夏休みは終わらない
盛山山葵
夏休みは終わらない
「こんにちは。あら、留守かしら?」
インターホンを鳴らしても反応がない。玄関のドアが少し開いていたので、
「やっぱり誰もいないのかしら」
「うわ! うわああぁぁぁ」
すると、突然2階からショートヘアの女の子が転げ落ちてきた。よく見るとゲーム機のコードが絡まっている。
「あ……」
どうやら転げ落ちてきた少女の方も紗奈に気がついたらしい。
先に沈黙を破ったのは、転げ落ちた方の少女だった。
「……た、助けて」
「じゃあ、やっぱりあなたが
「うん! そうだよ」
「良かった、元気そうじゃない」
「私に会いに来たの?」
「そうよ。お話をしにきたの。……担任の先生に頼まれたから」
紗奈はコードに絡まる夢唯を助けだし、通されたリビングでここに来た事情を説明する。
正直、紗奈は憂鬱だった。
ようやく始まる夏休みに心を踊らせていた紗奈は、ホームルームの後に担任から呼び出された。
「うちのクラスの宇多野夢唯がまだ一度も学校に来ていないから、できれば様子を見てきてほしい」
内心めんどくさいと思いながらも、紗奈は頷いていた。
紗奈は人の誘いを断れない自分の性格が心底嫌いだった。担任から、生徒会の先輩から、クラスの友だちから。いろんな人にこの性格を利用されているような気がする。そして、自分もまたこの性格を利用して人と仲良くしようとしている。それになにより、こんなことでもしないと人との関係を持つことができないという事実が嫌だった。
そういうわけで、紗奈は憂鬱だった。
「お話をしにきてくれたの? 嬉しい。早くお話しようよ」
「お話をしにきたとは言っても、何から話せばいいのかしら。私、初対面の人と話すのはあまり得意じゃないの」
「じゃあ、私の部屋に行こう」
そう言って夢唯は紗奈の手を引っ張って2階に上がる。
紗奈の方は事態の急展開に付いていけず、されるがままだ。
階段を上がってすぐのところに、扉が空いたままの部屋があった。
「あ……」
あわてて扉を閉める夢唯だったが、紗奈は部屋の中をばっちり見ていた。
「も、もしかしてあそこがあなたの部屋?」
「やっぱり見えた?」
「なんというか、悲惨な感じだったわね」
紗奈は顔に手を当て、静かに頭を振る。
「ち、違うの。今ちょうど模様替えしてて、それで散らかってるだけ」
「……」
「もう、信じてよ。あ、そうだ。もしかして紗奈はこれからもうちに来るの?」
「そのつもりはないけれど」
「え~。また来てよ」
「そんなこと言われても」
「お願いっ」
「……分かった。じゃあまた来るわ」
「ほんと? やったー!」
紗奈は夢唯の誘いに簡単にうなずいてしまい、またもや自己嫌悪に陥りそうになる。
「それじゃあ、せっかくだし私たち2人の部屋にしてしまおうよ」
しかし夢唯の突拍子もない発言に、紗奈はそれどころではなくなった。
「は、え? どういうこと?」
「だから、私の部屋を2人で快適に過ごせるように改造しよ、って言ってんの」
「でもそんな毎日来るわけじゃ……」
「来てくれないの? 楽しいのに」
夢唯が目を潤ませて紗奈に訴えかける。
「あ〜、もう。しょうがないわね。とりあえず明日は行くわ」
紗奈はまたもや夢唯のお願いを引き受ける。しかし、このときは不思議と嫌な気分にはならなかった。
翌日、紗奈はお気に入りの小説、マンガを持って夢唯の部屋へとやって来ていた。なんだかんだ言って紗奈も随分と乗り気である。
紗奈が来たときには、夢唯の部屋はこぢんまりと片付いていた。
「これはこれでいいんじゃない?」
「だめだめ。これを私たち風にアレンジしていくの」
「ふ~ん。そういうものなんだ」
紗奈の部屋は物が少なく内装もシンプルなため、そのあたりのことはいまいちピンとこなかったが、いざ夢唯と一緒に部屋をつくり始めると、案外楽しかった。
「私、小説とマンガを持ってきたの」
「おお、いいね。どんなジャンル?」
「う~ん。ファンタジーやミステリーが多いかしら」
「なるほど。じゃあ、落ち着いたトーンの本棚がいるね」
「あ、本棚置くならこの辺がいいんじゃないかしら」
「うんうん。それでいこう。それならこっちには私の趣味であるゲームコーナーを設置しよ。2人で楽しめるやつも結構あるよ」
「私、ゲームはあまりやったことが……」
「はは、大丈夫、大丈夫。とりあえず1回やってみようよ。紗奈も絶対ハマると思うよ」
「そこまで言うならやってみるわ」
こんな感じで部屋をつくっていったため、部屋が完成したのは紗奈が初めて夢唯の部屋に来てから3日目の夕方だった。
「はあー、やっと完成したね」
「結局毎日この部屋に通ってしまったわ」
「へへ、楽しかったでしょ」
「ええ、そうね。私、他人のお部屋に行ったのは夢唯さんのお部屋が初めてなの」
「え〜、他人なんてさみしい言い方しないでよ。もう私たちは友だちでしょ? それに私のことは夢唯でいいよ」
「友だち……。それも私にとってはあなたが初めてだわ」
「そうなの? 実は私もリアルの友だちは紗奈が初めてなんだ」
「意外ね」
「あはは、同い年の人がうちに来ることなんてないから、つい張り切っちゃった。もしかして嫌だった?」
「全然。私は人と話すのが苦手だから、むしろ助かったわ」
実際、紗奈にとって夢唯の強引さは心地が良いものだった。
「でも、呼び捨てで呼ぶのは少し気恥ずかしいわね」
「友だちならこれくらい普通だよ」
「そうなの?」
「そうだよ。ほら、呼んでみて」
「……夢唯」
自分の名前が呼ばれ、夢唯はくすぐったそうに微笑む。
「夢唯。私たち、ずっと友だちでいましょうね」
結局、紗奈は毎日のように夢唯の部屋へと通った。
「このゲーム、なかなか面白いわね。まったりしていて好きだわ」
「えへへ、じゃあ今度はこっちの対戦ゲームしようよ」
「いいですよ」
「絶対負けないからっ」
「な、私だって」
学校でも家でも理想の自分を演じようと気を張ってしまう紗奈だったが、夢唯と2人でいるときだけは思い切りくつろげた。
夢唯の方も友だちはネット上にしかおらず、親もほとんど家に帰ってこないという状況が続いていたため、紗奈と過ごす姿はとても楽しそうだ。
お互い寂しかったのだ。
「このマンガ面白ーい。早く続き読みたいな~」
「たしか来週、新刊が出るわよ」
「そうなの!? やったー」
「それより、夢唯が教えてくれたこの本も面白いわね。夢唯がいなかったら、きっと恋愛小説なんて一生読まなかったわ」
「でしょでしょ。私その本大好きなんだー」
紗奈は、夢唯の誘いを断らなくて良かったと思い始めていた。紗奈にとってこんなふうに感じるのは生まれて初めてのことで、少し戸惑ったが、今の紗奈にはそんなことはどうでも良かった。
「ねぇ。今日はうちに泊まっていかない?」
「そんなことしなくても、明日もちゃんとここに来るわよ?」
「まったく、分かってないな~。お泊まりはね、特別なんだよっ」
「でも、迷惑にならないかしら」
「全っ然ならないよ。こっちから誘ってるんだし。それに、お泊まりにはいつもと違う楽しさがあるんだよ。出前を頼んで時間を気にせずダラダラしたり、一緒にお風呂入ったり、ベッドで恋ばなしたり」
「なるほど。たしかにお話を聞くと魅力的ですね」
「ねっ。一緒に泊まろうよ」
「……分かりました。じゃあ一旦自宅に戻って準備をしてきます」
お泊まりの準備をしている間、紗奈の心はこれまでにないほど高揚していた。今回の決断は、いつものように仕方なく下したのではない。しっかりと自分の意思で、前向きな気持ちを持って夢唯とお泊まりをすると決めたのだ。
お泊りは夢唯の話していたとおり、いやそれ以上に楽しいものだった。
それ以降、紗奈は繰り返し夢唯の部屋に泊まった。泊まるたびに紗奈には新しい経験があり、すべてが新鮮だった。
「私、今までとても小さな世界に住んでいたみたい」
「じゃあ、今は?」
「とても大きくて、広々としていて、奥行きのある世界」
夢唯は、ふと紗奈がどこかへ行ってしまうような気がして少し切ない気持ちになった。
「……そう。良かったねっ」
しかし、そんな様子を気取られないようあえて明るく振る舞う。
「夢唯。他人事みたいに言っているけれど、そんな広大な世界で迷わずにいられるのは、夢唯のおかげなのよ」
「……!」
「これからもよろしくね、夢唯」
「もちろんっ! 私も、今までは友だちなんてネット上にいればそれで十分だと思ってたけど……。今では紗奈と一緒にやんないとゲームつまんないし、今まで読んだことなかった小説やマンガにもハマりまくったし、一緒にお泊まりもできたし、紗奈が会いに来てくれてほんとに良かった。紗奈、私たち、ずっと一緒にいようねっ」
「そうね。来週から二学期が始まるけれど、どうしようかしら」
「……紗奈に会えるなら、私、学校行こうかな」
「それも良いけれど、私はこの部屋が、私たちの部屋で過ごすこの時間が好きだから、もし夢唯が許してくれるのならこれからも毎日、朝から夜までこの部屋にいたい。二学期が始まろうと関係ないわ」
今まで自分の意見を心の奥に押し込んでいた紗奈にとって、誰かに提案をするのは初めてのことだった。
「紗奈は、ほんとにそれで良いの?」
「ええ」
「じゃあ、またお泊まりもしよっ」
「そうね。時間も学校も気にせず、たくさん遊びましょ」
自分からの提案がこんなに心を軽くするなんて、紗奈は夏休みが始まるまで思ってもみなかった。
紗奈と夢唯、2人の夏休みは、まだまだ終わらない。
夏休みは終わらない 盛山山葵 @chama3081
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