第7話 和代を巡る葛藤
それから、しばらくは、普通に交際期間が続いた。和代も会社では今まで通りで、佐伯も、張り切って仕事をしていた。
しかし、和代の心境は計り知れないが、少なくとも佐伯にとっては、毎日が有頂天だった。
一目ぼれした相手とデートをして、一度は、
「自信がない」
と言い出した相手に対して、必死になって説得を行い、交際をスタートさせた。
必死になっていたのは、内面的な気持ちだけで、できるだけ表面上は、
「大人の対応」
をしたつもりだったが、果たしてそれがよかったのかどうか、自分ではよく分からなかった。
もっと激しく、しがみつくように、必死になればよかったのかどうか、それは分からない。自分の中で、もしうまく行かなくても、
「やり切った」
というような、満足感のようなものは残るだろう。
だが、その思いが相手に対して本当にいいことなのか、自分の気持ちを伝えるという意味で、それが一番いいことなのかを考えると、自分なりに納得のいかない部分もあった。
和代という女性を、今は何事もなく、お互いに有頂天の状態で付き合っていると思っているからだったが、あまりにも順風満帆なので、怖いくらいだった。
あの時、和代が、
「一人になると、果てしなく一人」
というようなことを言っていたが、その気持ちは、佐伯には十分すぎるくらいに分かっていた。
だが、有頂天になっている時の佐伯には、そんな一人キリの孤独感を味わうことはなかった。
それだけに、自分の中で、無意識に溜まっていく、孤独の恐怖というものを感じることができなかったのだ。
それが漏れ出したのが、和代と一緒でない、つまり一人になった時の寂しさというものを徐々に記憶の奥からはみ出してくるのを感じたからだ。
「何で、今頃こんな気持ちになるんだ?」
と感じた。
その感覚は、学生時代の、
「最初から俺は孤独なんだ」
という思いとは違っていた。
有頂天から、一気に転がり落ちるような感覚は、最初から築き上げられたものとは基本的に違う。
とは言っても、一気に転落はするのだが、地面に叩きつけられることはなかった。
「むしろ、叩きつけられた方が、マシだったのかも知れない」
という、おかしな感覚にもなっていたのだが、どうしてそう感じるのかというと、
「和代という一人の女性の存在が紛れもなく、そこに存在しているからだ」
と感じたからだった。
その時、思い出したのが、最初に彼女を見た時の、一目ぼれの感覚だった。
「かわいいと感じたのに、その中に、凛々しさがあり。そのくせ、動きがどこかぎこちない。それこそ、彼女が自分を分かってもらいたいという気持ちと、知られたくないという部分を孕んでいて、さらに初めて感じたその気持ちに、緊張が漲ってしまったという複雑な心境が、彼女にあのような雰囲気をもたらしたのだろう」
と思わせた。
そこに一目ぼれしたわけだが、これこそ運命ではないだろうか? 相手が望んでいることを自分が一瞬にして理解したのだと思うからだった。
本当は勘違いかも知れないが、一目ぼれしたあの瞬間の感覚だけは、勘違いではないと、数十年経った今でも思っている。
「ある意味、あの瞬間が、絶頂だったのかも知れないな」
と感じた、一目ぼれの瞬間だった。
会社では、なるべく普通にしているつもりだったが、この会社では、
「基本的に皆社内恋愛による結婚だ」
という。
さすがに、中途半端な都会だといってもいいだろう。特にこの街の特徴は、
「島国根性がしみついている」
ということであった。
なるほど、最初は、皆都会から来た自分たちのような新入社員を珍しがって、好意と尊敬の念をもって接してくれているのだろうと思ったが、大きな間違いだった。人懐っこさがあったのは最初だけで、次第に興味が薄れてきたのか、話しかけてくれる人は少なくなった。そのうちに、挨拶も、こちらからしないとしてくれないようになり、最後には、こちらから挨拶をしても、無視されるようになった。
「俺が一体何をしたんだ?」
と考えたが、考えられることは、和代のことしかないだろう。
これだって、最初はまわりがお膳立てをしてくれたのであって、気が付けば、皆が応援してくれているかのようだったのに、最近うまくいくようになれば、まったく無視するようになった。
だから、和代のことではない気がする。
となると、最初から自分に興味があったわけではなく、都会から来た新入社員に興味があったのだろう。
しかも、かつての社員で、まともだった人はここ数年いないではないか。まともに見えていることで、興味を失ったのかも知れない。
「都会から来た坊ちゃんや、新人類(当時はそう呼ばれていた)に対しては興味があるけど、凡人は、ただ面白くないだけだ。何か問題でも起こしてくれないだろうか?」
とでもいったところだろう。
そんな状態において、一番露骨に感じたのが、パートのおばさんたちだった。
あれだけ、いつも話しかけてくれていた人たちが、和代との仲が落ち着いてくると、一切何も聞いてこなくなる。
「アベックの仲を勘ぐるのは、野暮がすること」
といってもいいのだろうが、かといって、ここまで態度が豹変すると、完全に、あきられてしまったのだということが分かるというものだ。
自分が次第に孤立していくのを感じた。
「そういえば、転勤してきた最初の日、営業の人は誰一人としてこっちのことを気にするそぶりを見せなかったではないか」
と感じた。
あれが、本当の気持ちであり、これまでの態度は、都会から来た人間が、自分のライバルになったり、自分の出世の妨げになったりするのは困るという考えから、こちらを見ていたのだろう。
そう思うと、ここ数年の間に何人かの新入社員が、謎の行動に走るというのも分からなくもない。
前にいた支店ではそんな話を聞いたことがなかったので、この支店には、他の支店にはない、何か特殊な雰囲気が根付いているのではないだろうか?
それを思うと、中途半端な都会が、どれほど長く、そこに住んでいる人に染まっていくのかということが、今さらながらに分かる人も結構いるだろう。
営業社員などは、数年で転勤していく人が多いという。その支店に、3年以上いる人は、今のところ、半分くらいであった。それなのに、すでに染まっているのを見ると、営業活動で、地元の人と相手をすることが、どれほど難しかったのかということを表している。
そういう意味で、和代と別れることになったという先輩社員だが、他の支店に配属になったというのは、いいことではなかっただろうか?
いくら別れたとはいえ、今までずっと付き合っていた相手がいる中で仕事をしなければいけないということがどれほどつらいことなのかということを、分かった気がしていたのだ。
営業の仕事がどのようなものか、今はまだ見習いの状態だった。
正直、自分ひとりで営業しなければいけないとなると、何をすればいいのか分からない。手土産でももってくればいいとでもいうのか? テレビなどで、営業というと、
「最初は顔つなぎで、実際に商品の営業までには数回通わなければいけない」
といっていたが、ここで見習いとしてついて回っているときにも、まったく同じことを言われた。
「先輩も、人に教える気はなく、ただ、マニュアル通りのことを言っているのだろうか?」
と思ったが、実際に自分が営業に回り始めると、
「俺が後輩をもっても、同じことをいうだろうな」
と思った。
要するに、どういう言い方をしても、帰ってくるところは同じだということなのだ。
和代とは、よくドライブに行った。城跡や、城下町など、和代も好きだと言っていたので、そのあたりは、佐伯とは趣味が合うといっていいだろう。
「前付き合っていた人も、こういうところが好きだったのよ」
と、よく和代は言う。
「付き合っていく自信がない」
といっていたくせに、元カレの話は、控えるということをしない。
これが、和代の性格なのだろうか。確かに元カレの話を露骨に話されるのは嫌だが、思わず口にしてしまったことを、ハッと気づいて、気まずいと思い、ぎこちなくなってでも、話をやめようとされるよりもマシに思えた。
だから、和代を見ていて、
「天真爛漫な性格なんだな」
と考えることで、自分が合わせてあげることが一番いいことなのだと考えるようになったのだ。
この会社で、一番いろいろ話ができる人が、倉庫で仕事をしている若い兄ちゃんだった。
彼は、名前を加藤君といい、彼は地元の高校を卒業し、この会社に入社して、四年目だという。だから、年齢的には一つ下ではあるが、会社では大先輩。お互いに気を遣いあってるが、結構気楽に付き合うことができた。
加藤君がいうには、
「今まで新入社員できた連中は、皆、変なプライドを持っているので、なかなか皆になじめなかったんだよな。その点、佐伯さんは、気さくなので、馴染みやすいよ」
といわれたが、
「そんなことはない。自分に自信がないだけさ」
といって笑ったが、
「自信がない? これって和代が言ったセリフそのままじゃないか?」
と感じた、
そういうところで、和代と自分の共通点があるとは思ってもみなかった。
加藤君と話をするようになって、自分と和代の共通点が、少しずつ分かってきたような気がしてきた。
「佐伯さんが、高山さんを好きだというのは、僕も結構早いうちから気づいていたんですよ」
と言い出した。
「どうしてですか?」
彼が何を言いたいのか、聞いたその瞬間にピンときたが、言ってしまった以上、言葉を撤回することはできなかった。案の定、
「実は、僕も昔から、高山さんのことが好きだったんだよ。たぶん、彼女には男性を引き付ける何かのオーラのようなものがあるような気がするんだ。佐伯さんは、そう思いませんか?」
といわれて、
「そんなことはわかっていたつもりだったんだ。だけど、それを認めたくない自分がいるんだ」
と自分に言い聞かせたが、加藤君には、
「確かにその通りだね。まあ、僕もその一人だったということかな?」
といって、曖昧な笑顔を見せ、まるで他人事のように言った。
ごまかしたつもりだったが、ごまかしきれないと、加藤君の笑顔を見て確信したことから、
「どうして分かったというんだい?」
と聞くと、
「高山さんも佐伯さんの視線をよく分かっていて、意識していましたからね」
というではないか。
「えっ? 意識されていたの?」
「うん、あの高山さんの雰囲気は、意識しまくりだよ。だけど、それを分かっているのは、僕と、佐々木さんくらいかな?」
と言って、すぐに口をつぐもうとした加藤君だったが、もうすでにおそかった。
ただ、この時の加藤君の態度は明らかにわざとらしさがあった。
佐々木さんという名前に聞き覚えはなかったが、それだけにピンときたといってもいい。きっと、皆この名前は禁句だったのだろう。
特に、和代と、佐伯の間ではである。
ということになると、佐々木というのは、和代の元カレということであろう。加藤君が分かるくらいなのだから、元カレだったら、当然分かっても当然だからである。
それにしても、加藤君というのは、今でも和代のことを好きなのではないだろうか?
和代のことを好きでいて、それで諦めようと思い、そして諦めることで、彼女を応援しようと思っているのかも知れない。
だから、彼女を幸せにしてくれるかも知れないという佐伯に対して、好意的であり、同情的でもあるのだろう。
だが、逆にいえば、もし、佐伯が和代を不幸にするようなことがあれば、彼は完全に敵に回ってしまうだろう。
「この世の中、何が起こるか分からない」
それを思うと、あまり加藤のことを信用してはいけない。
なぜなら、立場が悪くなってしまい、それが和代との間でのいさかいであれば、必ず、加藤は、知っていることを暴露して、佐伯を潰しにかかるだろう。
もし、それで加藤が自分の立場を悪くしても、佐伯を奈落の底に叩い落すことができるのであれば、心中くらいはできる男ではないかと思うのだ。
それを考えると、これほど厄介な男はいない。いろいろ利用できるかも知れないと思い、全面的に信頼してしまうと、一歩間違えると、簡単に裏切られてしまう。昨日まで、一番話しやすいと思っている相手が、急に一番厄介な人間になってしまうのだ。これは、どうしようもないことなのであろう。
だが、今はこの加藤を使って、今まで自分の知らなかったことを教えてもらえるチャンスでもあった。
加藤との話を聞いているうちに、きっと、和代の自分には見せない性格というものが、浮き彫りになるだろうと思っていた。
ただ、和代は、佐伯と加藤が仲良くなったのを見て、どう感じているだろう?
「加藤君から、きっと、あの人のことを聞きだすだろうし、私のことだって聞くことになるだろう。それはそれでいいと思うんだけど、加藤君は、私のことを、どう思っているのだろう?」
と思っていた。
加藤が、最初に自分に告白してくれた日のことを、和代は思い出していた。
明らかに玉砕覚悟だった加藤だった。
和代の元カレは、名前を、後藤武則という。
後藤と加藤は、後藤が大学卒業しての入社だということだが、入社年は同じだった。和代はすでに入社していて、後藤と加藤は、同じ入社年ということですぐに仲良くなったが、お互いに、
「高山さんってかわいいよな」
と、後藤が言い出したことをきっかけに、二人は、
「恋のライバル」
になったのだった。
二人の気持ちは、それぞれデッドヒートしていたようで、どちらかが先に出れば、どちらかが巻き返すという、まさにシーソーレースの様相を呈していた。
そんな時、いきなりブレーキを掛けたのが、加藤だったという。
二人は見た目、別に恰好がいいというわけでもなく、頼りになるという雰囲気ではなかったというが、和代はそんな人よりも、
「気楽に話ができる人」
がタイプだったという。
加藤がブレーキを掛けたことで、後藤が和代と射止めたわけだが、どうやら加藤は、
「後藤さんには勝てない」
という思いを感じたという。
それは、年齢というのもあったが、二人が話をしている話題に、自分が入っていけないということを知り、そこに結界があることを悟ったというのだ。
その思いがあることで、その時から、
「僕には結界が見えるんだ」
と感じるようになったという。
「僕がまわりに対して、必要以上に低姿勢で、へりくだっているように見えるでしょう?」
と、加藤が言ったことがあった。
「うん」
と、ハッキリ佐伯も答えたのだが、それは、加藤という男が、まわりから見られるような、そして自分からいうような、腰の低い男には見えなかったからだった。
どうやら、加藤は、自分に結界が見えるようになってから、いかに立ち回ればいいのかということを悟ったのだろう。
だから、和代に対して、
「決して彼氏にはなれないが、彼氏にも作ることのできない結界を、この俺は作ることができるんだ」
と感じたのだ。
だから、自分の立ち位置を、
「彼氏ではない。一番近い存在」
として君臨することを目指すようになった。
だから、加藤としては、
「自分の存在は、和代が決めてくれる」
と思っているようだ。
だからこそ、和代のことは自分が一番よく分かっていると思っているらしく、そんな中で、
「今となっての僕の自慢なんだけど、高山さんに一番最初に告白したの。この僕だったんだよ」
というではないか?
「後藤さんよりも早く?」
「うん、後藤さんには悪いと思ったんだけど、すでにその時は二人の関係性は見ていて分かった気がしたので、ここで告白しないと、二度とできないと思ってね。だから、玉砕覚悟ではなく、玉砕だったんだ」
と加藤は言った。
「それで、彼女はどういったんだい?」
と佐伯が聞くと、
「驚いていたよ。まさか加藤君が最初だとは思わなかったってね。でも、すぐに、ごめんなさいと言われたよ。で、僕が、後藤なのかって聞くと、その時はまだ決めかねているといっていたんだけど、その通りだったと思う。だから言ってやったのさ。俺を振ったんだから、ふさわしい相手を彼氏にしてほしいってね」
と加藤が言った。
今の加藤からそんな背伸びするような言い方ができるようには思えなかったが、もし言ったのだとすると、一世一代の口上だったんだろうと思ったのだ。
「それで、彼女は後藤さんのところに行ったのかい?」
と聞くと、
「そうじゃないんだ。彼女は、僕に気を遣ってか、なかなかうまくいかない、それは後藤の方も同じで、あいつがここまで友情に厚いやつだとは思ってもいなかった。お互いに俺に遠慮しているのか、一歩踏み出せなかったんだ。だから俺が、二人の背中を押してやったのさ。だから、今の俺の立ち位置がこうなっているのであって。俺はいつも、人にばかり気を遣っているような人間になってしまったんだな」
というのだった。
さっきまで、
「僕」
と言っていたのに、いつの間にか、
「俺」
に変わっている。
自分に対して見方を変えると、ここまで人間が変わってしまうのかと思うほどであった。
そういう意味で、加藤という男、少し怖い気がした。何と言っても、和代を含む三角関係の頂点をすべて知っている人間だからである。
しかも、加藤は誰の味方でもない。敵は誰かと聞かれると、
「和代を不幸にするかも知れない」
と思われる男である。
「じゃあ、和代の味方なんじゃないか?」
と聞かれたりすると、そうではないような気がした。
それは、あくまでも、一度自分を振った女性だからである。つまり、ここで加藤という男のプライドがにじみ出てくるのだった。
「決して、和代の味方ではないが、自分をフッた和代を不幸にする男は許すことができない」
というのが、佐藤のプライドである。
「必ずしも、和代の味方ではない」
というところが、加藤という男の特徴であった。
だからこそ、加藤には、あれだけ人にへりくだったような態度を取ることができるのだろう。
普通であれば、プライドが邪魔をして、そんな気持ちになれるはずがないからだ。
加藤は、まだ支店でくすぶっているが、後藤は転勤して行った。この二人の関係を知らないだけに、和代という女性が、自分が一目ぼれするに値する女性なのだと気が付いた。
そんな和代は、加藤から、ショッキングなことを聞かされるが、それは、後藤のことだった。
後藤という人間が、すでに会社を辞めたという話は、和代から聞かされた。会社を辞める時に、後藤から連絡があったというのだ。ただ、その時が本当に最後で、それ以降はまったく連絡もなかったといっている。
その言葉に間違いはなかっただろう。加藤からこの話を聞かされてから、少しの間、ショックだったということだ。
なぜ、加藤がいまだに後藤と連絡を取り合っているのかというと、
「もし、後藤さんが、高山さんの近況を知りたいということであれば、俺が教えてあげることはできるが、そのかわり、絶対に高山さんの目の前には現れないと約束させていたんだ」
と、加藤は言った。
「どうしてそんなことしたんだい?」
「これでも、後藤さんとは親友の仲だからね。だけど、僕はあくまでも、高山さんのことが最優先だから、そういう約束をしたのさ。だけどな、後藤さんは、会社を辞めてから一度も高山さんのことを聞きたいと言ってはこなかったんだ。だから、今回のことだって、本当は教えない方がいいかもと思ったんだが、このまま何も言わないのは、この俺が後悔することになる。それは俺自身のことでもあるが、高山さんのことに関してもだよ。だから、思い切って話すことにしたんだ」
と加藤は言った。
「佐伯さんだったら、どうする? 俺の考え方を間違っていたと思うかい?」
と言われ、
「いや、俺には正しいとも間違っていたともいえない」
というと、
「何言ってるんだよ。今一番高山さんについていてあげないといけないのは、君じゃないか? 俺がついていてあげたいと思ってもそういうわけにはいかない」
と加藤は言った。
「俺はその覚悟を持っているつもりだ。和代が、今までに何度も俺と一緒にいることに自信がないといってきたのを、必死になってつなぎとめてきたんだ。当然それだけの覚悟と勇気は持っているつもりだ」
と、佐伯はいう。
「だったら、佐伯さんにだって、俺がどういうつもりで彼女にこのことを話したのか分かってくれるだろう?」
と言って涙まで流している加藤だった。
そもそも、加藤が、後藤のことを、和代に伝えたことで、和代は少し精神的にショックを受けたのだ。
その内容を和代は話そうとしなかった。
佐伯が和代のことで一番気になってしまうのは、
「自分が知らないところで、何か和代が思い悩む」
ということだった。
今回のように、何も言わず、ただショックで、自分と顔を合わしたくないということを言い出すことが、一番不安に感じることだった。なぜなら、
「自分が信用されていないのではないか?」
と思うからなのだ。
「加藤君は、何か知らないかい?」
と言われ、最初は口をつぐんでいたが、その様子を見る限り、
「何も知らないということはありえない」
ということであった。
まさか、後藤という人とまだ繋がっていたとは思ってもみなかったが、それよりも話を聞いて、
「それを和代に話したのか?」
と言って、言及したのだった。
その回答が前述のようなことだった。
「それだったら、分かる気がする」
加藤がどのような覚悟を持って、これを和代に話したのか、手に取るように分かる気がした。
彼は和代のことが中心なのだ。だから、これを機会に、新しい恋に邁進してほしいという気持ちだったのだろう。それを感じると、加藤にお礼を言いたい気分にもなったし、和代の気持ちも受け止めようと考えたのだ。
これは、和代と二人で乗り越えなければいけない壁であり、この壁は、佐伯にとっても大きな壁であったのだ。
加藤がもたらしたその情報、それは、後藤が先日亡くなったということだった。交通事故だったらしい。一瞬のことで、即死だったということだ。あっという間にこの世から姿を消してしまったことで、佐伯には消し去ることのできない、後藤という人物の虚栄が、和代と一緒にいる間付きまとってしまうことを感じていたのだった……。
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