第9話
静子様は二日間だけ会社へ行き、また休んで私を県外の花火大会へと誘って下さった。
静子様もまだ本調子ではなく仕事も長らく休んでいたというのに、私のために復帰を遅らせている。でも、思い出はちゃんと作っておきたかった。
今作っておかなければ、永遠に後悔する。私は静子様よりも長く長く時を過ごしていくことになるからだ。それは静子様も感じ取っておられるようで、まだ間に合う花火大会のちらしを見せて下さったときには少し涙ぐんでいた。
自分で「視認」と書いた札を、着物や浴衣の内側に貼っておいた。これで誰もが私のことを見られるようになる。これまで私のことが見えなかった人も、札の効果で見られる。
支度をして、浴衣のまま夕方から新幹線に乗り、熱海まで行く。そのあとは那智大社と晴明神社へ行くのだ。
夜の潮風がどこからともなく吹き付けてくる。私はその風を感じながら、静子様、そして仁と寿と一緒に会場へ向かった。海水浴場や港、海岸線は人々で混雑しており、少し目を離すと静子様がどこにいるかわからなくなりそうだ。それでもまあ、静子様の気を感じとって自力で探し出すことはできるのだけれど。仁と寿は人があまりにも多いため、少し離れた人のいないところで見ていると言った。人々の熱気とムードに圧されそうだ。
「はぐれないで」
静子様がそう仰って、私の手を掴んだ。こんな大人の姿になってもまだ、静子様に手を引かれることに幸せを感じている。小さな姿に戻ってしまいそうな気さえする。
暑さが堪えるけれど波の音が心地がよい。
少しばかり人の少ないところを見つけ、静子様はそこで立ち止まった。
しばらくしてひゅうっという音がして空に大きな音が響いた。
花火が始まった。人々の歓声や子供の声があちらこちらから聞こえてくる。
青、赤、オレンジ、緑、白、柳花火。
空に浮かぶ大きな花々が、大きな音と共に咲いては瞬時に消えていく。空に煙が残ったと思うとまた花が咲く。ここにいるかたがたが、みんな幸せになりますよう。
「綺麗ね・・・・・・熱海で見るのは初めてだわ」
「私もです」
夏の終わりの花火というものは、とても切ない気持ちになる。これは花松町の近くの花火大会があったときに以前、誰かが言っていたから私だけの気持ちではないのだろう。こんなに胸が締め付けられるのは夏の終わりを知らせる風物詩だからか静子様とお別れの時が来ているからか。
来年は、どこでどうやって花火を見ているのかもわからない。ただ、静子様と同じ空気を吸い、同じ時間に同じ場所に立って見られないことだけはわかっている。
みんなの視界から私が完全に消えてしばらく立ったら、静子様はこの花火のように鮮やかに私のことを思い出して下さるだろうか。
「不安になっているの」
静子様に悟られてしまった。無言のままでいた。なにを言えばいいのかわからなかった。
全ては喜ばしいことなのに、どうしてこんなに辛く感じるのだろうか。
「大丈夫よ。千福が一緒にいるといってくれたように、私もいつも千福と共にいるから。だから心配しないで大丈夫」
「はい・・・・・・」
静子様は微笑む。
「私もお別れは不安で不安で仕方がないの。それに、千福のことが見られなくなるのはね、本当は嫌。ずっと、ずっと傍にいてほしい・・・・・・」
緩やかに、緩やかに、人の時間も私の時間も未来へ向かって変化していく。
時間など、進まないで欲しい。私に時を司る力があれば、時間を止めてしまえるのに。
花火がものすごい速さで連続して打ち上げられる。
終わる。終わる。私と静子様と共に歩んだ時間が――。
時間が瞬く間に過ぎていき、花火は終焉の時を迎えた。私はその場で風を起こすと、
花火をイメージして一発だけ、空に大きな青い薔薇の形の花を咲かせた。周囲がざわつく。
「今のすごくなかった?」
「なに、あれ。あんな形の花火初めて見る」
青い薔薇の花言葉は、「夢が叶う」と「神の祝福」、「奇跡」だ。
「今のは、千福がやったの」
頷く。この場にいるみんなに、静子様も含めてその花言葉の想いと願いを込めて神通力を使って打った。私からの祝福。これで、何人もの人の夢や奇跡が叶うかもしれない。
「どうして打ったの?」
静子様は訊ねる。
「私はどの場にいようとも、私自身がなにを感じようとも幸福神です。だからみんなに幸せなことがたくさん訪れるといいなと思って打ちました」
「でも、泣いている」
「止まりません・・・・・・」
言うと静子様は頭を撫でて下さった。気持ちがいい。こうして撫でて頂けるのも、もう最後なのだろう。ひとつひとつのことにしっかりと感情を込めよう。
「どんなときでも、千福は神様としての仕事を全うしようとするのね。だから他の神様も、きっとあなたを認めて下さったんだわ。きっと、もっと立派な神様になれると思う。私からのお墨付き。じゃあ、そろそろ行きましょうか」
これ以上ご迷惑はかけられない。こんなに励まして下さっているのに。
私は泣き止み、暗い潮風の拭く道の中を、仁と寿と合流して歩いた。
ホテルに一泊し、花火の夢を見た。たくさんの人々が笑っていて幸福を感じた夢。
静子様に起こされチェックアウトすると、名古屋まで行き軽く観光をしたあと一泊し、翌日紀伊勝浦まで行った。
あの時は天狗に攫われ、美穂さんと咲さんを無事送り届けることに必死だったから余
裕がなかったけれど、今なら楽しんで景色を見られる。空気は変わらず澄んでいる。
「あれ」
声が聞こえて振り返ると、十三歳くらいの女の子と四十代くらいの父親と思える人が布の袋をぶら下げて立っていた。
「もしかして、千福様ですか・・・・・・大きくなられていますが気配が同じ」
言われて私もすぐに気配を感じ取る。別人の人間の女の子に化けていたので一見しただけでは全く気づかなかった。
「ヤエさん?」
「そう。私、ヤエです。こっちは父です。買い物帰りで」
笑顔でヤエさんに抱きついた。なんだろう、最近抱きつくことが多くなっている。こんな癖、昔はなかったはずなのに。愛おしいのか、寂しいのか。ヤエさんはびっくりされていたが、強く抱き返し離れる。
「あれからどうですか」
「おかげさまでなにもなく無事です。天狗も一羽も見たことがありません。あのあとお二人は大丈夫だったのですか」
父狐がお辞儀をして訊ねる。お二人、とは恐らく美穂さんと咲さんのことだろう。
「はい。無事に送り届けました」
「それはよかった。その節は本当にありがとうございました。私たちは平和に暮らしております。それで今日は・・・・・・」
父狐は静子様と、私が手にしている大きな鞄を眺めている。
「旅行です」
静子様が言う。そうして静子様も私に変わってお辞儀をした。
「私は千福と一緒に暮らしております、小網静子と申します。天狗に攫われた折、千福がお世話になったようで、色々とありがとうございました」
父狐は両手を振った。
「いえいえ、助けて頂いたのはこちらなので。それで、どちらへ向かうのですか」
「那智大社のほうまで・・・・・・」
「ならば私がご案内致しましょう」
静子様が少しばかり私を見た。普通のバスで行くと三十分以上かかるし、仁と寿も恐らく父狐の化けるバスより窮屈を感じるはずだ。それに、静子様にも特別な体験をして頂きたい。
そうすれば、銀次さんとの話題も弾むだろう。
お言葉に甘えることにして私は頷く。すると父狐が人のいないところまで私たちを誘導し、ぶら下げていた袋をヤエさんに預けると例の大きなバスに化ける。
「すごい・・・・・・」
静子様は感嘆され、乗車口から静かに乗った。続いて私、仁、寿、ヤエさん。ヤエさんはどうやら私の隣に座りたかったようなので、私は静子様の後ろに座った。
「発車します。揺れますのでお気をつけて」
父狐の声がする。相変わらず景色がものすごい速さで流れていく。後ろから見える静子様の横顔は、とても楽しそうだ。
「千福様、そのようなご立派なお姿になられたということは、神としてのお力にもますます磨きがかかったのでございましょうか」
ヤエさんが成長した私を見て不思議そうな表情をするので、お社を頂けることになったと話す。
「では、今度は私たちが千福様のもとへ参っても宜しいでしょうか。人の姿に化けていきます」
ヤエさんも一瞬誰なのかわからなかったほどだ。あれからきっと、化けるのがとてもうまくなったのだろう。練習を重ねたに違いない。
「お社ができたら是非来て頂きたいです。でも・・・・・・私は神になる全ての条件が整ったから、多分姿が見えなくなってしまいます。ヤエさんとこうしてお話しすることもできなくなるかもしれません」
「神社へ行っても千福様にお会いできないのですか」
「このようにお会いすることは。多分、私が一方的にヤエさんのお姿を拝見するだけの存在になるのだと・・・・・・」
ヤエさんは、私の手をそっと掴んだ。
「大丈夫でございます。私は千福様のことをずっと忘れません。妖怪は人よりも数十倍長く生きます。だから何百年先も、私は千福様のことを覚えていられます。たとえお姿が見えなくても、私はきっと先ほどのように千福様の気配を感じ取ることができましょう」
「ありがとうございます・・・・・・」
みんな優しい。みんな、綺麗な心で私と接して下さる。
バスは十五分もしないうちに、那智大社の人気のないところで停まった。降りると、二人はまた人の姿に戻る。
「では、よい旅を」
「ありがとうございました」
ヤエさんも父狐も、人の姿のまま去って行く。
「熊野那智大社って世界遺産なのよね。初めて来たわ」
「行きましょう」
私は静子様の袖を引き、共に大きな鳥居を潜り階段を登る。神域だ。即座にそう思う。
ここには何人もの神様がおられて、この土地をお守りしている。強くそう感じた。天狗になにもしなかったのは、穢れると放っておいたのだろうか。まあ、神様達もお忙しいのかもしれないから、天狗などに構っている暇などないのかもしれない。
階段を登って登って登り切った先には、絶景が見渡せた。晴れた空に黒っぽい山々が見渡せ、なんだか飛んでいるような気分にもなる。
静子様も見晴らしの良さに少し感動したご様子で、一礼をしてからデジタルカメラに納めていた。
鳥居を潜ると、熊野那智大社の拝殿が見える。
第一殿から順繰りに、事前に調べておいた神様の名前を呼び、自己紹介をしていく。大己貴命様は第一殿にいらっしゃる。真っ赤な建物にも、強力なご神気を感じられる。私は粛々とした気持ちで、何度も何度も日頃の感謝の気持ちと共に静子様のことをお守り下さるように頼んだ。
「やっぱり神様にお祈りすると心が鎮まるものね。特にこういう自然の豊かな場所だと」
静子様はどこか遠くを見つめてそう仰る。災難が続いたお若い頃に、何度も何度もこうして神様にお祈りしていたのだと思うと、苦しくなる。どれだけの神様が、その祈りに応えて下さったのだろう。
大山咋命様や、恵比寿様、大国主命様は気にかけていらしたようだけれど、静子様の祈りを無視した神様も中にはいらっしゃるのだろう。どれほどの思いが募って私を誕生させたか、その心中を思うとやはりこれからの人生はこれまでの人生を覆すくらい幸せなものになって欲しいと願う。
静子様は御朱印を頂くと言って社務所へ向かわれた。
待っている間、幸守りを買うことにした。静子様に幸福がたくさん訪れますようにとの願いを込めて。
「とてもいい場所でございます」
仁が言った。
「私もそう思います。千福様、本格的な神となられましても、私たちをこのような場所へ連れて行って下さいますか。妖であった頃は、私たちは廃神社にしか近寄れませんでした。ですのでこうした場所は私たちにはまだ経験が少なく・・・・・・」
寿が頭を垂れて言う。そうだ。神の仕事は忙しくなるのかもしれないけれど、この二匹と共に色々なところを連れて回らなくちゃ。
「うん、そうするよ」
御朱印を頂いた静子様が私の前へやってくる。私はお守りを静子様に渡した。
ありがとう、そう言って微笑むと少し散策をして駅まで戻り一泊する。朝、今度は京都まで行ってホテルで一泊する。移動時間が長く、京都に着く頃にはもう日が暮れていた。
ホテルでのひとときを二人で楽しみ、翌日は早速晴明神社へと向かった。
晴明神社は独特な趣があり、鳥居には金色の五芒星が輝いている。
一の鳥居を潜る。旧・一条戻橋や式神の像を見る。この式神は、まだ具現化して晴明様にお仕えしているのだろうかと思う。二の鳥居を潜って手水舎で手と口を清め、境内の奥へと進んだ。本殿は丸みを帯びた屋根に、歴史を感じさせる時代劇で見るお屋敷のような建物。
東京大神宮には気高いご神気が満ちていたのに対し、こちらは独特で、独自の雰囲気を感じる。というよりあの時お会いした晴明様の気をビシビシと感じる。
左側には晴明様の銅像が飾られている。私はその銅像をまじまじと眺めながら、感謝の気持ちを込めて深くお辞儀をした。そして拝殿へ向かい、再び謝辞を述べる。
晴明様は私たちを助けて下さったばかりか、初めて私を神と認めて下さった。感謝してもしきれないおかただ。ご尊顔を拝謁することはできなかったが、気配を感じる。
本日はこの場に鎮座されている。
私はこれまでのことを報告し、本格的に神となるとお伝えする。
すると、静かな空間の中ではっきりと声が聞こえた。
「見違えるほど大きくなったな。どこかでまた会うこともあるだろう」
嬉しくなってはい、と応える。
晴明様はちゃんと人々の心のうちを聞いて下さっているのだ。
「どうしたの。なんか笑顔だけれど」
静子様が言う。
「晴明様からお言葉が返ってきました」
「素敵ね」
「静子様はなにか感じられますか」
静子様は少し考えるように天を見上げられた。
「そうね・・・・・・多分見守って下さっているのだろうと。私が以前お伺いしたとき、ちゃんとお願い事も聞いて頂けたみたいだし。だからこうして千福がいる。きっと晴明様ってお優しいかたなのかもしれないわね」
「はい」
晴明様に話したいことはたくさんあったけれど、他の参拝客の邪魔にならないように私は一礼し、静子様と晴明神社をあとにした。静子様の表情には疲れが浮かんでいた。
「軽食、とりましょうか」
体調を心配し言う。静子様は頷く。
軽く食べると、京都から花松町へと舞い戻る。
限られた時間の中、静子様もなんとか私の願いを叶えようとして下さっている。
静子様は翌々日、銀次さんとの約束をまた断って成子天神社や五條天神社へ共に行って下さった。銀次さんは静子様の話を理解していらっしゃるようだ。私と過ごす時間を大事にと話して下さっているらしい。
七福神様達は気を遣ってか今日はお姿を現わさない。そうして五條天神社でもあの時のように大己貴命様や少彦名命様をお見かけすることはなかったけれど、静子様は熱心に祈りを捧げていらっしゃる。
きっと命を助けて頂いたお礼を述べておられるのだろう。その祈りが、最後。祈りを終えて、静子様は私に微笑む。私は微笑みを返した。
全ての願いを短期間で叶えて頂いた。
これ以上我儘を申し上げるわけにもいかず、帰り道を大切に大切に、静子様と歩いた。
あれだけ生い茂っていた上野公園の木々も、今では夏の日光を浴びすぎて枯れ始めている。
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