第16話  月見の夜会

 月見の会またの名を月見の夜会ともいう。

 無駄な儀式のほとんどを減らした皇帝竜星命であったが、この月見の会は数少ない残された儀式であった。

 一見無駄に思えるものもそれに携わる人間にとっては大事な仕事なのである。そう宰相の魏昌ぎしょうにいさめられたのである。実際にこの儀式が存続したおかげで調理人や使用人の多くが解雇されずにすんだ。


 その日の夜、明鈴は燕貴妃のかたわらでその月見の会に参加していた。

 この会は宮廷の中にある庭園に巨大な絨毯がひかれ、そこに国中から集められた美酒や豪勢な料理がならぶ。

 その絨毯は南の去残さざん国から献上されたもので麒麟と青龍が描かれていた。

 皇帝の座席は北側におかれている。

 その左に霊賢妃が座り、右側に燕貴妃が座る。明鈴はその燕貴妃の背後に控えている。竜帝国では左側に座る者のほうが上位にあるとされている。

 すなわち上級貴族出身の霊賢妃のほうが、燕貴妃よりも立場は上なのである。しかし、その距離が違った。皇帝と霊賢妃の間にたっぷりと余裕があるが、燕貴妃との間はすぐ真横であったのだ。皇帝竜星命は常に燕貴妃の体のどこかに触れていた。愛情の度合いは一目瞭然であった。


 月見の会はとどこおりなく進む。この日のために芸をみがいた者たちが、皇帝やいならぶ貴族、文武の官僚たちに披露していく。

 芸達者なものたちが披露する芸に明鈴も見いっていた。

 そんな明鈴の裾をひっぱる者がいる。

 それは小梅シャオメイであった。

「一大事よ、明鈴」

 そう言い、小梅は後方の控え室に明鈴をつれていく。

 その部屋には銀蝶舞と月香蘭が暗い顔で机の上にあるものを見ていた。

 どうしたんだろうと思い、明鈴はそれを見る。

 そこにあったのはビリビリに裂かれた躍り用の衣装であった。

「ごめん、明鈴様。ちょっと目を離した隙にやられてしまったよ」

 銀蝶舞が悲し気に頭をさげる。

「しかし、ここまでやるかね」

 顔を真っ赤にして小梅も怒っている。

「あの性悪狐、私がひっぱたいてやる」

 そう意気込み、今にも霊賢妃のところに小梅は駆け出しそうだ。それを明鈴は制止する。

「犯人探しはあとよ」

 明鈴は小梅に言う。

 頬に手をあて、思案する。

 しばらく考えた彼女は手をぽんと叩く。

「これを逆に利用しましょう」

 明鈴は言う。

「利用するってどういうことなの?」

 小梅は訊いた。

 銀蝶舞も真剣な顔で明鈴を見ている。

「あなた方の裁縫の腕にかかってるわ。さあ、香蘭の出番までにしあげましょう」

 そう言い、明鈴は二人に破かれた衣装の仕立て直しを指示した。



 燕貴妃は何度も背後を振り向く。

 突然血相をかえてやってきた小梅と共に消えた明鈴のことが心配でならない。

 そうこうしているうちに月香蘭の出番がやってきた。


 舞台の裾から明鈴があらわれ、深く頭をさげる。

「今宵、皇帝陛下のご恩にむくいるため、ささやかながら異国の舞いをご覧いただきとうございます」

 そう言い。明鈴は舞台の端に下がる。

 舞台の周囲に松明が次々と灯され、昼間のような明るさだ。

 明るくなると中央に月香蘭が屈んでいたのが見えた。

 後ろにいる義夢が盛大に琵琶をかき鳴らす。

 それは激烈で荒々しいものだった。

 その音楽にあわせて月香蘭が舞い出す。

 月香蘭の衣装を見て、一同驚愕した。

 まずその大きな胸を包む布である。ぴったりと胸にはりつくように縫われたその布の中央部分は銀杏の葉の形に穴が開けられていた。そこから見える深い谷間に貴族、文武の官僚たちは目を奪われた。

 そして足元である。

 左右の両足部分が大きくひろがり、月香蘭が舞うたびに褐色の肌が見える。

 その様子にもこの場にいる男性は目が離せずにいた。

 一人、霊賢妃だけが苦々しい顔をしている。

 明鈴は裂かれた衣装をそのように銀蝶舞と小梅に縫いなおさせたのだ。

「胸元のハートに深いスリット。これにこの場の男性たちの視線は釘付けまちがいなしよ」

 不敵な笑みを浮かべて、明鈴は言う。

 小梅には明鈴のいっていることがさっぱり分からなかったが、たしかにいならぶ貴族に官僚の男性たちは固唾を飲んで、月香蘭の躍りを見ている。

 それは皇帝竜星命とて例外ではなかった。


 やがて躍りは終わり、最後に月香蘭は両手の人差し指と中指だけをたて、左目だけをつむる。

 それを見た一同は静まり返った。


 この一見するとふしだらで、そうではあるが魅力的な躍りをどう評していいかわからなかったのである。


 一人、礼部大臣(儀式を司る役所)の霊公慈れいこうじはこのみだらな躍りをこともあろうか皇帝の前で披露した月香蘭をしかりつけようと立ち上がった。ちなみに彼は霊賢妃の父親である。

 だがそれよりも早く立ち上がった人物がいる。

 それは宰相の魏昌であった。

 魏昌は白髪の立派な老人であった。

 その宰相さいしょう魏昌ぎしょうは立ち上がり、拍手喝采したのである。

「すばらしい、すばらしい舞いであったぞ。この魏昌、そなたの舞いを見て若返った気分でござる」

 じつににこやかに魏昌が褒め称える。

 普段は生真面目が服を着ているような魏昌があふれんばかりの称賛の言葉を月香蘭になげかける。

 続いて皇帝が立ち上がり、手を叩く。

「すごいよ、すごい。この時代にこんな躍りをみれるなんて」

 皇帝竜星命が興奮し、月香蘭を誉める。

 彼女を近くに呼び寄せる。


 その様子を見て霊礼部大臣はしずかに座りなおした。


「かのものは月香蘭と申します。願わくば陛下のお側近くにお仕えさせたく、私がつれて参りました」

 月香蘭の隣に膝をつき、明鈴は言った。

「へえ、そうなんだ。明鈴さんの友達なんだね」

 皇帝竜星命はいつものくだけた口調で言う。

「そうだよ。アーシは明鈴ちゃんの友達なんだ。よろしくね」

 にこりと月香蘭は言い、また中指と人差し指だけをたて、顔の横にもってくる。

 あまりに無礼な言いように霊賢妃がしかりつけよういとしたが、皇帝が手で制した。

「じつはアーシも陛下と友達になりたいって思ってたんだよね。海王演義にはまってさ、その話をしたかったんだよね」

 月香蘭は言う。

 この話し方は明鈴が指導したものだ。

 月香蘭は緊張したが、たしかに明鈴の言った通り、皇帝は喜んでいた。

「そう、そうなんだ。後宮であれを読んだことあるのは飛燕ちゃんだけだったからね。もっと海王演義の話をしたかったんだよね」

 そば近くに月香蘭を呼び寄せた皇帝はその月見の夜会の間、ずっと海王演義についてあつく彼女に語った。




 翌日、皇帝竜星命は月香蘭を召しだし、一晩を共にした。

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