第119話

 ロマノ帝国、帝都ザルツ。


皇城の長い廊下を、窓からの月光を浴びながら、1人の女性が歩いている。


そのきらびやかな衣装から、相当な身分である事が窺われる。


その女性が、前方から来る3人に気付き、道を開ける。


「カメリア、また供も付けずに歩いているのか?」


「これはこれは皇太子殿下。

ご機嫌麗しゅう」


「その馬鹿にしたような話し方を止めろ。

お前がそんな事を言うと、裏で何を考えているのかと勘繰りたくなる」


「まあ酷い。

常に帝国の未来を考えておりますよ?」


「嘘を吐け。

今度は誰を嵌めるつもりだ?」


「人聞きの悪い事を言わないでください。

わたくしが、何時いつ誰を陥れたというのです?」


「・・まあ良い。

女遊びも程々にして、さっさととつげよ?

俺が皇帝になった暁には、お前の居場所はないからな」


「・・ケイニーお兄様はどうされました?」


「第2皇子なら、今頃は慣れない野営の最中だろうよ。

手柄を立てさせてやる俺に感謝して欲しいな」


そう言って笑うと、皇太子であるアゼルは去ってゆく。


『よくもまあぬけぬけと。

どうせ勝てば途中で部下に暗殺させ、負ければこれ幸いとでも思っているでしょうに』


第2皇子は文官肌で、戦より政治の分野で力を発揮する。


ケイニーの派閥には宰相が居るが、今回、これまで全く戦場に出ていない彼に、アゼルが皇帝の前で難癖をつけた。


『帝国は武の国。

第2皇子といえど、次期皇帝候補がそんな事で大丈夫なのでしょうか?』


宰相が反論する前に、彼は更に付け加える。


『戦場経験のない皇帝に、果たして軍が付いてくるでしょうか?

兵の気持ちが全く分らないようでは、内乱の種を生みかねません』


この言葉に、自身も若い頃は戦場に出ていた皇帝が頷いてしまった。


結果として、ケイニーは第3皇子の尻拭しりぬぐいを命じられる。


王国との交戦継続に賛成した宰相は、そこで強く出られず、諸侯や騎士団から集めた2万の軍勢を率いて、彼は3日前に帝都を出発して行った。


その軍の副官は、アゼルの息が掛かった猛将だ。


性格が獰猛なことでも知られており、カメリアは必ず何か起きると懸念していた。



 カメリア・ロマノ。


ミドルネームは公の場以外省略する傾向にある帝国の、第1皇女である。


公然の秘密だが、彼女は男性を愛せず、同性に興味がある。


今年24歳になる彼女には、肉体関係を持つ恋人が1人いた。


他の皇女は既に全員が嫁いでおり、彼女は所謂『行き遅れ』と称され、皇帝もそれには頭を悩ませていた。


その一方で、彼女は非常に頭が良く、宰相のお気に入りでもあった。


ただ、その頭脳を政治に使うことはなく、専ら人を陥れることに用いていた。


彼女には強い愛国心があるので、その謀略の対象は、専ら国にとって有害となる者だけだ。


アゼルが彼女に嫌味を言ったのも、彼の派閥から既に4人の犠牲者が出ているからに他ならない。


そんな彼女が今一番欲しいもの。


それは、己の意をんで動いてくれる、圧倒的な武力だった。



 トルソーは嫌な予感がした。


馬車の進路上に、軍の野営地が見える。


本来なら、食料や水を強請るためにも顔を出した方が良いのだが、何だか胸騒ぎがしたのだ。


これまでの道中で、彼の護衛に就いていた騎士達は1人もいなくなり、息子と娘の3人だけの旅を続けていた。


給与も陸に払えず、食事や宿も満足に取れないとなれば、仕方ないのかもしれない。


ダッセーやアルビンから恵んで貰った金貨がまだ三十枚残っているが、何かあった時のために隠してある。


昨日通り過ぎた侯爵領では、何も貰えず侯爵家の門番に追い返された。


魔物に出会わないことをひたすら祈りつつ、帝都まであと4日弱の所まで来ていた。


「迂回するか、遣り過ごした方が無難かもしれん」


幸い、まだ野営地の灯りとは結構な距離がある。


今の自分に残された、たった1つの財産、汚れた馬車の中で眠る2人の子供達のためにも、危険は冒したくなかった。


周囲を見渡した彼は、道から大分離れた場所に、小さな林を見つける。


そこへ馬車を進めると、運良くちょうど良い空間が存在した。


馬の餌を探す傍ら、馬車を隠すため、葉の付いた小枝を集めた彼は、それで馬車を覆い隠す。


無事に軍が通過してくれることを祈りつつ、空腹を我慢しながら、子供の側で眠りに就いた。


そしてこれが彼らの命を救うことになる。


恥を晒してでも、生きることに真摯になったトルソーの英断だった。

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