あのね、神様

明(めい)

第1話

「大山咋命(おおやまくいのみこと)様、本日もどうぞよろしくお願い致します」

 

花松町、花松神社の氏神様のもとへ挨拶を毎日欠かさずしている。拝殿の前でしばらく反応を待ってみるが、今日も姿をお見せ下さらない。

 

空は梅雨のせいもあって曇っている。


「どう? 千福」


 隣に立っていた静子様が言った。


「今日も反応がございません。神と認めて下さるにはまだまだ修行が足りないようです」

「私も祈っているからきっと大丈夫。また明日も一緒に来ようね」

「はい」


ご神力は確かに感じられる。ピンと張り詰めた、でも穏やかな空気が神社の隅々まで行き渡っている。けれど声は届いているのかいないのか。


八十メートルほどの平坦な参道を引き返して鳥居を静子様と一緒に潜ると、もう一度拝殿のほうを向いて二人でお辞儀をする。


「じゃあ、私は仕事へいくから」

「はい。行っていらっしゃいませ」


静子様は一つに束ねた髪を揺らして神社の反対側にある駅のほうへと向かわれた。午前九時から午後六時までインテリア関係のお仕事をなさっているそうだ。


お客様のご希望に添った室内の企画をされており、時にはお取引先の内装にもかかわるらしい。


静子様は現在三十五歳。卵のような肌を持ち、美しくあられる。


七年ほど前、天涯孤独の小網静子様は割り箸で小さな小さな社を作り、テレビ台に置いて必死に祈りを捧げていた。私はそのミニチュアの社から生まれた幸福神だ。


最初は空間を漂う粒子のような存在だった。けれど静子様の人生は大変苦難に満ちたもので、割り箸の社の前で泣いていた。ご家族も親戚もみんな亡くしてしまったためだ。


苦しみを感じ取り、お助けしたい、幸せにしたいと思ったとたん、「なら神になってみるか」と声が聞こえ何者かに命と姿形を与えられた。姿を現したとき、静子様はたいそう驚かれていたが私はにこりと笑った。これが出会い。


それからは色々お話をした。これまで災難が多くどのような神様にささやかな幸せを願ってもあまり聞き届けられなかったという。


そして福の神はいるが幸福神、と呼ばれている神は事実上いないので静子様は私をそう定義づけた。自身を含め千人、万人の人々を幸福にしたいという願いから千福と名付けられている。


最初は万の人を幸福にしたいということで万福にしようとしたらしいが、さすがに「まんぷく」と呼ぶのは心苦しいという配慮から千福となったらしい。


夏は麻のクリーム色の着物を着ている。静子様が用意して下さった。


外見年齢は人間にして七歳くらいだと言われており、人間を観察していると本当に七歳くらいだと自分でも思うが、精神年齢は大人とほぼ同格だと静子様は仰っている。


多分、静子様に育てられ、考え方や教養、古事記などをひととおり学んで吸収しているからかもしれない。一応万物を幸福にする自称神として修行をする日々だ。静子様より授けられた、生まれながらに持っている能力は健康でなければ幸せになれないという点から中程度までの病気や怪我の治癒能力。


人々のために奉仕するという点で怪力。これは静子様のお考えが具現化されている。治癒能力はまだ力が及ばないせいで大きな怪我や病を治せない。あと神モドキなので静子様の意思に関係なくもともと結界を張れる。 


私のことが誰からも見えない場合に限りすり抜けもできる。


妖怪も幽霊も仏様も見ることができる。反面静子様は、なにか感じることはあってもほとんどそうした類いのものを見ることはできないらしい。


「神になってみるか」と言われたものの、本格的な神様として認められる条件は、二柱以上の日本の神様に神と認められることと人々の信仰を集めて人々が参拝できるような本物のお社を作ってもらうこと。


形を得る直前、お姿は拝謁できなかったけれどおそらく普段神様の前でさえも姿を見せないくらいの存在の神が仰ったのだと思う。八百万の中の神モドキが生まれるときにみんなそうした条件を伝えられるのだろう。


条件が整わない限りは人から神だと認められても神様から神とは認められない。


姿を見せて下さる神様は今のところ七福神のうちの六柱のみ。同じ福を呼ぶ神なので交流はあるが、恵比寿様のお姿は拝見したことがない。他の六柱は日本が由来の神様ではないので、七福神巡りをしたときに早々に姿を現し私と話をして下さった。


関係は至極良好だ。ここは神奈川と東京の狭間にある閑静な町。今はこの町で精一杯仕事をしている。


「おや、千福ちゃん。今日も神社へ行ってきたのかい」


帰り道にトクさんと出会った。いつもにこにことされている。七十歳で、古く広い平屋の民家で一人暮らし。毎日神社に通っていて、私のことが見える。というより、静子様以外ではトクさんが初めて私を見ることができた人。トクさんの口コミの影響で、今ではこの町の殆どの人が私のことを視認できる。とってもありがたい。


「あれ、足、痛めたのですか」


トクさんは右足をずっとさすっている。


「膝をね。でもお参りはしないと、と思って神社へ行くところさ」


午前の静けさが漂っている。


トクさんはもう何十年と毎日のように花松神社へ通われているらしい。


治せる。ご一緒させて頂くことにして、花松神社で参拝を終えるのを待ち、振り返るトクさんに背を向け言う。


「どうぞ。おぶります」

「いや。悪いよ。こんな小さな子に・・・・・・」


身長は百二十二センチ。


「小さいのは体だけです。私は怪力なので大丈夫でございます」

「前もそんなことを言っていたけど、どのくらい力持ちなんだい」

「恐れながら、二十階建てビル一棟は多分片手で持てます」

「へぇっ、そこまで」


背後でトクさんは驚かれている。静子様は大きな災害が来たときにこの力で少しでも多くの人々を助けられるようにとお考えになったようだ。


「はい。なので遠慮することはございません」

「じゃあお言葉に甘えさせて頂くとするかね」


背中に体重を感じた。でも軽い。トクさんを背負ってゆっくりと歩く。


「速度はこのくらいでいいですか」

「十分だよ。ありがとうね」


雑務を多くこなしている。掃除や大工作業、買い物に雑草の伐採。

便利屋のようだけれどこれも仕事。


「千福ちゃん、今日も元気そうだね」


町の中心となる花松商店街のアーケードに入ると、お店の様々な人々が声をかけて下さる。今お話をされたのはとんかつ屋の店主、笠間さんだ。


「はい。本日はお日柄もよろしく」

「トクさんは具合でも悪いのかい」


笠間さんはトクさんをのぞき込む。


「膝を痛めてしまって千福ちゃんに送り届けてもらうところさ」

「絵面だけなら子供が背負っているように見えるんだが・・・・・・」

「千福ちゃんの好意だよ。力持ちなんだってさ」

「へえ、そうなんだ。お大事に」


店が開く前で朝の商店街にはまだ賑やかさはないけれど、活気はある。アーケードを抜けて三つ目の角を曲がった一軒目に雑草の生えた広い庭があった。家の造りは和風。


ここがトクさんの家だ。


「もう大丈夫。本当に助かった」 


はいと言って、トクさんをおろす。


「お茶でも飲んでいくかい」


トクさんの生活状況も見ておきたい。高齢者の一人暮らしは人間にとっては心配が尽きないと静子様が仰っていた。あと、膝も治さなくちゃ。


「では喜んで頂きます」

「じゃ、入って」


玄関からではなく、窓が四枚ある縁側からトクさんはいつも家に入る。

窓の鍵を開けっぱなしにしているのが心配だけれど、この町で悪さをする人はいない。それは、私が生まれてからのことだと先ほどの笠間さんから聞かされたことがある。


家の中は洋風のダイニングと畳部屋が仕切りなく繋がっている。ダイニングの奥にもいくつか部屋があるらしい。


テーブルの椅子に座るように促されたので、そのとおりにした。湯気の立った緑茶が目の前に置かれる。


「ありがとうございます。でもその前にちょっといいですか」


トクさんを座らせ、右膝を両手で優しく包む。


七十年共に歩んできたお御足。大切に大切に、治さなくては。


「なにをしているんだい」

「膝、治しております」

「本当に?」

「はい」


元気な姿で歩いているところをイメージし、通力モドキを膝の細胞の隅々まで注ぎ込む。


「これでもう大丈夫です」


状況はたいしたことはなかった。水もたまっていないし、どこか筋を痛めただけだろう。あとは加齢による軟骨のすり減り。全て治した。


「おお。すごい、今全然痛みがないよ」

「それはよかったです」

「千福ちゃんはすごいねえ」


褒められて照れる。トクさんはすっと立ち上がると、畳部屋に置いてある仏壇の前に座り、線香を立てた。トクさんの旦那様の遺影が飾られている。


「千福ちゃんが膝を治してくれたよ。あんたも千福ちゃんと出会えたらよかったのに」 


そんなことを呟かれている。旦那様は私が生まれる前にもう亡くなられている。


人はいつか死ぬ。日本では死ぬときはおおかたの人が仏様のお世話になる。これも勉強だと静子様に連れられお寺にも行ったことがあって、如来様が好意的にお姿を現わして下さったことがあった。


そのときにかけられた言葉は慈悲深くとてもお優しかったけれどやはり仏様とは住む世界が異なると感じた。だが、仏も日本の神も、困ったことが起きたらお互い手を貸す関係だとその如来様は仰っていた。干渉はせずつかず離れずといった様子ではあるらしいが。 


お線香の香りは苦手。人の死と密接な関係があるために、とても悲しい気持ちになる。


「トクさん、トクさん。聞いておくれよ。お、千福ちゃんもいるのか」


二軒先に住んでいる六十代の白髪頭の三光浩(さんこうひろし)さんが窓の前までやって来られた。なにかいいことでもあったのか頬を紅潮させている。


「どうしたんだい興奮して」

「なんと、懸賞で車が当たっちまった」

「へえ、そりゃすごいじゃないか」

「今の車がもうオンボロになって替え時だったんだ。そんなときに。こんな偶然があるかね」


浩さんは縁側に座る。トクさんは浩さんにお茶を淹れていた。


「そりゃあんた、千福ちゃんがこの町にいるからだよ。私だって今、千福ちゃんに痛めた膝を治してもらったばかりさ」

「そうか、千福ちゃんのおかげか! で、足はもう大丈夫なのか」

「なんともなくなったさ。縁側にいないでこっちのテーブルに来なよ」


浩さんは言われたとおり、窓から上がってダイニングテーブルの椅子に腰をかける。


「あんた、千福ちゃんがいるようになってこの町からどれだけの人が懸賞や宝くじに当たっていると思っているんだい? 七年で五十人だよ」

「そうだな。千福様。千福様、どうもありがとうございます」


 浩さんは椅子から降りて私の前に正座をすると手をこすりあわせた。


「私の力のせいじゃないかもしれないし、たまたまってことも」

「もっと自信を持ったらどうだい。千福ちゃんはこの町のたくさんの人を幸せにしているんだよ。自覚を持てばいいのさ」

「はあ・・・・・・」


私には自信がない。それは、神様から神と認められていないから。

自信を持てばいいのかな。胸をはって。でも神と名乗っていいのかどうかもわからない、あやふやな存在だ。


「今家庭が穏やかなのも千福ちゃんのおかげさ」


浩さんのご家庭は、以前、荒れていたのだという。奥様とは毎日のように口汚く罵り合って、夫婦仲は相当冷え込んでいた。

そしてご子息は引きこもりでよく暴力を振るっていたらしい。ところが、浩さんのご一家全員が私という存在を見られるようになったあと夫婦の喧嘩もなぜかピタリと止み、奥様は趣味に走り始めて毎日充実した生活を送り、ご子息は人が変わったかのように優しい性格になって活き活きと働き、定期的に家族団らんまでできるようになったそうだ。


特になにもしていないのだけれど、やはり体質が人を幸福にするようにできているから、これはこれで私の力なのかもしれない。おごりかな。


ふと日が射して窓の外を見る。雑草が日の光に当たって艶めいていた。梅雨の合間の日差しだ。六月に入って雨ばかりだったから晴れは貴重だ。庭の草でもむしろうか。


「草むしりしますか? それともお昼ごはん作りますか」

「いや、そこまでしてもらわなくていいよ。膝が治ったから自分で全部できる」

「じゃあ、そろそろ私はおいとまさせて頂きます。なにかあったらまた呼んで下さい」


私は頭を下げた。


「いつもありがとうね。本当にお世話になっている」

「千福ちゃん、俺も感謝しているよ」


トクさんはお辞儀をして、浩さんは手を振る。二人とも笑顔だ。笑顔ならそれでいいのだ。私も満面の笑みを浮かべて手を振ると、トクさんの家をあとにした。


さて。今日の夕飯はなににしよう。


ご飯作りは私がいつもしている。家計も預かっている。今日は静子様のお好きなグラタンにしようか。それとも暑いから冷やし中華がいいかな。でも冷やし中華だといくら夏とはいえ静子様の体が冷えてしまう。冷えは万病の元なのだ。野菜サラダをたっぷり作って。 


人間の――静子様の栄養を考えるのも私の役目だ。


困っている人はいないかと散策していると、ベビーカーを押しているお腹の大きい奥様が目の前を通り過ぎようとしていた。三丁目の団地に住んでいる寶田(たからだ)さんだ。アスファルトの路上で赤ちゃんはぐずっており、寶田さんは立ち止まってあやそうとしている。赤ちゃんには耐えがたい湿度なのかもしれない。 


すぐに駆け寄り、赤ちゃんにいないいないばあをすると、赤ちゃんは急にきゃっきゃっと笑い出す。純粋無垢な笑顔にはこちらまで癒される。


「まあ、ありがとう、千福ちゃん」


寶田さんは笑顔で言う。


「この子は何歳になりますか」

「一歳半。この前走れるようになったのよ」

「もうお兄ちゃんですね。ベビーカー押しましょうか」

「大丈夫」


 寶田さんはお腹をさすった。


「そろそろですね」


生まれてくるのは多分男の子だ。そういうのはなんとなくわかる。二人とも男の子。人間が男の子二人を育てるのは体力的に大変だと町内の人から聞いたことがある。ただ育て甲斐もあるらしい。


「千福ちゃんのおかげで元気な子が生まれそう」

「きっとそうなります」


 赤ちゃんが生まれるのは楽しみ。


「名前、なにがいいと思う? 主人とずっと考えているのだけどなかなかいい案が思い浮かばなくて。千福ちゃんにつけてもらったら元気に育ってくれそうなのだけれど」

「考えていいのですか」

「ええ、もちろん。男の子の場合と女の子の場合両方」

 赤ちゃんの名前を私が考えてもいいなんて、とても嬉しい。

「そうですね。男の子が生まれるから・・・・・・」


あら、と寶田さんは口元を両手で押さえる。


「お医者様に聞かないようにしていたのに」


しまった、と思った。


「すみません、すみません。言っちゃいけませんでしたか」


何度もお辞儀をして寶田さんを見上げる。仕方がないといったようなおおらかな表情で笑っておられる。


「神様はなんでもお見通しね。もうじきわかることだしいいわ」

「すみません」

「大丈夫、大丈夫」


名前、なにがいいかな。男の子と言ってしまった代わりにすぐ考えよう。


「季節も今六月ですし。夏生まれになるから・・・・・・」


夏のパワーを存分にもらえそうな名前。元気に育ちそうな名前。

「夏樹君はいかがでしょう」


言うと風が吹いて町の中の木々が一斉にざわついた。これは大丈夫と言っている証拠だ。


「名前はシンプルなほうが邪気を寄せ付けません。それに夏という季節が後押ししてくれて、木々が生い茂るように、すくすく成長するかと存じます」


寶田さんは微笑む。


「寶田夏樹か。いい名前かもしれないわ。ありがとう。ならこの子が生まれたら千福ちゃんに産土神になってもらおうかしら」


他にもベビーカーを押している五丁目の奥様が通り過ぎていった。顔見知りではないのか、特に寶田さんもその奥様も反応しない。


「ムリです」

「ええ」


残念がらせてしまった。


「私はまだお社を頂けていないので、産土神にはなれないのです」

「そうなんだ。そっか。まだ修行中だものね」

「なにか他に手伝うことはありますか」

「いいえ。これから友達に会うだけだから」

「楽しんできて下さい」

「はーい」


寶田さんは笑顔で手を振り去って行く。明るいお人柄だから、友達も多い。


そうだ。神様がたと人脈を作ってみよう。町から出て神社巡りをしていけば、いつかきっと、どなたかが姿を現して下さるかもしれない。


そうと決めるとワクワクしてきた。町中を隅々まで走り回って転んだ人を助けたり、喧嘩になりそうな人たちの仲裁に入ったり、ゴミ拾いをしていた。そうしているうちに夕方になったので結局夕飯はグラタンにして、家に戻り作り終えて待っていると、七時過ぎに静子様は帰っていらっしゃった。


「お帰りなさいませ。本日もお疲れ様でございます」

「千福こそお疲れ」


木造建築の一軒家。ご両親と妹君がいた頃は賑やかだったそうだ。だが、九年ほど前、ご家族が旅行をされている最中に事故でみんな亡くなってしまった。そのとき静子様だけどうしても抜けられないお仕事があってご旅行へは行かれていなかった。


今静子様はこうして笑顔でいらっしゃるけれど、私が誕生する前はあれだけ泣いていたのだ。時々とても心配になる。癒えない傷はあるはずなのだ。


静子様は洗面台で手洗いを済ませると、リビングの四人がけテーブルの椅子に座った。


一緒にご飯を食べる。お話をすると、とても優しいお顔で聞いて下さる。これは私にとってはとても大切で愛おしい時間だ。毎晩、なにがあったかを話すのが日課。そうして本題を話すことにした。


「私はこれから神様との人脈作りをしようと考えております。だからしばらくこの町でのおつとめはおざなりになると思いますが・・・・・・」


「それはいい考えだと思うわ。みんな神様修行を応援してくれているから。今日もね、帰りに笠間さんが言っていらしたのよ。千福ちゃんが早く一人前になれるようにって」

「嬉しいお言葉でございます」

「ちょっとした旅を楽しんで来るといいわ」

「ではそうします。パソコンをお借りし、行ける範囲で明日から回って参ろうと思います」

「うん。氏神様にご挨拶してからね」

「はい。ところで・・・・・・」


私が一番幸せにしたい人は静子様だ。これはひいきになるのかもしれないけれど、私にとっての神様は実質静子様なのである。だから静子様を幸せにしたい。


「静子様は今、幸せですか」


意外な質問だったようで、一瞬だけ真顔になり、すぐに笑った。


「千福がいてくれるから、私は幸せ。あなたといられる日々はとても大切なの」

「それならいいのですけれど」


私の存在が少しでも静子様の役に立っているのならよかった。そしてそのような念もしっかり感じ取れる。でも、静子様はどこか影が差している。


本人は無自覚でいらっしゃるけれどトクさんや浩さんや寶田さんのような気楽さが見られず、どこか張り詰めておられる。やはり苦しい人生を送ってきたせいだろうか。家族を亡くす前は別の町に住んでおり、空き巣に入られたり、家が放火で全焼したり、親戚が病で次々と亡くなったり、一度通り魔に殺されかけたりと様々な不幸が度重なってあったようだから、そうした過去の思い出も身に染みて影響しているのだろう。


私の存在が、静子様に降りかかる災いを払いのけているらしいことは以前に聞かせて下さった。だが、なぜか静子様は友達も恋人もおらず、圧倒的に孤独に思えるのだ。一人前になったら、今以上に静子様を幸せにできるのだろうか。


「神社、どこへ行く予定? 私は一緒に行けないけれど大丈夫」

「まずは近場から。東京のほうへ行ってみようかと思っています。天津神様のいらっしゃるところから回るのが礼儀でしょうが、多分そうした神様のお姿は見られないでしょう」


日本の神様にはざっくりと分けて天津神様と国津神様がおられる。天津神様は天の高天原におられ、国津神様はこの地に足を降ろし国造りに貢献された神々だ。きっと天津神様は気高く、誇り高いから私のような神モドキは虫けらみたいなものなのかもしれない。 


でも頑張ろう。


「千福には苦労させちゃっているかしら」

「いいえ。苦労など感じません」


静子様は微笑む。


「真面目で、素直に育ってくれてよかった。色々な神様とご縁ができるといいわね」

「はい。私もそれを期待しております」

「ところでこのグラタン、とっても美味しい」


顔を見てほっとする。料理を食べている間は幸せそうだ。


「日々暑いですが、グラタンでよろしかったでしょうか」

「もちろんよ。千福が作ったものならなんでも食べるわ」

「明日はなにになさいましょうか」

「千福の好きなもので」

「ではリゾットかハンバーグがいいです」


意気揚々と返事をしてしまった。私の好きな食べ物。

静子様が全て食べ終えたので、食器を下げる。


「お風呂も沸かしてあります。十分にお休み下さいませ」


静子様はふと口元を緩める。


「召使いじゃないのだからそんなことしなくていいのに」

「いいえ。これも修行の一つと考えています」

「本当は私が神様のためにやらなきゃいけないことなのに、つい甘えちゃう。だめね、私」

「構いませんって」


修行の一つ、とも考えているが静子様が少しでも心安らかになれるように、家のことも完璧にこなしておきたかった。


なぜなら静子様は夜、睡眠薬を飲んで眠っていらっしゃるから。


静子様が悲しい過去を忘れられるくらい、一人前になって幸せにするのだ。

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