きのどくな

四宮あか

きのどくな

 方耳にイヤホンを入れながら、自転車のかごにノートパソコンの入った思い鞄を入れる。

 自転車のロックを解除していつも通りほかの自転車を倒さないように、大学の駐輪場から自転車を出そうと手前に引いたときに違和感があって気が付いた。

「え? 嘘……」

 タイヤを動かすと、カラカラと聞いたことのない音がして。

 スタンドを立てて前輪のタイヤを触ってみると、もうふにゃふにゃだった。

「最悪なんだけど……」

 何よこれなんてことを思ったのは一瞬だった。

 タイヤを確認してぞくっとした。


 自然に空気が抜けたというよりかは、何か鋭利なもので切られたような切り口があったからだ。

 もしかして、私の自転車じゃない? 鍵を差し込んでロック解除してるんだから、私の自転車で間違いないのに、何かの間違いなんじゃないか? って気持ちがこみあげてきて何度も防犯シールを確認してしまった。

 でもそこにはまぎれもなく私の名前である納屋なや 彩音あやねと書かれていた。

 



 バス通学よりお金が浮くからと、大学に入ってすぐ買った自転車はまだ真新しいものだった。

 せっかく自転車買ったんだからってことで、金沢の観光地を休日巡ったり。

 行動範囲がかなりこれで増えるし、もっといろんなところに行こうと思っていた矢先に、思いっきりケチが付いたような気がする。

 何より劣化したことが原因でのパンクならこんなに気にならなかったと思うけれど。

 ぱっくりと切れ目の入ったタイヤを見ると、どう考えても誰かに故意でされたんじゃないかなんてことを考えてしまう。

 

 落ち着け、落ち着いて。

 大学は今年の4月に入学したばかりだし、5月の終わりの今サークルや部活には入ってない私は多くの知り合いがいるわけではない。

 いつもつるんでいる友達はなんとなくできたけれど、まだ深い話をできるような仲でもない。

 何かの間違い? なんて思いつつも私は小学校の頃からの親友であるあーちゃんに、自転車がパンクさせられてて交番に今から行くから、今日の映画いけそうにないと断りの連絡をした。



 タイヤの状態を確認した警察官は、これは劣化によるものではなく、誰かがいたずら目的でやったのかもしれないと言ってきた。

 何かの間違いであってほしかったのに、はっきりとわかる悪意を目の前にして私はかなり怖くなっていた。

 幸いなことに私の通っている大学は自転車の盗難が多いってことで、監視カメラがあるらしく。

 私がカメラの映像を直接見ることはできないそうだけれど、警察の方が監視カメラの映像を確認してくれることとなった。

 結局自転車の状態の確認や刃物でやられたかもしれないからと駐輪場での現場検証を軽くしたこともあり、映画の時間には間に合わなかった。



「今日ほんとごめんね」

「これはしょうがないっしょ」

「警察には刃物で誰かがいたずら目的でしたのかもっていわれてまいっちゃってさ」

 今日映画に行けなくなったことを謝りつつ、怖さをごまかすためあーちゃんに電話を掛けながら私は家へと自転車をおしてかえっていた。

「刃物って……怖!?」

「監視カメラの映像で犯人とかわかったらわかったで学校の生徒だったら、だったらで怖いっていうね」

 


 そのあとは怖さをごまかすかのように、自転車を購入した店にその足で修理に向かった私は、自分を落ち着かせるためにそこでも話をした。



 監視カメラがあるってことだから、難なく犯人は見つかると思ったのに。

 あれから2日たったけれど、電話番号を伝えてきたにもかかわらず交番から連絡が来ることはなかった。

 あいまいにしておくのが怖くて、私は学校帰りに交番によると話を濁された。

 上級国民がもしかして相手なの? 隠すって何なのよ!? って不安なこともあって私はしつこく詰め寄ると、若い警官のお兄さんがぽつりと言った。

「誰も映っていなかった」と。

 上司だと思う人が、そうこぼした若い警官をたしなめたけれど、余計に怖くなった私ははっきり言ってほしいと詰め寄った。

「犯人らしき人物は映っていませんでした。映像をこちらで確認しましたが自然とパンクしたようで、事件性はないと判断しました」



「自然とであんなパンクするわけないじゃん」

 もやもやを抱えた私は、不安をごまかすかのようにまたあーちゃんに電話をかけていた。

「あのさ、なんか憑いてるんじゃない? 彼氏とも別れそうになってるし、なんか愚痴の電話聞いてる私にすると、ちょっと続きすぎじゃないかなって思うんだけど」

「怖いこと言わないでよ」

「ついてない彩音になる前くらいに何か思い当たることないの? 肝試ししたとかさ?」

「肝試しなんかしないよ。それにまだ6月で肝試しシーズンでもないし。最近の子は肝試ししません」

「んーなんか人間って本能的にこれだ! ってわかるときあるらしいし。何か思いつくのような出来事本当にない? 怖いやつじゃなくてもいいんじゃよ? 話すことですっきりするかもよ」



 何か心あたりあったっけ……なんてことを思い出すと。

 一人のおばさんとのやり取りが思い出された。

「『』」

「いいってことよ」

「違う。あーちゃんにお礼をいってるんじゃないの。ちょうどパンクする前日、犀川沿いを天気もいいしって自転車でうろつきに行ったんだよね……」

 は北陸地方で使われる方言で、金沢では何かをしてもらった時に感謝の言葉としてよく使われる言葉だ。

 でも今私がいったことはあーちゃんに感謝の意味合いを伝えるために言ったんじゃない。

 私はあーちゃんに数日前の話を始めた。




 犀川大橋よりもっと上流に行くと断崖を沿うように左右にジグザグと上る変わった階段があった。

 ふるさと不足ってCMでもあるように、自転車でふらっと来れる距離なのに知らない観光地ってあるもんだと思った私は、自転車を止めて上がどうなっているか見るために階段を上ることにしたのだ。

 段差はそれほどきつくない。階段の真ん中には手すりが整備されていてちゃんと手入れされてる感じで嫌な気持ちとかは特になかった。

 上はちょっとした展望台のようになってて、そこで私は金沢の街並みをちょっと見下ろせるってことで写真を何枚か撮ってきた道を戻ったのだ。

 階段を下りていると、反対側から上ってくる人がいて、その人の鞄からタオル地のハンカチがひらりと落ちたから私はすぐにそれを拾って振り返った。

 ちょうどおばさんはこちらを向いて立っていて、ハンカチを拾った私に気が付くと。

「あら、きのどくな」

 とお礼をしたのだ。

 石川県民ゆえに、あの時は全く気にも留めなかったんだけれど……


 


 あーちゃんが言ったように、私の本能的に今まですっかり忘れていた出来事にもかかわらず。となんとなく感じさせるものがある。

 思い返せばあの後から何かがおかしい。



 夏休みはいったら、花火いって、旅行もしたいねなんていってた、彼氏からの連絡があの後くらいからギスギスするようになった。

 親友のあーちゃんとの映画も自転車がパンクしていたせいで一度流れている。


「ジグザグな犀川沿いの坂で検索したらさ、石伐坂いしきりさかってのが出てきたんだけどここ?」

 あーちゃんが張ったリンク先に飛ぶと、私が上った左右にジグザグして上る階段の写真があった。

「ここだ!」

「……展望散歩コースとして本にも取り上げられるんだけど。ちょっと変な噂があるみたいでさ」

「待って怖い話?」

「まぁ、そう。人とすれ違っても振り返ってはいけない。振り返ると……みたいなよくあるやつ」

「私振り返ってるんだけど!?」

本怖ほんこわ的な感じだと、厄とか業を代わりに受け取ってくれてありがとう展開になりそう。そして次は彩音がすれ違った人に厄を押し付けるために待つ~なんてね」

 からからとしたあーちゃんの笑い声の中、私はあの時の光景をより鮮明に思い出していた。



 あの時は疑問に思わなかったけれど、落ちた! と思って拾って振り返った私よりも早く、おばさんの体が完全にこっちを向いていた。

 ハンカチを落としたことに気が付いて後ろを向いたのかもしれないけれど、振り返ってはいけないという話を聞いた後だからだろうか。

 おばさんは、ハンカチを故意に落としたじゃないだろうか。

 そして私が拾って振り返るのを待っていたんじゃないか。

 だから、体がこちらを振り返る途中ではなくて。

 故意に落とした物を拾ってこちらを振り返るか見るためにこちらを完全に向いていたんじゃないだろうか。


 きのどくなが引っかかるのは、ハンカチを拾ってくれたことに対してのお礼ではなくて。

 振り返ってくれたことへのお礼?

 金沢ではきのどくなは感謝の意味愛だけど。

 世間一般的には、気の毒なとはかわいそうという意味になる。

 


 ハンカチを拾った私は、会話の流れからして助けたことに対しての感謝の言葉だと思ったけれど。かわいそうにという意味合いだったとしたら。


 気が付くと鳥肌がぶわっとたった。




 そして私は次の日、石伐坂に来ていた。

 いらないキーホルダを鞄に忍ばせて。

 

 私は待っていた。

 親切な人がキーホルダーを拾って振り返るのを……

 そうあのおばさんのように、しっかりと後ろを見つめた状態で……


「これ落としましたよ」

 観光客? いや少なくともここで振り返ってはいけないことを知らない人物はそういって後ろを振り返った。

 その瞬間明らかに私の身体が軽くなったのを感じた。


「あぁ、

 私はキーホルダーを受け取りながら、感謝の意味合いでそういうと。

 最後にもう一度いった。

「本当に――

 もう一度お礼と憐みの意味を込めて言葉を紡ぐと、私はあの時のおばさんのように逃げるかのように階段を駆け上がった。


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