バッドモーニング・ファーザー Ⅳ
朝食を終えて後片付けを始めた頃、マイアとクウラさんの両名が食堂にやってきた。
クウラさんの方はオルカさんの体調に配慮して朝食作りから交代するつもりでいたようだが寝坊してしまったらしい。鐘の音で目を覚まし、慌ててベッドから飛び出し祈祷に励んだのだと、自身の絶体絶命を愉快に話していた。
マイアについては昨日もこのタイミングで姿を見せていたので、いくら神の媒体で天罰が下らないとはいえ、昼まで怠惰を貪る習性があるわけでは……いや、初対面となった二日前の昼は石像を枕に昼寝をしていたな……。
掴みどころがない。ただ、昨日までとは明らかに様子が違う。気怠そうに映るのはいつも通りだが、それにしても体調が悪そうだ。目の下のクマは濃く、フラフラと右へ左へ無駄に歩数を足していく。
「クウラさん、昨夜に続いてすみません」
「私は平気だよー。教会務め自体そこまで大変でもないしね。それよりさ……」
「シスター・マイア……」
二日酔いであれば知ったことではないが、本当に不調であるなら配慮しなければならない。
他の者が相手ならそうすべきと分かるが、マイア相手なら遠慮はいらないと判断して迷わず足を突っ込んでみる。わざと咳き込んでからクウラさんの背中に隠れているワインレッドに問うた。
「シスター・マイアもおはようございます。今朝も絶好調のようですね」
「おーう、赤ちゃん神父。マイア様はいつでも完全にイケイケだ、ぜ……」
「「赤ちゃん神父?」」
目蓋を摘まむような横向きのピースサインで気丈ぶるマイア様。私たちの間でのみ伝わるワードに残るシスターたちは首を傾げていた。
男の子たちもまだこの空間にいるが、二人はこれからクウラさんと共に食料配給の受け取りに出掛けるらしく、その支度に励んで私たちの会話を聞いていないようだ。熱心な子供たちを置いて呑気に井戸端会議をしているような状況が苦しく思えてならない。
「酒に呑まれましたか?キレキレのマイア様」
「お前さぁ、私のこと何だと思ってんだよ。酒は飲むが潰れたことなんて一度もないんだぞコノヤロー……うっ」
「本当ですか?」
「うん。こんなマイアさん一度も見たことないよ」
どう見ても飲んだくれの不様だが、クウラさんとその傍らで頷くオルカさんは無視できない。少なくともアルコールが原因で怠そうにしているわけではないらしい。
「では何故そのような醜態を晒しているのです?」
「醜態だとぅ?名誉の負傷として尊大に扱ってもらおうか。言ったろ?用事があったんだ。それが思いのほか……厄介でな。まあ、お前からすれば吉報なんじゃないか?」
「それは……」
私にとって良く、マイアにとってはこのように参ること。
これまでの付き合いから、ここでそれについて質問しても答えてくれないのだろうと諦めてしまうが、あえて内容を濁すということは奴が絡む問題に違いない。
「というわけで告解室についてはまた今度」
そして、このように先送りにされるのも予想通りだった。悪いが私にも用事があるためここは引き下がれない。
「それは駄目です」
「は?」
「今日中に教えてください。出来れば昼までに」
「マジかぁ、少し引いたぞ調教神父。こんなに弱ってる女を無理やり働かせるなんて酷いわ!……お前、立場が上なだけで易々と従うと思ってんじゃねぇだろうな?」
「えっ!?カイル君ってそんな感じだったの!?」
嘘泣きの素振りから一瞬でいつもの不良に豹変したマイアと、大変な誤解をされているクウラさん。今度は共鳴せずに頬を赤らめて視線を逸らしているオルカさん。
神経質になり過ぎるのも却って迷惑だろうが、幼い男の子たちの前で何という会話をしているのか……。
「クウラさん、シスター・マイアの言葉はまともに受け止めるべきじゃないと、長い付き合いなら分かっているはずです」
「うん?それは……うん。でもね、マイアさんね、カイル君が来てから明るくなったというか……何かいつもより働くようになったよね!」
「そうなのですか?……どこが?」
それはきっと、新しくやって来た司教役にこの街のベテラン聖職者としてノウハウを伝える必要があったからだろう。当のマイアが自分のことを話しているのかと目を丸くしているのだから他意などない。
「ふーん、へー……」
「何ですか?暴力シスター」
「いやぁ?何でも?私が昨日言ったことをもう忘れてるみたいだなぁってね」
「昨日の発言?どれのことです?」
「さてね。自分で考える癖も身に付けろよ新米が」
どうやら答えを明かすのに時間を掛ける癖を解いてはくれないようだ。
マイアはまるで自分の寝床に伏すようにクウラさんの肩に頭を乗せ、蠱惑的に瞳を閉じた。
「マイアさん!?ちょ、ちょ、ちょっと!やだ、マイアさん可愛い……キャー!」
仕事拒否の姿勢を示す同業に興奮するクウラさん。オルカさんと同様、彼女もマイアを認めているとなると、もう私に味方はいない。年齢は同じか年下とはいえ、どちらかと言えば姉のような雰囲気の三人は皆が敵対勢力だった。
私の味方になり得る心当たりといえばもう……紅一点、妹気質な彼女しかいない。
「あの、ヤエさんは朝は来られないのでしょうか?」
この場にいても何ら不思議はない最後のシスター。現状、私が最も理解できる……大人には遠く、子供として扱うには立派なシスター・ヤエについて、彼女の実の姉というクウラさんを見据えてフランクに聞いた。
すると、クウラさんは先程のオルカさん以上の速さで目を逸らし、不都合から逃れるように支度を整えた男の子たちの方へ行ってしまった。
これまでの親しみやすさが嘘のように切り離された気分になると、彼女ら姉妹の関係は本当に一筋縄ではいかず、クウラさんに聞こえる場所でヤエさんの名前を上げることすら拙いことなのかと、不意に新たな謎に直面してしまった。
地雷の上で身動きが取れなくなった私にマイアは溜め息を吐き、手を差し伸べてくれた。
「そっとしておいてやれ。二人の関係はかなり複雑だからな。それに、ヤエなら心配いらん。今頃は家で寝てるか、図書室で勉強中じゃないか?あいつは私よりマイペースだからな。……いや、避けてるだけか」
そう言ってマイアは私が仕舞ったばかりのコップを取り出すと、私以外誰も手をつけず大分残った葡萄水をオルカさんに注がせて口に運んだ。
クウラさんを置いたとして、残るシスターたちの平然とした様子から、やはり大事に巻き込まれているわけではなさそうだ。
それと、図書室というのは街の中にあるのだろうか?教会の中に書庫を設ける地域もあるにはあるが、ここではそんな話は聞いていない。図書館と呼べるほどの大きい建物は見当たらなかったので、ざっくばらんに建ち並ぶいずれかの家が図書室として扱われているのだろう。
読書の文化がある。本を持って知恵を授かる術がこのメヘルブにも存在する。
ジャンルや各本のメッセージ性にもよるところだが……もし、この閉鎖された世界からの解放を促す、あるいは物足りなさに気付くきっかけとなるような本があったとして、染まった連中は未だしも、ヤエさんのようにまだ被害者意識を保っている者がその文献に触れるのは危険ではないか?
そうだ。あの女の子も絵本を大切に抱えていた。あれも図書室から借りてきたものだろうか?確か『白い鳩が子供たちに多くのプレゼントを与える』といったストーリーだったはずだ。
あの絵本は血に塗れる結果となったが、そういったものが処分されずに今も保存されているのなら、この環境と神そのものを疑う子供が出てくるのは必然的だ。天罰の実際を知らずとも、周りの大人たちはどうして窮屈な思いをさせてくる何かに対してそこまで傅くのか?……と。世界にはこんな狭い麓街では感じられない刺激や胸を打つドラマがたくさんあるのだから、こんなしがらみに囚われるのは間違っている。戦おう!……と。
メヘルブの掟には私も断固反対だが、神の否定へ誘導する効果のある要素を残しているのは更に理解し難い。これではまるで熱狂的な信者の誰かが異端を炙り出すためにストレスを与えているのと一緒だ。百人もいない辺境の街だというのに結束がなっていない。
……あるいは、神に侵されるより以前のありのままのメヘルブを愛する誰かの細やかな反逆行為という線もある。街の委細を決定する立場にある者として真っ先に思い浮かぶ人物といえば……。
思考を巡らせる私を見て赤いシスターがニヤリと口角を上げた。
嘘が通用しない、こちらの心理を読み取ることのできる相手。読心術といってもどこまで具体的に掘り下げられるのかは定かじゃない。
それに、私がいま考えていることの正誤を持っているとしても、どうせ答えてくれないのだろうし。
祭壇の蓋を外せないほどの非力な女性。それなら力尽くで内に秘めているもの全てを暴き出すことも出来なくはない。クウラさんと子供たちが出掛けて、オルカさんは帰らせる。他に誰もいないのであれば強引な手段も取れるのではないか……?
それこそ、昨日の昼のように組み伏して……。昨日の夜の羊のように……。
――ところでこのマイア。祭壇の蓋はビクともしなかったのに、教会の大扉を開くのは多少の苦労でどうにかなっていたのは何故か?
私の感覚としてはどちらも固いだけで印象ほど重くはない。大扉を開く力がある者なら誰であれ蓋を外すことも可能だ。差などないはずだが……。
邪悪な感情が芽生える頃、食料受け取り班の出発と同時にオルカさんに帰宅を勧めた。昨夜は拒否されたが、現在は一段落した上に疲れも溜まっているため疾く私の指示に従ってくれた。
原因不明のためどうしても二日酔いの印象が拭えない青い顔のワインレッドとは違い、真っ当に励んだこちらの麗人はその美顔が崩れかけている。私が妙な発想を膨らませる前に回復してもらった方が良い。
「では、お言葉に甘えまして。今晩にでも顔を出しますね」
「明日まで休まれても構いませんよ。人手は足りているので遠慮はいりません。ご自愛ください」
仕事への熱意。それとも信仰の意志か。
慣れた環境とはいえ体力もそうないだろうに、無理する気でいるオルカさんに対して思うままに返事した。嘘偽りはないが、はっきり言い過ぎたと即反省したところ……。
「左様でございますか。それでは遠慮しません」
ピアノの音色を真似て立ち去ろうとしたそれの右肩を捕えた。掴む直前で相手が非力なことを思い出し、ギリギリで力を抑えた。
オルカさんはそんな私たちのやり取りをいつもの微笑みで見守っていた。
「何でだよ!」
「人手足りてないじゃないですか!これから礼拝を歓迎するというのに、聖堂には最低一人置いておくのでしょう!?」
食堂から徐々に人が減っていくことにより、本来の役割と教会の決まりを疎かにしかけていることに気付いた。
少なくとも、クウラさんたちが戻ってくるまでの間は私たち二人で教会を守らなければならない。
昼までは教会を訪れる人々の対応だけで終わるかもしれない。昼過ぎに街翁・バヨクの元へ向かうのは絶対だが、告解室の案内と前司教の死についてはまた先延ばしになりそうだ。
ただしこれは、神に行動を操られているというより、私を含めた一社会の歯車が上手く嚙み合っていないだけと解釈できるので、マイアと共に受け流していく時間を不満に思うことはない。
聖職者など肌に合わない。人のためなら構わないが、神官として隣人を見下ろすのはどうあっても充実を得られない。
全く、神父・カイルとしては目が覚めた瞬間からずっと憂鬱な気分だ。
もっとも、それは聖職者としての感想に他ならず、一人の『カイル』として、マイアを始めとする隣人たちとの交流を苦痛に感じることなどない。
グロッキーなマイアには悪いが、神が絡まない今朝は良い気分だった。
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