第3話

花松町に祟りを起こす神がいる。名前は千福、子供の姿をしている。

幸福神と言われているが、その実一度目をつけられた人間は祟られる。

狼を二匹従え、祟れる人間はいないかといつも観察している。

千福に祟られた人間は、不幸が続いて変死する。

あるものは狂い、あるものは行方知れず。

千福を知っている者で変死した人間は後を絶たない。

祟りすなわち呪い。実は人を呪う神。千福に会ったら気をつけよ。


ちょっと反則技だけれど、これが昨日楠中学校に仕込んだメモの内容だ。

恐怖心を煽って学校中に噂が広がれば、私を視認できる人が増えるはず。


本当にいるのかもしれない、と思わせられれば、その恐怖の心理から私の姿を見ることができる。都市伝説級の怖い話は中学生の好物だと考えて、このようなちょっと拙い文章を考えた。学校という狭い社会の中ですぐに広まり、信じる子が出てくるだろうと考えてのことだ。


楠中学校へ行き、学校が始まって終わるまでの一日を、仁と寿と共に堂々と教室の中で観察をしていた。朝メモを見つけた子達が最初は笑っていたものの、あらゆるところにメモが置かれていたことに気づいて気味悪がる子達が昼頃にはちらほらと出てきた。


噂は広がり続けてお昼以降は伝言ゲームのように尾ひれまでつき始めている。


いじめられている子は二年三組の松島翔君。二年生の教室は全て一階にあり、翔君はクラスで孤立した存在になっていた。三組の雰囲気は随分とギスギスしている。いじめっ子は三人いて、浜町裕紀、新川政夫、神田大地という名だ。彼らは執拗に翔君を罵倒し、殴る蹴るの暴行を加えているのに、教師も他の子達も傍観しているだけだったので、クラスに仁と寿を使って不思議現象を起こしてみた。ある子が落としたノートを拾っても拾っても勝手に落ちる、黒板消しが遠くまで飛ぶ、花瓶が割れる、ドアがガタガタ揺れる、等。


開けてあった窓から偶然蜂まで入ってきたのでクラスの子達はメモを次第に恐れ始めていた。


花にも花瓶にも罪はないけれど・・・・・・翔君を助けるためのまだ仕込み段階。ただこれ以上恐れられると姿が見え始める可能性が高くなるので、五時限目で私は教室を出て、校庭側の窓からひっそりと様子を見ることにした。


「あ!」


クラスの女の子と目が合ってしまって咄嗟に隠れる。


「どうしたの?」

「今そこに小さな女の子がいたの。着物で昔だとおかっぱっていうの……?」

「嘘? どこ」


クラスの子達が一斉に窓の外を眺め回すので私は仁達と校舎の裏手へ回る。なんだか大変な騒ぎになってきた。これでもう私のことは多分、この学校の大部分の人が見られる。


全てのスケジュールを終えたのか、教室から外へ出てくる子達が増え始めた。


なんとか隠れながら翔君を見つけ、あとをつける。学校から遠回りをして川沿いの土手を歩いていた。例の三人が駆け寄って絡み始める。


「おい。いつも遠回りして俺たちから逃げる気か。おまえがいるから教室で変なことが起きたんじゃねーの」


言ったのは体格のよい大地。

頭をいきなり殴って鞄を目一杯翔君の背中に投げつけている。


「祟られているんだろおまえ」


次はつり目で細身の裕紀。


「花瓶代と花代、弁償してもらおうか。金出せよ、金」


政夫が金を寄越せと言わんばかりに翔君に手を出している。


「ねえよ。おまえらがみんなとっただろ。花瓶も花もお前らのものじゃねえし」


いつもお金を取られているんだ。恐喝か。これは酷い。


「金。今日も持ってきているんだろ。母ちゃんからもらったの、出せよ」


拒めば暴力に発展する――。私は直感的に思って、仁と寿に命じた。


「ちょっと行って、あの子達を襲うふりをしてみて」

「御意」


二匹は駆け出し、四人の正面に回り込んだ。四人は急に立ち止まり固まる。


「ひっなんだこいつら。バカでかい。こんな犬いるのか」


大地が真っ先に言った。よし、全員視認している。だが通り過ぎる人々は私たちのことが見えていないようだ。


仁と寿は大きなうなり声を上げた。


「俺犬嫌いなんだよ。あっち行け!」


裕紀が仁に鞄を投げつけるが、仁は素早く交わす。


「でかすぎたろ。もしかしてメモにあったオオカミなんじゃ。俺たち食われるのか」


政夫が突如怯えだす。


「俺たち本当に祟られているのかも。千福という神はどこだよ」


裕紀が少し焦った表情になり、周囲を見渡す。私は土手から降りて隠れて見ていた。


「祟られているのは松島だろ。大体なんだよ、誰なんだよあのメモ流したやつ」


大地が言って仁と寿を睨みつける。

全長五メートルもある狼が近くにいれば、人間ならば誰だって怖いと感じるだろう。仁と寿は大地、裕紀、政夫の三人に襲いかかる、ふりをする。明らかに手を抜いた襲いかただが、三人は大きさに圧倒されてひっくり返った。そうして立ち上がると、一目散に逃げていく。


拍子抜けもいいところだ。あれだけ暴力を振るっておきながら、立ち向かうことすらしない。所詮は小心者の集まりだ。雰囲気から優しさのひとつも感じられない。


翔君はその場に立ち尽くしている。


「松島翔君」


背後から名前を呼んだ。敬語を使わないほうが翔君も話しやすいだろうと思って、砕けた口調で話すことにする。翔君は振り返るとビクッと肩を震わせた。


「あんた、もしかしてメモにあった噂の・・・・・・祟り神?」


翔君は後じさる。教室にいるときから気になっていたけれど制服の半袖から伸びているすらりとした手や顔にはいくつものあざができている。


「そう。ああ、怖がらないで。あれは私が仕組んだただの嘘なの」


私は笑顔を作った。


「嘘? じゃああんた、本当は誰なの。今時の小学生が一人で着物姿で歩いているのなんて見たことねーし。この犬だかオオカミはあんたのか」


仁と寿交互に見る。アスファルトには長い影ができていた。


「ちょっとお時間をもらえるかな。あなたにお話したいことがあるの。その、今あなたが直面している問題について」

「呪うのか」

「だからそれは嘘だって。問題解決に力を貸したくて来たの」


言うと翔君は少し逡巡した様子で頷き、すたすたと歩き始める。私は後を追う。


翔君は川沿いの土手から降りて少し歩いたところの販売機でジュースを買って、近くにあった児童公園のベンチに腰をかける。いつも遠回りしながら帰っているのだろう。三人が執拗に追いかけてくるとわかっていても癖になっているのかもしれない。

あるいはこうした公園で心を落ち着けたいのかもしれなかった。


「隣、いい?」


訊ねると翔君は頷く。


「それで、あんたは」


翔君は全身に汗をかいて、ジュースで喉を潤している。私は隣に座った。


「私は隣の花松町に住んでいる幸福神。祟るんじゃなくて本当に幸福にするの」

「本当に神?」

「一応」

「バカバカしい」


祟りは信じても、普通の神は信じられないのが人間心理というやつだろうか。でも翔君には少しくらい信じる心があるみたい。神を信じないと言っている人にもどこかしらにビー玉サイズくらいの信心深さはあるものなのだ。神社仏閣に行ったことのない人は日本人の中では少数派だろうし、神頼みや縁結びや合格祈願をする人も多いだろうし、基本、生活の中にみんな無自覚に神仏に対する意識というものは溶け込んでいる。


「なんでバカバカしいって思うの」

「神がいるならなんでこんな不公平なことが起こるんだよ。世の中いじめと関係なく楽しい生活を送っている子もいる。俺だけじゃない。幸せな日常を送っている子もいれば、毎日虐待されて苦しみながら生きている子もいる。金持ちと貧乏だっている。戦争が起きている国と起きていない国がある。全てのものに対極があるんだ。不幸がわからなければ幸せもわからないって聞いたことがあるけどさ、不幸を経験する人はなんなの。そのあとに大きな幸せが来るって嘘だよ。不幸を経験して不幸なまま死ぬ人もいるし、ストレスから病気になる人もいるし。神がいるのだとしたら神は福引きみたく、ひいきする人でも選んでいるの」


不公平。考えたこともなかった。でも確かに、人間社会は平等ではないと静子様から聞かされたことがある。幸せと不幸の量は決して比例していないと。不幸な者は不幸の連鎖から逃れることが難しいと。それは静子様のご経験から語られたのだろうけれど、多分、翔君も常々不公平や不幸を感じているのかもしれない。


無言で翔君の腕に手をかざす。あざは一瞬で治せた。


「なに、これ。綺麗になった・・・・・・」


翔君は素直に驚いている。顔のあざも半強制的に治して綺麗にした。


「怪我、全部治せるよ。他に痛いところある」

「お腹。蹴られるから痛みがある・・・・・・あと足も少しひねっている。軽いんだけど」


痛いと言っている体の痛みも全て治す。

翔君は不思議そうな顔で自分の手足を眺めていた。


「もうどこも痛くない?」

「ああ、体は大丈夫・・・・・・心以外は」


心の痛み。これは私にも治せなかった。


一時的に症状を軽くすることはできるけれど、根本的な解決にはならない。


「私はまだ身近な人しか幸せにできないけれど、これで少しは信じてもらえるかな」

「俺は祟られて変死するの」


やっぱりまだ信じ込んだままだ。


「だからあれは全くの嘘だって。デタラメ」

花松町の人から翔君がいじめられているという噂を聞いて、やって来ただけと言った。


「本当に、祟らない?」

「祟らない」

「なら、さっき解決できると言っていたけどどうにかなるものなの。我慢していればもうすぐ夏休みだし・・・・・・」

「夏休みが終わったら?」


翔君は黙り込んだ。


終わっても、終わらない。続くのだ。夏休み明けにいじめが原因で不登校になってしまう子や、自殺までしてしまう子もいるとここ数年、夏の終わりによくニュースで聞いていたから知識はある。翔君とはもう縁ができた。不幸になんかさせない。


一時辛いことがあったけど学校が楽しかったって大人になって振り返ったときに言えるようになってもらいたい。


「わからない・・・・・・でも、多分明日もあいつらは俺を攻撃してくると思う。あんたの連れているオオカミに襲われたっていう理由で腹いせ的に。そうじゃなくても、なにかと理由をつけて攻撃してくる。でもそれもいつか終わる。終わるんだ・・・・・・」


泣きそうな顔で翔君は俯く。私は翔君が膝の上で作った拳をそっと握った。


「いつかじゃなくて、今終わらせよう。心の傷は私には治せないけれど、これ以上酷くなる前に終わらせることはできる」

「どうやって終わらせるんだよ」


昨日眠れない間に思考を巡らせていた。策ならあるのだ。


「翔君にもやってもらいたいことがあるの。割り箸かなにかで鳥居を三基作ってみて。それをね、あの三人の子達の机に明日置いて」

「いいけどそんなことをしたらまた攻撃が始まる・・・・・・」

「大丈夫。私は本当に幸福神だから。翔君を幸せにできるよ」

「本当に信じて大丈夫なの」


ジュースを全て飲み干して、翔君は不安そうに私を見る。公園には四歳くらいの子が母親と一緒に砂場で遊んでいたが私の姿は見えていないらしい。仁と寿は近くで大人しく伏せの体勢をしている。


「うん。終わらせたいでしょ、こんなこと」

「でも俺みたいな子、たくさんいるよ。他の学年にも、他の学校にも」


全国の学校を回るのは無理かもしれないけれど、近隣なら大丈夫だ。今度他の学校にも視察に行ってみよう。それに、楠中学校でならもう多分みんな私を視認できるだろうから、いじめの問題を抱えている子は解決できる。


「大丈夫。とりあえず鳥居を作って。割り箸だと物足りないから色塗ったほうがいいかな」

「何色?」

「赤ならインパクトあるかもしれない。明日私も学校に行くから」

「わかった。傷治してくれたし、あんたを少し信じてみる。じゃあ、俺は帰るよ」


翔君は立ち上がって、そのまま振り返りもせず行ってしまった。


「仁、寿。ちょっと運んで欲しいの」

「どちらへ」


なんとかできるといっても外見年齢七歳くらいじゃ子供と思って舐められる可能性もある。逆にお化けだと怖がられる可能性もあるけれど――人を懲らしめる術を持っていない。 


だからここは神様の、六福神のお力を借りに行く。恵比寿様はお姿を見せて下さらないけれど、七福神が全て揃っている神社が東京にある。


「成子天神社。道案内するから」


誕生して間もない頃、静子様に連れて行ってもらったことがある。あの神社のご祭神は菅原道真様だけれど、敷地内に七福神様の像が全て揃っており、六福神が初めてお姿を見せて下さった場所なのだ。


「お乗り下さい」


仁と寿は正確に、私の言ったとおりの場所を走り抜けていく。移動が大分楽になったのがありがたい。


四十分ほどして、西新宿にある成子天神社に辿り着き、広い敷地内に足を踏み入れた。夕方になっているが邪気はそれほど濃くはない。道真様と七福神のお力の賜だろう。 


参拝客は少なく静かで、仁と寿を妖怪だと言いがかりをつけてくるような者もいない。拝殿で道真様に断ってから境内にある七福神の像に一柱、一柱手を合わせた。


「千福です。お久しぶりです。お願いがあって参りました。姿をお見せ下さい」


言うと瞬時に空気が透き通った。


「千福殿。久しぶりだな」


毘沙門天様のお声が聞こえる。像から全員が具現化され、私のもとへ集まってきた。


あっという間にみんなに囲まれてしまった。六柱様とも、世の中一般に溢れるお顔のイメージとそうお変わりがない。


「元気にしていたか、千福」


福禄寿様が笑顔で言う。


「はい。日々元気です」


仁と寿を紹介して、福禄寿様から名前をとらせて頂いたと伝えると彼は豪快に笑った。


「使いができたとは成長したなぁ、わしの名前からとるとはありがたい」

「もと妖怪の私めがこのようなご立派な名前を頂き恐縮しております」


寿が言った。すると福禄寿様は寿の頭を撫でる。


「自分を卑下することはない。名前で幸福になるなら好きなだけわしからとれ」


福禄寿様は再び笑った。懐の広いおかたでよかった。寿老人様、弁財天様、布袋様、大黒天様が交互に元気だったかとお声をかけて下さる。お会いするのは一年半ぶりくらいだ。 


やはり、恵比寿様のお姿はない。


「それで今日はどのような用件でこちらへ」


弁財天様が優しい口調で言った。私は事情を生々しく話した。


「つまり、悪ガキ共を懲らしめるために一芝居打って欲しいということか」


毘沙門天様が訊ねる。


「はい。七福神様――恵比寿様のお力を借りるのは無理かもしれませんが、中学校の子供達があなたがたの姿を見ることができれば、福にあやかりたいと思う子も出てくるかもしれません」

「人間には余程の者でない限り我々の姿は見えんよな」


言ったのは布袋様だ。


「いや。私の打ち出の小槌でそれは可能だ」


大黒天様が抱えていた大きな金色の打ち出の小槌をみんなに見せる。


「あるいは私の通力を皆様にお貸しすることもできます」


修行中の身である、神様から神とは認められていない私にはもともと人間が視認できる力が備わっている。これは神としての経験値が上がるごとに消えていくものらしいけれど、まだその時は来ない。だから通力を皆様にお貸しすれば、人間が六柱を見ることは可能だ。


だが大黒天様は首を振る。


「千福ちゃんが我々に通力を貸す必要などない。わしの打ち出の小槌を使おう。皆で参るなら宝船も使いたい。宝船は流石に、千福ちゃんの通力でも人に見せることができないだろうからな」


宝船は七福神様の大切な所有物だ。

確かに今の私の力では、宝船を具現化させ、人に見せることはできない。


「わかりました。ありがとうございます」

「それで、松島翔という子に対する悪ガキ共の恐喝、暴行をやめさせればいいのだな?」


毘沙門天様が念を押す。


「はい。松島翔君は酷い仕打ちを受けております。もう何ヶ月も続いているのでしょう。徹底的に懲らしめるのがいいと考えられます」

「了解した。では我々は友である千福殿に協力する」


毘沙門天様が言い、弁財天様は話す代わりに美しい音色の琵琶を鳴らした。

私は再び頭を下げる。

学校が始まるのが八時半だから、八時に楠中学校で待ち合わせをすることにした。




七月三日


六月の終わりのずぶ濡れになった日が嘘のように、よく晴れている。本当に暑い。

大山咋命様にご挨拶をしたあとで、仁と寿と共に楠中学校へ向かった。二年三組のクラスをそっと覗くと、翔君は早速いじめっ子三人組の机に割り箸で作った赤い鳥居を置いていた。


器用なのか細かく作ってある。三ツ鳥居だ。ネットで調べたのかもしれない。鳥居を倒れないようにするためか、プラスチックの丸い台石まで割り箸にくっつけてある。ありがたく思った。私の言ったことを信じて一晩かけて一生懸命作ってくれたのだ。


幸あらんことを。翔君に向かってそう呟く。


八時十分が過ぎて、大地と政夫、裕紀がやって来ると「なんだこれ」と言って自分たちの机の上に置かれた鳥居を見ている。三人とも改めて見ると人相が悪い。


「おい、松島。これ、おまえがやったのか」


大地が訊ねている。教室には夏の強烈な光が差し込んでいた。


「そうだよ」


千福。俺はあんたを信じてみる。幸福の神様というのならお願いだ。こんなことはもうなくして欲しい――はっきりと、そのような心の声が聞こえた。


「なーに鳥居なんか作っているんだよ。祟られたことにビビってんのか? それとも俺たちに対する嫌がらせか」

「大事な鳥居だ。不法投棄されている場所に鳥居を置いたらゴミがなくなったという話も聞くからな。これでおまえたちの暴力もなくなる」

「こんなので俺たちが変わるわけがないだろ。宗教に目覚めちまったのか。気持ち悪りぃ」


言って三人は、鳥居をバキリと真っ二つに折り、踏みつけると、翔君をグーで思い切り殴った。翔君は凄い音を立てて椅子から転落する。


私は即座に一階の窓から入って三人の前に姿を現す。


すると三人はぎょっとした顔をする。大地が一歩前に出た。


「誰だおまえ。子供がなに勝手に中学の教室に入っているんだよ」


他の生徒も私の登場にびっくりしたのか、一気に注目が集まる。


あの子、昨日見た子だ! 祟り神だ! 昨日目が合った女子生徒がそう騒ぐ。

すると、全員が恐れをなしたかのようにさっと教室の隅まで離れて、私たちの様子を見守っている。


「え。お前が祟り神?」


大地が顔を強張らせる。


「許さない・・・・・・翔君を殴るなんて。毎日毎日殴ったり蹴ったりするなんて。この鳥居は翔君が私のために作ってくれたもの。それを壊すとは神に対する冒涜。この罰当たり!」


言うと本当に怒りがこみ上げてきた。翔君が私を信じて精魂を込めて作った鳥居。その鳥居を大事だと言ってくれたのに馬鹿にして壊し、殴るなど許されることではない。それに、昨日の公園で泣きそうになっていた翔君の気持ちを思うとこの三人に猛烈に腹が立った。


どれだけの間、翔君は我慢してきたのだろう。心に負った傷が癒えるのには、どのくらいの時間がかかるのだろう。鳥居を作ってと言ったのは、神に対する冒涜をこの三人が働くだろうと考えて私自信がこのような心境になることを見込んだためだ。最初は私自身、軽く怒るだろう程度に思っていた。だが、本当に冒涜された気持ちになってはらわたが煮えくり返っている。


突如突風が巻き起こった。教室のガラスにひびが入り、大きな音を立てて粉々に割れる。女子生徒がきゃあっと悲鳴をあげる。


あ。あれ。生徒の持ち物や教室に置いてあった備品まで巻き上がるが、抑制がきかない。


「なんだよこれ。おい、やめろ」


大地の髪が逆立っている。


「祟られているのはあなたたち。翔君への暴行と恐喝、罵りをやめたら許してあげる」


私は風なんか起こせないはずなんだけれど。ちょっとびっくりしながらそれでも私の周囲に起こる風の威力は益していく一方だ。


「やめろ。やめろぉっ!」


三人が暴風に耐えきれなくなったのか顔の皮膚を歪ませて叫ぶ。風はとうとう竜巻のようになって三人は割れた窓の外に放り出され、校庭の空高いところまで飛んでいった。


不意に冷静になる。なんだろうこの人間三人を飛ばせる力。仁か寿か、あるいは七福神のどなたかが起こしたのだろうか。でも今は気にしている場合ではない。クラスの中学生達の何人かは窓の外の様子を眺めるために集まる。割れたガラスに注意しながら。


「なんだあれ」


三人は毘沙門天様と布袋様、大黒天様によりキャッチされ、宝船に乗せられた。


「七福神じゃないか!」


嘘。嘘! マジで? 


そんな声が聞こえてこれまで遠巻きに眺めた子達が一斉に壊れた窓に駆け寄る。


「本当だ。七人いる! 七福神だ。すげぇ」

 

誰かがそう叫んでいる。七人? 私には六柱しか見えない。私にだけお姿を見せて頂けないだけで、恵比寿様は力を貸して下さっているのだろうか。


宝船が校庭の中央に到着し、周りにも人が集まってきた。他のクラスや学年も窓から見ている人がいるのだろうと簡単に想像ができた。


毘沙門天様が三人を一人ずつ縄で縛って船から校庭に放り出す。私も行ったほうがいいなと思って、生徒達をかき分けて窓の外から出ると宝船のもとへ走った。


案の定、窓からたくさんの生徒の顔が見える。


「我らはこちらの幸福神、千福と友人である七福神だ」


青空の下、毘沙門天様は高らかにお声をあげられる。


「今縄で引っ捕らえたこの三人は、外道なことをしているそうだな。暴行、恐喝をしているのならば恥を知れ! 神の裁きを受けるがよい」


声は校庭に響き渡る。毘沙門天様は容赦なく大地の頭を踏みつけた。大地は抵抗しているが、びくともしない。そうして空中から三人の頭になにかを大量に降らす。


「ひっ、ムカデ!」


裕紀が言って身じろぎをしている。ムカデは毘沙門天様の使いだ。


「やめろ、やめろ。服の中に入った。気持ち悪い」


政夫が地面を転がりだす。だが両腕を後ろに縛られているため、どうにもできない様子でミミズのように蠢いている。他の二人もムカデから逃れたいのか地面を這い出している。


「松島翔に対し暴力と恐喝、罵倒をやめるか? 翔に一切手を出さないと誓うか? 誓えないならもっと酷い災厄がおまえたちを襲うと考えろ。我々は全員松島翔の味方である」


三人を見下ろす格好で毘沙門天は言った。


「しない。しないからムカデをとってくれ!」

「まだとらん。罰を与えたから暴行をやめるなど都合がよすぎるだろう? 松島翔はこれより酷い仕打ちをおまえたちから受けている」

「わかった。わかった、反省するから」

 

大地が顔を真っ赤にして叫んだ。


「巻き上げた金を全額返すか」

「それは・・・・・・使っちまった」

「そうかでは」


更にムカデの洪水を頭から降らせる。三人は断末魔のような悲鳴を上げた。


「このような仕打ちはまだ可愛いものと知れ」


言ってからまた、見ている全員に向かって毘沙門天様はお声を張り上げる。


「他にも嫌なことをしている者がおるだろう。我々に嘘は通じぬ。ビシビシと感じられるぞ。暴行、恐喝の他に無視や悪口や、疎外、今を代表する情報端末で嫌がらせをしている者もいるのではないか」


校舎はしんと静まりかえっていた。教師と思える人が何人か校庭に出てくるが、毘沙門天様が睨むと恐れたのかなにも言わずに引き下がる。


「教育者の中にそうしたことを助けた者はいるか」


誰もが黙っている。ただただ、毘沙門天様のお声だけが力強く反響している。


「ならばこうしよう。全員の顔は覚えた。暴力、恐喝、無視。このようなことを見過ごさず助けた者には我々が福を授けよう。それ以外は全員天罰が下る者と思え。今後どれだけ祈ろうとも生涯にわたり我々の加護を受けられないものと知れ! ただ見ている者も、無関係と割り切っている者も同罪だ。我々はおまえたちの行動を逐一見ている。正しく生きない者にはこの千福神も罰を下す」


一気にどよめきが湧いた。既に校庭に転がっている三人の意識は朦朧としているようだ。


「奪った金は返しなさい。どんな手伝いをしてでもな」


大黒天様が船から下りて、打ち出の小槌を担いだまま言った。三人はうっすらと目を開け、疲れ果てたように頷く。


「おまえたちにはもう神の加護はない」


続いて布袋様。


「ごめんなさい・・・・・・」


大地が小さく呟いた。普段は穏やかな寿老人様の、珍しく厳しい声が飛んだ。


「謝る者が違う! お前らが真に謝るべきは誰だ。神か」


すると三人とも横たわったまま身をすくませた。


「誰に謝るのだ!」

「松・・・・・・島・・・・・・」


寿老人様は肩の力を緩めた。


「きちんと本人の前で謝るのだぞ」


再び声なく頷く。


授業を知らせるチャイムが鳴り響いた。毘沙門天様も他の神様も縄を解かずに船に乗る。三人のことも、割れた窓ガラスも知らないといった様子で。


「千福殿。さあ、あなたも」


毘沙門天様が手を差し伸べる。


「はい」


私は手を取り仁と寿と一緒に宝船に乗った。毘沙門天様は再びみんなに叫ぶ。


「騒がせた。誰か縄を解いてやれ。ではさらばだ」


宝船が宙を浮く。そうして加速して学校から離れた。


これであの学校もしばらくは落ち着くだろう。数年経てばまた生徒が入れ替わって、同じようなことが繰り返されるのかもしれないけれど。


「このたびはありがとうございました」


私は六柱に頭を下げる。


「いやいや、礼には及ばん。こちらも悪ガキ共を懲らしめることができてスカッとした」


毘沙門天様が先ほどとは打って変わって優しい声で言う。

空から見渡せる景色は絶景だ。いくつかの学校が目に入る。私は昨日の翔君の言葉を思い出して、相談をすることにした。


「あの、一つお願いがあるのですが」

「なんだ」

「翔君が言ったのです。『俺のような子は他の学校にもいる』って。だから、これから何日か、回れるところは回ってみてみませんか。今日ほどのことはしなくても、七福神様がみんなの前で姿をお見せになって、酷いことをしている子にやめるよう言って頂けると嬉しいです」


全員が笑顔になり、布袋様が言った。


「最近は暇をしていたところだしな」

「じゃ、じゃあ」

「明日から少しずつ回ってみるとするか。これも世のため人のためになるのなら」

毘沙門天様が微笑む。

「はい!」


そうして、あのような竜巻は誰が起こしたのだろうかと考えて、訊ねてみる。すると、大黒天様が笑顔になった。


「あれは千福ちゃんの力だよ」

「え、私の?」

「なんだ、気づいていないのか。神としてのレベルが上がった証拠だ。人を救いたい、弱い者に手酷くしている者を懲らしめたいという純粋な想いや怒りが力の源となったのだ。これからは誰かと闘いたいときにも使える力となる」


そうなんだ。そういえば神は風をいくらか使える。風神(ふうじん)様ほどではないにしても、東京大神宮で向かい風が吹いたくらいだ。ああ、そうか。もともと大気のエネルギーは感じられる。その善し悪しもわかる。


寶田さんに、間もなく生まれてくる赤ちゃんの名付けをして周囲の木々に祝福されたことからも証明できる。だから神もまた自然と一体になれるのだ。経験値があがれば、自然を使いこなすこともできるかもしれない。


「自信を持っていい。恵比寿はまだ――」


大黒天様が振り返り、そしてははっと声を出して笑った。


「姿を見せるつもりはまだないらしいが見守っていると」

「え」

「恵比寿は見ているからと言っている。花松町へも時々見に来ているそうだ」

「え。え・・・・・・恵比寿様が? 私は嫌われているものだとばかり」

「静子さんが、恵比寿に何度かお参りをしたことがあってな。最初は静子さんに力を貸そうとしていたらしいが、花松の町の荒れた様子に大変驚いたそうだ。それで千福ちゃんが生まれてからは、見守ることにしたそうだ」

「では恵比寿様が町の発展に一役買って下さったのでしょうか」


大黒天様は少し黙る。恵比寿様のお声を聞いているようだ。


「いいや。恵比寿はただ見ているだけだと。神と認めるのもまだ保留中だそうだ。でも町を発展させたのは千福ちゃんだよ」


気にかけて見に来て下さっているだけでも感謝だ。


「恵比寿様、ありがとうございます」


深く深くお辞儀をした。けれど恵比寿様の、なんの声も聞くことができなかった。


「さ。家に着いたよ。また明日、学校を回ろう」


寿老人様の言うとおり、船から家の屋根が見えた。


お礼を言うと、仁と寿を連れて七福神様と別れた。

 



静子様のいない家の中で、掃除をしながら少し考える。


世の中が不公平だというのは静子様や翔君から聞かされたとはいえ、深く追及したことはなかった。四方八方、八百万の神様がこれだけいる世界で、どうして不公平なことが起きるのだろう。日本に限らず世界にも神様がいる。そのような宗教がある。



神様社会と人間社会には一線があるのかもしれないけれど、密接している。

でも、やはり強者と弱者は人間社会には根付いている。翔君の言ったように人間社会は極端だ。健康な者と病気の者、金銭的に裕福な者と貧しい者。家族を亡くさずに平和に生きられる者と、静子様のように家族を全て失った者。静かに暮らしている者の居場所を強奪しようとする者。他にも考えたら切りがないほど、不公平なことはある。祈りが聞き届けられないこともある。なぜなのだろう。


「千福様、手が止まっております」


仁が言った。本当に、はたきを叩く手が止まっていた。


「ご指摘ありがとう」

「どうされたのですか」


仁が不思議そうな顔をしているので、私は今思ったことを素直に話した。


「氏神様に相談なされてみては。答えは頂けなくとも気持ちの整理はつきましょう」

「じゃあ、そうしてみようかな」


家を綺麗にしてから、少し休む。


掃除を終わらせてもまだ午前十一時前だったので、氏神様のところへ一人で出かけることにした。天様と白様のお姿が今日はない。お賽銭を入れて、訊ねてみる。


「大山咋命様、いつも参拝させて頂き誠に感謝申し上げます。ここ数日感じていることでございますが、どうしてこの世はたくさんの神様がいらっしゃるにもかかわらず、不平等なことがたくさんあるのでしょう」


沈黙。やはり答えは頂けないのか。

がっかりして踵を返す。そうしてやはり気持ちの整理をつけることよりも、お声を聞きたいのだなと思った。


「それはね、我々神の世界も不公平で不平等だからだよ」


追い風が吹いて、はっきりと男性の太い声が聞こえた。思わず振り返る。


嘘。今の。今のは・・・・・・。


神社の境内にある夏の桜の木々がざわめき、拝殿から追い風が吹いてくる。


大山咋命様が、初めて私の声に応じて下さったのだ。


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