第13話 月氏の香蘭
明鈴はじっとその金色の髪をした女中をみつめる。
「本当にきれいな瞳をしているわね」
明鈴は形のいい胸の前で腕組みし、一人うんうんと納得するように頷く。
「ねえ、明鈴姉さん、どうしたんですか?」
一人納得する明鈴の着物の袖を小梅が引っ張る。
「うちの女中が何か失礼をしましたか?」
銀蝶舞が困り顔をし、そう尋ねる。
明鈴は首を大きく左右にふる。
「いいえ、むしろ感謝したいのです。私はあなたに出会えたことに。ねえ、あなた名前はなんておっしゃるの?」
女中の名を明鈴は訊く。
「は、はい。私は
女中はそう名乗った。
月氏は東の呂摩国出身の者が竜帝国でよく使う姓であった。例外はもちろんあるが、月という姓を持つものは呂摩国およびその周辺の国々に由縁をもつものが多い。聞けば月香蘭の両親も砂漠をこえてはるばる呂摩国からこの竜帝国にやってきたという。
「ねえ、月香蘭さん。あなた皇帝陛下の側室になってみない?」
明鈴はまるでお茶に誘うような気軽さで月香蘭に訊いた。
唐突な誘いに月香蘭はあからさまに困惑した表情になる。
「そ、そんなこと突然いわれても」
突然の誘いに月香蘭は混乱していた。
「あ、あのお客様。そのようなことを突然いわれても」
慌てて店主の
「そ、そうですよ。女中さん困っているじゃないの」
「いい、この人なら個性が燕貴妃の人となりとかぶらないのよ。また違う陛下の好きな個性をこの人なら持っているかもしれないのよ」
興奮気味に明鈴は言う。
「わ、私が皇帝陛下の側室に……」
月香蘭はぼそりと言う。
「そうよ、あなたなら燕貴妃と並ぶ夫人(後宮で二番目の階級)になれるわ」
自信満々に明鈴は言う。
いったいどこからこの自信がくるのだろうかと小梅は不思議だった。
小梅は知らないはずである。明鈴は燕貴妃を通じて皇帝のそば近くに仕えるようになり、その好みをさらに深く知るようになっていたのである。それは皇帝が使ったものにより多く触れる機会があったためである。知らず知らずに蓬莱国の言葉を使えるようになったのもそのためである。
明鈴はそれを直感的に理解していた。
「そ、それはありがたい申し出なのですが……」
月香蘭はその豊かな胸の前に手をあてる。
「私、二歳になる子供がいるんですけど……」
その発言に少なからず、明鈴は衝撃を受けた。明鈴は勝手に月香蘭を未婚だと思っていた。
「そ、そうなの。すでに夫がいるのね」
目をふせて、明鈴は言う。せっかく二番目の妃候補をみつけたのに。
「いえいえ、
月香蘭は小さく首をふる。どこか悲しげな瞳だった。
これはまずいことを聞いたかなと明鈴は考えた。でも夫がいないのは幸いかもしれない。さすがに離縁させてまで側室になるようにと明鈴は非情なことをいえるたちではなかった。
「もし、あなたが今の生活よりも皇帝の寵愛をうける栄華を手に入れたいというのなら、我が屋敷を訪ねてちょうだい」
そう言い、明鈴は月香蘭の肩にそっと手をおいた。
「考えさせてください……」
月香蘭は絞りだすように言った。
明鈴が突然、女中の月香蘭を皇帝の側室にさそったため、おかしな空気になったが買い物じたいは楽しく終わった。
明鈴たちが烏次元の屋敷に帰ったころにはもうすぐ日が落ちようとしていた。すでに烏次元も帰宅していて、楊紫炎と岳雷雲をまじえて盛大な宴会がおこなわれた。小梅はずっと紫炎のそばにいて、ついには彼の膝で眠ってしまった。
「戦場では負けしらずの護国将軍も小梅におとされる日も近いな」
と親友をからかう烏次元であった。
「かたじけない」
と無敗の将軍楊紫炎は頭をかいた。
冗談を言う烏次元を見て、彼の新しい一面をしることができて、明鈴はうれしかった。
「旦那様、第二のお妃様は案外はやく決まるかもしれませんよ」
明鈴は昼間にみつけた銀蝶屋の女中月香蘭のことを話した。
「でも燕貴妃のようにすぐに参内はできないでしょうね。旦那様の協力が必要になるでしょう」
明鈴のその言葉はなにか含むものがあった。
「わかったその時がきたら全力をもって協力しよう」
烏次元は言い、楊紫炎が土産に持ってきたぶどう酒をぐびりと飲んだ。
「次元殿、去残国のぶどう酒はどうですか?」
戦場では無敵の楊紫炎は酒が飲めなかった。彼は麻伊の入れた緑茶を飲んでいた。
「そうだな、とても美味ですね。ただ、かつて約束した共に酒をくみかわそうというのが今だにかなわぬのが残念です」
ふふっと美し過ぎる微笑を浮かべて烏次元はからかう。
「それならば拙者がかわりにいただこう」
岳雷雲がそう言い、酒の樽を両手にもった。岳雷雲はいわばうわばみであった。
「これは岳隊長に我が家の酒をすべてのみ尽くされてしまう。麻伊、酒を隠すんだ」
烏次元は麻伊に言った。
その様子を見て、男の人というのはなんてうらやましいのだろうかと明鈴は思った。
翌日の昼過ぎに烏次元の屋敷を訪ねる人物がいた。
それは
彼女は小さな子供の手を引いていた。月香蘭と同じような金色の髪をしたかわいらしい子供であった。その子が彼女の息子の
明鈴は彼女たちを温かく迎える。
大広間につれていく。麻伊が茶と饅頭を持ってきて、月香蘭たちの前に置いた。志真は饅頭を遠慮なく食べて、にこりと微笑んだ。
「決心してくれたのね」
明鈴はにこやかに微笑む。月香蘭が側室になるのを決めてくれれば、皇帝の二番目の側室計画は半分は成功したものだ。残りの半分は明鈴の胸のうちにある。
「この子の将来を約束してもらえるならば、明鈴さん、あなたのお話をうけようと思います」
月香蘭は美味しそうに饅頭をたべる息子の志真の頭を撫でた。
「もちろんです」
力強く、明鈴は言った。
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