第2話

家には空いた部屋が三室あるので、私は二階の一部屋を頂いている。


神って寝るのだろうか。七福神様は夜、寝るときもあれば寝ずに宴会をしていることもあると仰っていた。神は基本眠くはならないのだそうだ。だが、私はやはりまだ力不足なので疲れもするし眠たくもなる。


朝五時に起きて、静子様に朝ご飯を作りラップをかけて書き置きをして家を出る。

神社を巡るのは午前中のほうがいい。午後は人々の邪気が多くなり、魔も近づいてくる。 


傘を持って家を出た。六月なだけあって外は明るいが、蒸し暑く今日は雨も降りそうだ。氏神様にご挨拶をしたあと、駅へ向かう。移動手段は電車。 

静子様のパソコンを借りてインターネットで調べて、回る神社をチェックしておいた。


まだ通勤前の時間帯なので人々は少ない。切符は一応買っている。電車の中で座っていても、誰も私のことが見えていないようだ。


町から一歩離れれば、私の存在を知る人は一人もいない。他の町では信仰を集められていないので姿を見て頂けないのだ。


どんどん人のために役に立って、認知してもらわなくちゃ。そんな期待も持って、最初に東京大神宮へ向かった。縁結びで有名な神社だけれど、こちらには最高位の神様がいらっしゃる。


神社はまだ人々のために稼働している時間帯ではない。階段を登ると、ツンとした空気を感じた。敷地内で飼い放されている狛犬が二匹、ちらりとこちらを見る。


「おはようございます」


 言ってもそっぽを向かれた。


「幸福神である千福と申します。ご挨拶をさせて下さい。よろしくお願いします」


狛犬達はまるで反応して下さらない。ただ追い出される気配もないからここにいることは許されているようだ。拝殿に立ち、お賽銭を入れると失礼のないように人間と同じく二礼二拍手をした。狛犬以外誰にも聞こえないから声に出して言う。


「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)様、高御産巣日神(たかみむすびのかみ)様、神産巣日神(かみむすびのかみ)様、天照大神様、豊受大神様、倭比命(やまとひめのみこと)様、初めまして。幸福神の千福と申します。今日はご挨拶に参りました。以後お見知りおき頂けますと幸いでございます」


神様の名前を一柱ずつ言い頭をしばらく下げる。突如強力な向かい風が吹いた。


これは。


顔を上げる。多分「帰れ」という意味だ。どうも私の存在がお気に召さなかったらしい。でもここで引き下がるわけにもいかない。


「あなたがたに認めて頂けますよう全力で日々精進して参ります。私ごときでは話し相手にすらなれないかもしれませんが、人々のお役に立てるよう頑張りますので見守っていて下さい。何卒これからもよろしくお願い致します」


更に強い風が吹く。まあ、冷たい印象を受けるであろうことは覚悟の上だ。大きく一礼をすると背中を向けないように脇を歩き、後ろ向きのまま階段を下った。

天津神様とはやはり一線がある。そう感じる。


最高位の神様が東京大神宮に集結しているから緊張はしていた。今はまだこのくらいでいい。次の五柱のうち、宇摩志阿斯詞備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)様は探してみても東京にはおられない。


天之常立神(あめのとこたちのかみ)様のおられるところも東京では探しきれなかった。電車を乗り継ぎ、国之常立神(くにのとこたちのかみ)様が祀られている赤坂の日枝神社へ向かう。本殿には花松神社と同じ大山咋命様が祀られていらっしゃるが、相殿のほうを重点的に回った。だがここもまた、冷たい反応しかない。


ふと思う。千里の道も一歩からというけれど、私は高天原の神ではない。いや、神からすれば神モドキでしかないのだけれど、天津神様には何度挨拶しても、今のままではいつまで経っても永遠に拒否され続けそうな予感がした。


ひょっとすると、神として認めて貰うという効率を考えれば国津神様のほうから挨拶に回ったほうがいいのではないだろうか。


だって私は大地に根ざしたところで修行をしている身だ。天津神様は、本物の神になったときに初めて私という存在を認めて下さるのかもしれない。国造りをして、この日本を体系化させた神々のほうがなにかと接しやすそうではある。 


そう思って、ルートを変更することにした。


国津神の中で大変苦労されてこの日本の土地を礎に造り上げた神様といえば、大国主命様。


となると。


雨が降ってきたので傘を差す。私が持つと傘も人には見えなくなるようだ。既に透明人間・・・・・・いや、透明神モドキだ。通り過ぎる人々は誰も私に気づかずすれ違う。


大国主命様は島根県の出雲大社にいらっしゃるが、東京にも六本木に、神奈川だと川崎に分祠があったはずだ。


確か川崎は以前静子様とご一緒したとき簡素な祭壇に賽銭箱と鳥居しかなくて、これで本当に大国主命様がいらっしゃるのか疑問に思ったが、六本木のほうはちゃんとした神社として成り立っていると聞いたことがあるので大丈夫だ。よし、行ってみよう。


電車に乗ると通勤時間と重なって混み合っていたので、私は網棚へよじ登り少し窮屈な姿勢で座っていることにした。こうして人々の姿を眺めては見るものの、みんな辛そうな表情をしている。会社ってやっぱり辛いのかな。


毎日が楽しい、今日も頑張る、と思っている人が一人くらいしかいない。人々の気持ちはわからなくても、強い念というのは私にも感じ取れるもので、幸せの念を明確に持っている人は車両にやはり一人しかいない。


「みんな幸せになあれ」

社内の中で大声を出した。私の力ではまだここにいる全員を幸せにすることはできない。


誰か私を視認できたら幸福をお裾分けできるかもしれないと思ったけれど、見える人は誰もいない。


六本木の駅に着いたので人混みの中をすり抜ける。九時を過ぎて、分祠についたときには参拝客が絶え間なくいらしていた。階段を登ればもうすぐに煌びやかで立派な拝殿がある。ちょうど客足が途切れた合間を見計らって、二礼四拍手一礼をする。


うっかり二拍手しそうになるけれど出雲大社はこの四拍手が礼儀。名乗り、ご縁を頂けるように、この日本の人々が幸せになれますよう頑張りますとご挨拶をする。少し待ってみたがやはり反応はなにもなかった。


落ち込み、一礼をして社務所の横を通り過ぎ数歩戻って立ち止まる。


お守りが並んでいたので静子様のためになにか買っていきたいけれど誰も見られないんじゃ買えない。お金だけ置いて帰るのも気が引ける。

でも色々な、色とりどりのお守りは見ているだけでも楽しい。どうしよう。


「あら。あなた・・・・・・」


二人いらした巫女さんのうち、一人が私をじっと見つめている。


一応振り返ってみるが、参拝客はそこにはいない。やっぱり私を見ているのだ。


視認してくれる人がいた。嬉しさのあまり笑顔になった。


「着物、素敵ね。お母さんはどうしたの」


巫女さんが出てきて私の前に立つと目線を合わせるためか屈み込んだ。

人間の子供だと勘違いされているのだろうか。


「ここへは参拝をしに? 一人で来たの」


もう一人の巫女さんがなにをしているのかという様子で私たちを遠目から眺めている。


「えっと」


この神域で神と名乗っていいものかためらう。しかしトクさんの「自信を持ったら」という言葉を思い出すと、それが言霊となって背中を押してくれたように感じた。本当に背中が温かくなったのだ。大国主命様にもアピールするチャンス。堂々と名乗っちゃおう。


「千福と申します。幸福神として神様がたとご縁を頂けるよう尽力しているところです」

「神様?」


巫女さんは信じていないのかクスッと笑うが、もう一人の巫女さんが肩を掴んで「なにをしているの」と言ったところで我に返ったようだ。


「え、ここに子供がいるよね」

「いないけど・・・・・・」

「まさか、この子見えてない?」

「私にはなにも見えない。霊感あるんだっけ? そこに子供がいるの」


巫女さん達の間に妙な沈黙が生まれる。私が見えるほうの巫女さんは焦った表情になる。


「え。幽霊・・・・・・?」

「い、いえ。幽霊ではございません」

「なら本当に、神様?」


手水舎の水の流れる音が聞こえている。巫女さんは大層驚いた様子で何度も私ともう一人の巫女さんを交互に見る。


「私は花松町という土地から生まれた修行中の神でございます。お守りを頂きたくて」

「へえ。神様なんだ・・・・・・小さい・・・・・・へえ・・・・・・」


巫女さんはえらく感心したように私を見つめ、立ち上がると頭を下げた。


「神様とは知らず、大変失礼を致しました」

「あ。いえ、大丈夫なので」


頭を下げることはあっても下げられるのは恐縮する。


「神様が神社のお守りを買うなんて珍しいですね。お守りはどなたに」

「私の大切な人に」


よかった。視認してくれる人がいたから静子様にお守りを買える。なにがいいだろう。


社務所に並べられているお守りの数々を見つめた。


「こちらの縁結びのお守りを頂けますか」

 

私なんかよりももっと大きな神様からのお力添えが静子様には必要だ。過去を癒やすためのご縁。お友達を作ったり、会社の人々といい関係を結べたりするようなご縁、お仕事のご縁、神様とのご縁。


静子様と様々なご縁を繋ぎたくてオーソドックスな赤いお守りを買うことにした。千円を渡すと、私が見えるほうの巫女さんはにっこりと笑った。


「お名前覚えたから。あとで神様にも、知り合いにもお伝えしておきます」

「よろしくお願い致します」


お守りの入った袋を頂くと、巫女さんに手を振って神社を去った。

ひとつでもいいことがあればそれは私の幸せ。

でも神と名乗ったのは職業詐欺?

 

電車に乗って次は日本橋のほうへ行こうかと思った瞬間、声が聞こえた。

なんだろう、随分遠くのほうから聞こえる。耳を澄ます。


『どなたかどなたかお助け下さい』


誰かの、なにかの心の声。とても強い念を感じる。どこだろう。気配は人間ではない。


恐らく妖怪だ。妖怪や幽霊の強い念や叫びは察知することができるけれど、人間は一度顔を見るか縁を持たない限りは助けてという悲鳴をキャッチできない。


多分今もこの世のどこかに助けを求めている人間が大勢いる。その生きた人間の声が聞こえないのは少し残念に思う。電車の中にいたときのように、人々の顔を見れば少しは感じられるのだけれど。


集中して声のする方角を確かめる。神奈川のほうだ。助けを求められているのならば、相手が人間ではなくても助けに行かなくては。私は人間以外の者も幸せにする役目があると考えている。


路線を変更し、声のするほうへ向かう。どこにいらっしゃいますか、と訊ねても通じ合えずに答えは返ってこないので自力で探すしかない。ただ声の主は繰り返し助けてと叫び続けている。


その声を頼りに、迷わないように確かめつつ神奈川へ行く。声が強くなってきた。電車を乗り継ぎ、川崎駅で降りたところで声に近づいていることが分かった。が、まだ遠い。 


川崎から綱島方面のバスに飛び乗る。


「あれ。誰もいないはずなのにお金が・・・・・・」

 

運転手のそんな声が聞こえて機械チェックをし首を傾げている。それでも時間になったので発車する。雨が降り続けているが、時刻は十一時を過ぎていた。神社巡りの旅はここまで。今は助けを求めている者を助けることが先決だ。


声がはっきりと聞こえた停留所でボタンを押す。私の他にも何人か降りる人がいたので下車するのは楽だった。


バス停から辺りを見回す。低い建物の密集している緑の多い場所だ。

バス停横のスーパーの裏側にごく小さな山が見える。


「ここかな・・・・・・」


スーパーの裏側に入りアスファルトの道を少し歩くと長い階段があった。

神社、にしてはやけに物々しい雰囲気を感じる。


『ああ、お助け下さい。どなたかお願い致します』


この上になにかいる。


五十段くらいある階段を登ると、誰もいない無人神社に辿り着いた。


古い社があるが壊れかけており、空気が重い。神様はどなたも鎮座しておられない。雨音がよく聞こえる。よくない者達が好んで寄ってきそうな、そんな場所だ。


社の裏手に回る。するとそこには大きな狼の姿をした、二匹の妖怪がいた。毛並みは綺麗な白。全長五メートルはある。一匹は意識がない。


「助けを呼んだのはあなたですか。声が聞こえて」

「ああ、どこの誰かは知りませんが呼びかけに応えて下さりありがとうございます」

「どうされたのですか」


 訊ねると涙を流しながら言う。


「私はナナエ、夫はタマヒと申します。この廃神社を住処にして静かに暮らして参りました。ですが最近はここを縄張りにしたいという妖怪が多く、今朝も別の者と喧嘩になって夫が手ひどい仕打ちを受けてしまいました。目を開けない。意識が戻らない。診てくれる妖怪の医者の知り合いなどいません。もう、どうしたらいいのか・・・・・・」


悪い妖怪ではなさそうだ。ナナエが夫の胴体に顎を乗せ寄り添っている。


タマヒはなにかに噛まれた痕が首にあった。息はあるものの呼びかけには応じない。


「やるだけやってみましょう」

「あなたは一体」

「話はあとです」


治癒できるだろうか。深手を負っている。傘を地面に置き、買ったお守りの入っている巾着を胸元にしまい込むと両手を首にかざし集中する。大丈夫。トクさんの膝を治した時より多くの通力を注ぎ込めば多分なんとかなる。自信をもって通力と言ってしまおう。


不意に手から金色の光が満ちて、タマヒに吸収されていった。こんな光のエネルギーを見るのは初めてでちょっと驚いたが、構っていられないので集中して通力を込める。


治れ、治れ、治れ。


息切れがしていた。全身ずぶ濡れだ。一度集中しただけでは傷跡がまだ治らない。ただ、タマヒの息が少し楽になったようにも感じられた。


「もう一度」


ナナエにずれて頂き、手をかざして他にも悪いところがないかチェックをする。

病。病がある。腎臓のあたりに腫瘍ができている。大きい。転移はしていない。だが、このままにしておけば命がない。腎臓はどのような生き物でも大切で、重要な臓器となる。 


妖も人間と同じく病にかかる。それにこの雨に打たれ続けていたら、いくら六月とはいえ体が冷えて余計に弱る。


「ナナエさん、このかたは病もお持ちです。傷のせいもありますが病で動けなくなっている可能性があります」


ナナエは溜息を漏らした。


「最近元気がなく体調も悪そうにしておりました。夫に先立たれたら私も後を追います」

「タマヒさんを救いますよ」


二回にわけて首の傷を治しタマヒを無理やり仰向けにさせた。


腎臓付近に手をかざすこと三度。四度。


「治って。お願い」


全通力をタマヒに注ぐ。腎臓にあった腫瘍も小さくなっていく。でもこれではまだ足りない。完全になくさなければまた大きくなるか、転移する可能性も出てくる。


「次こそ」


どうかこの妖怪の病が治り、幸せに夫婦共に寿命を全うできますように。


次の瞬間、掌からあふれ出ていた金色の光が一際大きくなった。バチッと弾けてタマヒの体の中に入っていく。弾けた拍子に尻餅をついたが、すぐに体勢を立て直して手を当てる。ない。もう腫瘍はどこにもない。全部溶かした。


疲れ切って目が回りその場に座り込んだ。


バチッと弾けた光が、本当に最後の気力だったのだと思う。


「ナナエさん、大丈夫です。このかた治りますよ」

脇でずっと心配そうに見ていたナナエが、安心したように目を細めた。

「ありがとう。ありがとうございます・・・・・・ああ、本当に感謝を致します」


しばらくして、タマヒはうっすらと目を開いた。よかった。意識が戻られる。


「俺は・・・・・・」


まだ目覚めたばかりでぼんやりとしているようだ。そうして目を見開くと、仰向けに寝かされていることを恥じたのかくるりと体を回転させ、全身についた雨粒を払うようにぶるぶるっと震わせてから伏せた。


「あなた、あなた、覚えている?」


ナナエが再び寄り添う。無人神社の木々は鬱蒼としていた。


「ナナエ。無事か」

「無事じゃなかったのはあなた様のほうでございます」

「ああ。俺は、一ツ目に思い切り噛まれて・・・・・・助かったのか? 体が随分楽に」

「傷の他に病もあったらしいのです。こちらのかたが助けて下さいました」

 

タマヒはだるそうな目で私を見た。


「小さいな」

「小さいかたですが、たいそう素晴らしい力をお持ちです。とても神聖な力を私達に貸して下さったのです」


ナナエの言葉を信用したのか一度頷き、私に言う。


「あなたは」

「神、です。一応。人々や妖、万物を幸福にする神、千福でございます」



本当は幸福にしたい神モドキだ。まだ全てのものを幸福にはできない。


「神か。神がまさか力を貸してくれるとは思わなかった」


言って長い息を漏らす。その息にもう死の香りはない。


「早くどこか落ち着ける場所へ行って体を温めて下さい。そのほうが安らぎましょう」

「そうだな。だが他に行くところもない」

 

私は脇に置いていた傘を、タマヒにかけた。


「すまない」

「痛みはありませんか」

「ああ、なにもない。すごく楽だ。すごく。意識のない間、あなたの声が聞こえてきた・・・・・・澄んでいて優しい・・・・・・夫婦幸せに添い遂げよという声が」

「本当にそう願ったので」


スッと四本足で立ち上がると、タマヒは私に向き直った。


「千福様、このたびは命をお助け頂き感謝致します」


頭をさげる。それから粛々とした口調で言った。


「もし千福様さえよければ、我々をあなたの眷属とさせて頂けませんか。他に行くあてもなく、することもない。下心と捉えられても仕方がありませんが、ここもすぐに別の妖怪が来て荒らされるでしょう。ですので・・・・・・」


そうして、タマヒはナナエを見る。


「眷属になることに異論はございません」

 

眷属? 私なんかが眷属を従えていいのだろうか。


「悪いことを一切しないなら構いません」

「我々は悪さをしたことは一度たりともございません」

「あなたたちはどのような妖怪なのですか」

「狼から進化したものです。古の時代に人間がはぐれた狼を大事に扱って下さった。死後、そのような人々の恩返しをしようと狼から進化して妖となったものの、時代と共に人間の目には入らなくなりました。遠く、同胞のいるところで暮らしていただけです。その村も、別の悪い妖怪に焼き討ちにされました・・・・・・我々は親から人間と同じように幼い頃より善悪を叩き込まれ、普段から誰かの邪魔にならないよう静かに暮らしている存在なのです」 

「そういうことなら大変嬉しいです」

 

助けたのがそういう妖怪でよかった。眷属になってくれるというのなら、こんなにありがたい申し出はない。だが。


「あの・・・・・・」

 

二匹は不思議そうに私を見る。


次第に恥ずかしくなって顔が赤くなっていく。


「その、眷属にするにはどうすればいいのかわからなくて・・・・・・」


夫婦は顔を見合わせ笑った。


「あなたが我々に新しい名前をつけて下されば、我々は、あなたに絶対服従となります」


服従はまあ、どうでもいいけれど。名前をつければいいだけなのか。


「ナナエとタマヒ。その名を捨ててもいいのでしょうか。大事なお名前ではないのですか」

「確かに親から貰った名を捨てるのはもったいないですが、神に名前をつけて頂けるほど光栄なことはございません。そのほうが天国にいる親も喜びましょう。そして、そうすることによって我々も神聖な力を得て強くなれるのです。妖怪はここの地を奪いにまた来ます。再び闘いになる前に早く」


二日連続で誰かの名前を考えることになるとは思ってもみなかった。


「では、あなたたちを私の眷属と致します」


言いながらゆっくり名前を考える。ここで会ったのもなにかの縁だろうし、この二匹にも幸せになってもらいたいから縁起のいい名前をつけよう。


これって、今日神社を巡った神様のうちのどなたかが、ご縁を結んで下さったことになるのだろうか。それとも偶然?


穏やかな心持ちで考えることにした。なにがいいだろう。呼びやすく、それでいて深い意味のありそうな・・・・・・漢字一字がいいかな。頭の中にふと名前が閃く。


「タマヒは仁(じん)。徳ができるようにという意味を込めて」

 

儒教寄りだけれど深い意味がある。きっともっと私と一緒に成長してくれる。


「仁でございますか。誉れです」

「ナナエは、寿(ことぶき)。福禄寿様より一字とりました。おめでたい名前ですし、長生きして仁と共に添い遂げられますように。いいことがたくさんありますようにって」

「私にはもったいなきお名前です」


名付けると、私の力が二匹の中に染み渡っていくのを感じた。二匹の力も本当に増して私とカッチリ関係が繋がったような気がした。繋がった、というよりは二匹に対し強制力を持ったというほうが近い感覚。三度回れと言ったら本当に回ってしまいそうなほど強力な主従関係ができあがっている。


「これから共に私と歩んで下さい。よろしくお願い致します」


 頭を下げる。


「ではこれより千福様に我々は付き従います。あなたが我々に敬語を使うのも頭を垂れるのも禁止です。さ、行きましょう」

「その前に」


両手を合わせて無人神社の隅々に結界を張った。念じれば、結界はすぐに張れる。

名のある神様の結界よりは簡単に破られてしまう可能性があるけれど、それでも悪い妖怪が近づけない程度には効果がある。


「なんだか空気がとても澄んで綺麗に・・・・・・」

「これでもう他の妖怪も悪霊も寄ってこられないはずです。あなたたちを苦しめた妖怪も近づけないでしょう。だから休みたいとき、戻りたいときはまたここへ来られます。そしてここへ来る人々への害もありません」

「あの」


仁は申し訳なさそうに上目遣いで見てくる。


「なんでしょうか」

「敬語は禁止と」

「あ、ごめんなさい、慣れなくて」


自身が敬語を使わない日が来るなんて思っていなかった。


「では背中にお乗り下さい」 


寿が背中を見せる。湿ってはいるけれどふさふさの毛並み。乗れ、と言われると乗りたくなってくるし撫で回したくなる。仁は病み上がりだからまだやめたほうがいい。


「いいの」


おそるおそる敬語を外す。


「構いません」

「では」


閉じた傘を持ち、寿の背中に両膝を揃えてお尻を乗せた。やはり気持ちがいい。


突如、うわっ、という叫び声が聞こえた。頭が岩のように大きく目がひとつしかない妖怪二匹が私の張った結界に弾き飛ばされたようだ。あれらが仁を襲ったのだろう。この野郎、誰だおまえは、と罵声が飛ぶ。だが結界に触れて痺れが走ったのか動けないようだ。


「早く去りましょう。行き先はどちらへ」


もう家に帰ろうと思うので住所を伝える。すると二匹はものすごい速さで駆け出す。落ちてしまいそうになったので、上半身だけ覆い被さるようにして胴をしっかり掴んだ。


「追いかけてくる気配はありませんね。乗り心地はいかがですか」

「最高」


雨粒が顔に当たるが、風を切るので気持ちがいい。駆け抜ける景色もとても綺麗。

静子様に紹介しよう。帰ったら仁と寿を綺麗に洗って、それから、ご飯を作って。仁と寿はなにを食べるのだろう。


力を使いすぎたせいで披露がピークに達し、寿の背中に前屈みに倒れ込んだ。


「千福様、千福様。目をお覚まし下さい」

頬にかかる息で目を覚ます。眠ってしまったらしい。気づくと家の門の前にいた。

仁が私を見つめている。


「ごめん。寝ちゃった」

「お疲れだったのでしょう。こちらが千福様の住処でございますか」

「ええ」


小雨になっていた。寿から降りると門を開け、庭に二匹を入れると簡単に私が生まれた事情と静子様の存在を話して、外で待たせる。たらいとお風呂場にある石けんを用意して庭で仁と寿を一匹ずつ洗う。今度は仁も寿も気持ちが良さそうに寝息を立て始めた。妖怪同士の闘争と、雨に濡れ続けて疲れたのだろう。でももう彼らは妖怪じゃない。


いわゆる神の使いだ。いや、神モドキの使い? 

ま、いっか。よい関係を築いていかなければ。石けんもいい香りだ。


すすぎをする頃に二匹は目を覚ました。


よく拭き、リビングに招いてドライヤーで毛を乾かす。


「とても気持ちがよいです。このような贅沢をして宜しいのでしょうか」


寿が言う。


「身なりは大事。静子様もきっと許して下さる。他の神様にも失礼のないようにね」

「承知致しました」


ブラッシングをしていると毛が大量に抜ける。

それを見て二匹とも申し訳なさそうにしている。


「これも私のつとめだから気にしないで。部屋も空きがあるから、静子様が許してくれるところを使って」

「いえ。我々は千福様と共に寝ます」


それはちょっと息苦しくなりそうだ。


時計を見ると午後三時を過ぎていた。仁と寿には家の中で好きにしてもらって、商店街まで買い物へ行く。七夕が近いせいか、アーケードの端には大きな笹の葉と誰でも願い事が書けるようにテーブルの上にペン数本と短冊が置かれていた。短冊に書かれた願い事を全て叶えられたら私も成長できるが、流石に無理だ。

今日は私の好きな食べ物でいいと言われた。やっぱりハンバーグかな。


「よう、千福ちゃん」


魚屋の店主、茶ノ木さんが声をかけて下さった。私のことが見られる人がいるのは、やはり安心する。こうして人から声をかけてもらえるだけで元気の源となって疲れがとれていく。


「こんにちは」

「疲れた顔をしていないかい?」

「今日は色々なところへ出かけておりましたので」

「そうかい、頑張っているんだね。活きのいい魚があるよ。持っていきな」


鰹を二匹頂いた。仁と寿は魚を食べるそうだ。ただ村を焼かれて以来長い間ろくな暮らしをしていなかったらしく、川まで行って自分で魚を捕るか、捕れない日は人間が出すゴミを漁っていたという。魚の代金を払おうとすると、いいから、と言われる。


「サービスだよ。うちにも千福ちゃんのおかげで色々な幸運がもたらされているからね」

「それはどんなものですか」

「双子の孫が健康に生まれたよ。あとは、この七年ずっと商売が繁盛していてね。千福ちゃんと出会う前は店を閉めるか迷っていたほどだったのに。これも千福ちゃんのおかげだよ」

「それは茶ノ木さんの努力もあったからですよ」

「そんなことはないさ。さ、持っていきな」

 

魚の入った袋を渡されるので、お礼を言って受け取る。


「あ、そうだ。ちょっと変な噂が耳に入ったんだけど聞いてくれるかい」


私を呼び止め、茶ノ木さんは真顔で言った。


「なんでしょうか」

「隣町の楠中学校に、かなり酷いいじめを受けている男の子がいるらしいんだ。目撃者もいるっていう話だ」


心が痛んだ。


「人間は誰も助けないのですか」

「こういうご時世だからね・・・・・・みんな無関心なんだよ。こういう問題って深刻だが誰も助けない。俺も助けたいが、こんなおじさんが学校をうろつけば通報されてしまう時代だ。けれど俺も話を聞いたら気の毒になって。だから千福ちゃんにお願いするよ」


私になんとかできるだろうか。

隣町にも私を視認できる人はいるけれど、大抵はご年配のかたでこの町ほどではない。


なにか仕込みを考えなければ私の姿を楠の中学生に見てもらうことはできない。 

様子見も必要だ。あまりに酷かったら、仕返しの方法を考えてみよう。


「わかりました。茶ノ木さんの願い、承ります」


人間同士の揉め事とはいえ、きっとその子も助けを求めているに違いない。


「よし、じゃあもう一匹おまけ」


鰯も頂き、笑顔で立ち去る。そういえばお昼を食べていない。おにぎり専門店でおにぎりをひとつ買って食べてから、再び買い物を続けて家に帰り、夕飯の下ごしらえを始める。なんだか熱烈な視線を感じて振り返ると、仁と寿がじっと座って見ている。


「どうしたの」

「なにか我々がすることはございませんか」


どうやら仕事が欲しいらしい。私はふと考えて、一旦夕飯の準備を中止した。そうしてテレビ台の横に立てかけてあった自由に使えるB5サイズのメモ帳取り出すと、一枚一枚破いて走り書きを三十枚作った。


「酷くいじめられている子がいるんだって。だからこのメモを、隣町の楠中学校にばらまいて欲しいの。各学年四クラスくらいだとして各教室に一枚ずつ人目のつくところへ。音楽室、理科室、家庭科室、図工室、廊下の窓枠、調理室。なくなっても余ってもいいから置ける限りのところへ」


部屋に行き、以前静子様から買って頂いた近隣の地図を持ち出し、仁と寿に広げて見せて中学校の場所にマジックで赤丸をつける。


「しかしこのメモは・・・・・・このような自分を貶めること」


仁が内容を読んで戸惑っている。


「これも仕込みのうち。仏様は慈悲に奥行きがあって赦すこともあるし人々を救済するかたも多いけれど、日本の神様は怒らせると怖いと言うしね。私も怖い神になるかも」

「お戯れを」


仁は息をつく。私は笑って、いつか出会った如来様を思い出した。どちらの如来様なのか名乗っては頂けなかったけれど神々しく、お人柄も明るかった。


「慈悲は仏様ほど深くないよ。祟り神はいるけど祟り仏はほとんどいないしね」

「千福様も祟り神になると?」

「かもしれないよ」


巾着を引き出しから取り出しメモを中に全て入れると寿にくわえさせる。

「帰ったらゆっくり休んで。明日、付き合ってもらいたいところが二カ所あるの」

「どちらへ」


夕飯の支度を再開させ、お米をとぎながら伝える。


「氏神様のところへあなたたちを連れてご挨拶に。それから、楠中学へ本格的に乗り込むから。神社へ行く前までに心を落ち着けて、清らかな状態にしておいてね」

「かしこまりました」 


仁と寿は清廉な心の持ち主であることはもう十分伝わっているが、それでも妖怪同士の縄張り争いに巻き込まれたばかりだ。積もる恨みもあるかもしれない。


心身が穢れていると、神様はたぶんサッと隠れてしまう。穢れを一番嫌うのだ。人間の女性の生理すら嫌う神様もいらっしゃるらしい。私の場合は修行中だから、相手が穢れていようが精進するためには手を貸すこともある。だが、それは心根が腐っていない場合に限る。


仁と寿は楠中学へ行くために家から出て行った。


大体の下ごしらえをして家の中を掃除し、お風呂を沸かす。夜遅くなるから先に入っていいと静子様からお許しを得ているので、塩で体を洗って身を清め、温まる。出てから料理の仕上げに入る。その頃には二匹は早速仕事を終わらせてきてくれた。


仁も寿も初めての仕事ができて嬉しいらしい。喜んだ表情を見せている。


午後七時が過ぎた。


外から玄関の鍵を開ける音が聞こえ、仁と寿が耳をピクリとさせ立ち上がる。


「ただいま。あら」

静子様は二匹を見て目を丸くされている。契約関係にあるから見ることができるのだろう。紹介すると二匹とも頭を下げ、静子様に名乗った。


「今日から私の使いとなりました」

「よかったわね。へえ、大きい。けど可愛い。毛並みふさふさ」


静子様は二匹を撫で回している。

仁も寿もくすぐったいのか、尻尾を振りつつも首を縮めていた。


「ここに置いても宜しいでしょうか」

「もちろんよ。使いができたなんて本当にすごい」


自分のことのように喜んで下さってから、手洗いを済ませ食卓に座る。私は仁と寿に刻んだ鰹を皿に盛って、床へ置いた。だが、口をつけようとはしない。


「食べないの」

「千福様が先に食べてからでございます」

「気にしなくてもいいのに」

「いいえ」


序列社会は本音のところ嫌いだ。気を遣われるのが煩わしい。


「食べてね?」


言うと私の発した言葉の強制力に縛られたのか、仁と寿は恐らく意識に反して食べ始めた。私は静子様がハンバーグを口にするのを待ってから、箸を持つ。


「美味しい。それで、今日はなにがあったの。聞かせて」

「はい」


今日一日の出来事をお話して、ふと思い出した。


「そういえば仁を治すときに、私の手から金色の光が出たのでございます。あのような不思議なことは初めてでした」


あれはなんだったのだろう。


「それは多分、千福の神通力が上がっているっていうことじゃない。日々誰かを助けているでしょう。今日だって妖怪を助けた。それが少しずつあなたの力となっているのかもしれない。金色って、いい色よね。千福はそれだけ神様の資格を備えているっていうことよ」「私の通力が強くなっていれば宜しいのですが・・・・・・」


仁と寿は食事をしながら静かに聞き耳を立てている。


「経験値を上げれば、神通力もあがるんじゃないかな。なにより助けたいっていう思いが力を強くしたのかもしれない」


そういうものなのかな。


「あ。明日から七月ね。晴れて暑くなるそう。今年は梅雨も早く明けそうなんですって」

「それは楽しみです」


春と初夏、夏は大好きだ。夏はうだるくらいに暑くなるけれど、空は青く、人々が活気づいて生き生きとする季節。生命が萌えいづる時期だ。夏草の匂いも大好き。


「明日も神社巡りをするの」

「いいえ。明日は茶ノ木様からの頼まれごとがあって、そのおつとめをして参ります」

「私も力になりたいけれど、明日から出張なの。急に依頼が入って」

「どちらへ」

「奈良、京都へ四泊五日」

「三ヶ月くらい前にも京都へ出張に行かれましたよね?」

「それとは別件。お取引先が京都と奈良にいくつかあるのよ。会社の内装を二件ほど、チームを組んでコーディネートしに行かなくちゃならないの。新幹線が早い時間帯のものしか取れなくて四時起き。だから明日は氏神様のもとへ一緒に行けないけれど、留守を任せられる?」

「大丈夫でございます」

「手伝いができない代わりに、京都へ行ったら、空いた時間に神社へ行って千福のこともお話しておくわね」

「ありがとうございます。あ、そうです」


濡れないように必死に胸元で守っていた出雲大社六本木分祠のお守りを渡した。お守りを入れて頂いた紙の袋はやはり大分湿っており、しわができている。お守りも湿っている。


出張ならば交通安全のほうがよかっただろうか。静子様になにかあったらいてもたってもいられない。でもきっと大国主様が守って下さる。


「ありがとう。早速鞄につけさせてもらうわ」


静子様は笑顔で嬉しそうにお守りを鞄に結んでいる。突如、インターホンが鳴った。


「こんな時間に誰だろう」


壁時計を見ると八時半だった。


静子様と一緒にリビングに取り付けられたモニターを見る。


商店街の八百屋のご店主、椙森さんだ。


「なんの用かしら」


私は首を傾げる。静子様は対応して静かに鍵を開ける。


「こんばんは。こんな時間にすみません」

「どうされたのですか」


椙森さんを中に招き入れる。その間に急いでお皿を全て台所に片づけてテーブルを拭き、お茶を淹れる。


椙森さんは野菜や果物の入った袋と、封筒をテーブルの上に置き言った。


「宝くじが一等当たったのですよ。億ですよ、億」

「まあ、それはすごいじゃないですか」

「ビックリしました。これも千福ちゃんのおかげだと思って、うかがったのです。夜分に申し訳ないのですが、静子さんもいらっしゃるときにと思いまして」

「今日当たったのですか」


私は淹れたお茶を椙森さんの目の前に置き訊いてみた。

宝くじも懸賞も当てる力はないと思うのだけれど、この町の人たちは本当によく当たる。


「いえ、一週間前に当たって昨日換金して・・・・・・で、これまで実感がなかったのですが通帳を見るたびにあとからあとから本当にもうびっくりという感情が湧いてきて」


「それで、ご報告にいらして下さったのですか」

 静子様が言う。椙森さんは座り、手にしていたもの全てを差し出す。


「果物と野菜と、金一封です。こういうのはお裾分けをしたほうがいいと聞いたので」

「封の中を開けても?」

「構いません」


 静子様は封の中を一度だけ見ると私に寄越す。


「千福、中を見て」


椙森さんは突如ヒッと言う声を出した。仁と寿が目に入って見てびっくりされたのだろう。大丈夫ですと紹介をして安心させたあと、封の中を開ける。


見たところ、百万が入っていた。


「これは頂けません」


封を返す。


「いや。もらって下さい」


封を更に返してくる。静子様は少し考えるように天井を見上げ、そして言った。


「千福、頂いて」

「えっ? ですがこのような大金・・・・・・」

「それを神であるあなたがなにに使うか考えてみるの。どう」


静子様が私に試練――というより神としてどうお金を使うか試す機会を下さったのだろう。修行と捉えてみるか。


「わかりました、では恐縮ですが頂戴致します。ですが、椙森さん」


私は静子様の横に座り、真っすぐに目を見て言った。


「いきなり派手に遊び回ったり高級なものを買ったりする生活はダメですよ。すぐなくなるし生活も破綻しかねません。お金は不幸にも幸福にもするものです。私は幸福神ですから、あなたをこの件で不幸にさせたくはありません。椙森さん自身がしっかりお金の管理をなさって下さい。そしていつも通り仕事を続けて下さいませ」


椙森さんは手をこすりあわせ頭を下げる。


「ははあ。千福様のありがたいお言葉、痛み入ります。子供のように見えるのに、やはりあなたは神様です。身を滅ぼさないように大切にお金の使い方を考えます」


頭を下げられるのはやっぱり苦手。宝くじが当たったと知らされたのはこれが初めてではない。説教じみたことを言ってしまったけれど、当たった人のその後もこの町に限り普通に暮らしている様子なので、椙森さんも大丈夫だとは思う。


「更に増やす方法を考えてみるのもひとつの手かもしれませんね」

「ははあ」 


時代劇じゃないのだから。あまりに申し訳なくなって、頭を上げてもらうよう頼んだ。


だが椙森さんは何度も何度も頭を床にこすりつけてお礼を言って下さる。


静子様が優しく説得されると、ようやく顔を上げて帰っていく。


「ふふ、千福が生まれてから本当にいいことだらけ」

「そうですか」

「前に住んでいた町も決していいところではなかったけれど家が全焼してこの町に引っ越してきたとき、魔物が住んでいるのじゃないかと思えるほど廃れていたのよ。前の町も今の町も治安が悪かったから仕事帰りに夜歩くのも怖くてね。花松町はご近所や商店街の人々の態度もよくなかった。それが、千福が生まれてからどんどん変わり始めたの」


私が生まれる前の町のことはほとんど知らない。七年から八年前までは酷かったと誰もが言っているけれど、誕生と同時に練習も兼ねてこの町に結界を張ったから、それが功を奏しているのだろうか。テレビ台に置いてある割り箸でできた社をちらっと見る。


あそこから私は静子様のお気持ちを感じ取って、この姿で生まれたのだ。それから色々なことを教わった。変化が生まれたというのなら、私も自身の存在に自信が持てる。 


きっと、誇っていいことなのかもしれない。


「ささ、明日は早いのですからもうお休み下さいませ」

「ありがとう。お休み」


静子様はお風呂に入ったあと、会話を交わさず一階にある自分の部屋に入られてしまった。


朝早いからもう寝てしまわれるのだろう。あるいはお仕事で色々あるのだろうから、一人になる時間が必要なのかもしれない。電車の中にいた人たちの念を思い出す。日々の中で、苦しいこと、泣きたいことももしかしたらあるのかもしれない。


時刻は午後十時四十分。


「仁、寿。私達ももう寝ようか」

「はい」

「でもその前に」

「なんでしょう」


仁が言うと、私はにこりと笑った。


「撫でさせて!」


仁と寿を撫で回した。洗ったあとだから撫でると本当に気持ちがいい。

胴に顔を埋めると、寿はびくりと体を動かす。


「千福様、もうその辺で。勘弁して下さい」

「えへへ、もう少し」


撫で回されて既にへばっている仁と寿を、構わず堪能させて貰った。


静子様のためにできることはしたい。静子様の起きる前に準備をしなければ。

それに今日は疲れている。私も早く寝て心身を回復させよう。


う。眠れない。

仁と寿はぐっすり眠っているが、部屋に全長五メートルほどの狼が二匹もいると圧迫感があってやはり息苦しい。部屋は既にぎゅうぎゅうで、寿の胴は扉を開けて廊下まで出ている。やっぱり部屋は別にして貰おう。


仁と寿に背を向けて少しでも早く眠れるように心がけるものの、神経が冴えてしまって出窓のレースのカーテンを眺めているうちに空が白みだし三時半になってしまった。


仁と寿はまだ寝ている。起こさないようにそっと部屋を出てリビングの明かりをつけると、朝食の準備をした。スクランブルエッグにソーセージ。静子様から教わったことのあるレシピだ。あとは昨晩のご飯の支度をしているときに余分に作っておいたサラダ。仁と寿には頂いた鰯を焼いて、食べやすいように細かく砕く。私自身色々なかたから福を分け与えられているけれど、仁と寿も新たに加わって、静子様の経済の負担にならないだろうか。それがちょっと心配だ。


「いい匂い」


静子様が四時少し前に起きてきた。


「準備をしているのでお待ち下さい」

「寝ていていいのに。私がやるから」

「眠れなかったので。それに、私がやりたくてやっていることですので」

「ごめんね、いつもいつも」

「気になさらずに」


仁と寿が慌てたようにやって来て、私のもとへ立った。


「主より遅く目を覚ますなど不覚をとりました。どうか罰して下さい」

「私より遅く起きたからって罰したりしないよ」


仁と寿のご飯を置く。なんだか家庭内に奇妙な序列関係ができてしまっている気がする。


私は静子様に敬意を払う。そして仁と寿は私を主として、畏怖でも抱いているかのような行動をとる。静子様に普通の砕けた口調で話すのも気が引ける。どうしよう・・・・・・。まあいいか。しばらくはこの調子でいこう。


「ごちそうさま」


静子様は五分以内に食べ終え、支度をするとあとはよろしくねと言って家から出て行く。


今日も静子様が無事でありますように。


「私たちも、氏神様のもとへ行こうか」


夏の朝の、四時か五時頃の澄んだ空気の中には、魔がいない。強烈な太陽の光で浄化されてしまうのだ。だから神社へ行くのにはもってこいの時間帯だ。


「かしこまりました」


町はまだ静かだ。


仁と寿を連れて、シャッターの閉まったアーケードを抜けてから歩くこと五分。大山咋命様が祀られている神社へと辿り着いた。白い鳥居を潜ろうとする。すると――。


ふと、狛犬二匹が私の前に立ちはだかり威嚇し始めた。一匹は犬で金色の毛並み、もう一匹は白い獅子の姿。花松神社の狛犬だ。私の前にこうした姿で現れるのは初めて。丁重に挨拶をしなくては。


「おはようございます。そして初めまして。私は千福と申します」

「それは知っております。毎日見ておりますからな」


犬のほうが言った。


「威嚇するのにもなにか理由があるのでしょうが、まずはあなたがたのお名前をお聞かせ願えませんでしょうか」


「我は白(はく)。獅子の姿でいるのが天(てん)です」


私は二匹に会釈をしてから一歩踏み出た。


「随分ご警戒なさっているようですが・・・・・・」

「この神聖な領域に、妖怪を入れるつもりでございますか」


白様と天様は仁と寿に対しよくない印象を持っているようだ。だが私に敬語を使っているということは、建前であったとしても礼儀を持って接して下さっているのだろう。


「昨日この二匹は私と契約を結びました。仁と寿です。もう妖怪ではございません」

「もとは妖。まだ小汚い獣臭さが残っているぞ」


天様が仁と寿にそう言っている。ここで喧嘩をするのもまずい。正統な神の使いは、一体なにから生まれるのだろう。仁と寿の屈辱感と我慢している思いが伝わってくるが、耐えてくれている。私はその場に正座をして、頭を下げた。


「本日は私の使いとなりました仁と寿を大山咋命様にご紹介致したく参りました。彼らは非常に心優しく悪さを致しません。私の正式な僕でございます」


「少なくとも神と名乗る者が我らに土下座ですか。呆れますな」

「いいえ。天様と白様へ最上級の敬意を払ってのことでございます」


言うと、仁と寿が私の前に出て、向き直った。


「我ら、千福様に生涯付き従うつもりで参りました。今日はご挨拶に参っただけでございます。どうぞこちらへ立ち寄ることをお許し下さい。千福様に恥じぬよう努力して参ります」


天様と白様は威嚇を続けようとしたが、つと大人しくなった。


「主が赦すと申しております。千福殿、顔を上げて参られよ」


言われたとおり立ち上がる。道を開けてくれた。彼らには、大山咋命様の言葉が聞こえるのだろう。ということは、毎日私がここへうかがっているのをどこからか見て下さっているのかもしれない。


仁と寿を連れ、お賽銭を入れて頭を下げる。


「おはようございます。千福です。今日はこちらの仁と寿と一緒にご挨拶に参りました」

「お初にお目にかかります。仁と申します。我ら妖ではございましたが千福様に命をお助け頂き、忠誠を誓っております。どうかこれからもお見知りおきを」


仁が厳かに言う。寿も拝殿に向かって話す。


「私は寿と申します。精一杯、千福様、そして人のお役に立てるよう頑張っていく所存でございます。我々がこの神域に立ち入ることをお許し下さい」


二匹とも頭を垂れる。ふんっ、という天様と白様の見下したような鼻息が聞こえてきたがここは我慢だ。守護獣としては仁や寿よりも遙かに格上の存在である。


でも、狛犬が自らの意思を持って姿を見せてくれたのは素直に嬉しかった。


私は一礼をすると、向き直った。


「参拝を許して頂きありがとうございます」

「それは主がそう言ったからですよ」


もう一度拝殿を見つめる。


だが、声はなにも聞こえてこない。


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