トラックの上での逃避行

紙月

トラックの上での逃避行



 親友の恋愛相談に乗った。なんでもできる男で、たった一つできないことがあるとするならば恋愛、というような人だった。

「今日もいいか?」

週に一度、一人暮らしをしている僕のもとに足繁く通い詰めて「好きな人」の話をすることを生きがいのようにしているのだが、その実、奥手だ。

「マジで可愛い」、「親身に話を聞いてくれる」、「マグカップが可愛い」、「失敗しても慰めてくれる」というようなことばかりを語られ、最初は楽しんでいたものの、今では辟易としている。

 彼との出会いは高校の部活だった。小さな陸上部で、真面目に取り組むのは僕と彼の二人だけ、男子部員が非常に少なく、彼目当ての女子部員が入っては抜けてを繰り返す、あまりいいとは言えない環境だった。最初は対戦相手としてだけ見ていたのだが、部活動対抗リレーのアンカーをやった彼を見て、尊敬を覚えたことが記憶に新しい。

 「もしかして今日は都合悪かったか?」

僕が話を聞いていないことを察知したのか、少し不安げに瞳を揺らした、ように見えた。

「そんなことないよ。課題も一通り終わっているし、君と違って僕には友達がそう多くないからね」

「俺が信用してるのはお前だけだよ。お前がいなかったら俺は高校で真面目に陸上なんてやらなかっただろうし、大学にも行かなかった。今の俺の人生の大半を構成してるって言っても過言じゃない」

「僕の片想いじゃなくてよかったよ本当に」

「棒読みじゃねえか。そんでさ、来週末デートに誘おうと思うんだが、映画とカフェ、どっちがいい?」

「僕は君の好きな人じゃないからわからないけれど、映画行った後にカフェで感想を語り合う、なんてのはどう?その人の趣味はわからないけれど、君のイメージなら超マイナーな作品や続き物を選ばなければうまくいくと思うよ」

「そっか、そうだよな。サンキュー! それじゃあ、ちょっと調べてくるわ。明日も来ていいか?」

彼は目をキラキラ輝かせている。顔がいいやつの眼球は宝石みたいだと感じた。

「明日は勘弁。デートが終わってから来てよ」

「あい、そんじゃまたな!」

彼はきっと好きな人をデートに誘えないだろう。これまでもそうしてデートプランを考えた後、誘えなかったと言って泣きついてきた。僕は彼の奥手さ、真面目さと、あの頃の思い出を今でも信用しきっている。



 それから三日間が経ち、彼から電話がかかってきた。誘おうと思ったがうまく誘えなくて日曜が暇になったらしい。

「それで、お前がよかったらでいいんだが一緒に映画館とカフェ行こうぜ。お前が気になってるって言ってた作家のやつがやってるらしいんだよ」

「先週君が来た翌日に行ったよ。でも、二週目ってのも悪くないね」

「お前めっちゃ嬉しそうな声してんじゃん。そんなに喜ばれると俺も嬉しいね。臆病でよかったわ」

「よくはないでしょ……」

「本当にそうか? ま、いいや。それじゃ日曜の朝九時半頃に車で迎えいくから」

彼はそう言って電話を切った。


 映画が終わり、カフェへと二人で歩いていると、急に横から人に押されるのを感じた。それと同時に肉付きの悪い僕の肉体は転倒する。

「三宅くん、今日は一人? 私も一人なの、一緒に映画でも行かない?」

見覚えのない人物だが、彼と同じ学部の人だろうか。隣にいた僕を吹き飛ばして彼を無理やりデートに誘うという強引さは、彼こそが持っていて欲しいものだと思う。きっと彼は想い人が友達と話している時に話しかけるのは申し訳ない、と考えて誘えてないだけなのだろう。それ自体が間違いだと僕は思わないが、たまには強引さも必要になるのだろうな、と他人事のように考えていた。

「何もないとこで転ぶとか、本当に俺と一緒のトラック走ってたのかよ」

彼はそう言いながら僕の手を引き立ち上がらせると、二人三脚だ、と笑いながら走り出した。

「トラックじゃないところで走るのはまずいだろ」

「いやいや、トラックだろ。地球自体がデカいトラックみたいなもんだし」

彼のこういうところは一生変わらないんだろうな、と思う。体育祭の二人三脚で派手に転んだ時も、僕の悔しさを見越したのか、ゴールラインを超えても走り続け、倒れそうなくらいの酸欠になった男だ。

「君は変わらないね」

「こんな俺にしたのはお前だぞ。責任とれよ」

なんだかおかしくなって、そのまま走り続けた。




 映画の後のカフェ、その前は愛車でドライブ、もっと前だと弱っているところを誘う、など色々とあいつは俺に恋愛のアドバイスをくれる、そしてあいつもまた俺にアドバイスを求めることが多い。持ちつ持たれつ、無二の親友だ。そんな風に考えていたが、その実俺が好きな人というのはあいつなのかもしれないと気づいたのが数ヶ月前のことだった。

どっちが先に彼女を作るか、なんてどうしようもない勝負をしていたが、あいつがこっぴどくフラれたというので揶揄いながら久しぶりにサシ飲みに行こう、と声をかけた時はこうなるとは思わなかった。同じトラックを走り抜け、視線の檻のなかで過ごすような高校生活を二人で乗り越えた俺たちは、涙なんて一切縁がないと思っていた。だからこそ、フラれて、冷静沈着ながらも熱い心を持つあいつが安酒で溢れそうなジョッキを一息で呷って泣くとは思わなかった。そして、その泣き顔を見た時に、これを他の人間に見られるのは、我慢ならない苦痛になると身体で理解した。


 「君が走り出した時は驚いたけど、やっぱり楽しかったよ。でもあの人のことはよかったの?」

「お前が気にすることじゃないって。俺の好きな人はもっと優しくてもっと可愛いからな」

「そうかい。それならよかったよ」

それじゃ、また来週行くわ、と言った俺の表情は、普通の笑顔を保てていたのだろうか。あいつの待ってるよ、という言葉のなかに違和感は見出せなかった。



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トラックの上での逃避行 紙月 @sirokumasuki_222

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