セブンティーン

泉野帳

セブンティーン

 夏はまあまあ好きだ。ぎらぎら照り付ける太陽も、生き急ぐ蝉も、昼と夜の境界線が曖昧な温度も嫌いじゃない。夏フェスも夏祭りも、夏休みも――夏休みは学校の授業がなくてかなり好き。勝負の夏とか夏恋とか、夏に紐づけて急かされるのも嫌じゃない。

 でも夏彦なつひこのことは嫌い。

「ごめん怒ってますか」

「……」

 私は無言をもって返事をした。片腕に二つ、両腕だと四つのパイプ椅子はどっしりと重い。

 駐車場のトラックに積まれたパイプ椅子を下ろして、芝生の広場へと運ぶ。椅子を下ろしたら、また駐車場に戻ってパイプ椅子を運び出す。その繰り返しだ。

 夏彦を介して聞いた業者から納品される椅子は二百脚。ところが、夏彦と業者の認識に行き違いがあり、実際に届いた椅子は三百脚。

 私は県営の海浜公園で、明日の音楽フェスティバルの準備をしていた。短期バイト仲間たちと椅子とテーブルを設営し終えて、のんびり雑談モードに入っていたのに、夏彦とは別のイベント会社の社員から、追加便のトラックが来ていると知らされた。

 二百脚だとスペースがだだっ広いな、と正直みんな思っていた。百脚ならキッチンカーのスペースを含めてもちょうどいい。もう届いた椅子はキャンセルできないから、並べてしまおうということになった。問題は並べるのが人力だってことだ。

私も終電がないのを理由に帰ればよかったな。他の子たちは終電を逃すからと帰った。私は家まで自転車で帰れる距離で、何度も同じ現場に入っていて社員さんとも顔見知りだった。人手が欲しいと頼み込まれたらもう断れなかった。

 Tシャツの脇に汗が滲みだす。

 青のスタッフTシャツは、夜だと黒に溶け合ってもったいない。

「よいしょ、と」

 椅子を四脚芝生に下ろす。夏彦も続いて椅子を下ろす。八脚。夏彦が撒いた労働の種なのだから、一度に十脚運べばいいのにと思ってしまう。

 もう一人の社員さんは私と夏彦が運んだ椅子を、前の椅子と人ひとり分通れるだけの間を開けて、見栄えがいいように整列させている。私もこっちの作業がよかったな。

 夏彦はいつのまにか首にタオルを巻いて汗をぬぐっている。

 太ももの内側に覚えのある痒みが生じた。蚊に刺されたようだ。

「蚊に刺されました」

「そうですか。僕は刺されていません。理子りこさんは若いですね」

「全く嬉しくないんですが」

 真夜中に頼りのない大人とえっちらおっちら椅子を運んでいて、無事にフェス当日を迎えられるのだろうか。フェスやイベントの前準備の時は、いつも不安になる。

 痒みと筋肉痛で、それから熱帯夜で蒸して、夏が嫌いになってしまいそうだ。

「そういえば理子さんは」

 夏彦は黙々と椅子を運ぶのに飽きたと見えて、話しかけてきた。

「進路はどうするんですか」

「……」

「高校三年生の夏でしょう。高校一年生の頃から来てくれるのは嬉しいですが、そろそろ決めないといけませんよ」

「分かっています」

 私は夏彦の方を見ないで答える。

 本当は『決まっています』と素っ気なく言いたかった。

 バイトを口実に勉強から逃げているのを、夏彦に見透かされたくなかった。

 夏彦は黒縁の眼鏡をかけていて、私たち学生バイトにも丁寧な口調で話す。有名な私立大学の出身だと噂で聞いたことはあるけれど、たまに今夜のようなミスをする。

 だから舐められて、『夏彦』って呼び捨てにされるんだ。それなのに夏彦本人は気にもしていない。

「いっそウチに就職するのはどうですか」

「それは絶対嫌です」

 私はわざと音を立てて、椅子を置いた。

「おや残念です。理子さんが来てくれると心強いのですが」

「椅子を余分に運ばされる会社はごめんです」

「やっぱり怒っているんじゃありませんか」

「怒っていません」

 夏彦と空とぼけた押し問答をしていると、いつしか運ぶ椅子は残り四脚だった。

「あとは僕が運びますよ」

「いいえ、運びます」

 私は夏彦が椅子を運ぶ前に、四脚を持った。やばい、明日は腕が上がらないかもしれない。

 でもそういうしんどい表情は出さないで、私は駐車場から芝生まで歩いた。

 一人で椅子を持って歩くと気が滅入る。暗闇に私の身体と四脚の椅子しか存在しないように感じる。

 明日のフェスを想像しよう。真夏日で飛ぶように売れるかき氷。各バンドの色タオルを身に着けた観客。感極まりがちのボーカルのMC。孫に連れられて来たおじいちゃん。ギターの爆音を背中で受け止めて、客席を見つめる私たちバイトスタッフ。

 アーティストたちが見たがっている景色。

「終わりまし、た」

 私は椅子を社員さんに引き渡すと、耐えきれずに芝生に横たわった。はあはあと胸を上下させて、星空を見上げる。夜空を遮る建物はなく、星は綺麗に見えた。大きく白く光る星と、目を凝らしてやっと見つけられる星。

 名前は分からないけれど綺麗だ。

 どうだ、夏彦。私はやってやったぞ。

 そう言いたいのに、夏彦は近くにいない。残念だ。私はやり切ったのに。

「――理子さんは無茶をしますね」

「夏彦」

 夏彦がぬっと現れて、星空を塞いだ。

「どこいってたんですか」

「ちょっとそこまで、アイスを買いに」

 夏彦は私の隣に座った。彼はアイスを二本持っている。

「チョコミントとソーダ味、どちらがお好みですか」

「私の機嫌でも取るつもり?」

 高校三年生はアイスで気持ちを左右されるほど幼稚じゃない。

「半分はそうですね。ただ、労働のあとの――とりわけ夏の夜のアイスは美味しいですよ」

 17アイスを買ったのは学生以来です、と夏彦は言う。

「理子さんが食べないのなら、僕がどっちも食べますよ」

「食べないとは言ってません」

 私は夏彦が右手に持っているアイスを奪い取って、かぷりとかぶりついたらパッケージを噛んでしまった。夏彦には気づかれておらずほっとする。パッケージを剥がして、アイスの表面を舐めた。

 ソーダ味だった。

 口いっぱいに広がる清涼感に、身体の血液を持っていかれそうだ。シャリシャリの氷部分と溶けかけた部分を逃さないように、両方頬張る。

 控えな甘さも、舌のうえでやがて溶けてしまう冷たさの余韻も、夏の味として覚えてしまいそうだ。

ああ、悔しいことにおいしいな。

 駐車場から芝生までの往復も、筋肉痛の予感を抱える腕も、これっぽっちで報われたと思ってしまう。

 

 私はアイスを食べきった。持ち手に歯を立てたら、プラスチック味だった。

「それは食べられませんよ」

 夏彦はわずかに笑いを含んでそう言った。

「17アイスの自販機なんて、このへんにあったっけ?」

「バーベキューハウスの近くにあります」

「ふうん……?」

 夏彦の言うバーベキューハウスが、この県営海浜公園内とすれば、公園内からはとげとげの植え込みを突っ切らないと、だいぶ遠回りになってしまう。また煙に巻くことを言っているのだろう。

「夏彦はどうして、イベント会社で働いているんですか」

「おや進路相談ですか」

「別に」

 夏彦は頬についた傷を撫でて、考え込んだ。

「たまたまですよ。たまたま就活して受かった会社の一つが、弊社だったというだけです」

「なんだ、夢がない」

「夢があるふうに話してもいいですが、理子さんはそういうのは嫌いでしょう」

「……そうかもしれません」

 私は何を知りたかったんだろう。夏彦が働く理由を聞いてもしょうがないのに、『嫌いでしょう』と省略された言葉の内容をやや知りたい。

「夏、」

 夏彦は私からアイスの棒とパッケージを回収すると立ち上がった。

「さあもう遅いですから。送っていきますよ」

「……ありがとうございます。塚本ドラッグストアまででお願いします」

「了解しました……今日は本当に申し訳ありませんでした」

「いいです、もう」

 私はぶっきらぼうに言うと、自転車をとりに駐輪場へ行った。夏彦は後ろからついてくる。

 口の中で爽やかに残るソーダ味を転がす。

 夏彦よりもマシな大人になってみたい。当面の人生の目標だ。

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