第六話

 アラストーヤ帝国皇太子ご夫妻の帰国は二週間後に決まりました。


 十五日も掛かる帰国なのですから大変です。皇太子ご夫妻を野宿などさせられませんから、事前に道中に宿を確保するのです。何も無い地域には宿泊小屋を建てる場合もあるそうですよ。私も嫁入りの時はそうして旅して来た筈ですが、全く覚えていませんね。


 出発前日の夜には送別の大夜会が王家主催で開催される事も決まりました。その準備を主に担当するのは王太子妃たる私です。


 アジュバール様とシャーヤ様はあれ以来すっかり大人しくなられましたよ。相変わらずアジュバール様の側には私が、シャーヤ様にはローディアス様が付いていますけども、お二人とも不機嫌そうに黙っておられて私たちにアプローチを掛けてくる事もありません。


「なぜ私の所に来るのだ。愛しの夫の元にでも行けば良いだろうに」


 アジュバール様はそんな事を言って私を睨みますけど、私は素知らぬ顔を致します。


「それを言うなら貴方もシャーヤ様の所に行かれませ。そうすれば私も安心してローディアス様の所に行きますから」


 アジュバール様は傷付いたようなお顔をなさいました。アジュバール様とシャーヤ様は、迎賓館では食事の時以外は別室でお過ごしなのだそうで、会話も少ないと迎賓館付きの侍女から報告を受けています。


 夜会で仲良さそうに寄り添っておられる場面でも、よく見るとほとんど視線を合わさず、間が持たないのかすぐに離れてしまわれます。それでいて離れている時は相手の事をジッと見ていたりします。


 なんとももどかしいですね。これで貴族的に体面だけを考えて夫婦関係を維持しているのならともかく、お互いどうやら相手に対して熱烈な想いを隠しているらしいのですから。


 私は考えます。普通に「相手も貴方を想っていますからご自分の想いに素直になれば上手く行きますよ」なんて言っても無駄でしょう。私の言葉が信用されるとは思いません。


 お二人がお二人同時に、お互いへの想いを吐露なされば、きっと関係は改善すると思うのですが、さて、一体どうすればこの素直ではないお二人にご自分の正直な想いをカミングアウトさせられるのでしょうか。


 ある日、私はシャーヤ様をまたお茶にお招き致しました。シャーヤ様は渋々といった感じで前回と同じ東屋においでになりましたよ。


 不貞腐れたご様子のシャーヤ様に私は尋ねます。


「お国の伝統的な踊りで、女性が一人でするダンスというものがあると聞きましたが」


 私の問いに、シャーヤ様は少し驚いたように目を見開きます。


「よく知っているわね。そうよ。こちらの国のダンスと違って、未婚の女性が一人で踊るの。その姿を見て気に入った男性がその女性に交際を申し込むのよ」


 詳しいお話を伺うと、専用の衣装を着てクルクル回り美しく袖を翻して踊るものだそうで、如何に美しく、扇状的な動きをするかが問われるような踊りだとの事でした。


「シャーヤ様も踊れるのですか?」


「踊れるに決まっているでしょう? 帝国女性の必須技能ですもの。平民から皇族まで踊れない女性などいませんよ」


 このダンスの腕次第で結婚相手の良し悪しまで決まってくるというのですから、この辺は我が王国のワルツと似通ったところがあるようです。


「もっとも、私は幼くして婚約してしまいましたから、人前で踊った事はあまりありませんけどね」


 独身女性が男性にアピールするために踊るものですから、既婚の、しかも皇太子妃が人前で踊ったら破廉恥行為になってしまうのでしょうね。


「もしかして、アジュバール様の前でも踊った事が無いのですか?」


 私が言うと、シャーヤ様は驚き、考え込んでしまいました。


「そ、それは……。無いという事はないと思いますけど……。多分、婚約期間中には踊って見せて差し上げた事が……」


「つまり、最近は無いという事でございますね?」


「そ、そうね。この十年は一度も……」


 これですね。私は大きく頷きました。私は立ち上がり、シャーヤ様の前でしゃがみ込み、彼女の手を取りました。


「シャーヤ様。その踊りをアジュバール様にお見せしましょう」


「え?」


 シャーヤ様の緑色の大きな瞳が丸くなってしまいます。私は構わず続けました。


「その踊りを心を込めて踊り、アジュバール様にお見せすれば、シャーヤ様の想いもアジュバール様に伝わると思いませんか?」


「そ、それは……」


 シャーヤ様のお顔がみるみる真っ赤になって行きます。私が取った手も熱くなってまいりました。私はその手をギュッと握って更に言います。


「言葉で言えないことも、一緒に踊れば分かる事もあります。シャーヤ様の言葉に出来ない想いも、その踊りをお見せすればきっと伝わる筈です」


「で、でも……」


「シャーヤ様もこのままで良いとは思っていらっしゃいますまい? 本当にお好きな方に想いを伝えられずして何の人生ですか! 段取りは致します。お手伝いをさせて下さいませ」


 私が熱心に訴えると、シャーヤ様は俯いてしばらく沈黙していらっしゃいましたが、やがて顔を上げて赤い顔のまましっかりと頷きました。


「分かったわ。貴女の言う通りにします! 協力して下さいませ」


 私とシャーヤ様はしっかりと視線を合わせて、頷き合ったのでした。


  ◇◇◇


 アジュバール様とシャーヤ様の送別の宴は、歓迎の宴と同じ王宮最上のホールで行われました。


 絢爛たるシャンデリアの下、私とローディアス様が入場し、次にアラストーヤ帝国の正装に身を包んだアジュバール様とシャーヤ様がお入りになりました、流石に今日はお二人も社交笑顔でいらっしゃいます。


 私とローディアス様は並んでお二人にご挨拶いたします。


「あまりにも短いご滞在お名残惜しゅうございますね。もっといてくださってもよろしいのに」


 私の言葉にアジュバール様の口元が引き攣りました。どの口が、というところでしょうか。


「そういう訳にも参りませんが、お気持ちはありがたく受け取っておきますよ」


「せめてもの花向けに宴をご用意させて頂きました。我が王国の最後の思い出に、ゆるりと楽しまれますよう」


 私はお二人との離れ際、シャーヤ様とアイコンタクトを交わしました。大丈夫です。この二週間、慎重に計画を進めてきたのです。準備は万全でした。


 お二人は貴族達から次々とご挨拶を受けていました。お二人ともこの三ヶ月でかなり広く交流しておりましたからね。私とローディアス様が夜会で妨害はしておりましたけれど、昼間のお茶会や酒宴、狩猟会、昼食会などにお二人は出ておりました。そこで普通に皇族として我が王国の貴族と関係を結んでいたのです。


 アラストーヤ帝国としては国境を接する所に所領を持つ貴族との関係を深め、交易や治安面で協力関係を構築することは重要です。お二人ともその辺りはしっかり弁えて、帝国の国益のために行動していたのですよ。


 まぁ、そういう社交は男女別の場合が多いですし、利害関係のある所領と揉め事を起こしたらまずいですから、男女関係の問題が発生し難かったので放置していたのですけどね。領主貴族が帝国に寝返る事態になっても困りますから、違う意味での監視は国王陛下から入っていたようです。


 ご挨拶が終わり、ダンスの時間が始まります。私とローディアス様。そしてアジュバール様とシャーヤ様は真っ先に踊り終えました。次に私はアジュバール様、ローディアス様とシャーヤ様で踊り始めます。アジュバール様は笑顔のまま不機嫌です。この方の表情も大分読めるようになってまいりました。


「そう怒らないで下さいませ。あと少しの辛抱でございますよ」


 私は言ったのですが、アジュバール様は無視しました。ふふん。良いのです。私の言う辛抱の意味はこの後分かるのですからね。


 続けて、アジュバール様の前には貴族婦人がダンスの申し込みを受けようと長い列を作りましたよ。アジュバール様は魅力的な笑顔で次々と相手を変え、踊り始めます。この所、私がガードしていたせいで他の女性と踊れませんでしたからね。流石に今日は私も妨害出来ませんし、する気もありません。


 宴は進み、流石のアジュバール様もほとんどの女性と踊り終えたようでした。そこへ、ローディアス様が近付きます。


「アジュバール様。こちらへ」


 アジュバール様は頷きます。ローディアス様とアジュバール様は頻繁に酒宴を開き合い、杯を酌み交わす仲になっているそうです。


 お二人ともお酒が強いですし、話も合うそうですね。それに、王国の王太子と隣国の皇太子の関係が良い事は両国の国益を考えれば非常に重要な事です。たとえ妃が気に入らなくても、アジュバール様としてはローディアス様まで嫌う訳にはいかないのでしょう。


 アジュバール様はローディアス様に案内されてソファーに腰を下ろします。ローディアス様もその隣に腰を下ろします。ふと、アジュバール様が周囲を見渡し表情を強ばらせました。


「シャーヤがいないな」


 どこか別室に男性と行ってしまったのかと思ったのでしょう。しかしローディアス様は済まして仰いました。


「すぐに来ますよ」


「?」


 ローディアス様とアジュバール様のソファーの前にはテーブルも何も無く、ぽっかりスペースが空いていました。そう。そこで何かが演じられるような空間があったのです。


 戸惑うアジュバール様でしたが、ローディアス様はあえて何も説明なさいません。やがて、楽団が王国の曲では無い、独特のリズムを刻む音楽を奏で始めました。アジュバール様がすぐに気が付きます。


「これは……」


 同時に、会場の入り口から二人の女性が静かに入って参りました。


 シャーヤ様と、私です。シャーヤ様が前。私が後ろですね。主役はシャーヤ様なのでこの場合はやむを得ません。


 シャーヤ様はアラストーヤ帝国の踊りを踊る時用の衣装を身に付けていらっしゃいました。薄絹のローブの下に身体にピッタリ巻き付くようなドレスを着て、羽衣をその上から身体の周囲に舞わせております。頭には紗で出来た透けるヴェールを被り、足元は特殊なサンダルです。


 色合いは複雑で、さまざまな色が組み合わさっています。回転する踊りなので、ダンスの最中はこれが混然となって不思議な雰囲気を醸し出すのです。


 今日この日の衣装を選び出すシャーヤ様は真剣でしたよ。何日も前から帝国から持ってきた衣装を引っ張り出して並べ、私の意見も参考にああでもないこうでもないと大騒ぎでした。無いものは大急ぎで王国の職人に発注までしていましたからね。


 そのこだわりの美しい衣装でアジュバール様の前に現れたシャーヤ様はそれは緊張しておいででした。何でも、意中の男性の前でこの踊りをするのは愛の告白と同じなのだそうです。


 シャーヤ様を見てアジュバール様は驚きに目を見張っておいででした。帝国出身のアジュバール様なら、シャーヤ様の御衣装と音楽を聞いただけで状況がある程度分かった筈です。


 シャーヤ様がアジュバール様の正面に出て優雅に礼をなさいます。ついでに私もローディアス様の正面に出て礼を致しました。私は正装の上から裾の長いローブと羽衣を纏っています。


 シャーヤ様に「貴女も踊りなさい!」と言われてしまったのです。いや、私は踊りも知りませんし、踊る理由も無いとお断りしたのですが、シャーヤ様は少し意地悪なお顔でこう仰ったのでした。


「貴女も少しはローディアス様にアピールしないといけないのではない? 私の目は誤魔化されませんよ?」


 ……誤魔化せなかった私はシャーヤ様から特訓を受け、帝国の踊りを覚えさせられたのでした。シャーヤ様はここぞとばかりに厳しいコーチに変貌して大変でしたが、シャーヤ様も真剣に踊りの特訓をなさっていましたから文句も言い辛かったのです。


 曲が変化するタイミングで、私とシャーヤ様は同時に踊り始めました。フワッと羽衣が舞い、滑るような足捌きに合わせてドレスの裾が踊ります。


 この帝国風の踊りの要点は、動きに合わせて美しく裾や袖が翻り、羽衣が流れるように残像を見せる事です。あとは手指の動き、表情、姿勢で蠱惑的な美しさを見せられるかどうかでしょう。


 そもそもが男性を誘惑する踊りなのですから、如何に自分を魅力的に見せられるか、男性を誘惑する事が出来るかを考えて見え方を研究する必要があります。そういう風に自分をアピールする文化は王国にはありません。私は初めてそういう事を意識致しましたよ。


 一体私はローディアス様からどう見えているのでしょうね。はしたないと思われていなければ良いのですが。


 シャーヤ様の踊りは圧巻でしたよ。鋭く回転したかと思えば、優雅に身体を傾け、素早く流麗に腕を振り、羽衣はそれに連れて変幻自在に形を変えて翻ります。


 美しいシャーヤ様のお顔は輝くような笑顔でしたが、その表情を見ていると何故か切なくなるような心地が致しました。私を見て欲しい。愛して欲しい。そういう想いが真っ直ぐにアジュバール様に、自分の夫に向けられている事が分かります。


 ……私はあれほどローディアス様に真っ直ぐに自分の想いをぶつけた事があったでしょうか? 幼くして結婚して当たり前に二人でいた私たちは、恐らくシャーヤ様たち以上に互いの想いを伝え合っていないと思います。


 シャーヤ様の言う通りですね。私は面白そうな表情で微笑まれているローディアス様に向けて、ちょっと真剣に踊ることに致しました。シャーヤ様と近付き離れながらクルクルと回転して手を振ります。ローディアス様に、美しい自分を存分に見てもらうために。


 ……曲が終わり、私とシャーヤ様は静かに礼を致します。結構激しい踊りですから私もシャーヤ様も額に汗を浮かべていました。


 シャーヤ様はスッキリした表情でしたよ。想いの丈を全てダンスに乗せてアジュバール様にぶつける事が出来たのでしょう。さて、アジュバール様はどう出るのでしょうか。


 すると、アジュバール様とローディアス様がお二人同時に立ち上がりました。そしてお互い自分の妻の方に向けて歩み寄り、同時に気取った動作で礼をすると、パートナーの手を取りました。


 曲が始まります。これは我が国の音楽です。静かなテンポの、ワルツ向きの曲でした。ローディアス様の手が私の腰を引き寄せ、私はローディアス様の胸にピッタリとくっ付きます。


「見事な踊りだったな。ソフィア」


 見上げるとローディアス様が少し照れたように笑っていらっしゃいました。ちょっと子供のような笑顔でしたよ。


「だが、やはり踊りの見事さではシャーヤ様に敵わなかったな。彼女の踊りは見事だった」


 ……それは仕方がありませんでしょう。私はあの踊りを習ってまだ二週間ですよ。それになんですか。私の渾身の踊りを見ないでシャーヤ様に見惚れていたというのですか! 私が思わず頬を膨らませるとローディアス様は私の頭に頬を擦り寄せました。


「怒るな。君も十分に見事だった。それに、君はこっちのダンスの方が得意だろう?」


 そうですよ。ワルツに関しては私とローディアス様は完璧ですもの。ほんの三ヶ月踊っただけのシャーヤ様とアジュバール様には負けませんわ!


「存分に私たちの仲の良さを見せつけねばな。貴族達に。妙な噂を払拭してやろうではないか」


 そうですね。帝国のあのダンスがアピールのダンスなら、王国のダンスは調和のダンスです。男女がいかに息が合っているか。相性が良いかを周囲に証明するダンスなのです。


 よし。私とローディアス様の相性は最高なのだと言うところを見せつけてあげましょう。


 私はローディアス様と呼吸を合わせ、滑るようにステップを踏み、回転します。優雅に繊細に、時には大胆に。流麗な動きで周囲の視線を意識しつつ踊るのは帝国のダンスと同様です。こちらは不特定多数の視線に向けてですけどね。


 ふと見ると、アジュバール様とシャーヤ様が抱き合って踊っているのが見えました。お互いにうっとりと見つめ合っています。……あれなら、大丈夫でしょう。きちんと想いが伝わっていると思います。ダンスの様子もピッタリと息が合っていましたし。技術的にはまだまだでしたけどね!


 私は安心してローディアス様の優しい笑顔を見上げると、あのお二人に負けない最高のダンスを披露するために、気合を入れて夫の手を握り直したのでした。


  ◇◇◇


 こうしてアラストーヤ帝国皇太子ご夫妻はご帰国なさいました。


 お見送りを行った際、アジュバール様とシャーヤ様は大変に仲睦まじく、しっかりと抱き合い、それはもう何もかもうまく行ったのだという事が如実に分かりましたよ。人前であるというのにベタベタとして暑苦しいくらいでしたからね。


 シャーヤ様は私の手を握り涙を浮かべながら「何もかも貴女のおかげです。ありがとう!」と仰って下さいました。アジュバール様はシャーヤ様をこの上ないくらいの愛情に満ちた視線で見つめていて私には一瞥もくれませんでしたね。まぁ、良いんじゃないでしょうか。


 こうしてすっかりラブラブ夫婦になって遥かに遠いアラストーヤ帝国にお帰りになったお二人ですが、後で聞くところによると帰国翌年にお子が生まれ、それはもう末長く仲良くお暮らしになったそうでございます。


 帝国では皇帝になると側室を迎える文化があるのだそうですけど、皇帝に即位したアジュバール様はそれを拒否し、シャーヤ様だけど一途に愛し続けたそうでございますね。変われば変わるものです。


 流石にあのお二人が再び我が王国を訪れることはありませんでしたけど、私とシャーヤ様、ローディアス様とアジュバール様の友人関係は長く続き、私はシャーヤ様と書簡を定期的にやり取り致しました。おかげで両国の関係もずっと良好でしたね。


  ◇◇◇


 お二人がお帰りになってようやく日常が戻ってまいりました。やれやれです。


 ですけど、私もあのお二人の関係を見てちょっと思うところがございましたよ。夫婦関係もこじれてしまうと大変な事になるのだという実例を見てしまったわけですからね。


 夫婦である事に安住して、互いの気持ちの確認を疎かにすると、あんな風に関係が壊れてしまう事があるのです。私もローディアス様と、このままフワフワした関係のままですと、ある日突然結婚生活が破綻してしまうかも知れません。そんな事になったら大変です。


 ある晩、ベッドの上でいつものようにローディアス様の腕を抱きしめながら、私はローディアス様に聞きました。


「ローディアス様は浮気をなさらないのですか?」


「は?」


 ローディアス様が間抜けな声を出して驚きました。


「何を言い出すのだ。ソフィア」


 確かに唐突な変な質問だったかも知れません。ですが、ちょっと気になったのです。


「その、アジュバール様ほどでなくても浮気をする男性は多いと聞いています。ローディアス様はなさらないのかと思いまして」


 別にして欲しいというわけではなく。純粋に疑問に思ったのです。私はよく知りませんけど、若い男性は女性を激しく欲するものだと聞いていますので。


 ローディアス様は呆れたように沈黙なさっていましたが、やがてポツリとこう仰いました。


「……以前、一度だけした」


「え?」


 私が仰天して手をローディアス様の腕から離すと、彼は私の肩を掴んで引き留めつつ慌ててこう続けました。


「かなり以前の話だ。十二歳とか三歳とか。その、閨指導を受けた。父に教育だと言われて断れなかったのだ」


 閨指導は王侯貴族なら当然受けるものです。それを専門に教育する婦人か、場合によっては高級娼婦を招くこともあると聞きます。ローディアス様も受けただろうとは思っておりましたよ。


 確かに他の女性と寝た事は確かなのでしょうけど、閨指導は浮気とは言いません。必要な教育なので。そう思って私が少し安心して肩の力を抜きますと、ローディアス様がため息を吐きました。


「……だが、その閨教育を受けて帰ってきたら、君が『ローディアス様から変な匂いがする』と言い出して、数日私の側に近寄らなかったのだ」


 ……そんな事ありましたっけ? 覚えていませんが……。


「あったのだ。それ以来私は浮気どころか、他の女性の匂いを離宮に持ち込まぬように気をつけているのだ。……君が一緒に寝てくれなければ困るからな」


 そうだったのですか。確かにローディアス様は私と一緒でないと安眠できませんものね。私が思わずクスクスと笑ってしまうと、ローディアス様は私を抱き寄せて私の頭を撫でました。


「君に嫌われると困る。大丈夫だ。私は浮気などせぬし、君が嫌がることはせぬ。我慢するさ」


 私は夫の胸に抱かれながら、満足感に包まれました。この人はちゃんと私を愛して下さっているし、大事にして下さっているし、私の気持ちも分かって下さっているという事が分かりましたので。


 でもね。一つだけ言っておきましょうか。


「ローディアス様?」


「なんだ」


「我慢は、しなくても構わないのですよ?」


 その瞬間、ローディアス様の全身が硬直しました。私の頭を撫でていた手がピタッと止まります。私はあえてグリグリと彼の胸に頭を押しつけます。


「私はいつでもローディアス様の事をお待ちしておりますからね?」


 ローディアス様は全く動かなくなってしまい、私はそのままローディアス様が動き出すのをドキドキしたままお待ちしたのでした。

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結婚十年目の倦怠期〜お妃様は十五歳〜 宮前葵 @AOIKEN

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