第8話  明鈴は寵姫の後見となる

 皇帝竜星命の言葉は衝撃的だったが、明鈴にはその言葉が真実であると確信することができた。皇帝が未来からの生まれ代わりなら、彼女が見た異質で異様な光景が理解できた。あの景色は未来のものだったのだ。どうりで私には皆目理解できないはずだ。明鈴は思った。


「未来の美人とこの時代の美人とではやはり違いますか?」

 言葉を選びながら、明鈴はききたいことを聞いてみた。


「そうだね、違うといえば違うかな。それよりも僕の好みが片寄っていると言った方がいいかもね。それにね、こっちの女の人を好きになれない理由が他にもあるんだよね」

 ちらりと皇帝竜星命は飛燕のことを見る。

「もちろん、飛燕ちゃんは別だよ。僕は飛燕ちゃんのことが大好きだから」

 笑みをくずさずに皇帝は言う。

「よかった、飛燕、お兄ちゃんにきらわれたらどうしようって……」

 涙目で飛燕は言う。

 この飛燕の仕草を見て、明鈴は完璧だと思った。雑用はしっぱいばかりだったが、それは彼女の才能の使いみちを間違っていたのだ。飛燕の才能は男性が保護したいとおもわせる動作を自然とできることだ。

 皇帝はその手で飛燕の小さな手をぐっと握った。

「大丈夫だからね。僕が飛燕ちゃんのことを嫌ったりはしなから」

 皇帝の言葉を聞き、飛燕は泣き止む。

 わずかな時間で飛燕は与えられた役割を完璧にこなしていいる。それも自然にだ。明鈴は後輩女官に恐ろしさすら覚えた。


「その好きになれないことってわかるかい?」

 皇帝は明鈴に問う。それは試されているような質問だ。いや、これは明鈴の見鬼の能力を実際に試しているのだ。

 明鈴は頬に手をあて、数秒考える。

 皇帝がこの時代の美女を愛さずに飛燕を愛したのはなぜか?

 それを言語化して答えなくてはいけない。

 たしかに皇帝の言うとおり、理由はいくつかある。

「そのひとつは白粉おしろいですね」

 明鈴は答えた。

「そう、ビンゴだよ」

 言葉の意味はよくわからなかったが、どううやら正解のようだ。

「次元君も教えてほしそうな顔をしているね。君にも迷惑かけたからね、ちゃんと説明するよ」

 皇帝は次元の綺麗な顔を見る。

「恐れながら、私も知りとうございます」

 烏次元は深く頭を下げる。

「それはね、白粉おしろいには毒が入ってるからよ」

 そう言ってから、明鈴はしまったと思った。調子にのって皇帝よりも先にいってしまった。

「またまた正解。この時代の白粉おしろいには鉛の毒がはいっているんだよ。僕は何回もやめてくれっていったんだけどね、あの人たちはやめてくれなかったんだ」

 皇帝は明鈴の言葉など気にせずにかたった。

「彼女たちは自分たちが思う美に強いこだわりがあるみたいなんだよね。こんなに美しいのに皇帝は相手にしないって陰口をいっているらしいしね」

 うんざりした顔で皇帝は言った。

 飛燕も明鈴も白粉の化粧をしていないのはそのためだ。

 皇帝の言葉を聞き、烏次元はなるほどと思った。

 そういえば、皇族や貴族の子供は早死にしやすいときいたことがる。それはその白粉のせいなのか。烏次元はそう考えた。皇帝が何度も白粉をしないようにと後宮の美女たちにいったのはそのためか。


「もう一つあります」

 その後、失礼しますと言い、明鈴はお茶を一口飲む。さすがに口の中がカラカラだ。

「もう一つはてん足ですね」

 竜帝国において足の小さな女性は外にでなくても暮らせる者、すなわち裕福な家の者の象徴として足の小さな女性が美人とされた。

 そこから足を布や紐で無理矢理しばり足を成長させないようにするてん足が貴族の間で流行した。

「僕はね、体によくないからそれもやめるようにいったんだけどね。彼女たちはかたくなにやめようとしないんだ。見ているこっちが辛くなるのにね」

 皇帝もお茶をごくりと飲んだ。

 飛燕も明鈴もてん足などしていない。それは彼女たちの身分が低いためだ。

「僕のことなんか無視して、自分の価値観をおしつける人間を好きになんてなれないだろう」

 あきれた顔で皇帝はため息をつく。

「それにひきかえ、飛燕ちゃんは僕の好みにあわせてくれる。もしかしてそれは飛燕ちゃんの本当の姿じゃないかもしれない。でも、僕にとっては合わせてくれるという気遣いだけで十分なんだ」

 皇帝が言うと飛燕はぎゅっと彼に抱きつく。

「違うよ、飛燕は優しいお兄ちゃんが大好きなんだからね」

 飛燕はそう言い、皇帝に頬をすりつける。本来なら不敬な行為かもしれないが、皇帝は一切とがめない。それに明鈴には飛燕の目が真剣な物に見えた。もしかすると飛燕は本気で皇帝のことを好きになったのかもしれない。つきあいの長い明鈴は飛燕の目を見てそう思った。飛燕は私が与えた役を演じるうちに自分の性格がそうだと思うようになったのだろうか。


「僕はね、明鈴さん、君に感謝しているんだよ。僕も男だからね、女の子は大好きなんだ。でもせっかくの後宮の女性たちは僕にあわせてくれない。それに彼女たちは貴族の出のものが多い。いわば選民意識が強いんだよね。そういう女性には前の人生でひどい目にあったからね。どうしても好きになれなかったんだよね」 

 皇帝は笑みを絶やさない。彼の前世に何があったのか知りたいところだが、さすがにそれを訊くことは明鈴にはできなかった。それは皇帝の内面に関わりすぎると思ったからだ。

「それでね、明鈴さん。頼みがあるんだよ。飛燕ちゃんは後ろ楯も味方もいない。だから、どんな嫌がらせをあの女たちから受けるかわからない。君に飛燕ちゃんの味方になってほしいんだ」

 皇帝はそう言った。

「もちろんです。飛燕を皇帝陛下に紹介するように烏次元にたのんだのは私です。なにがあろうとも私は飛燕の味方をいたします」

 その言葉を聞き、皇帝竜星命は明鈴の手をとり、喜んだ。

 

 それより三日後、張飛燕は貴妃の地位を与えられた。これより先、飛燕は燕貴妃えんきひと呼ばれることになる。烏明鈴には燕貴妃の筆頭女官の職をあたえられた。今のところ後宮においての最小勢力であったが、歴史上飛燕派と呼ばれる勢力の誕生の瞬間であった。

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