第6話 和代の戸惑い

 和代がなぜ、佐伯と別れたいと言い出したのか、その真意は分からない。だが、彼女の言葉としては、

「あなたとお付き合いしていく自信がありません」

 ということであった。

 考えてみれば、今まで別れを告げられた時もハッキリとした理由を告げられたことはなかった。

 相手はハッキリと言っているつもりだったのだろうが、佐伯にはその理由がピンとこない。

 そう言って、話をしているうちに相手が次第に業を煮やしていって、結局フラれるということになってしまう。

 後から冷静に考えれば分かることであった。

「俺自身が気づかなければいけない理由を分かっていないから、相手が業を煮やすんだ」

 ということである。

 しかも、パターンはいつも同じで、きっと、理由も同じところにあるのだろう。

 佐伯はいつも付き合い始めるとすぐに、その人に自分のことを分かってもらおうとして、かつてフラれてきたことを話したものだ。佐伯本人は分かっていないつもりだったのかも知れないが、彼女の方は、女性の勘からなのか、その理由を看破していたのかも知れない。そしてその理由にまったく気づこうとしない佐伯に業を煮やし、結果別れることになるのだから、こうなってしまうと、佐伯の自業自得の感をぬぐえないのではないだろうか?

「別に最初から自分を分かってほしいということで、自分の悪い部分を曝け出そうとしたのが悪いのだろうか?」

 と感じたが、それを相手にいうと、

「そうね。それは明らかに相手にマイナスよね。いくつかの意味でね。だって、あなた自分の悪い部分を自分から曝け出すというのは、それだけ自分に自信がないということであり、その気持ちをまるで言い訳のようにして相手に話しているということは、自分がもしフラれたとしても、最期にはそれを理由にして、自分を納得させたいんでしょう? そんな自分中心的な考え方のために、振り回される方はたまったものではないでしょう? 少なくともデートまでしてくれた相手に対して失礼というものよね」

 と言われて、いい返せないことも相手をイライラさせるのだろう。

「あなたは、自分が開放的で、相手を受け入れたいという人間だということを示したいんでしょうけど、それはまったくの逆効果。要するに自分を曝け出すことだけでしか、相手を納得させることができないということでしょう? 相手が何をしてほしいのかということを分かっていない証拠よ」

 と、言われると、完全にどうしようもない。

 早くその場から、逃げ去りたいというくらいの気持ちになってしまう。

「そうか、これが、大学時代に、僕に助言を求めたと思った女の子に何も言えなかった時の自分を、彼女たちは見透かしていたんだ」

 と思うようにあった。

 この時の女性が、学生時代の最期に付き合った女性で、あまりにもズバリを言われてしまったので、いい返すどころか、委縮して、初めて女性が怖いと感じた時だったのかも知れない。

 その時の感情を、すっかり忘れていた。まだ、2年も経っていないことだったはずなのに、それだけ経った2年という月日が結構長かったということであろうか?

 その間に、就職活動があり、就職してから、研修期間がありと、正直彼女を作るという感情にはなれなかった時期だった。

 だが、自分に自信がなかったわけではない。もし、自分に自信が持てることがまったくなかったら、就活の時か、あるいは研修期間中に挫折していたかも知れない。

 実際に、就職活動の時にも、研修期間中にも気持ち的に挫折してしまって、逃げ出したやつもいた。

 その都度、

「俺は、あの連中とは違うんだ」

 と自分に言い聞かせてきたのだが、何が違うのかということについて。言及しなかった。

 それは、自分でその理由を分かっていると思っていたからで、それが勘違いだということをまったく感じなかった。それが、よかったのか悪かったのか、その時は分からなかったが、正直、よかったと思っていたが、どこかのタイミングで悪かったと思うのではないかと思うと、それが、自分の負へのターニングポイントになると思うのだった。

 最初は、和代は佐伯と話をしようとは思わなかった。たぶん、

「このまま自然消滅させることが一番いい」

 と考えたのだろう。

 自然消滅させることの方が傷つかずに済むからである。自然消滅ということは、お互いに話もしないから、自分だけの世界に入ることができる。失恋した心を癒すには一人で考えるのが一番であり、そんな時に、思い出が詰まった相手の顔を見てしまうと、せっかくの決心も鈍るというものだ。

「失恋の痛手は、時間を掛ければ掛けるほど辛い」

 という考えと、

「時間が解決してくれる」

 という考えのそれぞれを持った人がいる。

 だが、それは、諦めが本当についているかどうかによって決まるのではないだろうか?

 本当に諦めがついている人であれば、

「時間が解決してくれる」

 と思うだろう。

 それは、本人が一歩先に進んでいると思うからである。しかし、諦めがついていない人にとって、いくら時間が掛かったとしても、それは、諦められないという気持ちを自分で再認識する時間なのかも知れない。そう考えれば、

「時間というのは、痛手を深くするための時間でしかない」

 と考えれば、本人は、自分が優柔不断なことが一番辛いと思うのではないだろうか?

 そう思ってしまうと、時間を進めることが、怖くなる。

 かと言って、その場にとどまるというのも怖いものだ。

 それは、強風が吹きすさぶ中、断崖絶壁に掛かった橋を渡っているようなものではないだろうか?

 進んできてしまうと、戻ろうとしても、先に進もうとしても、どっちに行っても、恐ろしいものだ。

 現実的に考える人は、たぶん、元来たところに戻ろうとするだろう。どうしても、その先に行かなければいけない場所があるわけでもない限り、間違いなく戻るはずだ。

 なぜかというと、

「自分の本当の居場所は、元の場所にある」

 と気づくからだ。

 それが我に返るということではないだろうか? 背伸びして先に進もうとして、そこで躓いてしまうと、その場所は自分が目指すべき場所ではないと思い、

「もし、突き進んで戻れなければどうしよう」

 と考えるからである。

 少なくとも、子供の頃と、今はそうである。いつ頃からこういう考えになったのか分からないが、人間というものは、必ず現実味を帯びた考えになるものだ。

 それだけ、人生経験を積んできたということであり、理屈では言い表せないものが、潜んでいることを、生きてきた間に経験するからである。

 それは、あぜ道を舗装しただけのような、一本道をずっと歩いている時にも感じる。そんな時、必ず途中で、何度か後ろを振り返ってしまうものだ。

 それは、自分が歩んできた距離を感じるためであり、前ばかり見ていると、果てしなく続く道の目的地がまったく見えてこない。そんな道でも、後ろを時々振り返ると、

「これだけは着実に歩いてきた」

 ということを感じる。

 それが、

「まだ、ここから前に進んでもいいんだ」

 と自分に言い聞かせることのできるものだということを、思い知らせてくれる。

 疲れのわりに、前に進んでいる感覚がないということほど怖いことはない。それは、

「身体だけが自分の努力を分かってくれている」

 ということを自覚できるからだ。

 疲れであったり、痛みが襲ってくるのは、自分が努力した証であり、確実に自分の存在を証明してくれるものだ。心は、どうしても、事情やまわりの状況によって変化しかねない。だが、身体だけはウソはつかない。病気になれば、痛かったりして、自分に危機を教えてくれるではないか。

「心身ともに」

 という言葉があるが、まさにそのことを証明しているといってもいいだろう。

 失恋の痛手を、努力で何とかなるというのは、ある意味傲慢なのかも知れない。人を好きになるという心境を、バカにしているといってもいいではないか。あれだけ人を好きになることを神聖なことだと思っていたのは、ウソだったというのか。

 失恋というものがどういうものであるか、正直、まだよく分かっていなかったのが学生時代だったということを、この時思い知らされた気がした。

 学生時代というのは、嫌いになることは決してないが、かと言って、無理に追いかけることはしない。追いかけ方が分からないので、追いかけようとすると、それは今でいうストーカー行為に抵触してしまう。

 実際にそれらしい行為に挑んでしまっていることもあったくらいだ。何しろ、携帯電話のようなものはなく、簡単に連絡できるわけではない。必ず電話を掛けようとすると、家の固定電話になるだろう。

「親が出たらどうしよう」

 という問題もある。

 しかも、別れ話など、電話でできるはずもなく、大人になれば、それくらいのことは分かるはずなのに、恋愛に疎い学生時代は、どうしても話をしようとすると、相手が学校が終わるのを待ち伏せるなどというマネをしてしまう。

 今でこそ、ストーカーとして摘発を受けたり、職務質問くらいはされるであろう。

 学生であっても、相手のプライバシーに入り込むことは許されるはずもなく、今ならストーキングだけではなく、個人情報保護の観点から、本当に許されることではないのだ。

 そういう意味で、今はしっかりと法律に守られたいい時代になったといえるかも知れないが、それも一長一短で難しいところでもあったりする。

 しかし、それも、本当に最初の頃だけのことであった。大学に入り、二年生以降くらいになると、人を好きになるのも、簡単であり、失恋も簡単だった。失恋すれば、確かにその時は辛いが、あっという間に冷めている自分がいる。

 そして、また他の人を好きになるのだ。

 それが、大学時代という開放的な時期だったりする。

「たくさんの恋愛をするのが、学生時代だ」

 などという先輩の話を、話だけ真面目に聞いて、それをクソ真面目に実践しようとしていた。

 それは、ただ、理屈も分からずにやっていることで、ただの、モノマネにすぎないではないか。

 そんなことを思うと、学生時代はまるで、ままごとのようだったとしか思えない。

 だが、今回の和代との恋は、真剣だった。

 相手のことを思えば思うほど、忘れられなくなる。

 それは当たり前のことで、

「何をいまさら」

 ということなのだが、その当たり前のことを、今まで味わったことがなかったことに、その時初めて気づいたのだった。

 その当たり前のことを味わったという意識はなかったのだが、むしろ、それを、

「どうして味わわないといけないのか?」

 という思いがあった。

 味わわなくてもいいことで、嫌なことであれば、できればスルーしたいと思うのは当たり前のことではないか。それが、ダメになった時、ショックとして残ってしまうと、それがどれほど辛いものなのかということだけは分かっている。それを敢えて引き受けなければならないかということを考えると、

「恋するって、一体何なんだ?」

 と思ってしまう。

 妊婦が、あれだけ苦しい思いをして子供を産んで、

「もうあんな思いしたくない」

 と言いながら、

「そんなことを言っている人が、たいていの場合、またすぐにやってくるものなのよ」

 と、看護婦の間では、母親のそんなセリフに、一切の信憑性を感じることなく、鼻でせせら笑っているかのような態度が普通だったりする。

「喉元過ぎれば熱さを忘れる」

 という言葉もあるが、それ以上に、

「子供が可愛い」

 ということが、最終的な心理だということに気づくのだろう。

 それは、人間の持って生まれた真理であり、それは恋愛にも言えることではないだろうか?

 生きていくうえで絶対に必要なものではないが、それがないと、生きていくのに、圧倒的な不利を感じてしまうというのも真理であろう。損得勘定で動いてはいけないということであろうが、生きていくうえで、損得勘定と同等のものがあるはずだ。だから、考えることで解決することもある。それこそ、真理だといえるのではないだろうか。

 そんな彼女を、説得しなければいけないと思った。これまでに感じた、未練とは違っていると思ったが、未練には違いない。しかし、同じ未練でも、その種類が違うのだ。

「このままでは、後悔が残ってしまう」

 というところまでは同じだったが、

「今回を逃せば、もう後はない」

 という覚悟のようなものがあった。

 それは、後がないというよりも、

「これ以上に、好きになる女性は現れない」

 という意味が強かった。

 これは、覚悟とは違うものであり、覚悟ほど必要なものではないかも知れない。それよりも、

「これがないと、覚悟を実行することができないというもので、覚悟に対して、自分が勇気を持てるか?」

 ということなのだった。

 このまま突き進むことは確かに怖い。怖いからと言って、持ってしまった覚悟を引っ込めることは、完全な後悔に当たる。

「人は、一生のうちに何度か、覚悟を示す勇気を持たなければいけない」

 ということを聞いたことがあった。

 それはまさしく、そういうことではないのだろうか?

「ダメかも知れないが、自分をどこまで貫けるか?」

 という思いであり、それこそ、玉砕に近いものだ。

「玉砕というと聞こえは悪いが、持った覚悟を勇気に後押しされて、行動に移すことではないか」

 と考えれば、

「勇気を持つ勇気が生まれる」

 というものである。

 それがトリガーとなり、前に進もうとする。

 もちろん、どこまで冷静になれるかという問題はあるが、覚悟と勇気には、冷静さは関係ない。そんなバカな行動をとることができるのが、若い時である。

「何度だって、やり直しはできるんだ」

 というのが、いいわけではないということである。

 言い訳だとしても、して言い訳があるとすれば、この時だといえるのではないだろうか?

 佐伯は、

「どうして、そんなに僕と一緒にいたくないんだ?」

 と聞いた時、

「私には自信がない」

 と言った。

 それは、前の時の経験があるからだろう。それを無理に、

「俺とだったら大丈夫だよ」

 と簡単にはいえないだろう。

 何しろ、自分には、前の人との関係を全く知らないからだ。

「和代には結婚を考えた人がいた」

 ということを佐伯が知っているということを、自分から話しているので、気持ちは分かってくれるだろうと思ったのだろう。

 確かに、過ぎてしまった時間に何があったのか、そして、結果、和代の中に残ってしまった後悔や辛さがどのようなもので、どれほどのものかというのは分からない。特に気にしていないように見えて、佐伯はとても気にするタイプだった。

「俺の知らないところで、和代さんは、他の人と……」

 と思っただけで、実にたまらない気持ちになるのだった。

「もっと早く知り合いたかった」

 と言っても仕方がないのは分かっているが、結局そこにくるのだ。

 どうしようもないことを、どうしようもないといってスルーできるほど、佐伯は冷静にはなれない。

 熱情的になるのが、恋愛だと思っている。情が熱くなったわけではなく、熱くなった情なのだ。情というのは人に対して感じるものであるが、もっといえば、自分の中で燃え滾っているのが、情なのだ。

 そう思うと、耐えられなくなるのも無理もないことで、だからこそ、一度もめてしまうと、その時初めて、

「抱いていた相手は他人だったんだ」

 という当たり前のことを感じさせられるのだ。

 一番強い思いは、

「和代の中に、まだその人がいるんだ」

 という感覚だった。

 このままだったら、自分は完全に負けてしまう。絶対に敵わないと思い子でいるからだ。この感覚は、これまでにも何度となく感じてきたことだった。

 人と、いろいろ関わってきた中で一番の敗北感を感じさせられる時というのは、そのほとんどが、この敗北感に見舞われる時だった。

 人とのかかわりに、必ず競争心が絡んでくるのが学生時代だった。友達であっても、基本的には平等であるため、それだけに競争心が宿るのだ。就職すれば、同期組などであれば、競争もあるだろうが、先輩は最初から先輩で、

「追いつきたい」

 と思うことはあっても、競争ということはない。

 それは後輩に対しても同じことで、そう思うと、後輩に対しては、自分が先輩であるということと、年上ということもあって、プライドがあるのだ。しかも、自分が先輩に対して抱いていると同じ思いを抱いているはずだと考えることで、相手も、きっと平行線を感じ、競争心などないと勝手に思い込むことで、最初から闘争心はない。

 闘争心が、競争心の根源であるのだとすれば、競争心の芽生える環境は整っていないということだ。

 となると、同学年が、ほとんどの世界を形成する中学、高校時代は、受験という最終目的があるため、自動的に競争の世界であり、そこに競争心がなければ、お話にならないということになるのであろう。

 学生ではなくなって、同じ会社の人であれば、先輩であっても、競争心を持たないが、会社の違う、しかもあったこともない人間だとすれば、それは、交わることのない平行線として意識することであり、追いつくことは永久に不可能なのだ。

 そんな相手をどうして意識できようものか、まるで、死んでしまった人間を追いかけようというようなもので、本当であれば、意識しなければいいだけのことなのに、それができないとすれば、それは、果てしなく彷徨わなければならないということであり、いかに気持ちを平常に保たせることができるかという問題でもあるのだ。

 そこまで意識していたかどうか分からないが、相手が見えない敵だということほど、大きなプレッシャーはないだろう。そのことがストレスとなり、和代を失いたくないという思いと、絡み合うことで、

「自分がどうしてここまで必死に感じるのか」

 ということが、そのうちに分かってくるのだろうが、とにかく焦りがどこまで絡んでくるのか、その時は分からなかった。

「どうして、そんなに急に僕とは付き合う自信がないと思ったんだい? あの日は楽しかったんだろう?」

 と佐伯は聞いた。

 そもそも、人と付き合うというところまで行ったことがあったのかと言われると微妙な感じがしている佐伯にとっては、そういうしかなかった。もっと気の利いた言葉を言えれば、それこそ、相手の気持ちを動かせるのかも知れないが、他に言葉が思いつかない自分が情けなかった。

 だが、彼女はそんな佐伯に憤りを感じることはなく、

「ごめんなさい。私、本当に恋愛には臆病なの」

 というではないか。

 彼女としても、前向きに考えていてくれた証拠であろう。

「僕はあなたのことは、正直、何も知らないけど、一緒にいたあの一日で、第一印象が間違っていなかったと確信したんです。今まで一目ぼれなんか、一度もしたことがなかった僕がですよ。それを思うと、和代さんが、どうしても諦めきれない。僕じゃあ、ダメなのかな?」

 というと、

「そんなことはないの。逆にあなたでなければ、最初からデートに誘われても行くことはなかったと思うの。あなただったら、私の中の何かを変えてくれるような気がするんだけど、でも、あの楽しかった日に、あなたと別れて一人になったでしょう? その時に急に怖くなったのよ。このまま一人ぼっちのままになるのではないかと思ってね」

 と和代は言った。

 彼女のいう独りぼっちという気持ちは分かる気がした。その思いは、一度感じてしまうと、そのままアリジゴクに嵌りこんでしまったかのように感じるのではないだろうか?

 二度と這い上がってこれないという思いが、彼女の中で考えた末に、

「自信がない」

 という言葉になって現れたに違いない。

 そういう意味でいけば、

「自信がない」

 という言葉は、実に曖昧で、都合のいい言葉なのかも知れない。

 それは、何かを断る時には、相手にいろいろと発想させて、その本当の意味になかなかたどり着けないだろう。

 もし、違うところに辿り着いてしまえば、その人のことは、信用しなければいいだけだ。違うところに辿り着いたということは、自分にしか分からない。本人は、ちゃんと辿り着いたと思うからだ。

 この違いが、自信がないと言った人間を有利にさせるのだ。それが、

「都合のいい」

 という解釈になるのであった。

 和代にはそのことが分かっていた。何しろ、恋愛経験も、異性を見る目も、佐伯に比べれば、比較にならないくらいに大きな差であった。

 もちろん、そのことは、佐伯にもひしひしと分かっていた。では、諦めたくないと思えばどうすればいいか。それは、もう必死になってしがみつくしかないのだ。

 だからと言って、相手を怒らせたり、相手の感情を逆撫でするようなことは、言語道断である。いくら、焦っているとしても、タブーは存在する。ではどうすえばいいか?

 それは、できるだけ、相手が何をしてほしいのかということを考えることであった。

 実はこれが一番難しいことであるが、そのためには、相手がしてほしいことを、自分の身になって考えられるかということが問題だった。

 確かに、自分がしてほしいということを、相手が望んでいるというのは、実に強引な考え方であるが、本当にそうだろうか?

 本当は相手も、誰かに助けてほしいと思っているはずで、目の前に現れた人を救世主と思いたい。だから一度は受け入れる気持ちになったのだが、一人になると、その寂しさから、自分が一人であるということを、再認識してしまったのだろう。

 強引に押したからといってもうまく行くとは限らないが、結局自分にはそれしかないと思うのだ。何を言えばいいのか分からないが、結局は、

「気持ちがどれだけ伝わるか」

 ということだった。

「僕は学生時代、付き合ってはいなかったんだけど、友達の女の子がいて、何か悩みを持っていたと思うんだけど、その子が僕とどこかに行きたいって言ってきたんですよね。僕は嬉しくて、その時初めて彼女のことを意識したんです。それまでは妹のように思っていただけだったんですけどね」

 と、学生時代の話を始めた。

 和代は黙ってきいているので、佐伯は、そこまでいうと、ひと呼吸おいて、また話始めた。

「どうやら、彼女もその時ちょうど、失恋したらしかったんだけど、今から思えば、彼女は何か僕に助言のようなものをしてほしかったんだって思ったんですよ。その時はそこまでは分かっていたんだけど、それだけに、緊張して余計に何も言えなくなった。僕も助言が本当に役に立つのか? という思いと、下手なことを言って嫌われるのも嫌だと思った。それで、自分が都合のいいように考えていることに気づいたんです。彼女にできるものならしたいという気持ちと、妹のような相手でもいてほしいという両方が自分にあって、しかも、このままだと、火事場泥棒のような感じまでしたんですよ。火事場泥棒というのは、完全に感じてはいけないことだったのだと、後になって感じたんだけどね。だけど、結局うまくいかずに、結局、友達でもいられなくなった。これは、後から思うと、いろいろなことを考えてしまったことが一番の間違いだったと思うようになったんです。だから、和代さんには、余計なことを考えることなく、自分の気持ちを一直線に表したいと今は思っているんだよ」

 というと、和代は、涙を流していた。

 彼女の中の葛藤に対して、佐伯の言葉が、心を打つところがあったのだろうと、自分で考えたが、半分は間違っていないと思っている。

「佐伯さんのお気持ちはよく分かるわ。私も、あなたともう一度やり直したいと思っているのも事実なんです。あなたがどこまで私のことを知っているのかは分からないけど、パートさんの態度から考えると、大体のことは分かってくれていると思っているの。だから、そんなあなたなら私の気持ちも分かってくれるかと思ったんだけど、逆にあなたの気持ちに火をつけたということなのかしらね? 本当は言葉で片付けられることではないと思うんだけど、今のあなたの気持ちを聞いて、私も、忘れていた何かを思い出した気がするの。自信がないというのは、今も変わりないけど、もう少しあなたのことを知りたいと思うようになったのも事実なんです」

 と和代は言ってくれた。

 この会話がすべてではない。むしろ、言葉にならないところで、感じあうところがあったのだと感じているのだった。

 そんな気持ちが通じ合ったのかその日、二人は、再度お互い理解し合うということを確認し、交際をスタートさせることにしたのだった。

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