『扉を開けると、そこは異世界カフェでした』

時守 遼

第1話

人口190万人を超える某都市。大通駅を超えて飲み屋街に向かう途中にそこは存在した。一見するとただのビルなのだが、階段を降りた先に異彩を放つ看板。喫茶店なのかバーなのか、それとも占い屋なのか。よくわからない。

 今はまだ昼間だ。別に飲みに来た訳ではない。そもそも自分が何をしようとここにいるのかよくわからないのだ。

くだらない言い訳を脳内で繰り返し、扉に手をかける。黒の扉に赤や黄色、青、緑といったステンドグラスが窓として嵌め込まれていた。

 カラン。小気味いい音を立てて扉が開かれる。中は薄暗くてあまり人がいる気配がない。オレンジ色の間接照明が全体に付けられ、ドライフラワーやティーカップの類が見えた。

 都市部だというのに客はおろか、営業する意欲すら感じられない。しかし、何故か帰ろうという気にはなれず、店内へ足を踏み入れた。

「すいませーん」

 とりあえず、一番近くにあったソファ席に座る。多少の罪悪感はあったが、犯罪を犯している訳ではない。少しして店の人が来なければ帰るとするか。

 店の中を見回すと雑貨が置いてあるコーナーがあり、その隣にはソファ席、カウンター席と並んでいる。壁には洒落た蝋燭、ホロスコープの布がかけられていた。奥には大小様々な形をした酒類のビンが行儀よく並んでいる。昼間は雑貨屋を兼ね備えた喫茶店で、夜はバー、マスターは占い好きといったところか。

 ポケットから煙草とライターを出して火をつける。灰皿が置いてあるし、別に怒られることでもないだろう。薄暗い店内でライターの火は妙に映えていた。

 深く腰を掛けるとソファは想像の3倍は沈んだ。何となく上を見上げて物思いに耽る。いつからこんな薄汚れた人間になったのだろうか。わからない。何となくそんな気がするだけ。煙草の煙が空へと揺らめいた。

「よぉ、悩んでるなぁ」

 黒い服を着た店員らしき者が目の前に現れる。一体どこから現れたのだろう。暗くて顔がよく見えない。

「ここはな、死のうとして死に切れなかった臆病者が来るところだ」

 いきなり現れて何を言い出すと思ったらこれか。

死のうとした? じゃあ、ここはどこなんだ? 確かに地下とは言え、足音もなければ街中のBGMも聞こえない。

「結論から言おう。本当に望んで死のうとしたのなら、お前はここにはいない」

 店員は勝手に話を進めていく。

死んだとはどういうことだ? わからない。何故、望んでもいないのに死にかけている? 自分が誰で、何をしようとしたのか、思い出せない。

「おう、おう、混乱しているな。頭打って健忘症にでもなったか」

 人が困っているというのに、この店員は妙に楽しげだ。

「けんぼ……?」

「本当に覚えてないんだな。お前は出勤の途中、車に撥ねられた。どうせ、この先もブラック企業で酷使されて一生を終えるなら、死んだ方がマシとでも考えたんだろう」

 馬鹿馬鹿しい、さっさとそんなところ辞めればいいものを、と店員は大爆笑している。

「そもそも罪のない人間の車に飛び込むのもいい迷惑だ」

笑っているかと思ったら今度は少し怒っているようだ。

「ったく、人間ってのは追い詰められると周りが見えなくなる! なんか頼みな、サービスしてやるから」

 店員はカウンターの上にあるメニュー表を掴み、テーブルの上にボンと置いてきた。

 『人間の闇・ブラックコーヒー』に『天界のシフォンケーキ』? 浮世離れしたネーミングのメニューに一通り目を通す。その下に小さく説明が書かれてあった。

 ここのメニューの選択によって今後の運命が決まるといったところか。

 死んでも死に切れない、だからと言って戻ったところで、また同じことを繰り返すのもごめんだ。それなら、このメニューが一番手っ取り早いのではないか。

「じゃあ、これとこれください」

「忘却の海・クリームソーダと日常の幸福・プチシューか。いい選択だな」

 店員はそう言うと、奥の扉へ消えていく。

 次に現れた時には御盆の上で青緑色に輝くクリームソーダとプチシューを持っていた。相変わらず、薄暗くて顔は見えなかったが、さっきよりも穏やかな雰囲気を纏っているように思える。

 上に乗っているアイスを救い、メロンソーダと一緒に口に含む。シュワシュワパチパチと弾ける炭酸と甘く広がるアイスクリームの相性は抜群だ。さらにシュークリームを一口かじる。甘い飲み物に甘いシュークリームを頼んだのは少し不安だった。しかし、それをかき消すくらい、軽いシューと爽やかな炭酸が全てを解決した。

 グラスに残ったソーダをストローの底が音を立てるほど飲み干した。そして皿についたクリームも集める。幸せだった。

「うん、良い顔をしている。お前はもう大丈夫だ。戻っても都合よく嫌な記憶は忘れたままだろうし、第二の人生を始めるといい。」

 帰りはこちらだとステンドグラスのついた黒い扉に案内される。

 店員はもう二度と会うのはごめんだが、と言いながらショップカードを渡してきた。記念にでも取っておこう。

 一礼をして、黒い扉に手を掛ける。開くと白い光に包まれ、それからはもう何も覚えていない。


 気が付くとそこは病室のベッドの上だった。聞かされた説明では車に撥ねられて、記憶障害を起こしているらしいとのことだった。不思議とパニックを起こすことはなくて、妙に穏やかな気分である。

 それからはトントン拍子で事が進み、無事退院した後、すぐ荒れ果てた部屋を真っ先に掃除した。いくつも悲痛な言葉が並べられた遺書を見つけたが、全部まとめてゴミ箱に放り投げた。会社に出した辞表も驚くほどすんなり受け入れられた。正直、遺書に書いてあった自分と今の自分はまるで別人のように思える。

 時々、あの場所は妄想だったのではないかと思うことさえあるくらいだ。

しかし、あの日飲んだクリームソーダのような、青緑色のショップカードが机の上にひっそりと置かれていた。

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『扉を開けると、そこは異世界カフェでした』 時守 遼 @tokimorimori

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