第8話 大団円

 和代は、この話を聞いて、早速、葬儀に出かけて行った。帰ってきてから、一日目が真っ赤になるほど泣きはらしていたのだが、

「あなたはいなくならないでね」

 と言って、佐伯に寄り添っていた。

「これで、和代と俺の間に、障害はなくなった」

 と思った。

 翌日からの和代は、今までの和代に戻っていて、それまで毎日のようにいろいろと些細なことで言い争いになっていたのもなくなった。

 いよいよ結婚が、秒読みと言われ始めた時、世の中というのは、実に厄介なもので、急に、佐伯が転勤を言い渡された。

「転勤と言っても、大丈夫さ。結婚したら、戻ってくるように会社にいうからさ」

 と、かなり甘いことを、佐伯は言った。

 だが、和代の方は、

「会社って、そんなに甘いものじゃないわよ。私は、お母さん一人を残して、結婚してついていくわけにはいかないの」

 というのだった。

 だが、別れるという話にはならない。とりあえず、遠距離恋愛を続けてみて、それからお互いがどうなるかということだろうと、二人の話は落ち着いた。

「遠距離と言っても、車で帰ってこれるくらいのところなので、そんなに遠い距離ではないよ」

 と言い聞かせた。

 確かに隣の県で、しかも、車で3時間くらいのところなので、ちょっとしたドライブという感覚である。だから、佐伯もさほど心配はしていない。心配しているのは、和代の方だった。

「大丈夫さ。いざとなったらすぐに帰ってこれる距離なんで、和代も結婚となると、ついてきてくれるさ」

 という安易な考えしかもっていなかった。

 月に2度くらい、こちらに戻ってきて、1日中一緒にいた。一緒にいる時はいいのだが、佐伯が帰らなければいけない時になると、とたんに暗くなってしまう。

 和代だけが暗い気持ちになるわけではなく、佐伯にまでそれが伝染する。

「やはり、俺は、和代の影響をずっと受けてしまうんだ」

 と感じた。

 これは、和代と佐伯だけの関係ではなく、和代と後藤の関係においてもそうだった。後藤の感情が和代に大きな影響を与えていた。つまり、佐伯との関係とは逆だったというのだ。

「俺たちは、そういう連鎖を持っているんだろうか?」

 と感じたが、まるでそれが、

「自然界における、食物連鎖」

 のようなものが、感情の連鎖として繋がっているかのように思えて仕方がなかった。

 次第に、和代の態度が変わってきた。だからと言って、その日のうちに飛んでいくわけにもいかない。電話で話しても埒があくことではない。和代の精神状態が荒れてくるのが分かる。

 週末になると飛んで帰ると、少しの間、落ち着いているが、また、ストレスからか、荒れてしまうのだ。

「躁鬱症ではないか?」

 と思い、病院に行くことを勧めるのがいいか、これも迷ってしまう。神経内科というのは、あくまでも本人が病気を意識して、自分から病院に行くと言わなければ、どうなるものでもないからだ。

「これが遠距離恋愛の呪縛なのか」

 遠距離恋愛は、うまくいかないと言われているが、

「そんなことはない」

 と思っていた。

 しかし、実際にこうなってしまうと、どうすることもできない。これほど、恋愛というものが難しいものかと考えていた。

「まさか、後藤さんの呪縛なんじゃないだろうか?」

 とさえ思えてきた。

 さすがにここまでくると、佐伯も疲れてきた。

「このまま別れれば、絶対に後悔する」

 という思いが一番強く、最初の頃のように、強引に突っ走ることができなかった。

「たぶん、彼女も同じ状態になっているんじゃないだろうか?」

 と考えても-みたが、それでも、自分だけが苦しんでいるように思うのは、被害妄想があるからではないだろうか?

 彼女の様子を見ていると、どこか、佐伯に似たものを見ているような気がしたので、ちょっと話を聞いてみた。

「私は、何か妄想を抱いているような気がするのよ。私のまわりの人が皆、私の知らない人たちと入れ替わっているかのような妄想なのよ」

 というではないか。

 佐伯は似たような妄想であったが、

「俺は、知らない人が皆知っている人に見えてくるというそんな妄想に駆られているんだよな」

 と感じていたので、同じような妄想なのだが、まったく違う、いや、正反対の妄想を抱いていることで、佐伯は、

「もう彼女と一緒にいると、どっちもおかしくなってしまう」

 と、考え。別れを渋々ではあったが受け入れた。

 その後の彼女がどうなったのか、正直知らない。

 結局会社も辞めることになった。

 辞めてからというのは、アルバイトのような形で大学の発掘に携わっていたのだが、そこで教授が拾ってくれたのだ。

 まだ、25歳だったのと、大学で考古学の専攻をしていて、知識は十分にあるということで、研究員の一員となったことで、第2の人生が花開くことになったのだ。

 前の会社の呪縛が残っていなかったわけではないが、考古学をしていると、嫌なことも忘れられるし、そのおかげで、また考古学という孤独な世界に入り込むことができる。

 5年後には、論文を発表し、それが評価を受けたことで、大学からも、正式に雇われることとなり、40代後半で、准教授にもなることができた。

「これも教授のおかげです」

 と、准教授昇進祝いの席で先生にお礼をいうと、

「いやいや、君の努力のおかげだよ。私もだいぶ助かったし、とにかく君の知識は、最初から十分だったから、あとは経験だと思っていたんだよ。それを継続して続けられたことが、君をここまで押し上げてくることができた原動力さ」

 という教授に対して、

「ありがとうございます。私は、とにかく後悔をしたくないという思いが結構強くて、そのためには、先生にしがみつく形で、しっかり成果を残そうと思ってきたのが、よかったのかも知れません」

 というと、

「それもそうなんだけど、君の場合は、何か他にトラウマのようなものがあって、そのトラウマを克服したいという思いを結構強く感じたので、それが、眩しかったというのか、私の若い頃を見ているような気がしてね」

 と、その年で、そろそろ還暦になろうかとしている教授が、まだ、40代前半の佐伯にそう言った。

「トラウマは確かにありました。それが後悔したくないという思いと結びついたんですね」

 というと、

「君は、もう少しで、目の前にある防波堤から飛び込もうとしているところだったのを、自分で止めることができると思っているんだよ。その光景が見えるようなんだけど、その防波堤というのが、その場所にいるだけで、飛び込みたくなるようなそんな場所でね。考古学をしていて、時々、理屈では解釈できないものがあるだろう。そういうものが、潜んでいるそんなところさ。そこでは、とにかく、飛び込みたくなる衝動、それを抑えることが大変だと思うんだよ」

 と、教授が言った。

 それを聞いて、胸の鼓動が激しくなるのを感じた。

「はい、確かに私が知っている場所で、そんな場所があったのを覚えています」

 というと、

「その場所で飛び込まなかったのは、君が将来において、まだまだこれからだという意識があったからだと思うんだ。そして、運命的な出会いをその後したんじゃないかい?」

 と、先生はまるで見ていたかのように話す。

 それを聞いて、ビックリしている佐伯に対し、

「まあ、そう驚くことはない。私のところにそうやってくる人は、実は君が最初ではないからね」

 というではないか?

「えっ? 他に誰か来た人がいたんですか?」

「ああ、一人いたんだよ。その人も、悩みに悩んでここに来たんだけどね。私が、その人を保護する形になってね」

「そうだったんですね」

「その人は、残念ながら、もうこの世の人ではなくなったのだが、こういうことというのは、繰り返されると思うんだ。助けた人間は、また誰かを助けることになったり、助けられたりした人間は、今度は誰かを助けるというね。だから、いずれ今度は君がその人を助けてあげればいい。きっと君ならできるはずだからね」

「ありがとうございます。やはり、それは、相手の気持ちが分かるようになるからということでしょうか?」

 と聞くと、

「まあ、それは大きいだろうね。でも、連鎖というのは巡るものなのだよ。それがその人の因縁となって、さらには因果となる。言葉の意味はいいことも含んでいるのに、悪い方にしかほとんど使われることのない、因果応報という言葉をずっと意識し続けていればいい」

 と、先生は言った。

「どういうことですか?」

 と聞いてみると。

「君が、自分でどうして歴史や考古学を勉強し、研究しているのかって考えたことがあるかい? 答えはそこにあるのさ。生まれ変わりだとか、タイムスリップだとか、時間の概念など、心理学や物理学だったり、歴史というのは、一つではないんだ。それぞれに、関りがあるからね。だけど、事実は一つだろう? ほら、よく、真実は必ず一つだとか言っているのを聞くけど、あれは半分正しいけど、半分間違っているんだ」

 と、先生は一瞬、そこで言葉を切った。

「難しいですね」

 と聞くと、

「要するにだ。必ず一つというのは、真実ではなく、事実なんだよ。確かに真実も一つの場合もあるかも知れない。だが、それはそう見えるだけで、本当はたくさんあるのさ。たくさんある中の一つを生きているに過ぎない。パラレルワールドの発想だね。ただ、これは、マルチバース理論などとも絡んでくるから、時間と空間の微妙な関係に関わってくる。そこで生まれたのが四次元思想だろう? これは、逆に、今の三次元だけでは説明できないことが出てきた時、その解釈として生まれたものではないかと思う。しかし。火のない所に煙は立たぬというだろう? だから、事実とは別の真実という理論が生まれた。事実だけでは説明できないことがあるということさ。そういう意味で考えると、事実が、この見えている世界であって、真実は異次元ではないかともいえると思うんだ。だから、我々は事実を勉強し、研究する。真実に辿り着くようにね。これが物理学の部門では、パラドックスとして、矛盾が出てきたりもするだろうが、そのパラドックスを起こさないようにするために、我々には入り込んではいけない領域もある。それは、真実にしてもそうなんだ。理屈では決して図り知ることのできない事実、それがマルチに広がる真実なのではないかと思えば、そのうちに、死という概念も解明できる時代がやってくるのではないかと思う。その礎に我々がなれればいいと思って私は、歴史を常に勉強し、研究を惜しまないんだよ」

 と教授はいうのだった。

「なるほど、素晴らしい発想ですね」

 と教授の話が頭から離れないまま、佐伯は研究を続けた。

 そして、佐伯が考えているのは、

「きっと、そのうちに、俺は運命的な出会いをするかも知れないな」

 という思いであった。

 佐伯は、ずっと独身だった。

 結婚しようと思えば、できないわけではなかったが、本人の意思で結婚をしなかったのだ。

 人間は、

「この時」

 というタイミングがあるものだ。

 それは、人生の中で一度ではなく幾度もあるだろう。実際に、結婚したいと思う相手がいなかったわけではないし、その気になったこともあった。だが、その人は運命の人ではなかったのだろう。あの時の和代との出会いのようなものは、二度と現れなかった。

「和代との間のことは、事実ではあったのだろうが、真実だったのだろうか? やりようによっては、別の事実を導き出すことができたのではないだろうか?」

 と考えることもあった。

 だが、あのまま結婚していて得られるものは、平凡な幸せだっただろう。きっと自分が望んだことだろうし、後悔もしなかったと思う。

 しかし、こうやって、新たな人生を歩み、今まで見たことのない人生を歩んできて、それでいて、

「これが夢に見た人生なのか?」

 と思うほど、違和感が一切なかった。

 きっと、夢に見ていたのかも知れない。

「これが俺にとっての真実だ」

 と思えてきた。

 それでも、和代との時間は夢のようであり、逆に思い出そうとすると鮮明に思い出せる分、

「やはり、真実ではなかったんだ」

 と感じるほどだった。

 そろそろ、准教授になって5年が経とうとしている時、佐伯の講義に一人の女の子が参加してきた。

「これが運命の出会い」

 相手もそう感じたのかも知れない。

 ショートカットが似合う彼女の笑顔は、きれいな肌にえくぼが目立つほどだった。それでいて、凛々しさを感じるが、その思いが、

「かわいらしさの中にある、凛々しさというものを感じたのを思い出した。それは、彼女の目力の強さを感じたからだと思うと、妙に納得がいくのだった。確かに凛々しさがある中で、どこか滑稽な動きを示していたのが不思議だったのだが、それが、目力によるものだと思えば、納得がいくものである」

 という感覚を思い出した。

 それは事実を中心に考えた時に見つけた真実ではないかと思うのだった……。


                 (  完  )

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真実の中の事実 森本 晃次 @kakku

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