こちら異種族葬送対応課

夜船ヒトヨ

第1話 何処でも愛だった

 あいしています、この世の何よりも。私を見て声をかけてお願いあいしています、愛していますあなたを、あなただけを私はあいしています。だから私だけを見て、あいしていますあいしていますおねがいおねがい! わたしをあいしているなら見つめ返して、乾き始めた血なんてもういらない、貴女がいないと私は生きてなんかいられないの、ねえ、ねえだからあなた! 私が、わたしが飢え果ててしまう前に私を見て!

 嫌なの、この部屋に満ちる嫌な匂いがあなたではないと今すぐ抱きしめて証明して。お願い、お願いよ。私が咀嚼している肉片が、あなたのものではないと、いつものように抱きしめて。私も抱きしめ返すから、もう、しょうがない子ねから始まる言葉をわたしに告げて。


 ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇


 現場は凄惨としか言いようのない有様だった。あたり一面、酸化した血で染まっていない場所はなく骨の欠片と干からびた巨大な蜘蛛の亡骸がある。

「異種族葬送対応課、やに遅くねえか、これだから市役所はよお」

「マスター、異種族葬送対応課は設立されて二年ほど、そして特殊性から一名しか配置されておりません。本日は他の現場の浄化にも参加されており——」


 多く配備されるようになった、他の専用機と比べれば没個性的な汎用捜査機人にマスターと呼ばれた男、井ノ原は苦笑いを返した。異種流入アウター・コラプスが起こったのは十年ほど前だが、どの国でもこの世界に流れ着いた異種の葬儀問題で頭を悩ませている。その世界の変貌において日本が幸いだったところは、この東京にあらゆる種の魂を送ることができる者がいる。それだけでも十二分に幸運なことだが、あいにく種族ごとに合わせた簡易な葬儀を行い場の淀みとやらを祓えるのは一人しかおらず、異種絡みの事件の操作は初動が遅れがちという難点がある。


「知ってるっての、悪かったよ。霧島だって都合があるのは知ってるんだ、愚痴だ愚痴、聞き流せ」

「マスター」


 汎用捜査機人の声には指摘の気配はあれど、それ以上のものはない。井ノ原はまだ苦い笑いを顔に浮かべると、汎用捜査機人、井ノ原は昴と呼ぶ機体の肩部分を叩いた。

「気にするなってのは操作ツールのお前には無理かもしれねえが……こういうマスターなのは知ってるだろ? 昴」

「ええ、マスター」

 とはいえ、この事件の成り立ち自体はすでにほぼ解明されている、蜘蛛となった女が、同居していた女を食った。そして蜘蛛は飢え果て死ぬまでここから動かなかった。それだけだ。

「食うことが最高の愛情表現、か。否定はしないが、因果なこった」

 井ノ原はそう呟くと、清められていない魂と魂をさらに不安定にさせる血の穢れに満ちているため立ち入ることのできないアパートの、二階にある角部屋の中を扉の向こうに入らずに見つめる。


「井ノ原さん、いい加減始めましょうよ。市役所待ってたらいつまでもおわんないですし」

「まだ霧島の野郎が来てねえんだ、何もできやしねえ」

「ハッ! 死体の呪いなんか、僕は恐ろしくともなんともないんですよ。ついてこい! 落花!」

 警察学校を卒業したばかりのまだまだ尻の青さが目立つ若い刑事は我慢できないと言い張って、己の汎用捜査機人を連れてドアの向こうへ足を踏み入れた。踏み入れてしまったのだ、井ノ原は頭を抱えて、霧島からもらったアミュレットが大量に入った箱を車に取りに戻るため、階段を駆け降りて車輪に向かった。


「マスター、アミュレットを使用にしようにも異種の信仰は現在不明です」

「だがよ、こいつら元は霧島の私物だ! 何かしら効果があるやつが一つや二つあるだろ!」

 霧島が来るまで持たせると叫び、井ノ原は一つしかない階段を駆け上がる井ノ原は昴と共に悲鳴と金属の砕ける音が不協和音を奏でる部屋に駆け込むと、大量にアミュレットが入った箱を部屋の床に向けて投げ入れた。


 干からび、なんの液体かもわかない白濁した液体を瞳からこぼす巨大な蜘蛛が、汎用捜査機人の装甲を噛み砕いている。青二才は、と井ノ原が周囲を見渡すと、床で気絶していたため、何かのアミュレットの効果で動けない蜘蛛が特殊な加工を施された装甲を砕きながら井ノ原達を見つめるなか、向こう見ずが過ぎる青二才を引き摺り出して外へ出た。


「霧島はッ! 霧島荒野はまだか?! 異種族葬送対応課はまだか!!」

「今向かうと連絡があったばかりで……! おそらく二、三分で着くとは、」

「緊急事態だ! 連絡もう一本入れろ!」

 

 井ノ原の怒声に返答を返した警官はすぐに連絡を入れた。けれど応答を待つ時間すら惜しい。井ノ原はふと、青二才が握りしめている何かを発見した。硬く握りしめられた拳を開き、銀製らしいペンダントロケットを自分の手にうつし、開こうとした。


「よしたほうがいい、かのじょはおもいでにふみいられたとおもっている」

「霧島!」


 いつもながら、世界を疎む隠者のような男だと、井ノ原はいつも思う。先端に青い火が燃える角灯の付いた金属製の杖を持ち、ゆったりとしたローブは背が高いことしか傍目にはわからないほど「彼」に関する情報を遮蔽し、今日はローブについたフードに遮られて見えないため、顔すらも外界に知らすことがない。

 しかし、彼自身の持ち物は杖だけだ。夜の黒よりなお深いローブは、明け方の空の色をした刺繍で複雑な紋様を描いた服は、きっと蜘蛛を送るための、彼女が信じる神の御許へ繋げるための祭服だ。


「霧島……!」

「にかいのかどべやか、すぐいく」

「俺も行く、昴!」

「了解ですマスター。スキャン開始、異種族葬送対応課霧島荒野殿と判別」

 そういうの今はいいんだよと昴をこづいてから井ノ原は駆け出した霧島の後を追う。

 部屋いっぱいに膨張した干からびた蜘蛛の下には、もう原型を保っていない金属の塊があった。


 霧島は懐から出した袋に手を入れ、微小な色石を砕いた砂のようなものを雲の周囲を回りながら撒いていく。砂を撒き終わった霧島は蜘蛛の足に触れると、痛みを遠のかせるに触れた場所をさすりながら、おくるための祝詞を連ねてゆく。

「来るは狼の騎士、抱きすくめるは蝶の皇帝。堅強なる騎士はその身を船着き場に横たえ、皇帝の領地へ汝らを運ぶ。POX.CORC,OGOL.POX,ZAYVR。騎士にその名を告げなければ、ならない。王の領土にあらゆる後悔を持ち、後悔は全て王が持つ六対の腕に委ねよ。いのはらけいじ、ロケットを」

「お、おう」


 井ノ原が渡したロケットを、霧島は懐から出した深い緑の布に置き両手で布を持ち上げると、蜘蛛へ慇懃な仕草でロケットを捧げる。

「王の領地に後悔を持ちゆくか?」

「もちゆきます、わたし、は。ガ=ルクティレイ。いいえ、いいえ、わた、しは、篠崎深山」

 篠崎深山、おそらく戸籍上の名前だろうと井ノ原は理解した。愛した人間と共にあった名前で、彼女はあの世にゆきたいのだ。


「篠崎深山、それでは偉大なる狼の遠吠えを」

 霧島は床にロケットを置くと、布を出したところとはちがう部位の布に手を入れ、取っ手のついた鐘のようなものを取り出した。鐘は狼の遠吠えより鋭い蛮声を発して、遠吠えに突き崩されるように蜘蛛は白い塵と化して、乾いた血痕の上に寄り添った。


「終わった、んだよな?」

「そうぎは。すこしまて、よどみはうすいがじょうかはいる」


 そう言って、霧島は塵を優しく一箇所に集め、ロケットを添えると角灯をかざす。彼が何かをつぶやくと、灰が緩やかに動き固まり、あの巨体を考えると、ひどくちいさな壺となった。添えたロケットを壺に入れ、おわったと井ノ原に伝え、霧島は現場を後にする。

 その背を見送ってから、井ノ原は避難していたらしい人員を呼び寄せ、捜査にあたる。けれど、愛だったものが飛び散る部屋に行われるのは、事件性の可否の確認だ。

 けれど——食らってしまった彼女の愛、食らわれながら悲鳴を上げなかったらしい彼女の愛。それを証明するものは、この部屋には一つだってありはしなかったし、それを証明する必要は、この場の誰にもありはしなかった。


◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇


 ゆったりと進む船頭のいない船に、霧に包まれてどこに行き着くかもわからない船の上に、二人の女が乗っていた。一人は白銀の長い長い髪が触腕のように蠢く異形を差引いたとしても女神よりも美しいという表現が似つかわしい女で、そんな美しい女にごめんなさいごめんなさいと縋られる女はこれといって記憶にとどまらない類の、ひどく凡庸な顔をしている。


「ねえ、謝らないで。あたしの方からいいって言ったんだから」

「でも、わたし」

「いいのよ、あたしの方が謝んないといけないんだから」

「え?」

「だって、あんたをずーっとずーっと独り占めしたくて貴女を止めなかったんだもの。もう、しょうがない子ね、泣かないで、今、あんたに泣かれたらどうしたらいいか、わかんないのよ、」


 美しい女が信じる眠りを司る蝶の神は罪を断罪しない。ただ後悔をその細い腕で抱き、広大な領土に眠らせるという。二人を乗せた船がふと、岸辺に着いた。凡庸な女が顔を上げると、帝王の領土につながる谷にある、切り立った崖の上に座した堅強な狼が、永遠になった二人を見つめていた。


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こちら異種族葬送対応課 夜船ヒトヨ @MsBakeandAbel007

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