第67話

 結構な時間をログインしっぱなしだった俺は、一旦【ログアウト】して現実世界に戻る。


ゲーム世界で何日も過ごしていたはずなのに、こちらの時間が止まっていたせいで、疲労感は全くなく、頭も冴えている。


食事や入浴を済ませ、学校の課題をやって、久々に感じる眠りに就いた。



 「西園寺君、おはようございます」


「おはよう、源さん」


「やっと西園寺君に会えました。

お昼をご一緒するのは確定事項ですが、またいつものメニューですか?」


「うん」


「ここのかつ丼と親子丼、そんなに美味しいですか?」


「かなり美味い。

・・それに、変化がないということは、幸せなことでもあるんだと気が付いたから」


「・・・」


「こうして源さんと話ができる日常も、変わって欲しくないものの1つだよ」


「・・西園寺君、今少し付き合ってくれませんか?」


「ん?

あと10分で予鈴が鳴るけど、何処に?」


「第1資料室に。

先生に頼まれていた資料があったんです」


「ああ、荷物持ちだね。

了解」


同じ階にあるその場所まで急ぐ。


鍵を持っていた源さんは、俺達が中に入ると直ぐにドアを閉め、何故かまた内側から鍵を掛け直す。


「?」


いきなり彼女に抱き締められた。


「!!」


首に腕を回され、視界に彼女の美しい顔だけしか映らなくなり、唇に生温かい感触が広がる。


直ぐに舌が割り込んできて、それによって強引に開けられた隙間に、源さんの熱い吐息と唾液が入り込んでくる。


ぎこちなく、やや乱暴で、技巧なんか考えもしない、彼女の舌と唇の動き。


だからこそ、その感情がストレートに伝わってきて、俺は無抵抗で彼女の為すがままになる。


5分くらいはそうしていただろう。


やっと唇を離した源さんは、唾液の橋で繋がる俺の唇を軽く舐めた後、満足したように微笑む。


「フフフッ、到頭貰っちゃった。

これで文字通り、あなたに唾つけた。

・・西園寺君がいけないんだよ?

2日もあなたに会えなかった私に、あんな事を言うんだから。

初めてで下手だったかもしれないけれど、その分沢山の愛を込めたつもり。

強引だったのは御免なさい。

でも、嫌じゃなかったよね?」


最後だけ、少し不安げに尋ねてきた。


答える前に予鈴が鳴る。


「続きはお昼の時間にね」


慌ただしく、2人揃って教室に戻った。



 休み時間の度に、源さんに何か言われないかとビクビクすることを経て、やっと昼食の時間に。


最早2人の専用個室と化している部屋の中で、俺はぎこちなく源さんと向き合う。


「いただきます」


今日は和食を頼んだ彼女が、美しい箸使いで煮魚を解していく。


それに釣られて、自分も食べ出した。


「いただきます」


「西園寺君、もしかして緊張してるの?」


「え?」


思わず、抓んだカツをどんぶりに落とす。


「心配しなくても、ここでは何もしないわよ?」


「べ、別にそれを恐れている訳では・・」


「・・嫌じゃなかったんだよね?」


「それは勿論」


「西園寺君も初めてだった?」


「うん」


こちらの世界ではね。


「フフッ、嬉しい。

今日、10月7日は、私の中で絶対に忘れることのできない記念日になりました。

ファーストキス記念日。

もし私が首相だったら、この日を祝日にします」


「いや、絶対に止めて。

物凄く恥ずかしいから」


「『仲良しの日』とかいう名前にしたら、お菓子メーカーや飲食店、ホテル業界が大賛成してくれると思いますよ?」


「最後の1つが、何だか生々しい」


「『この日に学校でキスしたカップルは、永遠に幸せになれる』なんて伝説を作り上げたら、バレンタインより流行はやると思いませんか?」


「持てない男が余計にみじめな思いをしそうだから止めて」


「もう。

・・まあ、静かに2人だけで思い出と幸せに浸るというのも、それはそれでありですね。

西園寺君に肩を抱かれ、私はあなたの肩に頭を載せて、晴れた日の公園のベンチでぼーっとするのも良いし、見晴らしの良い高台で、腕を組んで夜景を眺めるのも、人のいない海辺で、波と戯れる私を優しい目で見つめてくださるのも悪くありません」


「・・源さんて、意外に乙女なんだね」


「どういう意味ですか?」


笑顔が怖い。


「いや、君はもっと現実的で、効率的で、常に冷静さを失わない人だと思っていたから。

勝手なイメージだけど、ぬいぐるみを抱き締めて喜ぶ姿や、かわいい物や美味しい物に飛びつく君を、あまり想像できなかったんだ」


「西園寺君と接している時もですか?」


「確かに、俺と居る時は違うね。

普通の、いや、優秀な女子学生に見える。

けれど、一旦俺と離れれば、そういった完璧な君しか目にできない。

だから今朝の事には驚いたんだ。

君にあんな情熱的な面があったなんて」


「電話でも話したと思いますが、あなただけには素直な感情をぶつけていますので。

私が本来の自分に戻れる貴重な時間。

心のオアシスとでも言えば良いのでしょうか。

私にとって、西園寺君はそんな存在なのです」


先日のお昼に、屋上で俺に近付いて来た女生徒の言葉を思い出す。


「源さんはさ、何か俺にして欲しい事とか、こうなって欲しいとかいう願望はある?」


「私と結婚してください!」


「それはずっと先の話だね」


「今度は西園寺君の方から、私にキスしてください」


「考えておくね。

当然、TPOは選ぶけど」


「私とキスをするだけなのに、そんなもの必要なんですか?」


「自分の身を護るためには必要なんです」


もし学校で彼女としているのを見られたら、俺は全男子生徒を敵に回す。


「あなたはそのままでいてください」


彼女の声の質が変わる。


「今のままで良い。

そのままで十分です。

私に合わせようとしなくても大丈夫。

あなたは既に私の英雄ヒーロー、私の憧れですから」


穏やかな眼で、優しい声で、微笑みながらそう告げる彼女から、ずっと目が放せなかった。


「ご飯、冷めてしまいますよ?」


今の気持ちをごまかすように、慌てて食べ始めた。

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