立てる。怪異の呪いの為、直ぐに傷は癒えるだろう。
壊れろ壊れろ壊れろ。
抑えられない獣の衝動で、紅に染まる姉は誰よりも美しい。
それを汚したい。犯したい。傷つけたい。
「おいでアルト、お姉ちゃんを壊して」
イオナはアルトの全てを受け入れ、姉弟は一つとなった。
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