/5 キチジョウグサ 祝福


〔それは人によっては祝福で

それは人によっては甘い毒で

それは人によっては当たり前で

それは人によっては奇跡に等しい〕




退廃した世界で孤独なはずの国、まるで誰かの思惑のように唯一無二を掲げた2つの国は何の因果か、今や隣り合って存在している。


ただ、隣り合っていると言ってもぴったりと、国境の線だけで区切られている隣国という訳ではない。全く異なる箱庭を隣り合わせて置いただけ、と言えばわかりやすいだろうか。

パズルのピースのようにピッタリとはまることを前提として作られている訳ではない。それ故に、2つの国の間には“隙間”がある。


口を広げたみたいな小さな峡谷。灰色を呑み込む窪地。そういう“隙間”が横たわり、実のところ隣国を名乗りながら2つの国土はどこも触れ合ってはいなかった。


さて。

亀裂のように存在する谷の間には古びた煉瓦造りの橋が架けられている。アーチ状の橋には近年になって付け加えられた装飾と底から這い上がって絡む蔦や枝葉が混在していていた。廃ずんた空の下、それぞれの国の最先端同士を繋げた橋が逆光の影の中に佇むその様は、幻想的な美しさと蠱惑的な妖しさをたたえていた。


橋はいつからかそこにあった。

どちらの国が架けたのか、どうやって架けられたのか、誰か架けたのか。その一切は最早わからない。けれども確かにそこにあった。


別に全てが“そう”だった訳ではない。空を飛ぶ術を、駆ける術を、どちらの国も持ち合わせていない訳ではなかった。ただ大地を離れられなかった人間が結局橋なんてものを架けてしまった。

なければ、あるいは。けれどそこにあってしまうから、手段のひとつとして数えられるのは当然だった。


戦火に紛れて、悪意がやってくる。

似た形をした“敵”が崩壊をつれてくる。

橋を、つたって。



_____悪魔だ!きっと悪魔が造ったに違いない!悪魔が造った橋が国を火に焚べるのだ!


橋はいつからかそこにあった。戦火に砕けて壊されたこともあったが、いつしか直された。ひび割れて壊れたこともあったが、気がつけば架けなおされた。壊されて、架けられて、砕けて、架かって、いたちごっこみたいな繰り返しの過去があったのも理由の一つかもしれない。

橋は戦争を誘発させるために悪魔の力を借りて造られた、“悪魔の橋”だと囁かれた。


その橋の下、ぽかりと空いた暗がりの奥、谷の底。捨てられたものたちの吐き捨て場。国から落ちた、何者にも守られないガラクタ置き。

そこには”狭間の街“があった。

街、といっても。捨てて、捨てられた者たちが肩を寄せ合ってガラクタを積み上げた建造集合体みたいな場所に棲みついているだけだけれど。確かにそこには街があった。


そもそもの話だけれども、どうして皆皆国の外へ足を向けることがないのか。

退廃世界の空には灰煙色の雲が分厚く伸びている。いつも。ずっと。変わり映えせず常駐している。雲はその役割を全うしている。風を吹きさらし、雨を降り注ぎ、雷を轟かせ、雪を敷き詰める。空でいちばんの働き者。ただその雲が毒でできていること以外は完璧。

毒でできた雲から降り注がれるものが毒でない訳がない。


冬と春には毒を孕んだ埃雪ほこりゆき。夏と秋には毒を含んだ爛雨ただれあめ。きちんと忘れずに、いっそシステマチックに、ちゃんと降ってくる。

機能としていっそ性格が悪いとすら思えるのはベニテングダケとかスネークポイズンと違って即効性のない毒である、という点だろうか。侵食と汚染に特化している、と言ってもいい。


例えば。どれほど頑丈な物質であっても雨垂れが石を穿つよりも早く、雪解けを待つよりも確かに廃れさせる。

物質に関係なく錆を発生させるようなもの、といえば想像がしやすいだろうか。国の外をまるで人々が知らないのは、地平線の向こう側など夢より遠いのは、どんな機能的な乗り物を作っても降り頻る毒によって寂れてしまうからだ。


では人体においてはどうなのだろうか。これも例外はない。ただし無機物有機物問わずとして引き起こされる侵食性汚染退廃とは少々毛色が異なる。

人体において、その毒はとある病を発症させる原因となった。


不治の病で、必死の病。名を日陰病ひかげびょう

まるで体がぼろぼろと、外に放置された青錆色の人形のように表面から徐々に崩壊していったりする訳ではない。その症状は名の通り。

そもそもの発症理由は降り注ぐ毒が人体の構造では、現在の医療では体外に排出することができないことだ。汗も尿も体液に至って、有害物質として体外に排出できず、蓄積される。

毒。毒が体内に、それこそまるで雪のように積もっていく。


蓄積していった毒は神経機能の末端に至るまで侵食し、汚染し、ゆっくりと体を硬直させていく。徐々に、徐々に、綿で首を絞めるように恐ろしいほど確実に死に至らしめる。その過程で体が塗りつぶされていき、陰った様相へと変貌させる。まるで日陰の中に入っていくように、自分自身が影そのものになっていくように。

そしてその唯一の特効薬が”太陽の光“であると言うことも含め、皮肉と事実を交えて名付けられた。


先述した通り退廃世界の空でいちばんの働き者は雲である。灰煙色をした、いつだって分厚く空を覆っている、毒でできた雲。一度だって空の隙間すら拝ませてくれない、空気が読めないくらい働き者。では退廃世界の空で最も不真面目なのは太陽に違いない。


ただ幸いなことに、完治させる特効薬はなけれども進行を食い止める抵抗薬ならば存在する。

”国に引き篭もる“。

正確には旧時代から取り残された、生き残った”原初の遺児“の持つ祝福に守護された国に引き篭もること、だ。太古の国の始まりに語られた祝福だけが、空から罪のように延々と降り注ぐ毒を防ぎ死の病を食い止めた。言い換えればそれ以外に防ぐ術はなかった。


国の中でだけが毒に怯えず生きることができた。

そのたったひとつの紛れもない事実が、どんなことを生み出したのかは想像に難くないだろう。


どこを掛け違えたのかは知らない。

最初は話し合う卓が用意されていたのか、最初から卓に武器を持ち込んでいたのか、そんなものはどうでもいい。


国というものが存在する以上、国に”外“がある以上。祝福の守護には制限がある。範囲が決められている。だから国の外に出ればいつだって毒に侵される。

守護は雲にぎりぎり触れない程度の位置を頂点にして、円柱に限りなく近いドーム状の形をしている。そのドームから出てしまえば、誰も例外なくぱちん。と。祝福に守られなくなる。どれほど国を慕っていようと、忠誠を捧げていようと、聖人であろうと。外に出れば誰も彼も彼女もなにも。


減っては増えてを繰り返す人数ときちりと範囲が決められた祝福の守護の中に引き篭もる人々。


ある日突然現れた似たような形をした、同じ国の人間ではないけれど同じ祝福に守られている。どうして、あれが欲しいと思わないと思うのだろうか。

だから彼らは、わかっていながら負けられなかった。賊軍の烙印の果てに祝福を失うことだけはしたくなかった。





____だから彼らのそれは、打算を含んでいながらも人道的な感情も含んでいた。

“悪魔の橋”の中心で、それぞれの国の祝福は途切れている。だからその谷の底は橋の下で、円状面の祝福の“下”にある。何が言いたいのかといえば、塗りつぶされた更地の外よりは幾許かマシであろうと、谷の底にはやっぱりひしひしと毒の脅威が迫っているということ。


橋の下、谷の底、ガラクタを積み上げただけの“狭間の街“には祝福の恩恵は与えられない。

だって、そこはただの”狭間“。どちらの国でもない。


雲から降り頻る毒は全てを汚染する。果たして組み立てた壁や屋根で防げるか、といえば。濡れる心配はないね、くらいだろうか。

”爛雨“も”埃雪“も。時間をかけて丁寧にきちんと“そのために”作られたものみたいな精密さがあった。


さて。戦時中というのはあらゆる倫理と道徳、付け加えて人道の全てが地に落ちる。命を奪って積み上げた屍の数が功績に直結するので仕方ないといえば仕方ない。

みんなしてるから、ずっとそうだったから、そんな思考で谷の底にはがらくたたちが捨てられて累積した。国に居られなくなった者たちが逃げ込んで、不要とされた者が捨てられた。旧時代におけるスラム・ストリートのそれと似たようなものだ。


ただ和平が結ばれ、平和がもたらされると今度は倫理と道徳、付け加えて人道の全てに口喧しくなる。

「例え国同士の隙間であるとはいえ廃棄物を放置というのはいかがなものか」「谷の底とはいえ妖しげな人間がそこにいると思うと恐ろしい」「子供がそこにいるかもしれないのに助けないのか!」「もしも武器が暴発でもしたら…地盤に影響があるのでは…?」「元を正せば国に住んでいた人間だろう」

口喧しくなってしまえば無視できない。


両国は狭間の国に交渉を持ちかけた。決裂。

両国は再度交渉を持ちかけた。決裂。

両国に狭間の街によって引き起こされたとされる窃盗疑惑が持ち上がった。

たった数分だけの限界を設け(毒汚染の影響があるため)両国による物理的交渉による干渉。決裂/失敗。


実際に谷の底へ、声明を発表されただけの狭間の街を両国の軍人/騎士が訪れたのはこれが初めてだった。そこを見て、驚いたという。

ただ積み上げられているだけと思われていたガラクタ達は無秩序に、不規則に、矛盾を感じるほど複雑で精巧に組み上げられていた。巨大な機械城と言っても過言ではない。


ぼんやりと狭間の街から漏れ出る淡い光りくらいしか光源のない暗がりの底、降り注ぎ蝕む毒、街の人間しか知り得ない正しいルート。下へ、上へ、前へ、後ろへ、あっちへ、こっちへ、どっちへ、入口すら見つからない!

時間が足りない。機材が足りない。人道などが叫ばれているので迂闊な破壊行動だって慎む必要がある。何よりも恐ろしいのが今もきっと蝕んでいるだろう毒!


結局九年たった今でも両国の干渉は守護なく晒される毒の脅威と、そして他でもない街の住人の手によって阻まれた。


何故?わからない。どうして、街の人々は誰ひとりとして街から出ようとしないのか。祝福に守られる国ではなく毒が降り積もるそこを選ぶのか。


____わからない。幸福なあなた達にはわからないから、どうか。お願い。

延々と降り注ぐ毒よりも、陰っていく病よりも。何よりも恐ろしい。ただ自分達を囲うだけ・・の膜なんていっそ、どうでもいい。


生まれてよかった、生きていてよかったと、捨て去られた自分達のためだけに与えてくれた祝福を取り上げないで。

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