22話 少しばかりのおわかれ


『別れは済ませたんだし、ここですっきりとさよならしよう』って言ってふたりと別れて5分くらい歩いて着いたのは、駅前のローリーのすみっこのほう。


そこには……最近はいっつも病院と家の往復と、それにここに来るときにもお世話になった黒塗りの車。


萩村さんが使っていたものよりも高そうな……いや、乗り心地からしても確実に高いんだろう、けどリムジンっていうほどじゃない車が見えてきたと思ったら運転席から人が出てきた。


いつも運転してくれている人。

マリアさんたちの部下の人。


なんの部下なんだろうね。

結局怖くて聞けなかった。


「『お嬢さま』、ご準備の方はよろしいのですか?」

「はい。 待っていただいて、ありがとうございます」


「いえ、これが……今日までの、私の仕事ですから」


そう言いながらドアを開けてくれて、それにすっかり慣れちゃった僕を感じながら乗り込む。


この高級感あふれる車での送迎も、これで最後だ。


初めは申し訳ない気持ちでいっぱいだったけどそのうちに慣れて来ちゃって、いつの間にか当たり前って感じるようになっちゃっていたけど……これで、最後。


「……いつもいつも。 最後の今日までこうして送っていただいて、ありがとうございます。 とても助かりました」


「いえ、私はただ命令されたまでで。 それに、お嬢さまをお迎えしていますと普段のような物騒な会話が聞こえてきませんから、私にとっては癒しなのですよ。 響さんもまた知的な会話をされますし。 私も楽しかったのです」


ああ……僕が知的かどうかはともかく、イワンさんたちを乗せていたらそんな感じになるよね……やっぱり薄々どころか割とはっきりと感じているマリアさんたちのご職業、なにやら恐ろしいものなんだろうな。


だけど僕は、この人たちとは別の道を行くって決めたんだ。


「では出発してもよろしいでしょうか? たしか行き先は――……」

「……どうかしましたか?」


運転手さんがいつもみたいにすぐに出発しない。


「……響さま。 ご学友の方々……病院へよく来られていた方たちが走っていらっしゃっています。 いかがしますか? このまま車の窓からご挨拶されるか、それとも……」


……ぎりぎり。


車が走り始める前。

よく間に合ったね。


「……すみません、あと5分でいいので待っていてもらってもいいでしょうか」

「もちろんです。 承知致しました……が、5分でよろしいのですか?」


「はい、あんまり長くてもこの後に響きますから」


そうして車を降りて……そういえばこの車で送り迎えしてもらって多分初めて自分でドアを動かした気がする……ふたりが走って来るのを待つ。


そして来たのは……走ってきたからか汗だくのゆりかに、息も絶え絶えのかがり。


うん、体力の差だね。

あとレモンとメロンの差もありそうだ。


「かがりん? もうちょい運動したらー? 走ったの500メートルもないよー?」

「だ、だって大変なんだもの……髪の毛のセットとお胸が」


「……そこまで私を愚弄するのかがりん」

「違うわよ? ……ふーっ、ようやく……」


走ってきたゆりかとかがりの息が整ってくる。


なんとなく懐かしい雰囲気になって、それで、なんとなくでみんなで同時にため息をついて、少し笑って。


僕はふたりを見上げる。


……そんなに首が疲れない、僕よりも少し大きいだけのゆりか。

大人と同じようにって言うか多分岩本さんよりも背が高いかがり。


ふたりともおしゃれしているんだろう、かがりはともかくゆりかも初めて見る服装になっている。


走ってきて崩れちゃってるけどね。


でも、お別れ。


そうだよね、最後になるかもしれないんだし女の子だったらそういう発想になるよね。

いわゆるおめかしというやつで、だから彼女たちは僕とさよならするために精いっぱいの準備をしてきてくれたんだ。


「かがりん、もうだいじょぶ? ほれ、これで汗を拭くのだ」

「ありがとう、ゆりかちゃん。 私、今日に限ってハンカチを」


「いや、しょっちゅう忘れてるじゃん、ときどきお財布とかスマホとかまで」


普段から……いわゆる女子力っていうものが子供っぽいのに、それでも一見して高そうなかがりよりも実は高いゆりかがハンカチを差し出す。


「……ふたりとも」


順に見上げて……さっきまでは外にいたせいで被りっぱなしで忘れていたフードを取って……あ、りさとさよ、ふたりと話したときにも取ったほうがよかったかな、せめて話している間だけでも……髪の毛がふぁさっと出て、風に流れるのを感じながら言う。


「最後のお別れ……もちろん、いつかまた戻ってくるつもりではあるけど。 ともかくこれを済ませられて良かったよ。 なにしろ君たちは僕が『この姿』でいちばん親しくした、いや、してくれた『友人』で、だから……こうして最後に顔を合わせることができて。 僕は、とても嬉しいよ」


いちばんに言いたかったことを、いちばん先に言っておく。


この後すぐにでも……いつでも運転手さんに声をかけられてもいいように。

何回も予想しない力に襲われてしたかったこと、キャンセルされてきたから。


「……響ってさ。 普段はテッキトーな話し方って言うか話聞いてないことも多いけどさ? よくちょうちょ追っかけてるし……視線で」


「いや、ゆりか。 それは誤解だ」

「そう? ねぇかがりん?」


「響ちゃんって純粋なのよ!」

「……それはフォローになっていないよ」


「ねー、響? そーゆーとこ。 響ならわかってると思うから念のため、念のためだけどさ? 気ぃつけとかないと、あっちでもそんな感じでタラシ―な言動ばっかしてたら、こう……同じ世代の女の子とかお姉さん方にぱくりっていただかれちゃいそうだから、なるべく控えるよーに。 いや、わりと本気で、マジでよ? ほら、海外ってそういうの積極的って言うしさ……そのさ、とりあえずでいただかれちゃう的な?」


そんなのは絶対ないって思う。

あるとしたらむしろ男からのを気をつけないとって感じなんだけどね。


「私たち、そーゆーのに耐性ないんだから……帰ってきたら『彼女できてましたー、食べられてましたー』ってのにはさ……お願いだからやめてね?」


「大丈夫だよ、安心してくれ」


そんなこと絶対ないから安心して?


「安心できぬ……余計に。 心配って言えばそれくらいしかないってくらいには響ってしっかりしてるしさ、だけどそーゆー方面には疎いし実力行使なんてされないよう、ほんっきで気をつけてね!? ほら、海外って女同士とかの抵抗とかも薄いって言うし! しかも中身は男の子だし! いやマジで! ……あ、ところでこれ、どぞどぞ。 些細なものなんだけど良かったら持ってって?」


ゆりかから渡されたものはずっしりと重い。

思わずよろけちゃったけど……ぎりぎり大丈夫な重さだ。


5分も持っていたら腕と指が痛くなるだろう。


「……だいじょぶ?」

「うん、平気……中身は新刊……?」


「そーそー、せっかくだからってテキトーによさそーなの詰めといたよ!」


……これを買っていて遅くなったんだろうか?


「響が、聞いたことあるけど読んだことないって言ってたのとか、響が入院してから出たのとか、そーゆーのの中からよさげなものちょくちょく集めてたんだよねー、いつか渡そうって」


腕時計をちらちら見ながら、ものすごい早口でまくし立ててくるゆりか。


……そうだね、時間ってあっという間に過ぎるから。


「まっ、私のは昨日までに集め終わってて渡すだけにしておいたからさ? ほら、いつもみたくやることはさっさとやっちゃうポリシーだしさ? あ、いくつか私も読んだのとかあるし? ……だーけーどー、かがりがたいっへんでさぁ」


「あ、ちょっとゆりかちゃん、それは言わないでって!」


「やだねー、このせいで危うく渡せなかったんだから。 このくるくるさんったら今朝までまーだ決められなくって、ってか昨日ぎりっぎりで決めたんだけど、そこでまたやらかしたの。 『もう1回お店見て回って決めるわ!』って、そんで選ぶのにまた時間がかかったのよ……いやホント、かがりんがもう少し悩んでたらこうして渡す以前に会えなかったわけで。 つまりはメロンが悪い」


「だ、だってっ! せっかく、せっかくなのよ!? せっかく響ちゃんにぴったりなものを……少し遠出した先でようやく見つけたって思って安心したら、あ、きちんとプレゼント自体は用意していたのよ私も!」


「かがりんって映画とかじゃ絶対足引っ張るブロンド女子なポジよね……」

「そうだね」


「? ブロンド……? あ、けれどね、けれども駅に着いたら昨日買ったのを忘れているって気がついて! 家に帰って取ってくるのとここで探すのとどちらが早いかって言ったら断然にこちらで、だけれども響ちゃんに似合いそうなの、なかなか見つけられなかったのよ!」


真っ赤な顔になって反論するかがり。

くるんくるんがくるんくるんくるんしているのを久しぶりに見た気がする。


そうして彼女もそっと、手に持っていた紙袋を渡してくるかがり。


「はい、響ちゃん、私からも。 もう春も進んできて少し暑い日も出てきてしまったから、すぐにシーズンが終わってしまうかもしれないけど。 響ちゃんいつも寒そうにしているから、こういうのがいいと思って」


僕が寒そう?

あ、いつもの服装か。


今の僕を見られたくないからって、幼女だって知られるとまずいからって。


そう思い込んでいたから冬まではずっと……かがりにスカートを着せられて連れ回された一部を除いてほとんどはパーカー姿でフードも被ってた。


今の僕の体は暑くても平気みたいだからって真夏でも似たような格好で過ごして、みんなには肌が弱いって言ってた。


冬も冬でもこもこの多いコートを買ったし、外に出るときはブーツだったから。


……肌が弱いって設定のこと、多分この子忘れてるんだろうな。


でもいいや。


紙袋の中を覗くと薄い色の布。


「薄手のマフラーか」


「えぇ、ようやくに見つけたのよ! 響ちゃんにぴったりなもの」

「おかげで渡せないとこだったけどね? 反省して、かがりん」

「反省してますってばっ」


簡単な包装の中には、今の僕によく映えるマフラーが入っていた。


タグも切ってある、そのまま使えるようにしてあるものだったからひと言断って、ふわりと羽織る。


「やっぱり! 似合っているわっ!」

「おー、これはもはや主人公。 ヒーローもメインヒロインもいけますな。 つまりはダブルでおトク。 いいねー、そーゆーの」


喉に感じる、柔らかい感触が心地よい。


うん、春秋とか夏の冷房なところでも使えるストールとは違ってもこもこしている感じ。


「よかったわ、気に入ってもらえて。 お家に置いてきてしまったものに比べたら少し残念だけれども……それもまたよく似合っているわ! 男の子でも女の子でもどちらの格好をしていても合うものだから、よければ使ってちょうだい」


「改めて、ありがとう。 ゆりか、かがり。 最初に出会った君たちから最後にこうして話をできて、贈りものまでもらって。 僕は……」


なにかを言おうとして、けれどもそれを思いかなくて。


けど、もうちょっとでいい感じの言葉が出て来そうになったところで、車からふぁんっと軽いクラクションの音が鳴る。


……時間なんだね。


多分5分どころじゃなくて10分くらいは待ってくれていたんだろう。

かがりが落ちつくまでに少しかかったし、その後にもけっこう話していたな。


「……時間、みたいだね。 僕は行かなきゃ……だから、ふたりとも」


運転手さんが出てきて、けど、無言で後ろの座席のドアを開けてくれるのを横目で見ながら、別れを告げる。


「……また、いつか。 早いかもしれないし遅いかもしれないけど、でも、きっと」


泣きそうだけど、でも精いっぱいの笑顔を作ろうとしてくれている、かがりとゆりか、ふたりの女の子を見上げながら。


「……また、もういちど。 今度はきっと……そう。 今度こそは『事情』で伝えられなかった、嘘じゃない、本当の『僕』と」


向き合ってほしい。


「………………っ!」


駆け寄ってきて……普段みたいに遠慮なしのじゃない、包み込むような抱きしめ方をしてくるかがり。


「………………また、ね」


普段みたいに僕が文句を言うまで離さないのとは違ってすぐに離れて、今度はゆりか。


ふたりの柔らかさと匂いを感じて「絶対に覚えておこう」って思って……そのまま振り返らないで車に乗る。


抱きしめられたときに上から温かいものがぽつぽつ来ていたし、そのあともあんまり顔を合わせたがらなかったから、これでよかったんだろう。


そうして静かに動き出した車の振動を感じながらマフラーをもこもこしたままうつむいていた。


「……ロータリーを出ました」


少しして見上げた窓の外は、もう駅前から離れていて、人もまばらになってきている。


あの子たちは――もう、見えない。

別れは済んだんだ。


みんなと……りさとさよ、かがりとゆりかっていうみんなと。


それも、とっても良い形で。


……うん。


ちゃんとした形のお別れができるって、幸せ。

そう思う。





運転手さんに頼んで家へ帰るルートからすこし外してもらって、懐かしい場所に降ろしてもらった。


そこは、かつての前の僕がよく散歩やジョギングに来ていてなじみ深くって。


今の僕になっても、女の子な格好に慣れるために歩いたり体力をつけるためにときどき来ていたりした。


けどいつもへばっちゃって帰りが辛くって、その上今井さんとばったり会っちゃったりした、あの運動公園。


「済みません、マリアさんたちに『僕の気分が急に変わって予定を変えたんだ』って伝えておいてください。 これから……少なくとも当分は帰ってきて見られないだろう見知った風景を歩いて、目に焼き付けて帰りたいんです」


「……承知しました」


ためらいながらも僕の意志を尊重してくれて、本の入った袋を手渡してくれて会釈をする彼。


……その姿勢が90°近いのはいい加減に止めてほしいって何回も言ったけど結局止めてくれなかった運転手さんは車の中に入り、僕が手を振るのを見てから静かに駐車場を後にして行った。


……ぽつんと、風の音しか聞こえない駐車場に僕ひとり。


……これでひとりだな。

こうなる前の僕の、当たり前の時間。


僕はこの運動公園がお気に入りだった。


どんな格好でも何時に来ても……社会人や学生が来ないような時間帯にぬぼってした男がひとりで来ても、注目されない場所だったから。


ほら、今のご時世的に怪しい男がそのへんほっつき歩いてたら適当な理由で「事案」って言われちゃうし?


で、もう何年も、よっぽど天気が悪いとかじゃない限りには……少なくとも入り口の周りくらいまでは歩きに来ていたこの公園。


人が多いからこそ逆に僕っていう存在が薄く感じて、自然の色や匂いっていうものの気持ちよさを実感できるここも、もう2度と来ない……かもしれない。


そう思うだけで、変わっていないはずなのに変わって見える。


この季節は掃除が追いつかないからたくさんの葉っぱや花びらが重なっている上をなんとなくさくさく音を立てて歩いて、そんな感傷に浸ってみる。


……どうせ歩いて数分で出口だし。


そんな気分で、僕はさくさくさくさく歩く。


初めは戸惑った。


だって普通の男が、ニートだから普通よりマイナスな男が銀髪幼女だもん。


「この姿になったのって夢じゃないの?」とか「僕の頭がおかしくなっちゃったんじゃないの?」とか「僕の認識だけがおかしいんじゃないか」とか「とうとう僕は来るって自分を幼女だと思い込む末期症状なんじゃ……」とか考えたりもした。


だから恐怖を感じて。


けどそのすぐ後に……いろいろと確かめるために出かけた先で、かがりとゆりかに出会って。


少なくとも今の僕は今の僕として、誰からも幼女だと見られるものになっちゃったんだってわかって。


で、人はすぐに慣れるもので。

顔からなにから性別まで変わっちゃったとしても慣れちゃって。


家の中でさえ生きていくのに苦労しているうちにだんだんと慣れて、そう時間が経たないうちに元の生活に近いものになったんだ。


見た目のことも、女の子になっちゃったもんだからいろいろ困ったりもしたけど、それすらも懐かしい感じで。


……それで慣れたと思ったらハサミが飛んでびっくりして、今井さんに追い詰められて萩村さんが役に立っていなくって抑え切れていなくって、それでゆりかに助けてもらって。


その萩村さんに偶然声をかけられたから送ってもらった先でかがりに襲われて。


本当に……本当に、大変だった。


親がいなくなってからひたすら避け続けていた人間関係が、あっちから来たんだから。


それからはさよやりさとも出会って、4人とも仲良くなって……僕から友達だって思えるようになって。


「今の僕としての生活も悪くないかも」って思っていた矢先に冬眠して……その前にマリアさんとイワンさんにも会っていたんだっけ。


そうして岩本さんと島子さんを助けてねこみみ病っていうものを知って、ねこみみとしっぽを堪能して柔らかくって、それで僕自身が男だっていうのをみんなにも明かせるって決心がついて。


それで年を越して嘘をひとつ話してほっとしたら……結局謎のままになっちゃった「反動」で派手に血を吐いたりして。


病院に連れて行かれたと思ったら調べられて、また冬眠して入院して。


そして家を……今の僕でさえ居心地が良すぎるせいで決心がつかなかった家の中を空っぽに近い状態にまで、きれいさっぱりにして。


今日、みんなとおわかれして。


……確かに大変だった。


けど、大変なことは大変だったんだけども、この大変だった1年は……僕としては9ヶ月くらいの1年なんだけど、とにかくにも密度が濃くって。


前の僕が今の僕になってからの1年は、少なくともここ15年くらいの……父さんと母さんがいなくなってからの僕の人生っていうものの中で……多分。


いや、きっと、いちばん充実した時間だったんだろう。


今なら。

こうして空っぽになった家に1回だけ戻る、今だからこそそう思えるんだ。


結局のところ僕にかかっている「魔法さん」。

「ねこみみ病」、「変異」……または、そうじゃない「何か」。


それについて分からずじまいのままなんだ。


似ているようで違って、けどやっぱりどこかでおんなじなにかがあるって感じる、これらの「見た目が変わる」っていう謎の現象。


でも僕は、大変だった分いろいろ知った。

だからある程度どんなものかは分かっている。


僕の言動ひとつで僕自身を「幼女」としても「元の男」としても……「どちらでもあってどちらでもない」状態としても認識させられちゃう現象。


日数に関係なく「健康に問題がない範囲」で「冬眠に近い状態になって」眠りこける現象。


どこも悪くもなくってケガひとつしていないのに、あんなにどばどば血が出てきて一時的にしても体が動かなくなるっていう「反動」って呼ばれていた現象。


認識と冬眠と反動。


あのときはとても大変なことで、魔法さんに振り回されてもうさんざんだって思っていたけど――その程度なんだ。


もちろん大変だよ?


大変なものなんだけど、でも病院をぶらついているときに見ちゃったように……本当に重い病気を持っていて、それでずっと病院で、命を守るために戦い続けている人とか。


そういう人たちを遠くから見て僕自身のこれと比べると……生温いにもほどがあるんだ。


誰だって自分のことが1番大切で、自分のことが1番に感じる。

良いことも悪いことも。


だから僕みたいに閉じこもっていると他人のことが分からなくなって、比べられなくなったんだ。


でも、今は違うんだ。


僕は別に苦しくも辛くもない。

ただ幼女になっているだけ。


ただ、それだけだってはっきりと自覚できているから。


なんで銀髪幼女っていう生きにくいことこの上ない姿にしたのかはわからないんだけども……でも、ちょっとくらい不便なのって、誰だって抱えてるんだ。


だからこの体と魔法さんとは「そういうもの」だって思いながら付き合っていくしかない。


ただそれだけなんだ。


……たったの1年。


それだけで僕、何歳も成長できた気がする。


やっぱりお家の中で好きなことだけしてる生活も……いや、とっても素敵で快適だったけども……それだけじゃ、だめなんだね。


だから僕は「気まぐれな魔法さんっていうものに取り付かれちゃった」とでも思って過ごしていくしかないんだろう。


ただちょっと、見た目が変わってたまに変なことも起きる。

その程度なんだ。


冬眠したり血を吐くのだって説明さえしておけば良い。


僕はそういう珍しい病気を抱えてこそいるけど、それで死ぬ訳じゃないんだっていうことさえ周りの人たちが分かっているのならなんとかなる。


魔法さんが怒ったりしてもびっくりする程度で済んで……あのときみたいに悲しませるっていうことは、ない。


イワンさんたちのように。


その範疇に過ぎないんだ。


家の中でずーっとうだうだと考えてはいたけど、結局のところ僕に起きていることはとっても単純なことで――。


「……あら、響くん? 今日はどうしたの?」


挨拶をすっかり忘れてたからって、家に入る前にお隣へ。


すぐに出てきた飛川さんの奥さんは、やっぱりいつ見ても……格好と髪の毛が明らかによそ行きじゃないのに、ほとんどお化粧もしていないのに、前の僕よりもほんの少ししか上じゃないって感じ。


この人のことを知ったらきっと、岩本さんが愕然とするだろうこと間違いなしだな。


「……えぇっ!? 海外に?」

「かもしれない、だけです。 まだ相談中で。 でもとりあえず一旦家を」


「ひょっとしたら海外で住むことになったり、お仕事も?」

「はい。 これも、もしかしたら……ですけど」


帰って来ないかもしれないんだ、多少盛ってそれらしく説明を済ませる。

大丈夫、この人は基本的に疑わない人だから。


……僕がニートしてたときもいろいろすんなりごまかせてたもん。


「あらあら、それにしてもいきなりなのねー? もっと早く教えてくれていたら、おわかれ会とかできたのに。 だって、さつきだって響くんに会いたがっていたんだし」


「ごめんなさい。 いろいろと……いろいろと、急だったので」


ごめんなさい……飛川さんのこと、かんっぜんに忘れていたんです。


「寂しくなるわねぇ」

「……はい、飛川さんにはとてもお世話になりました」


特に、父さんたちがいなくなってからの1年くらいは。


「けど、いいことなのよね、きっと」


彼女がしゃがんで僕と目線を合わせてくれる。


……子供じゃないのに子供になったからしょうがないんだ、うん。


「響くん、あれからずっとお母さんたちのことでふさぎ込んじゃってたから。 私たちじゃなんにも助けてあげられなかったけど、でもだんだん元気になってきて……ここのところはお仕事もときどきだったけど、でもようやく見つけられそうでなによりね!」


撫でないで……なんかくすぐったいから。


……あ、撫でられるとなんか変な感覚。


魔法さん……病気っていうことは言わなくって「あくまでも長期間いなくなるかもしれない」っていうのと、きっと心配するだろうからって「お仕事が見つかりそうだから」っていう感じにぼかして説明した。


嘘ではあるんだけどもここで心配させるのは悪いから。


これは必要な嘘。

今ならちゃんと割り切れる。


「そう……残念ねぇ。 さつきも会いたがっていたのに、よりによってねぇ。 あと1、2時間で帰って来るのに」

「いえ、僕が急すぎるのが悪いんです。 本当なら何日か前には来なければならなかった僕が」


「いいのよ、きっと。 ……帰ってきたりはするのよね? なら、そのときに来てくれればいいわ! きっとあの子、成長した響くんにびっくりするわよー? ……ね、響くん?」


目の前が暗くなったって思ったらハグされる。


「………………」


……顔に胸を押し付けられる感覚にも慣れている僕自身がいる。


「がんばってきて。 私もさつきもうちの人も、それにご近所の人たちも、みーんな響くんのこと、応援してるから」

「……ありがとう、ございます」


「またね、響くんっ」

「はい、お元気で」


僕は彼女とも別れて、ようやくに家に入った。

最後になるかもしれない帰宅をした。



「ふぅ」


男だった前とは違って腕を上げなければ開け閉めすらできないドアを開け、ずっと住み続けた僕の家へ、最後の足を踏み入れる。


外の明るさから一転、暗い玄関からの廊下に目が慣れてくると……ほとんど物が何もなくなった寂しい光景が見えてくる。


家の中に入って、しばらく佇んで、想う。


……前の僕にとっても少し。


今の僕にとってはものすごく広いこの家が、持て余すほどに広いここが、僕の……ニートとして生きて終わろうって考えていた空間なんだって。


紙袋とマフラーを玄関に置いたままにして、僕自身のとたとたって音、あるいは歩いてきて疲れているからかよたよたって感じの軽い足音を聞きながら廊下を過ぎてお風呂へ向かう。


だって今日はお風呂に入る暇も……許可も出ないかもしれないんだから。

まぁ考えすぎだろうけども気を落ちつけるためにも、ね。


がらんとしている洗面所で服を脱ぎはじめる。


……この服ともここでお別れ。


フード付きの大きめのパーカー。


その下の無地のシャツ。

特徴のないズボン。


この1年、外に出るときのほとんどでお世話になったこの格好。


もちろん着替えは数着用意してはあるけども、でもそれはかがりに選んでもらったものにするわけで、僕が選んだ……ずっと着ていたおかげでそろそろくたびれ色あせてきたこれは、ここに置いていく。


せっかく家を出るんだ、どうせなら洗ってあるのを……友達に選んでもらったものを身につけていきたいから。


ちなみにぱんつはワゴンで買った安物のお気に入り。


「………………」


そうして服を脱ぎ捨てた僕。


凹凸のない平べったくて細い体。


長い銀色の髪の毛を体の前に、手のひらに収まるくらいの量を抱えて後ろから持ってきて……ぐいっとおまたの前に持って来ちゃえば胸も隠せて男か女か分からなくできて、けど明らかに北国の生まれの幼い子供っていうのだけはわかる。


裸なのに色気がないどころかちゃんと食べているのかって本気で不安になっちゃうような幼子。


もっと成長して女の子らしい体つきになっていたら、お風呂のたびに罪悪感があったり、あるいはずっと不安だった生理っていう元・男としては絶対に関わりになりたくない現象に悩まされることのない、銀髪幼女。


そんな僕が鏡に映っている。


「……これが、僕」


首から下にはうぶ毛しかない、そのうぶ毛すらもほとんど透明で見えないつるつるな僕。


男だった要素なんかどっか行っちゃった僕。


これが、僕なんだ。


今の僕の頭から重ーく垂れている髪の毛。


蛍光灯の下で見ると間違いなく銀色に見える……けどお日様の光の下だと虹色っぽくなる、そんな不思議なもの。


色素がなくって細すぎるっていうのがあるんだろうね。


そんな髪の毛が前髪は乾いていれば目にかからない程度、横と後ろに流れる分はおしりに乗るくらいまで伸びている。


当然にこれは手入れをしようとしまいとそこまで伸びもしないし、逆に切ることもできない。


……髪の毛をシャンプーで丹念に洗う。


そして流す。


流したらトリートメントをつける。

染みこませるっていうのをする。


無意識でコンディショナーを馴染ませ終わってすすいで、体も……ちゃんと、体の真下についてる2つの穴まで適度に綺麗にして、これでばっちりだ。



「ふぅ……」


温かくなって汗を流して、さっぱりした。

これで今夜はお風呂に入れなくてもなんとかなりそう。


この体は汗、ほとんどかかないけど、それでもこの腰まで伸びている長い髪の毛を洗わないで寝るというのには抵抗あるし?


「ふむ……良し」


下着だって……シャツはともかくぱんつは柔らかくて白い、おまたにちょうど当たる部分……クロッチが汚れやすいのが嫌いだから、普段からトイレの後にトイレットペーパーを当てているもんだから、半日ほど履いていたこれを間近で見ても汚れは見られないし特段恥ずかしいことはないはず。


今日着ているのはかがりに選んでもらった春らしいコーデというやつで、つまりは去年の今ごろに初めて選んでもらったときのもののひとつ。


「よし」


髪の毛も乾かしてきちんと整えて。

身支度は済ませ終わった。


ふと、なんとなく鏡に近づいて洗面台に身を乗り出し、じっと僕の目をのぞき込む。


「………………………………」


薄い色の瞳。


その周りのまつげも眉毛もまた銀色で、生えていないようにも見えるくらいの細いそれら。


そういえば人の脳みそって男性と女性でちがうって言うけど、僕の場合はどうなんだろうね。


結局に女の子らしい話題っていうものには意識しないと楽しめないくらいには男だし、普段感じる感覚としては男としての視点は残ったまま。


町に出たときなんとなく見ちゃうのだって女性だし、なんとなくで近くの女性の胸を下から見上げちゃうし、かなり視線に近いところにあるスカートの下のふとももだって気がついたら見ている僕がいる。


だから意識は男。


なんだけど、これからはどうなるんだろ?

もし成長したらそういうところが変わっていったりするのかな。


成長しちゃったとしたらどう転ぶかがわからないっていう不安感がつきまとうんだ。


そうなるとしても、できれば女性を……あくまで好きになるとしたらだけど、そういう対象が女性のままでいてくれるとありがたいところだけど。


そこは魔法さんの気分次第なんだろうな、きっと。


だって魔法さんは気分屋だもん。

まるで魔女のお供の猫みたいにさ。


うん。


今日もいい天気だ。

春らしい、いい天気。


去年の今ごろからしばらく遠のいていて、けど最近また感じられるようになった、春っぽい風が家に入ってくる。


僕の銀色の髪の毛を、ふわりとなびかせる。

風が吹くたびに髪の毛がふわっと浮いて、止むたびにぱさっと落ちてくる。


それの繰り返し。


……さてさて。


「魔法さん」


そのへんにいるのかな?


「………………………………」


当然ながらに返事はない。


――その魔法さんっていう見えないもの相手に、僕は必要以上に怖がって1年もここに居た。


他の人っていうものを信用してこなかったからこそ、家族がいないとはいってもそれ以外の誰にも相談すらしなくって。


「助けて」って、ただそれだけを誰かに言えていれば。


ただひとりで家に内に引きこもって頭の中でぐるぐるぐるぐると考え続けて。


ただの僕の中で……情報も少ない、そもそもが独りよがりで悪い方向へと考えるクセがあるって知っているのに僕ひとりの頭の中だけで全てを完結しちゃって……そんな僕が頭の中だけで生み出した、より悲惨な未来っていうのに怯えきって。


でも、これが僕なんだ。

僕だったんだからしょうがない。


僕は、廊下へ向かう。


見えてくるのは、とうとうに一切の手を加えないままになっちゃった……もちろん手とか掃除機とかで細かい木くずとかは片づけたけど……ひしゃげている壁と、もこもこしているときの僕くらいの大きさのクレーター状に、まん丸に凹んでばらばらになっている床。


ちゃんと気をつけていさえすればそこに足を滑らせて痛い思いをすることもないからって、とうとうに放置しっぱなしのそこを見ながら手すりに掴まって、1段1段、1歩1歩と階段を上る。


こうして毎段ごとに脚を高く上げないといけなくって、危ないからって両腕でしっかりと手すりにも掴まらなきゃいけない、僕の家の……少し急めの階段を上るのも、これで最後。


2階へと上がって廊下を歩いて、僕が僕を、前の僕が今の僕を初めて見た鏡の前を通り過ぎて。


銀色の、体に対しては明らかに長すぎるだろうってしか思えない髪の毛が後ろに少し浮いていて、体は頭に対して小さくって、がりがりで凹凸がなくって。


そんな僕を、去年かがりに選んでもらった女の子らしい格好。


「こんな風にして着れば町にいる普通の女の子として見てもらえるわ?」って言われるままにセットで買って、後で「やっぱりこれはかわいい系の服装だったんだな……」っていう、わりとふりふりのシャツに羽織りもの、その下にはひざ上のスカートにタイツっていう、もう慣れきった格好になった僕を見る。


……うん。


今日も幼女な僕は立派に女の子している。


僕の部屋。


居心地が良かった――良すぎた僕の部屋。

物心ついてからこの歳になるまでずっと、世界で1番安心できる場所だった。


そんな僕の部屋は、僕の部屋だった場所へと変わっている。


けどいつかは……大半の人はこの歳になったなら働くために、あるいは新しい家族と一緒になるために出ていくものなんだ。


まぁ今って僕みたいにずっとってのもそれなりにいるらしいけども、基本的に自分の部屋ってのは、自分の家ってのはいつか出ていくもの。


その未来が、ようやくに現在になった。

遅すぎたけど、でも、ようやくに来たんだ。


だから。


こんなに広い部屋で、こんなに広い家で本当に必要もなのは……僕にとって本当に必要だったものは、リュックひとつに収まる程度だけ。


「……む」


……あの朝、この体になって最初に見た時計はあのときと同じ、ちょうど3時を指している。


偶然、あるいはデジャヴ。

こういうのって良くあるよね。


3時。


それも、ちょうどぴったりの。


いくら寝坊したってそこまでは眠れないだろうっていうこの時間まで寝ていた僕は、あの日のあの朝/昼下がりに目を覚ました。


目を覚まして、まずは……あぁそうだ、メガネをかけなくても壁に掛かっている時計の針がくっきりと見えて、部屋の中が見渡せて、近視と乱視が治ったってびっくりしたのが、3時ぴったりっていうこの時間だ。


ただの偶然だろうとはわかっている。


スマホを取り出した僕は数分かけて……最後になるかもしれない、みんなから来ているメッセージに「とりあえず今日はこれで最後」って返事をしておいて。


「……ふぅ」


指の先がじんわりしている。


そうして僕は少しだけためらった後に――「その番号」を押した。


その電話は岩本さんからこっそりと聞いておいた――「ねこみみ病」専用の、直通の番号。


直通だけあって、ほんの2、3秒でがちゃっと繋がって。


『――はい、こちらは通称「ねこみみ病」または「NEKO」の緊急相談窓口です』


『この番号は、ご家族の方、またはお知り合いの方、あるいはご本人さまがこれらに該当し、かつ緊急性のあると思われる事態である場合に紹介されるものとなっており、それ以外の方は別の番号で対応させて頂いております』


『なおお電話口でのご相談を受け、緊急性が低いと判断された場合にはご紹介の有無にかかわらず、別の窓口を紹介させて頂くこととなっております。 どうかご了承ください』


『――このお電話は、緊急、差し迫っている方についてのご相談、あるいは救助要請で間違いはないでしょうか?』


僕はもう、止まったままじゃない。


僕は、前の僕から今の僕に、生き返った/生まれ変わったんだ。


そう思ったら緊張してばくばくしていた心臓も落ちついてきて、体の火照りも収まってきて……もうひと息ついてから答える。


僕は、元の体での15年という時間を、この体でのたった1年ぽっちの時間で乗り越えたんだから。


きっと、大丈夫。


またいつか、あの子たちにも会える。


「僕は――恐らくはねこみみ病ではあると思います。 それで多分、いえ、きっとまだ数が少ないか、あるいは未確認のものかもしれないんです」


悪戯と思われないように、冷静に。

いつも通りに考えて置いた文章を読み上げる。


「僕は、体の全部が変わりました。 髪の毛の色も目の色も肌の色も……顔も完全に変わりました。 完全に別人なんです」


「年齢も15くらい……いえ、多分もっと幼くなっています」


「もうひとつだけあるんです。 ――ねこみみ病ではあり得ないって言われている性別も、変わりました」


「つまりは男から女の子へと――完全な別人に」


……相手の人の声の感じから「多分僕みたいなのは初めてなんだろうなぁ」って思う。


「僕ひとりでは何もできそうにありません。 なので保護をお願いします」


…………この先は聞かれるのに任せて答えていればよさそう。


そう思ったら力が抜けて……緊張が抜けて、ぽふっとシーツのないベッドにおしりを落とした。


この1年で慣れたようにスカートをふとももに張り付かせながら座るっていうことをしなかったから、直の感触でふとももの裏がざらざらするけど別にいいや。


だって電話が終わったらきっと……荷物をまとめたあたりでお迎えが来るんだろうしな。


……お迎えってそういう意味じゃなくって、普通のお迎えだ。


そうして僕は……1番嫌がって、いや、恐れていた、国、国家権力というものに僕自身の経緯や住所、そして名前を伝えて、長い長いひとりぼっちのニート生活から、引きこもっていたこの家から、この部屋から――出ることにしたんだ。


だからようやくに――15年も経って、幼女にもなってようやくに僕は、本当の意味で引きこもりなニートから抜け出したんだ。


銀髪幼女になって1年経って。


……笑っちゃうくらいののろま。


だけど、これが僕なんだ。

きっと何回やり直したとしても多分同じになるだけ。


びっくりするほど落ち着いている僕。


遠回りしたからかも。

そう考えると1年ものたのたしていたのも悪くないって思う。


僕は――ようやく、ちょっとだけ大人になったんだろう。


多分、父さんと母さんが居なくなった中学生から高校生くらいには。

見た目幼女だけど高校生だって言い張る幼女っていう感じには、ね。



◇◇◇



「――ふぅ」


僕は息を吐いて決心して、腕とつま先を上げて……これもまた無意識で心配だったんだろうな、チェーンも外して。


鍵を回して、ドアを外に開いた。


「……えっ」


僕はびっくりした。


目の前の人たち……目線は大分上だけども……すっごくびっくりしてる。


……見間違いとか思い込み……じゃない、よね?


玄関先に――ドアから少し離れたところに立っていた人は男女のペア。


背の高い男の人と、ハイヒールを履いても男の人と比べるとずいぶん小さく見えちゃう女の人。


――男の人は前の僕と同じくらいの年ごろで、顔も体もいかつくって、でも実は背の低い子供――僕みたいな子相手でもきちんと膝をついて目線を合わせて話す人だって、優しい人だって。


優しすぎるせいか暴走した女の人の勢いを止められない人だっていうのを、僕はよく知っていて。


――女の人は前の僕よりも幼く……若くって、男の人と同じように普通のスーツを着ていて、それで後ろの髪の毛を――今日は、僕から見て右側にちょっとだけ垂らしていて。


「勘」ってやつさえなければ普通におはなしできる人なのかもしれないっていうのを知っていて。


……そっか。


そういえばそうだったよね、この人たち。

だって関係者だもんね……「ねこみみ病」の。


「初めまして。 私は『通称ねこみみ病』対策本部所属、萩村と申します。 この度は大変な思いをされて、…………?」


そのままお口が開いたまま、僕と同じように止まった彼。


まじまじと……きっと、傾きはじめた陽の光で明るいのに慣れていたんだろう彼の目が僕の目を、姿を、ようやくに認めて。


あ、そういえば今の僕は……みんなと会ったときはズボンの上にはパーカーっていう格好をしていたけど、今はふわふわのシャツにスカートっていう格好。


それに、いつも隠していた髪の毛を……彼にはたぶん初めてのお披露目だったはず……そのまま出しているんだもんな。


そりゃあ気がつくのにも遅れるっていうものだろう。

でもこの至近距離で顔を見たら僕って分かったらしい。


ちょっと隣を見てみたら女の人――今井さんの方もまた、ぼけーっと固まっているし。


もちろんお口も開いていて……なぜか顔は真っ赤になっているけど。

女の人だし、やっぱり小さいのが好きなんだろうか。


「……あなたは、響、さん。 私の知っている……お世話になっています響さん……なのです、か?」


なんとか復帰したらしい彼に向き直って、僕は言う。


「はい。 今朝方振りですね、萩村さん」

「……本当に、響さんが……」


「あ、そういえば電話では名字で対応してもらっていましたし……電話口の方が『今はそれだけでいい』っておっしゃっていたので。 ……表札も名字だけですし、しかもこっちの、女の子としての格好をお見せするのは初めてですね」


袖をふりふりとして、髪の毛を手で掬って見せてみる。

ついでにすーすーする、スカートも。


知らないお役人の人か、あるいは警察の人とかが来るのかって思っていたら知っている人だった喜び。


僕の口も普段より少しだけ軽くなったみたい。


「今井さんも、どうも。 今朝方振りです」


その後ろに居た、顔がちょっと赤くなっていてびっくりしてるっていう今井さん。

こんな顔初めて見たけど、なんだかお得な気持ち。


「え……あの……響さん、ですか?」

「はい。 去年の今ごろ……いえ、あれはもう少し後でしたね。 勧誘されたりした響です」


ついでに言えば、今日になってもいつも通りの勧誘メールが来ていたけども。


病気で入院するって言ってるのに退院した後のスケジュールとか勝手に提案されていたし……この人は本当に、もう。


「……本当、です……この瞳、この髪の毛、このお肌……響さん!?」

「はい、本人ですね」


ついでにこの突っ走る感じは間違いなく今井さんですね。


「じゃあやっぱりさっき電話を受けて車に乗り込んだときに感じた『勘』ってば、また合ってた……?」


なにそれこわい……何で僕と会う前にそれ反応するの?

やっぱり魔法さん的なものもの?


……けど。


だけど、そういうのをよく知っているからこそ僕は。


「萩村さん、今井さん」


いつの間にか髪の毛をさわさわしてきていた今井さんから数歩退いて、2人と目を合わせる。


「……あなたたちで、よかったです」


本当に。


「さっきまでは……ドアを開けるまではどんな人たちが来るのかって、どんな扱いを受けるのかって、実は心配だったんです。 けど、よく知っているあなたたちの顔を見て……安心したんです」


「響さん……」


2人の後ろにある車は……これだけ早くに来たんだから、きっといつもの事務所関係のお仕事の出先からのもの。


この近くを通りかかったところで電話を受けて来たんだろう。


もともとねこみみ病関係のお仕事だしな、こうしていちばん近い位置にいた2人が呼ばれたっておかしくはない。


車だって目立たないごく普通のものだし前に見かけたときみたいな護衛の人たちもいない。


けど、これだって偶然で。


――偶然とは、得てして重なるもの。

それを僕は、この1年でたくさん経験した。


「おふたりが一緒にいてくれるのなら安心できます。 ああ、そうです。 今井さんの勘の通りに……これからもきっと、長いお付き合いになるんでしょう。 だから」


滅多に僕自身の顔を、表情を意識しない僕だってこれだけの期間――1年ものあいだ女の子たちに囲まれていれば、自然と簡単な笑顔くらいは作れるようになっているんだ。


だから、精いっぱいの笑顔を作ってみせる。


「――これからもどうぞ、よろしくお願いします。 何回も伝えたように、注目されるのは苦手なのでアイドルとかにはなりませんけどね。 今井さん、萩村さん」


そう口にしてぺこりとあいさつをすると……前に落ちる髪の毛の感覚と一緒に、ふわっと吹いた風が春の――あったかくて気持ちよくて、それでいていい匂いの風が、僕を……ひと撫でしていった。

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【完結済】【短縮版】幼女になった響ちゃんは男の子に戻りたい!:1.5 あずももも @azmomomo

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