とある民族の婚礼について

金澤流都

婚姻の儀式

 これは、極寒の地に暮らす、とある先住民族のうち1部族の婚姻について記録したものである。

 この部族に於いては女性が族長となり、また家庭内で全ての権力を握るのも女性だ。

 この部族は遺伝子の偏りにより、圧倒的に女性が生まれやすい。そのため、男性は貴重であり、この部族は一夫多妻の暮らしをしているが、ときおり多夫多妻となり、男性の多い家庭ほど部族内での権力が強い。

 族長(もちろん女性)の家には男性は3人いた。族長の家庭でその程度なので、部族の理想的家族像が多夫多妻とはいえ、だいたいは一夫多妻の暮らしである。


 この部族では女児が生まれると家督を継ぐものとして厳しく教育する。じゅうたんの織り方、家畜である巨大な毛長鹿(彼女らの言葉ではアンブーというので、以下アンブーと呼ぶ)の飼い慣らし方、家畜商とのやりとりのし方、独特の韻律を持つ詩の詠み方や歌の歌い方、算術、また寝台でよい子を授かるための技術などだ。

 幼い少女に、まさにそれそのものの木彫りを見せて寝台のことを教えているのは筆者も驚くことだった。

 しかしそれは彼らの感性では至って普通のことだ。昔、大名の姫君の輿入れにあたって、春画を見せたのと何ら変わりないことである。


 一方で、男児が生まれればこの上なく喜ばれ、親は生まれたときから婿入り先を探す。婿入りが決定すれば、婿入り先からは多数のアンブーが贈られる。

 男児はとにかく可愛がられて育てられる。病気にならないよう幼いうちは家から出さず、食事は毎日肉や卵などのタンパク質が供される。

 この部族では、男児はまさに蝶よ花よと育てられる。男児の生まれた家では、わずかな春の間に、花を集めてドライフラワーの冠を作る。それは婿入り衣装とされ、一生の宝物として保管され、その男性が年老いて亡くなるとき、一緒に埋葬される。


 この花冠に使われる花はこの部族の暮らす地域に密集して生えるものだ。赤や桃色の、可愛らしい色がドライフラワーになってもずっと残る。

 男児が生まれれば花冠を用意するだけでなく、花婿衣装の準備も行われる。この部族の平均的な男性の身長はおよそ155センチ程度で、女性の平均的な身長は170センチであるから、おそらく血統による偏りがあるのだろう。それを標準に花婿衣装は作られる。

 花婿衣装はアンブーの子供から採った、白く柔らかい毛を編んで作られる。アンブーの毛はこの民族の衣服やじゅうたんに使われる。

 白い、アンブーの最初の毛は大変貴重なもので、花婿衣装にしか使われない。


 家々には伝統の花婿飾りが伝えられている。男児が生まれることは珍しいので、家々に受け継がれていく。彼らの暮らす山地で採掘される、真っ赤な石を削って磨いて作った装身具だ。


 幸いなことに筆者は婚礼の様子を見ることができた。


 まず最初に、夏の満月の夜に若者は身を清める。それが一連の婚姻の儀式の始まりだ。色白で柔らかそうで小柄な若者は、半ば少女のようだった。

 体を清めるのは村の泉だ。泉から上がった若者に、両親は花婿衣装を着せ、赤い石の装身具を与え、花冠を被らせる。

 若者は「私にはしかるべき時がきた」と家族に宣言し、一頭の若いアンブーを引いて妻となる女たちの家の戸を叩く。女たちは「柔弱な男など要らぬ、必要なのは我々に子種を授ける、雄々しく勇敢な男だ」と答える。

 そこで若者は、連れてきたアンブーを女たちの家の前に繋ぎ、いちど実家に帰る。

 翌朝、若者は再度女たちの家を訪れ、「私が雄々しいと証明しよう」と言う。女たちはそこで出てきて、「ではアンブーを屠れ」と命じる。

 若者は花婿衣装の白い服を脱ぎ、手斧でアンブーを屠る。その後アンブーの肉は婚礼の食卓に並ぶ。これで婚礼の第一段階は終わりである。


 その日の昼に、村の古老である老婆たちが、屠られたアンブーを解体する。肉を部位ごとに料理し、その料理は内臓も用いられる。その日に村にいる村外の人はみな客人なので、筆者もアンブーの肉を食べることになった。基本的に美味であったが、内臓は餌であるコケの味がして、慣れないものには食べにくい料理だった。

 夜には盛大な祝宴が催される。アンブーの肉だけでなく、山で摘んできた山菜やキノコも振る舞われる。ジンタという山菜の煮物は特に美味であった。しかし山菜の煮物をジンタと呼ぶのか、山菜をジンタと呼ぶのかは判然としなかった。


 祝宴では酒も振る舞われる。何年も壺で発酵させた強烈なアンブーの乳の酒だ。これは婚礼と葬儀でしか飲むことが許されない。彼らの感覚では婚礼も葬儀もあまり変わらないようだ。

「人は姿を変え、結婚し、子供をもうけ、よい祖父母になって死んでゆく」というのが彼らの基本的な死生観である。死んだのちは「平和の国」に導かれると彼らは信じている。


 婚礼に話を戻す。花婿が飲む酒には、ミチという香草を加える。これは気分を昂らせる効果があり、花婿は宴会が終わるころにはすっかり「その気」である。

 酔っ払って体が熱くなった花嫁たちは、ミチの効果で昂っている花婿を家に招き入れる。そして、複数の女と1人の男の、熱烈な初夜を迎えるのだ。

 彼らはこの初夜を「花狩りの夜」と呼ぶ。


 その翌日、花婿は部族の人々を前にして「私は勇者となった、恐れるものはない」と宣言する。これで婚姻の儀式はすべて終わりである。この後から、花婿は花嫁たちの家で暮らす家族となる。


 彼らの暮らしはかつて戦いとともにあり、女勇者が立つことは珍しいことではなかった。

 平和に暮らしている今でも、家々にはそれぞれ伝わる手斧などの武器が祭壇に飾られている。彼女らは戦士であり、男を守らねばならぬという使命感を持って暮らしていた。それがいまの時代まで連綿と続いているのである。


 近年、彼らの暮らす村落にも、次第に文明の波が押し寄せてきている。

 近くに放送局がないのでテレビやラジオはないが、子供たちは山を降りたところの小学校に通い、村の外では男女がそれぞれ一つがいになるのが当たり前、という価値観を植えられつつある。

 もちろん村に帰れば複数の母親と父親がいるので、子供たちはいまのところ伝統文化を捨てようとは考えていないようだが、それでも西欧諸国のキリスト教的価値観が定着するのはそう遠いことではないだろう。


 彼らの価値観が正しいとも、キリスト教的価値観が正しいとも思わない。単純に比較していいものではないような気がするからだ。

 彼らの暮らしはとても牧歌的で、素朴で、特殊な婚姻の形態ではあるものの家族は強い絆で結ばれている。

 彼らもまた人であり、我々と変わらない赤い血が通っている。それを、面白がって「貞操概念逆転民族」と言って面白がるのは筆者の思うところではない。

 彼らの尊厳が、一番大切なものだ。

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とある民族の婚礼について 金澤流都 @kanezya

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