第6話 飛燕寵姫となる

 明鈴の腕の中で目を赤くして泣いているのは張飛燕といった。

 明鈴の後輩の女官で主に後宮の炊事場で下働きをしている。生来の不器用で先程のように先輩女官に毎日のようにしかられていた。

「ほら、大秋長様の前ですよ」

 明鈴は着物の袖で飛燕の涙を拭いてあげた。


 飛燕は立ち上がり、烏次元に深くお辞儀する。

 彼女の年齢は明鈴よりも二つ年下の十八歳とのことであった。そのことに烏次元は口にはださないが、驚かされた。どう見ても小梅シャオメイと同じぐらいに見えたからだ。いや、どちらかといえば小梅のほうが胸の膨らみがあるのではないかと思われた。張飛燕は胸も尻も肉付きが悪く、大人の女性としての魅力には欠けると思われた。

 だが、明鈴は彼女こそお妃候補だと自信満々に語る。


 疑問を含んだ目で烏次元は明鈴を見る。

「旦那様、ご心配なさらずに。飛燕ならきっとなしとげます。ただしそれにはちょっとした小細工が必要ですが」

 明鈴は飛燕を一度自宅に連れ帰りたいと願い出た。

 烏次元は半信半疑ではあったが、明鈴の言う通りに炊事場の責任者に言付けし、飛燕を自宅につれていく許可をとった。

「あいつがいたら余計な仕事が増えるのでどうぞつれていってください」

 恰幅のいい料理長はそう言った。

 烏次元は他に仕事があるということでそのまま宮城に残ることになった。


 明鈴と飛燕は烏次元が用意した馬車で屋敷に戻った。

 彼女らを小梅と麻伊が出迎えてくれた。

 麻伊は昼食に卵の餡掛け飯を用意してくれた。それとワカメのスープがそえられる。熱々の餡は甘くて、ご飯によくからみ病み上がりに近い明鈴にとってはありがたかった。小梅などはおかわりしたぐらいだ。

 飛燕も麻伊の料理に感動していた。単純な素材なのに深いあじわいがる麻伊の料理にいつもは少食の飛燕もぺろりとたいらげた。


「さあ、お腹もいっぱいになったし本題にはいりましょうか。飛燕、あなたには皇帝陛下のお妃になってほしいの」

 その明鈴の言葉を聞き、あらためて飛燕は驚愕を隠せなかった。

 後宮の炊事場で大秋長の烏次元とそのような話をしていたが、まさか本当にそのことを親友の明鈴から言われるなんて。

「そんな恐れおおいです。私は身分も低いし、美人ではないし……」

 うつむき、飛燕は小梅のいれてくれた白湯の碗をじっとみつめる。

 たしかに竜帝国の美女の基準に飛燕はあてはまらない。

 竜帝国において美女とはふくよかで目が切れ長で細く、小さい足の持ち主のことをいった。飛燕のように大きな瞳をした小柄で痩せた女性は不美人とされた。


 飛燕の言葉を聞き、明鈴は大きく首を左右にふる。

「それこそ思い込みなのです。美人とはひとそれぞれなのです」

 明鈴は飛燕を見つめ、そう言った。

「その思い込みこそ皇帝陛下が後宮の美女たちをお召しにならない理由のひとつなのです」

 明鈴は言った。


 明鈴は小梅に指示し、ある着物を用意させた。

 小梅は料理は壊滅的であったが裁縫は天才であった。

 すぐに明鈴が指示した着物を仕立て直した。本当は新しいものを用意したかったが、まずはこれで試してみようという明鈴の考えだった。

 飛燕はその着物に着替える。

 着替えは麻伊が手伝ってくれた。

「あの…… 本当にこの着物であっているのですか?」

 心配気に麻伊が問う。

 着替えた飛燕を見て、明鈴は大きくうなずく。

「ええっこれで間違いなく皇帝陛下は喜ばれます」

 うんうんと明鈴は大きく頷く。

「ほ、本当にこの着物でいいのですか?」

 震えながら、飛燕はやや興奮ぎみの明鈴を見る。

「ええっまちがいないわ」

 強く明鈴は飛燕の小さい肩を叩く。

「しかし、指示されたとおりにあつらえましたが、これを着て陛下の御前にださせるのですか?」

 着物を仕立てた小梅も明鈴に訊く。

 明鈴が意匠デザインした着物は足の部分が思いっきり短くしたものだ。膝上はおろか太ももの半ばで切り揃えられていた。足元は短いのに膝上までを白い布でぴっちりと巻かれている。実際に肌をみせているのは太もものわずかな部分という不思議な意匠であった。

「それではしあげといきましょう」

 明鈴は飛燕の後ろにまわり、髪を結う。飛燕の黒髪を左右に結ぶ。それを三つ編みにしていく。

「それでは最終しあげよ。飛燕、皇帝陛下にはお兄ちゃんとお呼びするのよ」

 にやりと不敵な笑みで明鈴は言う。


 それには一同驚愕した。

 そんな不敬なことをすれば命がいくつあってもたらない。

「いやいや、それはまずいですよ。皇帝陛下はお優しいかたといいますが、さすがにそれは……」

 不安気に麻伊は言う。

「大丈夫よ。これこそ最高の秘訣なんだから。いい、飛燕。陛下の寵愛を受けるかもとの下働きにもどって一生を怒られて暮らすか、あなたが選ぶのよ。お兄ちゃんってたったひとこと言うだけであなたは陛下の寵愛を一身にうけることになるんだから」

 明鈴の言葉を聞き、飛燕は決意した。毎日怒鳴られることにはうんざりしていたからだ。

 この後、明鈴は飛燕にたいして一晩中発声練習をさせた。頭のてっぺんから声をだすことを意識し、つねに甘えたような口調で話すことを指示した。さらに話すときには上目遣いをするようにと。

 練習は三日ほど続いた。

 そして張飛燕は烏次元に連れられ、皇帝竜星命の元に赴いた。

 その日の夜、張飛燕は皇帝と一晩を共に過ごした。

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