第10話 皇太后の願いと燕貴妃の悩み

 竜帝国の皇族の数はかなり少ない。それは元下級女官の明鈴メイリンでも知っている周知の事実であった。宗家といわれるりゅう星命せいめいの家族は目の前で優しく微笑んでいるぎょく皇太后一人だけである。その他は竜星命の従兄弟にあたるじゅ竜賛りゅうさんだけであった。

 なぜ皇族がそれほど少ないかというと、十年前におこった皇位争奪戦争である八王の乱の時にほとんどが亡くなったためである。

 竜星命は現在二十八歳で烏次元とは同い年である。若く、英気に富んだ名君で、その人生は未来のほうが長いとおもわれる。だが、その跡取りはいまだいない。玉皇太后の心配の種はそこである。


 皇室の存続、繁栄を望むなら跡継ぎは必須なのである。一応、樹王竜賛が親族にはいるが、彼はよく言えば凡庸な人物で名君として知られる竜星命とくらべると明らかに見劣りする。今度また八王の乱のようなことがあれば、竜帝国は滅亡するかもしれない。

 

 玉皇太后の気持ちもわからなくはないけど、燕貴妃の気持ちも考えなくてはね。頬をなで、明鈴は思案する。

 他に側室を探すということは、皇帝の愛が別のところに向かうということだ。せっかく皇帝の寵愛を一身に集めているというのに、その立場を危うくするかもしれない。 

 燕貴妃を皇帝に紹介したのは自分だ。

 その燕貴妃の立場を危うくすることは気が進まない。


「たいへん申し訳ないのですが、善処いたしますとしかお答えできません」

 目をとじ、明鈴は深く頭をさげる。

「わかりました。あなたの立場を考えずに無理な願いをしているのはわたくしのほうです。ですが、よい返事を聞かせてもらいたいとも思っています。よしなによしなに……」

 軽く、玉皇太后は頭をさげる。これほどの地位の人物に頭をさげられたら、さすがに無下に断ることはできない。とはいっても即答できる問題でもない。

「かしこまりました。願わくばお時間をいただきたいのですが……」

 明鈴は返答した。とりあえず、先伸ばしするしかない。

 一度この問題を持ち帰り、烏次元に相談したい。それに燕貴妃にも伝えたい。

「さきほど言いましたが、無理をたのでいるのはこちらです。わかりました。まちましょう。明鈴、よろしくお願いしますよ」

 玉皇太后は明鈴の手をとった。

 思ったよりもざらざらとしたしわが深く刻まれた手であった。今は皇太后という地位にあるが、かなりの苦労をしたのだろう。家族を心配する母親の温かい気持ちがつたわった。

 

 玉皇太后との謁見を終えた明鈴はその足で燕貴妃のもとに向かった。

 燕貴妃は自室で小梅シャオメイと談笑していた。小梅には不思議な才能がある。それは、小梅は止まることなく会話を続け、他人を楽しませるというものだ。料理は壊滅的に下手ではあるが。

「あっ明鈴、もどってきたのね」

 ふふっと燕貴妃は微笑する。

「おかえりなさい、明鈴姉さん」

 小梅も出迎える。

 別室に行き、すぐに明鈴のために白湯を用意した。

 それを明鈴は一息に飲み干す。

 明鈴は玉皇太后の願いを隠すことなく、すべて燕貴妃に話した。

 それを燕貴妃は真剣な顔で聞く。

「もし、あなたが他の側室に皇帝陛下を奪われたくないというのなら、この話はことわるわ」

 明鈴はそう言う。明鈴としても燕貴妃の気持ちが最優先なのだ。


 燕貴妃はしばらく考える。おしゃべりな小梅もそれを邪魔しない。

「皇帝陛下に愛され、私は本当に幸せです。この帝国でもっとも幸せな女だとおもっています。ですが……」

 そこで言葉をつまらせて、黙りこんでしまう。

 明鈴はそっと燕貴妃の小さな白い指先を握る。

「でも毎日はつらいわよね」

 明鈴は燕貴妃の心のうちを見た。

 燕貴妃は皇帝に愛されて無上の喜びを得ている。それは確かなことだ。だが、毎日となると体の疲労がぬけきれない。それもまた紛れもない事実だった。

 燕貴妃はこくりと頷いた。


「あっそういうことか」

 小梅が言う。

「燕貴妃様もお休みがほしいわよね」

 丸い顎をなで、なぜか小梅はにやにやしていいる。霊賢妃あたりが聞いたらまた怒りそうねとつけ足した。

 燕貴妃は二人から視線をそらし、壁の仙女の絵を見た。

「では側室探しを受けることにするわね」

 燕貴妃はちらりと明鈴を見て、顎先だけを軽くさげた。



 明鈴と小梅は一度、屋敷に戻った。

 夜になると仕事を終えた烏次元が帰ってきた。

 明鈴たちは麻伊まいの料理を囲み、談笑する。この日の酒菜メニューは鳥肉の揚げ物、青菜炒め、野菜の鶏ガラスープであった。鳥肉の揚げ物は肉を味噌と生姜をあわせたものに漬け込み、片栗粉をまぶせて揚げたもので、皇帝竜星命の好物として知られていた。別名皇帝揚げとも呼ばれている。

「たしかに、陛下の跡継ぎ問題は国家の重要事だ。燕貴妃様以外の後宮の女性を召されないのなら、他から探すしかないなだろう」

 烏次元は青菜炒めを一口たべる。やはり麻伊の料理は絶品だと誉める。それを聞いた麻伊は嬉しそうに微笑み、小梅は鳥肉の揚げ物にかぶりついた。

 明鈴も野菜のスープを一口飲む。じんわりと美味しさが舌に広がる。

「でも飛燕のときと違い、誰も思い付かないのよね」

 ため息まじりに明鈴は言う。

 手巾ハンカチから得られた情報で皇帝のだいたいの好みを把握しているつもりだが、明鈴には燕貴妃以外に思い付く知り合いがいない。

「どうだ、気晴らしに買い物にいってみては?」

 烏次元は明鈴にそう提案した。

 買い物という言葉を聞き、小梅は目を輝かせる。

 それは明鈴も同じだった。


 ということで明鈴と小梅は明日、帝都の商業地区に買い物にでかけることになった。



 

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