モーニング・シスターズ Ⅲ

 寝室の窓から外にいるクウラさんへ洗い物を丸めて渡した。快晴のため、昼下がりには渇いているかもとのこと。

 一先ず自室で他に用事はなし。マイアを長く待たせるとまた色々言われそうなので、すぐ聖堂に戻ろうとしたところ、重要なことに気付いた。

「そうだ、鍵」

 今朝は冷静さを欠いていたので忘れたが、自室をあのような輩から守るため、鍵を閉めて出る習慣を身に付けた方が良い。

 そう講じ、数多の鍵がまとめて仕舞ってある箪笥の引き出しを引いた。

 すると、これが部屋の鍵だぞ、と一目で分かるように、他の鍵たちと分けて置かれたものが一つあった。

 こういうところがあるから彼女の悪態を許容できてしまうのだろう。……知らないうちに入られたようだが。

「思い通りですか」

 鼻で笑って、鍵をキャソックの内ポケットに入れてマイアのもとへ戻る。

 聖堂へ出る扉を開けた。その時……。

「なっ⁉」

 説教台が僅かに覗けるくらいまで扉のハンドルを引いたところ、驚く声が聞こえた。

 誰かが私と同じように聖堂側から扉をノックする寸前だったようだ。

「おっと、すみません。貴女は……」

 現れたのは、昨夕の聖堂で挨拶を行った際、クウラさんの隣に並んでいた四人目のシスターだった。

 クウラさんと同じ白つるばみ色の髪をした、おそらく二十歳未満の少女。ショートカットで、後ろから前へ毛先を斜めに断っていることから隙の無い優等生の印象を受ける。

 ただし、ウィンプルを被っていないことや、両耳に小さな十字架をぶら下げたピアスを付けていることから、彼女も独特の感性を持つシスターではないかと思われる。

「……ヤエです。挨拶が遅れました、司教・カイル」

「いえ、こちらこそです。本来なら私から挨拶に伺うべきところでした。ヤエさん、それで……」

 彼女は私に何の用があってここを訪れたのか。それが分からない上、他の三人と違って物凄く警戒の強い眼差しを向けてくるため、距離を感じざるを得ない。

「紅茶です」

「紅茶?」

 こうちゃ?

「だから、紅茶を受け取りに来たのです。伝わりますか? 司教・カイル」

 ヤエさんは一言で察することのできなかった私に呆れて右手を腰に乗せた。

 向かう私は、説明を受けてようやく彼女の目的を理解するに至った。

「紅茶って……あー!」

「なっ⁉」

 ついメヘルブ到着以降、最大の声量で歓喜してしまい、ヤエさんを驚愕させてしまったようだが、これは許してほしい。

 何せここに来て初めて謎が解ける快感を味わえたのだから。

「あの紅茶は貴女が用意してくれたのですね!」

「そ、そうですけど。作ったのも私ですけど……」

「なんとぉ! あれ程の逸品は貴女の手によるものでしたか! 感謝します! 本当に美味しかったなぁ!」

 思い切り取り乱している自覚はあるのだが、ブレーキが効いてくれない。ドン引きしている少女に配慮できないくらいの僥倖だったのだ。

 これ、聖堂まで私の声が響き渡っているのでは……?

「そんなに褒められると嘘っぽいんですけど……」

 シスターの中では最年少に違いないヤエさんは、口ではそう言いながらも頬を赤らめている。

 どう見ても照れているのだが、更なる賛辞を欲するようにチラチラとこちらへ目線を送っているので、紅茶を飲んだ一番の感想を思いのまま述べてみることにした。

「嘘なはずがない! 右も左も分からず不安だった私にとって、あの紅茶を飲んでいる時が最も心落ち着く時間だったのですから。よろしければまた作ってもらえませんか?」

「それは構いませんが……」

 しかし、私はまた間違えてしまったようで、一瞬だけ満面の笑みを浮かべたように見えた少女の表情が、一変して暗く沈んでしまった。

 今のどのワードが悪かったのか全く解せない。謎が一つ解けて、また一つ増えていく。

「そうだ、紅茶ですね。確かあと一杯残っていたので、すぐにいただきます」

「えっ、もうやめた方がいいのでは? 昨日、司教・カイルが部屋で休まれている間に用意したものですから、もうかなり時間が経ってます」

 作り手としてはやはり好条件で口にしてほしいものなのだろうか。

 しかし、私も世辞で褒めているわけではない。朝食の後にこれを堪能できるのが小さな幸せだと心から思っているので、構わず最後の一杯をカップに移した。

「夜明けの絶景と貴女の作ってくれた紅茶。あれこそこのメヘルブで最高の贅沢と言えるでしょう」

「も、もう好きにしてください!」

 ガラス細工を優雅に揺らす私に、彼女は諦めてポッドのみを先に回収した。中身が空でもそれなりの重さがあるはずだが、細腕ながら片手で簡単に持ち上げるあたり手慣れている。

「ふぅ。ごちそうさまでした。やはり時間が経っても美味しかったですよ」

「そうですか。ではそれを、司教・カイル」

 ヤエさんに従ってカップを渡した。

 ところで、彼女の発言について気になっていることがある。

 尽くしてもらうばかりな上、このタイミングで尋ねるのが図々しいというのも承知。

 それでも何故か、このヤエさんにもある程度ルーズに接しても問題ないような気がするため、勢いに任せて謎を確認してみた。

「では、私はこれで」

「お待ちください。一つだけお聞きしたいことがあります」

「……何ですか?」

 ペースを乱されたのが嫌だったか、それとも本当は私に構う時間が惜しいほどの多忙なのか。ヤエさんはいかにも面倒そうな表情でこちらを振り返った。

 立ち止まってくれた以上は時間を無駄にさせたくない。

「私のことは神父と呼んでもらえませんか? 勿論、司教の方が呼びやすいのならそれで構いませんが……」

「…………」

 沈黙である。

 ヤエさんは瞬き一つせず私と目を合わせて数秒……しかし、永遠にも感じる時間を越えて、ようやく閃く。

「あぁーー!」

 優等生とは程遠い、飾らない少女の素直な叫びだった。

 要するに、司教呼びは意識していたわけではなく、単に神父呼びを忘れていたのだ。自らの力でそれに気付くために今さっきの時間が必要だったということ。

 第一印象とは違い、表情がコロコロ変化する少女の挙動が愛らしくて笑いを堪え切れなかった。

「フフフ。別に強制でもないですから、あまり気になさらず。名前だけで呼ぶ方もいるくらいですし」

「失礼しました……神父・カイル。次からは注意します」

 彼女はすぐに呼び名を訂正して部屋から退出する。私もそろそろ行かなければ。

 小さな背中に続くと、ヤエさんが不意に扉の前で立ち止まった。

「神父・カイル、私も聞きたいことがあります」

「はい、何でしょうか?」

「貴方はさっき、私の紅茶を飲んでいる時が心落ち着くと言ってくれましたが、貴方はすでにこのメヘルブの現実を全て目の当たりにしたのですか?」

 ヤエさんが再びこちらを振り返る。つい先程の若い反応がずっと昔のように感じる、覚悟を持った大人の顔だった。

「それは、女の子のことでしょうか? それならこれから見に行くところですが……」

「……そうですね。あれを見れば嫌でも全てが繋がっていくはずです」

 意味深な言葉を残して少女は私の前から消えた。

 全てを知る背中をすぐに追う逞しさが今の私にはなく、これまでの体験がフラッシュバックして一歩目を踏み出すのに時間を要した。


 マイアは皆に白い目で見られるのも気にせず、右奥の扉に最も近い席で足を組んで座っていた。

 勿論、祈りなど捧げているはずもない。本来なら叱責すべき行いのはずだが、私にはその態度こそが人間としての正しい在り方のように思えたので何も言わなかった。

「ヤエが来てたな。何か怒られたか?」

「いえ、全く。空いたポットとカップを片付けに来てくれたのです」

 マイアが手を伸ばしてきたので、私はそれを引っ張って彼女を起立させた。

 すると、マイアが一つの鍵を見せつけてきた。私たちが今から向かう場所でそれが必要になるということだろう。勝手に持ち出したことは一先ず不問とする。

「ふぅん。あっ、あの二人は鉢合わせたのか?」

「あの二人とは、ヤエさんとクウラさんのことですか?」

「そうだよ。気まずかっただろ?」

「いえ、対面しませんでしたよ。ヤエさんが私の部屋を訪れた頃にはもうクウラさんに洗い物をパスし終えていましたから。ところで――」

 マイアは扉のハンドルを握ったところで面倒そうにこちらを振り向いた。私が聞きたいことに察しがついているようだが、ヤエさんと比べて可愛くない。

「あの二人、何だか似ているような」

 白つるばみ色の髪だけではない。ヤエさんとはまだ一度しか話していないため、あくまで印象によるものだが。

 何というか、二人の根底にある魂の形が……そう、オルカさんとは違う在り方ながら、二人とも聖職者に相応しい女性なのだと、少し時間を共有しただけでそう感じたのだ。

「そりゃあ似たくなくても似る定めだろ。同じ親から生まれた姉妹だからな。もっとも、昔からずっと不仲でやってるらしいが」

 そうか。あの二人は姉妹。

 薄々勘付いていたため、その事実には特に驚きもないが、不仲というのはどうしても気になってしまう。

 他者と向き合う際の姿勢だけなら正反対とも取れる二人だが、あの温厚なクウラさんが、あの優等生のヤエさんが、不和を起こすことなど果たしてあるのだろうか?

 各々の相性。都合や間の悪さ。そういうものが原因だと言われればそれまでだが、不仲とは些細な行き違いによるものが多く、本心を打ち明けてみたらあっさり和解するなんてケースは五万とある。彼女たちもあるいはそれに該当するのではないだろうか。

 つまり、だからこそ、何も情報を持たない私が口を挟むと更に不和を広げてしまう恐れがあるため、一先ずは様子を見ることに徹するのが吉ということ。便利な主も、仲直りの方法までは教えてくれないはずだから。

 

 ――この世ならざる赤い怪物の一面を秘めるマイア。

 ――過剰にも思える神への信仰を示すオルカさん。

 ――謎が謎を呼ぶこの街で姉妹となった運命のクウラさんとヤエさん。

 ――そして、カイルという名を貰った、司教であり、司教でしかない私。


 まだ昼前。住民たちは入れ代わり立ち代わりで礼拝のルーティンをこなしていく。

 平和そのものと言える教会にて、私は初めてまともにこの街の都合の悪い真実と向き合おうとしていた。

 逃げ出すなどとんでもない。今の私は身の危険など感じていない。

 だって、司教の私がそのようにみっともない真似を晒しては皆に示しがつかないではないか。

 マイアと共に右奥の扉に入る。私の部屋と向かいにあるこの先の空間で女の子が待っている。

 皆が諦めている彼女に私は救済を与えたい。

 私はこのメヘルブで最も強い権威を持つ者であり、神の化身に他ならないのだ。

 不可能など何もなく、怖れるものなど何もないに決まっている。

 

 ――私がここにいる原因とも言える前司教の死。

 もう一方の未知の空間……告解室にて亡くなった貴方もきっと、真実を目の当たりにするまではこのようにご立派な自尊心に満ちていたことでしょうね。

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