平成生まれが8月6日を思う。
長月そら葉
今と過去を繋ぐ
8月6日午前8時15分。
8月9日午前11時2分。
その数字の並びは、日本中誰にでもわかるものだと思っていた。少なくとも、高校生になる頃までは。
しかし、今ならばわかる。その並びの意味を知らない子供も大人も多く、そして今後も増えるだろうということを。
「……あっつ。三十七度とか、殺しに来てるでしょ」
八月に入り、夏の暑さは駆け上がる階段のように過酷になっていく。熱中症予防が叫ばれ、水分塩分補給を心掛ける。わたしが子供の頃は、こんなに暑かっただろうか。
「仕事終えてもこの暑さ……。アイスでも食べながら帰りたいわね」
わたしはそんなことを思いながら電車に乗り、同じように会社帰りの乗客と共に揺られていく。
マスク生活が普通になり、そして外すことも多くなってきた。今は、つけている人と外している人が半々だろうか。
「……」
この時期になると、子供の頃に聞いた話を思い出す。この目で見た資料館の資料を思い出す。それはどちらも人間の経験と思い出が詰まっていた。
八月六日は、広島に住む小学生にとっては登校日だ。平和学習ということで、被爆者の方の話を聞いたり、アニメを見たりする。総合学習でも、物語を読んだり調べたりした。
夏休みの期間に、何故そんなことをするのか。もしかしたら疑問に思う人もいるかもしれない。そんな人は、ちょっとテレビ欄や歴史の教科書を覗いてみて欲しい。
七十年以上前、日本で、世界で何が起こっていたのかを。
「アイスなんて、平和だからこそ食べれるんだよね」
自動販売機でクッキー&バニラのアイスを買い、わたしは独りごちる。冷たい雫が喉を潤し、一瞬だけ暑さを忘れさせてくれた。
あの日も、朝から暑い日だっただろう。地球温暖化が今よりも進んでいなかったとはいえ、日本の夏は暑くて湿気が多い。
蝉が元気に鳴く中で、早起きをしてご飯を食べ終わった子どもは三輪車に乗っていたかもしれない。軍事工場に働きに出ていた若い女性は、もう出勤していたかもしれない。お母さんは戦地へ行った夫や息子を思い、食卓を片付けていたかもしれない。
そんな時、たった一発の爆弾が落ちた。
たった一発、されどその威力は、何十年も草木は生えない土地になろうと言わしめた。
階段に腰掛けていた人は、その影を残して命を落とした。
三輪車は焼け焦げ、建物は爆風で崩れ去った。
熱線は人を建物を土地を焼き、生き残った人々は地獄を見たと言う。その地獄とは、到底、わたしなどには及びもつかない光景だろう。資料館で再現されたそれは、幼いわたしにトラウマに近いものを植え付けた。
水を求めて人々は川を目指し、そこで力尽きた。焼けただれた肌が、ずりおちていく何かが、そして異臭が。そこにあったのは、一体何だったのだろうか。
数え切れない遺体。生き残っても、体に入り込んだ爆弾の傷が体を蝕んだ。
今や、そんな影はない。街は人々の血のにじむような努力によって生まれ変わった。一部の遺構は残され、今も当時の惨状を伝え残す。人々は今を生きながら、夏になると心の何処かであの日を思う。
二度と、あのような生き地獄を起こさせないと誓うのだ。誰の得にもならない、ただ悲しみだけが残るあの過ちを繰り返さない、と黙とうする。
「ただいまぁ」
わたしは帰宅し、玄関の明かりをつける。誰もいない部屋に入り、照明をつけてテレビのスイッチを入れる。丁度、朝の式典のようすが流れていた。
午前8時15分。広島ではサイレンが鳴る。人々は平和に思いを馳せ、亡くなった人々の冥福を祈る。
何十年と草木も生えないと言われた土地は、今緑に覆われている。アオギリ、イチョウ。そんな植物たちの強さは、人間にも力を与えたのだろうか。
「……明日の仕事、嫌だな」
ぼすんとベッドに倒れ込み、わたしはスマートフォンの画面をタップする。空腹は作り置きで満たし、あとは歯を磨いて寝るだけだ。
しかし、次の週末には学生時代からの友人と会う約束をしている。彼女と話すのは久し振りで、とても楽しみにしているのだ。
あの日もきっと、前日に明日を約束した誰かがいたかもしれない。今日くらいは、そんな誰かに思いを馳せても良いだろう。
永遠の平和をと願う気持ちは、きっと途切れさせてはいけない。幼い頃何度も折った折り鶴を、今日は一羽折ってみようか。
人々の願いは、祈りは、星が叶えてくれることはない。人々の心に願いが、祈りがある限り、その議論は続くだろう。
子どもが親の遺体を前に泣き叫び、声を枯らす光景を善と呼ぶのか否か。
「明日が来るって、苦しいけど……軌跡なんだよな」
一羽のピンク色の折り鶴をテレビの傍に置いたわたしは部屋の照明を消し、ベッドにもぐりこんだ。明日は良い日でありますように、そう願って。
平成生まれが8月6日を思う。 長月そら葉 @so25r-a
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