司る夕 Ⅱ

 やはり扉の先は食堂に繋がっていた。

 私の部屋と同じく直通だったが、構造は大分違っている。こちらの方がずっと広い。

 キッチンが設けられているだけでなく、寝室や浴室も多人数の子供が同時に利用することを想定したスケールであるのに加え、性別に分かれてそれぞれが二部屋ずつ用意されているのだ。

 キッチンの横にある共用の棚には勉強道具や日用品が収納されており、勉強や室内の遊戯もここで一括して行われるのだと分かる。

 食堂というのはあくまで名目上で、リビングや教室と言っても間違いではないかもしれない。

「はーい、準備完了。どんどん食べちゃってー。スープのおかわりたくさんあるからねー」

「いただきまーす!」「いただきます」「いただきます!」

 四人掛けの大きな長方形テーブルが食堂の中心に、私の部屋にあったものと同じ四人だと狭く二人で丁度良いサイズの丸テーブルが窓辺に置かれている。 

 子供たちは少し前まで私とボードゲームに興じていたというのに、シスターの号令を受けると快活な男の子から順にテーブルへ駆けていった。落ち着いた男の子は黙して私に一礼、面倒見の良い女の子も私に「ごめんなさい!」と謝って食事を始めた。

 私は子供たちがほったらかしにしたボードゲームを片付けてから、席取りのようにストラを置いた丸テーブルの席へ向かった。

 ちゃんと片付けなさい、と注意すべきかもしれないが、今の私には彼らの元気が眩しく映って叱るに叱れない。厳しい目線で子供たちの面倒を見るのは他の者に任せて、私は優しい目線で見守る役に逃げよう。

「神父さんもどうぞー。オルカもそっち座る?」

「はい。クウラさんは子供たちをお願いします」

「了解ー」と軽い調子のシスターは、夕食のメニューを乗せたトレーを私とオルカさんにそれぞれ配ると、子供たちのいる長方形テーブルの空席を目指した。

「ありがとうございます。えっと、クウラさん?」

「はいはーい。これからよろしくねー……あ、いや、お願いします神父さん!」

 夕食を準備してくれたクウラという名の女性は、先程の聖堂で混ざりたそうに私たちを窺っていた方のシスターだ。隣にいたもう一人のシスターと同じ白つるばみの髪色で、長く伸びたそれを後ろで一本結びにしているのが特徴だった。

「こちらこそ、改めましてカイルです。以後お願いします」

 私がそう言うと、クウラさんは屈託のない笑顔を返して席に着いた。

 私やマイアより年下で、オルカさんよりは年上といったところだろうか?

 マイアほどではないがある程度ルーズで、オルカさんほどではないが包容力があるように見受けられることから、いわゆる姉のような女性という印象を持った。

「私たちもいただきましょう」

 対面するオルカさんに促され、「いただきます」と挨拶をして、まずはロールパンを掴んで噛む。

 オルカさんの方は行儀良くパンを一口大に千切ってからゆっくり口に運ぶものだから、私と違ってとても上品に映る。食事マナー一つで即敗北した。

 トレーには同じロールパンがもう一つと、羊肉と色鮮やかな野菜のソテー、山菜のスープ、四分の一の林檎が、それぞれ適したサイズの皿へ取り分けられており、色鮮やかで食欲をそそられる。

 思えばいつぶりの食事だろうか。

「神父さま! ごはん美味しい?」

「こら! 行儀悪いでしょ!」

 口に羊肉を入れたまま私に質問してきた男の子が、向かいに座る女の子に注意された。クウラさんともう一人の男の子は気にせず食事を続けているから、きっと今のようなやり取りは日常茶飯事なのだろう。

 私も叱られないようにパンの詰まった口を閉じたまま頷いて応えた。彼はそれで満足してくれたようで、再び食事と向き合った。

 タイミングを見計らっていたのか、オルカさんが夕食の説明をしてくれた。

「お口に合いましたか? ここでいただくものは街の農家さんや猟師さんから提供してもらうものが主なのです」

「猟師ですか。となると、山の方へも?」

「はい。時には猪なども焼いたり、鍋にしたり。あと、お魚を分けてもらうことなども」

「魚、ですか?」

「はい。あっ、そうですね。まだご覧になってませんものね。山の手前には川が流れていて、晴れの日に子供たちとそちらへ出掛けることもあるのですよ」

「なるほど」

 そうだ。私は教会内どころか、この街も、それを囲う環境さえもまるで知らない。新たな司教として堂々の名乗りを終えてもなお、知識はまだ客人レベルなのだ。

 各所の案内は明日でもいいが、今のうちに聞きたいことは聞いておくべきか。質問は山ほどあるが、今この場において最適な質問といえば、やはり……。

「オルカさん、実は初めのうちから気になっていたことがあるのですが……」

「はい、何でしょう?」

 オルカさんが食べるのを止めて私を真っ直ぐ見つめる。

 彼女はクウラさんと共同で食事の準備に取り掛かっていた頃からウィンプルを外しており、今もそのままでいる。初めて露わになった美麗な銀髪に暫し見惚れてしまった。

 こうして狭い丸テーブルで対面する形となると、どうしても異性の意識を感じざるを得ない。マイアが相手の時は余裕だったのに、オルカさんが相手だと比較にならないくらい心臓が弾む。

「いえ、教会に寝泊まりしている子供はこの三人だけなのかと。聖堂には多くの大人が集まっておりましたが、他の子供を見かけなかったもので」

 ありのまま、気になることをそっくりそのまま言葉にしてみた。

 私は正門を越えて事ここに至るまでの間、この三人以外の子供に会っていない。夕刻なら家に帰ったのだと解釈できるが、昼間も目にしなかったのは何故か。

「それは……」

 はい。現在この教会で預かっているのはこの子たちだけで、他の子たちはお家でご家族と過ごされていますよ。

 ……そう答えてもらえれば良かっただけなのに、オルカさんの表情が段々と曇っていく。私は緊張のあまり、何か不味いことを聞いてしまっただろうか?

 重い空気に耐えられず隣のテーブルを窺う。子供たちはオルカさんの変化に気付かず食事に夢中だが、クウラさんだけは私と同じくとても気まずそうにしており、私の視線を逸らした。

「オルカさん、いいのです。子供たちのいるところで聞くことではありませんでした。今のは私のミスです」

 オルカさんの心情も考えず、雑な詭弁を並べる私は傍から見たらどれだけ無神経なものだっただろうか。


 ――そうじゃない。子供が三人しかいない理由なんて、それはそのまま……。


「ごめんなさい。私、休みます……」

「え、しかし……」

 オルカさんは夕食をまだ半分も食していないにも関わらず席を立った。

 あれほど穏やかだった相貌が、私の無神経により見る間に血色を失っていく。説教台から見た皆の不安気な顔が呼び起こされる。

「私の食べかけで良ければどうぞ。捨ててしまうより誰かが食べた方が善いでしょうし」

「オルカさん……」

「詳しくは明日、明るいうちにお話しますね。あと、教会の案内も……」

「あ、はい。お願いします」

 立ち上がって私を見下ろすオルカさんは……きっといつものオルカさんと同じだろうに、何だか威圧感を覚えてしまい、それ以上は何も言えなかった。

「オルカさんもう食べないのー?」

「だ、大丈夫ですか?」

 私と違い声を掛けられる男の子と女の子。その二人に「少し熱があるみたい」と嘘を吐いて、オルカさんは食堂を後にした。

 二人と違って黙したままの落ち着いた男の子は、何かを悟るようにオルカさんの消えた扉を長く見つめていた。

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