/7 ハギ 前向きな恋
〔爪先を向けた方が前
ほんとは別に前も後ろもない
進みたい方が前なのよ〕
狭間の街の中層には“花屋”がある。
赤色の丸い扉と踊る花が目印。広いテーブルにはビーズやガラスの粒が色ごとにわけて入れられた褐色のジュエリーボックスや接着剤、塗料が高さ順に並べられてワイヤーやハサミがコップに立てられている。壁にはリボンやチェーンがホルダーに並べられて、小さな歯車や螺子が小箱の引き出しに乱雑に詰め込まれている。回転型什器には色とりどりの布や糸がかけられて、床のあちこちには切れ端や破片たちが散乱していた。
狭間の街には花屋がある。ぎりぎりとした切る音やごんごんと打ち付ける音が響き、塗料とシンナーの匂いが時折立ち込める花屋がある。
中層の一画、赤い丸扉の居住区で今日もせっせと花の手入れに勤しんでいた。
花___そう、花の。
狭間の街に、谷の底に、国の外に生命は芽吹かない。植物がまるでないとまでは言わないけれど、それが生きた植物かと言われると肯定はできない。太太と谷の壁面から覗き這う黒褐色の樹木、ひび割れた大地から覗く枝、それらは全て旧時代から形だけ生き残った植物の化石と呼ぶに相応しい。
狭間の街に、谷の底に、国の外には花は咲かない。種を蒔いたとしても、定期的に降る毒によって朽ちていく。たとい囲われた街の中であっても、例外はない。国からこそりと持ち込めばあるいは、ただ長くは生きてはくれない。
鮮やかな赤い髪を靡かせ、せっせと女が世話をする花を国の人間は花と認めてくれないだろう。けれど狭間の街の人間にとっては疑いようもなく“花“だった。
造花である。
布の端切れ、丸めたガラスの欠片、ワイヤーに通した樹脂、色づいた金属片、切り取った歯車、モザイク柄のタイル、そういうものを組み合わせて花の形にしたスクラップ・アート。
灰煙色と鉄錆色、褐色と仄かなレトロライトで構成された狭間の街にとって、彼女の生み出すそれらは彩りの花だった。ちみっこ組などと称されるロップなどはいっとう街の花を気に入っていて「あのね、あのね、お手伝いさせてほしいの」などと願っては、代わりに花がほしいのとねだった。
必要かと言われれば必須ではない。けれど街には花屋があった。
ぱちり、とリボンを切る。指差ししながら頭の中ですること、したいこと、やらなければならないことを順番に並べていると視界に時計が映った。カリグラフィックの数字が特徴的のレトロ時計。
正直正確な時刻を教えてはくれないし時を刻むたびにかちかちと、常喧しくなくとも眠れない夜には耳に入って音を響かせる。彼女が国にいた時与えられていた、静寂で1秒のズレすら許されない正確さを誇るデジタルウォッチの方が時計としては優れている。
ただちくたくカチコチという音は女にとってはとてもお気に入りだったし、なによりも「男性ヨリ15分早ク待ツノハ当タリマヘ」で「何ガアツテモ1分足リトモ遅レルコト不成」は最早非常識になった。それに、なにより。このレトロ時計は彼女にとって特別だった。
はてさて、しかして時計がざっくりと指し示す時刻を見るにそろそろだ。まずは鋏を置いて、それから服を払って、手を洗って、冷蔵ボックスから包を取り出して、それから、それから……あぁ!髪!身だしなみ!
慌ててキャスターがついた鏡を引っ張り出す。端にヒビが入っているあたりが女の性格を表している。いそいそと胸まで伸びた赤髪を手櫛で触って、どこも跳ねていないか、おかしいところはないか、くるりと回ってエプロンを触って全身チェック。何度見てもどこかがおかしい気がしてならない。
とん、ととん、とドアをノックする音。
「おっはよー花屋さーん!」
それから賑やかで快活な声が投げかけられるので花屋は慌ただしくも落ち着きがない様子で体を跳ねさせた。
「は、はいっ!」
震えたたせるように服の袖を手が隠れるくらい引っ張ってから、取り繕うかぶりで扉からひょこりを顔を覗かせた。
「あっ、おはよー花屋さん!」
「お、おはようございます整備士さんっ!」
にぱっと影のない笑顔が眩しい。霞色の髪をひとつに纏めた整備士は、呼び名にらしくオイル汚れや煤けたジャージを着て手には無機質な鉄色の工具箱を持っていた
「あれ、今日はどこかお仕事ですか?区画入れ替えは一昨日したばかりでは…」
「今日のは修繕。ほら、昨日さ、どっかんて鳴ったのあったじゃん?それのお直し。」
「あぁ、そういえば。」
狭間の街では珍しいことではない。寧ろ、言われて「そういえば」と思い出すくらいの出来事だった。
「お疲れさまです、いつも、ありがとうございます。」
整備士はその呼び名通り、狭間の街の“整備”を担っている。
雨と雪で寂れた天井と国に対する防衛膜、度々のトラブルで傷ついた居住区、小さな綻び、大きな破損、季節の変わりで変動させる区画。住みやすくあるように、街が街として機能するようにと必須のクラッシュ&クリエイトを繰り返す。
その実、無秩序に不規則にけれどきちりと嵌ったガラクタたちを組み上げて造られた狭間の街の大まかな骨組みを作ったのが整備士である、といえばその役割の重要さがことさらにわかるだろう。これには理知で賢き狭間の街のリーダーも一歩後ろをいく。助手だ、助手。
「ううん、これが自分の役割だからね。たのしいーし。」
何処か地に足がつかない様子でそわり、と整備士が体を揺らす。花屋はとんとその様子に気がついていなかった。ただ、同じことを考えていたらしかった。「ア、ちょっとまってくださいね」などと口にして引っ込んでから、また顔を出す。手には包みが握られていた。中には卵とトマトが挟んだサンドイッチ。
「ワ〜、花屋さんのサンドイッチ!そうそう、これがないとさ、一日力が出なくてやる気が出ない心地。」
いつからか常習してしまった習慣。整備士は朝と昼の間くらいの時間になると花屋にサンドイッチをねだりにくる。昔…それこそ2人が出会ったばかりの頃に作って渡した、料理というにはあまりに簡素で簡単なサンドイッチをひどく気に入ってしまったらしい。
いそいそと胸に抱く整備士に、花屋はほっと胸を撫で下ろす。
それからじっと整備士に見つめられるので。今度はぽっと熱くなる。
どうしたのかしらん。もしかして何か変なところでも!?穴が開くくらいぢっと確認したはず……ア、でもちょっと疲れ目が酷いから見逃したのかも…
「花屋さん、朝からお手入れしてた?」
「へ、あっはい。」
「お疲れさま〜!ア、ていうか、邪魔した?もしかしなくても…」
「そんな、ちょうどキリのいいところで休憩してたとこで…」
キリが良くなるようにして、身だしなみのチェックを3回するくらい時間を余らせていました、なんて口が裂けても言えない。恥ずかしくて。急に話が飛んだ整備士に、もしかしなくてもやっぱり何かついてたりしたのかしら、と4度目の身だしなみチェックをしたくなった。
「そ、それに、私のは趣味みたいなものですから…」
狼狽えと焦りから花屋が咄嗟に放った言葉は卑屈めいていた。
整備士はぱちくりと目を丸めて(まるで青天の霹靂だと言わんばかりの顔を)ずいと、鼻がくっつくくらい近づいた。ぴゃ、と花屋はおかしな鳴き声を間一髪で押さえ込んだ。
近いです!と叫べたらどれほどいいだろうか。思考回路は二分された。発狂じみた叫びを上げる自分と、冷静に整備士の素敵さを語る自分。
あああああああああ近い!近いです!近いっ!わた、わたわたわた私変な顔してないよね!?ななななななななんでこんなちか、ちかいいいいいいいい!走馬灯にはこれ絶対流してほしいです!
これが発狂じみた叫びを上げる自分。
ワ、整備士さんってばやっぱりスタイルいい。いつもジャージだからわかりにくいけど腰のラインが魅惑的。ア、息苦しいからって緩めてる首元から鎖骨みえる。顔立ちも凛としてて霞色の髪さらさら、雑に纏めてるからこそゴムが落ちないのね。
これが冷静に整備士の素敵さを語る自分。
並べてみて花屋は自分の根底が変態じみていることにちょっとショックを受けた。
しかして問題は整備士である。そもそもこんなに魅力的な麗人がちょっと寄せればキ、キキキキキキキス、そうキスが出来ちゃうくらい顔を近づけるのが悪いのでは?一周回って花屋は整備士に責任転換をし始めていた。
「花屋さん。」
口が裂けても本人には伝えれない内心を暴れさせている花屋に整備士はちょっとばかり叱りつけるような口調で呼んだ。もしもバレて咎められるなら潔く…そう潔く変態の汚名を被ろう、事実だし、覚悟を決めた。
「そういう言い方はしないでほしいかな。」
整備士のムとした様子に花屋はぱちんと瞬きした。頭の中でうるさかった自分が統合される。
「メタリックで機械的でガラクタの積んだ街で花が見れるようになるなんて思ってなかった。もう2度と見れないんだろうなーって思ってたものが見れて、嬉しかったからみんな花屋さんのお花を貰いに来るんだよ。ロップちゃんなんて枯れない花に大喜びしてお家が彩りまくってるーって聞いたよ。だからさ、なんかそういうふうな言い方しないでよ。」
統合されて、また分かれた。
整備士の言葉に素直に喜ぶ自分と、近すぎる距離のせいで吐息すら感じられることに沸騰寸前の自分。もう仕方ないと思った。いっそ気づいてすら欲しかった。
整備士は止めと言わんばかりに、みじろきひとつで触れ合う距離のまま花屋の髪を撫でた。
「あと、仕事行く前にさ。素敵で綺麗なものでできたみたいな部屋から出てきてくれる花屋さん見て、しかもサンドイッチまでもらっちゃって、いってらっしゃいって言われるのもう最高でハイになっちゃう心地。たまに花屋さんが花を作ってるの眺めてるとさ、素敵なものって素敵なひとからつくられるんだぁって感動する。」
「あ、あのあの近いですってばぁ…!」
ようやく花屋は声をあげた。沸騰寸前だった自分が沸騰してしまったので。鏡を見ずともわかる、髪と同じくらい、いや、それ以上に全身が真っ赤になっているに違いない。
なにより整備士の瞳だ、瞳!そんなに蕩けて色っぽい視線を向けられてはたまったものではない。そんな瞳で微笑まないでください!
するりと指が離れて、花屋はまるで怖くない顔できっとまなじりを吊り上げた。
「ふふ、ごめんね、糸ついてた。」
「ぅぅぅ…」
「あっ、もうそろそろ行かないと……いってきます花屋さん!」
「い…てらっしゃいぃ…」
半分意地で「いってらっしゃい」だけは呟きに近い小さな声で投げかけた。嬉しそうに胸にサンドイッチを抱えて手を振る整備士を見送る。
とうとうと背中が見えなくなって、それから数秒。花屋は溶けるように蹲った。頬を手のひらで抑えるがどちらも火照ってしまっているので何も収まらない。
「ぅぅぅぅぅ、なんであんなにすてきなの……!」
風の囁きよりも小さな声で、耐えきれなくなった叫びを悶えながら呟いた。
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