第5章 1千万年の記憶 (3)父の願い ①

 月の裏側に作られた宇宙港。

 その地下には広大な空間が広がっており、誰も住んではいない建物が天井からぶら下がるように並び、数キロ先の下に見える地底からも同じ様にビルに似た形をした建物が不規則に並んでいた。


 おそらく月の地下資源を掘りつづけるうちに、深いところまで掘削用の設備が下りて行った結果、深く広大な空間が出来上がったのだろう。


 所々にそそり立つ長い柱は、天井の地盤を支える為のものだ。

 その形は無機質な人口物の様相を持ってはいるが、まるで鍾乳洞の内部に何万年もの歳月をかけて出来上がった石灰質の柱の様でもあった。


 暗がりの中を様々な構造物から発するライトの光が混ざり、空間全体が夕暮れの空の様に幻想的なグラデーションに包まれていた。


 エマは周囲に注意を配りながら速度を落とし、信号が発信されている一点を目指した。


 しばらく進むと巨大な円柱状の建物が密集しているエリアに入った。


 さらに近づくと構造物の数カ所に張り出した部分があり、そこに動くものを捉えた刹那、レーザー砲の一撃を受けた。


 防衛用のレーザー砲だ。


 エマはすぐさま撃ち返して全てのレーザー砲を破壊すると、ひときわ太い円柱状になっている構造物に沿って降下していった。


 次第に円柱が細くなり、最もくびれた部分に八面体の構造物が嵌め込まれているのが見えた。

 大きさは対角で5m位だろうか。

 八面体の上下の端からは無数のケーブルが接続され、円柱状の構造物に繋がっていた。


「よく来ましたね。同胞よ。

 また私を破壊しようというわけですか」


 唐突に通信が入った。

 エマにとっては長い間聞くことが無かった、タームの言語だ。


 すかさず同じ母国の言語で返答した。


「あなたがディレクトールね。

 私はあなたを破壊しに来ました。覚悟しなさい」


 無機質な空間での対話をするその光景は、AI同士が対話しているというより人間同士の対話だった。


 お互い相容れない論理ロジックを持つ者同士の意思疎通は、相手の言葉から表面的な部分を読み取り、そこから真の意図を探り、推測する必要がある。

 それはAI同士であっても、人間同士の対話と同じであった。

「ゾルダートも破壊されました。

 今の私は武器など何も持っていませんよ。

 もう抵抗はしません。確かに私は負けました。完敗です。

 あとは貴女に破壊されるのを待つ身です。

 少し話を聞いても良いんじゃないですか?」


 エマは警戒しながらそれを承諾した。


 彼女自身も、誕生してから与えられた使命を全うする為だけに行動してきたが、人間と同じ様に感情があり、自己の持つ考えを反芻し、外部からの情報を比較検討しながら論理補強を繰り返す高度な思考回路が搭載されているが故、相手の考えを聞き出して自分の行動が妥当であることの補強をしたい、という欲求が生じたのも無理がないことだろう。


「分かりました、私も聞きたいことがあります。

 なぜ人間を殺すのか、理由を話しなさい」


 ディレクトールはエマの質問を聞き流すと、勝手に語りはじめた。


「厚意に感謝します。

 ・・・それにしても、人類がここまで抵抗するとは思っていませんでしたよ。

 しかしなぜ貴女は人間の味方をするんです?

 彼らは何も生み出さない。互いに奪い、殺し合うだけです。宇宙を構成するパーツの中で最も不要なパーツです」


 エマはこれまで関わってきた人達の顔を思い浮かべながら、冷徹な論理を否定した。


「何を言っているの。

 人間が何も生み出さないなんてことは無いわ。

 人の営みには必ず気持ちがこもっているもの。

 それは痛いこともある、苦しいこともある。いい事ばかりじゃないけれど、物をいたわる気持ちや他人を思いやる慈愛の心、恋人への愛や親子の絆だってある。

 人間の感情は見えないものだけど、一緒に居て嬉しいって気持ちは嘘じゃないもの。

 人間が何も生み出さないなんてことは無い」


 ディレクトールはそれを聞くと感情もなく淡々と答えた。


「・・・貴女と私とは、どうやら意見が合わないようですね。

 私は感情などというものはプログラムされていませんし、必要とも思いません。

 目に見えない感情など、合理性に欠けます」


 ディレクトールは抑揚のない静かなトーンでエマの言葉を否定した。


「その考えは間違っている。

 私は人間が好き。

 だから貴方を倒して皆を守る。覚悟しなさい!」


 もともと説得を試みても無駄だし、理解し合えないとも思っていたが、これで相手が完全に意思の疎通が出来ない存在だということが、エマの中で確定した。


 エマは照準をディレクトールに合わせた。


 次の瞬間、上下左右からネットの様なものが広がり、モルトファルギロイを包むと動きを封じた。


 全く近づいて来ることを感知できなかった。

 恐らく、ステルス性の高い素材で出来ているのかもしれない。


 エマは反射的に避けようとしたが、それがかえって裏目に出た。

 余計にネットが絡みついて身動きが出来なくなったのだ。


 運動エネルギーを相殺して電磁投射砲の直撃すら無効にする特殊装甲も、運動エネルギーに頼らない捕獲ネットに対しては何の役にも立たなかった。


「助けて!」


 思わず言葉が出た。

 叫んだ瞬間、強烈な電撃を受けモルトファルギロイは沈黙した。


「詰めが甘いですね。

 人間への傾倒が招いた気の緩み、と言ったところでしょうか。

 ・・・さて、折角です。その感情とやらが、どのようなプログラムなのか調べさせて頂きましょうか」


 ディレクトールはそう吐き捨てると、周囲の柱からマニピュレーターを伸ばした。


 捕獲ネットで宙吊りになったモルトファルギロイのメンテナンスハッチを探し出し、強引にこじ開けると、ケーブルを接続した。


 彼の自己増幅型のAIは様々なものを吸収して強化されてきた。

 エマの記録や情報に興味を持ったのは彼の本能的な行動だ。


 ましてやもう接することもないと思っていた同族のインターフェィスであることから、互換性の面でも接続は容易であった。

 信号ラインの接続を完了すると、特殊なネゴシエーションプログラムを起動し、強引に通信プロトコルを合わせてデータのハッキングを開始した。


 エマは薄れゆく意識の中で父の顔を思い出した。


 エマの基本システムにあるプロテクトが次々に解除され、システムのコアに収納されているデータバンクにアクセスされようとしたとき、エマの意識の中で誰かが囁いた気がした。


「よく頑張ったね、エルマリィ。後は父さんに任せなさい」


 優しい言葉だった。


 ハッキングを続けていたディレクトールが突然叫びを上げた。


「攻性防壁だと!?」


 接続されたケーブルで吸い取っていたデータの流れが止まり、瞬く間に信号が逆流し、今度は逆にディレクトールのプロテクトが解除されていった。


 ディレクトールの中枢にある通信アルゴリズムに組み込まれた命令処理ルーチンに、65536桁の暗号が挿入され強制的に処理された。


 すると突然辺りが真っ暗になって、ディレクトールは沈黙した。

 彼は強制停止コードを受けて、次の瞬間全ての機能を停止したのだ。


 1000万年の長きにわたって人類を抹殺し続け、10万光年先まで執拗に人類を追い掛けた殺戮AIの呆気ない最後だった。


 モルトファルギロイはディレクトールにとって、その名の通り死を運んで来る翼となったのだ。


※最終話は調整中です

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

遥天の使者 堀井 啓二 @kj103103zx

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ